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θ Dirty Angel

「ヤな空だな」


 冬場特有の灰色の曇り空を見上げながら、瑠璃香は思わず呟く。

 木枯らしの吹き抜ける音に、スレイプニル・SHタイプのエンジン音が混じり、灰色の空に流れていく。


『作戦開始まで15分前』

『瑠璃香、スレイプニルの具合はいいか?』

「問題ねぇぞ」

『制御系、メーター系、センサー系、動力系、異常なし。そろそろカウルを全閉しろ』

「了解」


 手元で僅かな操作を行うと、自分の両脇に開いていた乗降スペースまでカウルが降り、瑠璃香を完全に風圧から守る。


『念のために言っておくが、むやみに開けようと思うなよ。風圧がどの位になるかは想像つくだろ』

「場合によるな、こんな物に隠れてケンカもねーだろ」

『言ってろ』


 上空のデュポンから送られる陸からの報告に適当に返しながら、瑠璃香は眼前に広がる無人のハイウェイを見た。

 そこにある無機質な路面が、これから始まる死闘の舞台になるのだという事に、瑠璃香は吐息。


『時間通り、間違いなくあれは出現します』

『だそうだ。作戦開始10分前と同時にスタート。出現と同時に作戦開始だ』

「了解。由花、相手がどう走るか分かるか?」

『す、すいません。モニターには表示されるはずなんですが、速くて私には全然………』

「だろうな。いいさ後は現場の判断だ」


 スタートまでのカウントが響いてくる中、瑠璃香はメットの状態を確かめ、アクセルを握り込んでエンジンを吹かす。


「待ってろ………今追いついてやる」


 呟きはスタートシグナルにかき消され、同時にスレプニル・SHタイプが急発進した。


『急に上げてくなよ。車体に負担がかかる』

「慣らしもやってないのかよ」

『出来るか!』


『ARES』の警告を聞き流しつつ、瑠璃香はアクセルを握りこみ、車体をますます加速させていく。

 カウルとメット越しに響いていた風はいつしか〈音〉から〈衝撃〉、そして〈圧力〉へと変化していく。

 至近距離に感じるその圧力に耐えるように、瑠璃香は体をフロントカウルの後ろへと潜り込ませていく。


『現在時速、350……400……450……』

『フレーム各所への圧力、規定範囲内』

『作戦開始まで、あと5分』


 複数の現状報告が通信から流れる中、瑠璃香は何も考えず、ただ速度を上げていく。


『時速、550……600!』

『来るぞ………』


 レックスのカウントを証明するように、周囲を流れる景色はただの乱雑な色へと変わり果て、空気は見えない壁となって押し寄せてくる超高速の世界で、瑠璃香は隣を見た。

 いつの間にか自分の隣に並んでいる、おぼろげなフォルムの漆黒のバイクと、そのライダーを。


『作戦開始!』


 並走する二台の漆黒のバイクが、陸の合図を号令としたかのようにその速度を増す。


『ろ、620、30………』

『抑えろ! 直線だけじゃないんだぞ!』

「向こうに言いな!」


 カウルの向こうの圧力が破壊的に荒れ狂う中、バイクに張り付いた瑠璃香に加速度による圧力が襲う。

 歯を食いしばり、ハンドルグリップを限界の握力で握り締め、瑠璃香はそれに耐える。


『右カーブ! 右27度に切らないと激突するぞ!』

「分かってる!」


 本来ならば緩やかなカーブが、想定を遥かに上回る速度の前では突如として出現する壁へと変貌する。

 瑠璃香が僅かに速度を落とし始めた時、《スタンビーター》はまったく速度を落とさずカーブへと突っ込んでいく。


『ぶつかる!?』

「いや………」


 誰もが《スタンビーター》が壁に激突するかのように見えたが、まるで魔法のように《スタンビーター》はカーブを切り抜ける。

 真後ろからそれを見ていた瑠璃香は、それがバランスを崩さない絶妙な体重制御による神業的コーナリングだという事に気付いていた。


「こっちも行くぞ!」

『バカ、傾きすぎ…』


 焦った瑠璃香が、カーブを曲がるべく車体を傾けるが、それは限界状態で走っていたスレイプニル・SHタイプのバランスの限界を突破していた。


「!」


 バランスが崩れる刹那の時、瑠璃香はいきなり左腕を無造作に真横へと突き出す。

 今まで瑠璃香を風圧から守っていたカウルを自らの拳でぶち破り、荒れ狂う風の中にその腕が突き出される。

高速走行で透明な壁となっていた大気が、突き出された左腕を絡み取り、引き千切らんとする。

 それを防がんと、ライダースーツに刻まれた防護陣が淡く光り、力を使い果たして焼き落ちる。

 その圧力が、バランスを崩そうとしていた車体を引き、強引にカーブを曲がったと同時に瑠璃香は腕を引っ込める。

 それと同時に緊急用の自動修復が発動、バイクのボディから伸びた小型作業用アームが、カウルの穴へと修復液を噴霧。風圧に流される寸前に凝固して穴を塞ぐ。


『なんちゅう無茶を………』

「大丈夫、持ってくれた」


 普通なら腕が吹き飛んでもおかしくない状態だが、瑠璃香の左腕はスーツの表面が裂けただけでなんとか保たれていた。


『今ので左袖の防護陣がほとんど消し飛びました! 緊急用の修復液も残り有りません!』

『同じ手は使えないぞ』

「まだ右がある」

『おい!?』


 常識無視の瑠璃香のコーナリングに、見ていたアドルスタッフ達は肝を冷やす。

 瑠璃香は再度アクセルを吹かし、前を行く《スタンビーター》の追跡を続ける。

 ゆっくりとだが、双方の距離が詰まっていく中、それは起こった。

瑠璃香の視界の《スタンビーター》が、いきなり大きくなっていく。


(チキン(弱虫)・トラップ!)


 相手が急ブレーキをかけたという事と、それが《彼女》の得意技の一つだったという事を思い出した瑠璃香が、グリップ脇の緊急ブレーキを押す。

 スレイプニル・SHタイプの後部カバーが左右へと展開し、風圧で減速をかけるエアブレーキとなって車体を減速させる。

 両者の距離が一気に縮まっていき、激突寸前で《スタンビーター》が再度加速。

 かろうじて激突を免れた瑠璃香も、後を追う。


「やっぱ上手いな、あいつはよ…………」

『大丈夫か? もう直終着点だぞ?』

「追いついては見せるよ、あとは知った事じゃねぇ」


 どこか楽しげに呟きながら、『ARES』の心配をよそに瑠璃香は追跡を続ける。


『この速度だと、残る2分で作戦エリアを出ます!』

『瑠璃香下がれ、作戦の第二案を発動させる』

「うるせぇ! 余計な手出しするな!」


 陸の命令を怒鳴り散らし、瑠璃香は追跡を続行。僅かずつだが、距離は縮まりつつあった。


『時速640……650……』

『止めろ! 死ぬ気か!』

「あと少し、あと少しで追いつけるんだ………」


 己の技術の限界を駆使しながら、瑠璃香は加速を続ける。

 しかし、作戦の限界エリアは無常に迫ってきていた。


『エリア限界まで残る10km、約30秒!』

『瑠璃香』

「行けぇっ!」


 メーターはとっくにレッドゾーンを振り切れ、漆黒の閃光となったスレイプニル・SHタイプが《スタンビーター》の横へと並んでいく。

 だが、残された距離はあまりに短かった。


『残る5km、4km、3km……』

『瑠璃香!』


 残った距離がごく僅かになった時、瑠璃香は隣を見た。

 そして、呟く。


「走りじゃ、お前に勝てねえか。だけどな!」


 次の瞬間、瑠璃香が起した行動を理解できた者はいなかった。

 いきなり瑠璃香は車体を傾けながら、非常用のオートドライブボタンと脱出ボタンを押す。

 高速用に着けられたカウルが全て爆音と共に吹き飛ばされ、スレイプニル本来の姿へと戻る。

 そして瑠璃香の制御を離れたスレイプニルから、シートが勢いよく射出された。

 本来ならクラッシュを避けるために真上へと飛ぶはずのシートは、傾けられた車体のせいで斜め上へと飛んだ。

 その勢いで瑠璃香は横へ、《スタンビーター》の方へと飛び掛った。


『えっ………』

『おい……』


 飛び掛った瑠璃香は、相手の首へと己の腕を巻きつけ、極めつつ車体を傾ける。

 制御を失った《スタンビーター》は、完全にバランスを崩し、高速で複雑なスピンで火花を散らしつつ、ハイウェイを暴走していった。



『瑠璃香さん!?』

『瑠璃香!』

『空、マリー、すぐに降りろ。瑠璃香の生存確認は?』

『だ、大丈夫です! スーツから生存情報が来ました!』


 音速の半分の速度に飛び掛るという、自殺行為とすら言えない無謀な行動に、全員が顔を青くする。

 そして、スピンが終わった《スタンビーター》の映像がデュポンのモニターに映し出される。

 そこには、派手にスピンしながらも漆黒のバイクから離れないライダーと、その首を完全に極めた状態でライダーとバイクを下敷きにしてダメージを免れた瑠璃香の姿が有った。


鬼殺威きさい流、《韋駄天狩り》。走りはお前だが、ケンカじゃあたいが上だったよな、フェイリン」


 極めた腕を外さないまま、瑠璃香がライダーのメットに手をかける。

 だが、その時突然バイク、ライダー共にその体が不気味な動きを見せる。


「!? フェイリン……」


 内側から膨れ上がった何かが、瑠璃香の腕を弾き飛ばす。

 勢い余って弾かれた瑠璃香の前で、バイクとライダーの中から、金属の光沢を持った臓物のような物が飛び出し、バイクとライダーを覆って一つの物へとしていく。

 それらが完全に一つとなっていくさなか、ライダーのメットが外れ、そこから瑠璃香にとって見覚えのある顔が現れた。


「フェイリンー!!」

「る……り……」


 紛れもない友の口から、瑠璃香の名が漏れたかのように思えた時には、その顔も埋まっていく。

 そして、そこには完全な変貌を遂げた《スタンビーター》の姿が有った。

 バイクだった部分は、機械とも臓物とも取れない物に覆われ、それでもなお二輪を残した奇怪な下半身となり、ライダーだった部分はまるで出来そこないのヒーロー人形のような金属質の上半身となる。

 身長は倍近く伸び、金属のマスクのような顔から、唯一生身に見える単眼が瑠璃香を見た。


「こいつが、フェイリンを………」

『下がれ瑠璃香! 戦闘は空とマリーに任せて…』

「手ぇ出すんじゃねえ! こいつはあたいが片をつけると言ったはずだ!」

『無理だ、その体じゃ!』


 瑠璃香の隣に、こちらも結局スピンしたらしいボロボロのスレイプニルが停まる。


「『ARES』! あたいの得物を!」

『……分かったよ』


 スレイプニルの砕けたサイドカウルが横にスライドし、そこから瑠璃香の武器が飛び出す。


『無理をするな。そいつは強いぞ』

「んな事、分かってんだよ!」


 瑠璃香は聖書を手に取ると、それを上へと投げる。

 放り上げられた聖書が、頭上へと落ちてきた時、突き上げられた瑠璃香の拳が、聖書の背表紙を砕く。

 装丁が外れた聖書が、無数の紙片となって舞い散り、その紙片がまるで見えないレールにでも導かれるように虚空を舞い、無数の紙片の帯が瑠璃香と《スタンビーター》の周囲を覆い、ドーム型の結界を形成していく。


「《聖書結界》!」


 ガルーダで降りようとしていた空が、その外界を完全に遮断する強力な結界に絶句する。


『瑠璃香の奴、本気で自分だけで戦うつもりか………』

「どうするの!? あれは簡単には解けないわよ」


 ユニコーンで地面には降下していたマリーが、中の様子すら分からない状態に戸惑うが、陸はいたって落ち着いたままだった。


『二人とも、そこで待機。何かあったら即座に突入だ』

「兄さん………」

『片をつけると言ったのは瑠璃香自身だ。自分で言った事に責任取らないような軟弱な奴じゃない』

「それはそうだけど…………」

『サポート体制を万全に整えておけ。レックス、念のために結界地点を上空衛星からポイントしておけ』

『瑠璃香さんごと撃つんですか!?』

『最悪は、な』



「さあ、始めようか」


 聖書の紙片で形作られた結界の中で、歯を剥くような笑みを浮かべた瑠璃香が両拳を鳴らす。


「主よ、我に邪悪なる魂戒めんための力与えん事を」


 宣言を述べつつ、胸の前で十字を切る。

 エクソシズム(悪魔払い)を行う事を神へと宣言し、その助力を仰ぐ言葉と共に、瑠璃香は《スタンビーター》と対峙する。

《スタンビーター》は単眼を複雑に動かし瑠璃香を見ると、下半身からエンジン音を響かせる。


(来るっ!)


 直感のままに、瑠璃香は横へと跳ぶ。

 その足元を、一瞬にして高加速した《スタンビーター》が衝撃波と共に突き抜けた。


「ちっ!」


 かすめただけにも関わらず、瑠璃香の靴が衝撃だけで裂け、露出した足から僅かに血が宙へと舞った。

《スタンビーター》は結界ぎりぎりで体をスピンさせるように旋回させ、瑠璃香を再度狙う。


「アーメン!」


 飛び退きざま、スレイプニルから退魔用拳銃G・ホルグを抜いた瑠璃香が、路面へと転がりながら、トリガーを引いてA・ブレット(退魔用純銀製弾頭)を連射。

 放たれた弾丸は、《スタンビーター》の前輪に突き刺さり、それをバーストさせる。

 バランスを失った《スタンビーター》が転倒すると、瑠璃香は即座に聖句を詠唱。


「我が守護天使ハナエルよ、汝の御手に掲げし聖銃の雷火、我が前に放たん事を!」


 虚空に出現したプラズマの塊、瑠璃香の得意とする《ハナエルの銃火》が《スタンビーター》へと放たれる。

 だが、バーストした前輪を《スタンピーター》のボディから溢れるように流れた金属質の肉に覆われていき、その肉で即座に補修され、《ハナエルの銃火》が炸裂する寸前にそれを回転させて攻撃を逃れた。


「ちっ!」

『来るぞ!』


 転倒状態からまるで逆再生のように何の補助もなしに起き上がった《スタンビーター》が、瑠璃香へと迫る。


「天空に在りし大天使…」


 詠唱も間に合わず、猛加速した《スタンビーター》が瑠璃香へと激突する。


『瑠璃香!』

「…神の座の右に在なす東の大天使ミカエルよ、その御手に掲げし御剣を我に貸し与えよ!」


 弾き飛ばされる前に《スタンビーター》にしがみ付いた瑠璃香が、激突のダメージを物ともしないように聖句の詠唱を続行。

 本来は剣などに宿らせる《ミカエルの剣》の術を、自らの左手に宿らせ、半透明の剣の幻影をまとった左手を《スタンビーター》の胴体へと突き刺す。

 血臭のするオイルともオイル臭のする血とも分からない体液を撒き散らし、まるで絶叫のように狂ったエンジン音を響かせる《スタンビーター》が、デタラメなジグザグ走行で瑠璃香を振り解こうとする。


「神と子と聖霊の御名の下、咎在りし者は座して許しを請わん! 己が罪を認めぬ者、煉獄の炎にて責め苦を負わせん!」


 聖句の詠唱を続け、瑠璃香が更に左手を突き刺すが、《スタンビーター》は突然前輪を持ち上げる。


(ヤバい!)


 相手から離れる間もなく、瑠璃香の体が相手の前輪ごと弧を描き、一回転して《スタンビーター》の質量ごと地面へと叩きつけられる。


「がはっ!」


 突き抜けた衝撃が、瑠璃香の背中から内臓へと響き渡る。

 口からは苦悶と共に血が吐き出された。


「はっ、リープターンかよ。あいつの得意技だったな………」


 口元の血をぬぐいつつ、瑠璃香がゆっくりと立ち上がる。

 瑠璃香を叩きつけた後に即座に離れていた《スタンビーター》が、再度攻撃を加えるべく、瑠璃香へと迫る。


「けどよ………」


 どこか虚ろな瞳で、瑠璃香は迫り来る《スタンビーター》を見据える。

 激突する寸前、瑠璃香は僅かに体をずらし、相手の攻撃を紙一重でかわす。

 通り過ぎた衝撃だけで体が揺さぶられるが、瑠璃香はむしろ笑みさえ浮かべている。

 ドリフトターンで体を反転させて再度突撃してくる《スタンビーター》に、瑠璃香は握ったままだったG・ホルグを向ける。

《スタンビーター》は射線から逃れるべく、後輪をドリフトさせながら車体を倒し、そのままの速度で瑠璃香の足を狙う。

 だが、そこに放たれた弾丸がまるでそうなる事を読んでいたかのように全弾が《スタンビーター》の体に突き刺さった。


「遅ぇな、てめぇはよ…………」


 横へと跳んで弾丸が突き刺さりながらも突っ込んできた《スタンビーター》をかわし、なおも瑠璃香は弾丸を叩き込む。

 マガジンの残弾全てを撃ち込まれた《スタンビーター》は、弾痕から溢れ出した赤黒く濁った体液で全身を染め上げ、一部高熱化している所があるのか、体液の一部を焦がして異臭を漂わせる。


「戦い方はあいつにそっくりだ。けど。あいつはそんなにトロくなかったぜ…………」


 全身にダメージが残る中、瑠璃香はG・ホルグを握ったまま右手で十字を切り、左手で相手をまねくように威嚇する。


「聖なるかな! 聖なるかな! 聖なるかな! 楽園守りしケルビムよ! その…」


 聖句の詠唱を続ける瑠璃香に向かい、《スタンビーター》が体液を撒き散らしながら突撃、瑠璃香との距離が狭まった瞬間、突然下半身から足とも思える肉柱がせり出し、《スタンビーター》の体を上へと飛び上がらせる。


「御手に掲げし剣の炎を持ちて、邪悪なる者から我を守らん事を! アーメン!」


 上空から降ってくる巨体に、瑠璃香は焦らず詠唱を終えると、左手を地面へと叩きつける。

 そこを基点として、噴き出した業火が瑠璃香の周囲を覆い、《スタンビーター》を焦がしながら弾き飛ばす。


「見え見えの手にかかってやがる。ケンカのノウハウも分からねぇってか?」


 業火をまともに喰らい、全身を焦がした《スタンビーター》が離れるのに、瑠璃香は素早くマガジンを交換したG・ホルグを向ける。


「熱いだろ、冷ましてやるぜ!」


 瑠璃香はG・ホルグを連射、装填されていたCブレット(冷凍ガス弾)が相手に命中すると内包されていた冷凍ガスを撒き散らし、《スタンビーター》の体を凍らせていく。


「天空に在りし神の座の左に在なす北の大天使ガブリエルよ! 汝が司りし贖罪の源流、我が前に解き放たん事を!」


 瑠璃香が指先で虚空に描いた五芒星から、光り輝く水流が噴き出し、《スタンビーター》へと押し寄せる。

 浄化の力が込められた水流が、撃ち込まれていたC・ブレットの冷凍ガスと相まって《スタンビーター》の体を凍りつかせていく。

 凍り付いていく体をどうにかしようと《スタンビーター》がエンジン音を轟かせて体を震わせるが、その体は瞬く間に氷へと覆われていった。


「返してもらうぜ、あたいの仲間をよ!」


 G・ホルグをホルスターに戻すと、瑠璃香は痛む体を無視しながら、呼吸を整え精神を深く集中させ、聖句を唱え始める。


「主よ! 汝全ての罪を背負いし時の戒め、我に現し聖なる血潮流さん事を!」


 詠唱と共に、瑠璃香は両手を左右へと広げ、両足を合わせて体を十字の型に。

 両手足に痛みと共にぬめりを帯びた血が流れ出し、キリストが処刑された時に帯びたとされる傷―聖痕が浮かびあがる。

 聖痕が形を成すのに合わせ、瑠璃香の全身が淡い光に包まれる。


「ハレルヤ!」


自分を包み込み力を感じとった瑠璃香は拳を強く握り締め、《スタンビーター》へと襲い掛かる。

 だが、拳が触れる寸前、《スタンビーター》の体が突然破裂した。


「な、にっ!?」


 破裂の直後、炎と黒煙が続けて吹き付けてくる。

 眼前で腕をかざしてそれらを防ぎながら、瑠璃香は後ろへと跳んで再度距離を開け、相手を観察した。


「てめえ、ガソリンに着火して解かしやがったのか………」


 漂う異臭に、相手の脱出手段を知った瑠璃香は思わず舌打ち。

 無論、《スタンビーター》自身も無事な訳がなく、体表のほとんどは焦げ、血と油の焦げた異臭が相まって漂っている。

 とめどなく流れる赤黒い体液が、湯気を立てて焦げた体を覆っていった。


「思ってたより、根性あるじゃねえか…………」


 切れてきていた呼吸を整えながら、瑠璃香が《スタンビーター》に歯を剥くような笑みを送る。


(術を連発しすぎた………こっちもやばいな)


 全身に疲労感と激痛を覚えながら、瑠璃香は右足を前に、左足を後ろに引き、胸の前で肘から曲げた両腕を直角に交差させ、構える。


「ケリ、つけようか…………」


 答えるように、《スタンビーター》がエンジン音を大きく轟かせる。


「行くぜ! 神と子と聖霊の御名において!」


 瑠璃香が駆け出し、《スタンビーター》も疾走する。

 瞬時にして高速の粋に達して《スタンビーター》が瑠璃香へと突撃する。

 だが、瑠璃香は激突する手前で上へと跳ぶ。

 交差の瞬間、瑠璃香は相手の勢いをそのまま、相手の上半身の胸元にカウンターで膝を突き刺す。

 速度差で膝が深くめり込むが、違いすぎる体格と速度はその程度で止まらず、瑠璃香の体を上へと弾き飛ばす。


「おおおぉぉ!!」


 体が弾き飛ばされる中、瑠璃香の両手が《スタンビーター》の首を掴む。


「土は土に!」


 弾き飛ばされる体を握力と腕力で強引に固定し、瑠璃香は逆さのような状態で《スタンビーター》の頭部にちょうど茨の冠の跡のように聖痕が浮かび上がっている頭を頭突きとして相手の頭頂へと叩き込む。


「チリはチリに!」


 予想外の攻撃に《スタンビーター》の体が大きく揺れる中、瑠璃香はさらに聖句と共に頭突きを叩き込む。

 強力な頭突きの連発に、《スタンビーター》はバランスを崩し、転倒していく。


「闇は闇へと帰れ!」


 巻き込まれて転倒していく中、振り上げた瑠璃香の左拳が、《スタンビーター》の上半身の横腹へと突き刺さる。

 転倒し、スピンする《スタンビーター》に、瑠璃香は片手でしがみついて離れようとしない。

 スピンが終わり、動きが止まった所で、瑠璃香は素早く起き上がり、全身全霊の力を込めて右拳を振り上げる。


「アーメン!!」


 淡い光がこもった拳が、《スタンビーター》へと深々と突き刺さる。

 拳が突き刺さった所から、眩い光が溢れ出す。

 溢れ出した光が結界を貫き、辺りを閃光で染め上げる。


「これは………」

「瑠璃香!」


 光が晴れていく中、待機していた空とマリーが瑠璃香の元へと駆け寄る。

 拳を振り下ろしたままの体勢で、瑠璃香は足元にある灰の塊を見た。

 それは急激的に形を失い、崩れて風に流されていく。


「……フェイリン………」


 灰が流されていく中、その中から何かが出てきた事に気付いた瑠璃香は、それを拾い上げる。

 それはフェイスが割れ、傷だらけのヘルメットだった。


「やっと顔見せやがったな、こいつ………」


 ヘルメットを手に瑠璃香は小さく呟く。

 曇り空の切れ目から覗いた陽光が、傷だらけのヘルメットを照らし出していた……………





「ふぅ………」


 窓越しの曇り空の中を、吹き抜ける木枯らしが沈みがちな気分を更に鬱にしていくのを三谷・ユウリンは感じていた。

 天気予報は初雪の可能性を提示していたが、それよりもこの空があの時と同じだった。

 二年前の手術の日、来るはずの姉が来ないまま手術をした。

 手術は成功したが、一番その事を伝えたかった姉には、二度と会う事はなかった。


「つっ……」


 気分が沈みすぎたか、心臓に軽い痛みが走る。

 医者からは心因性の物で問題はない、と言われていたが、完治させる方法が見つからないのも事実だった。

 どこかいたたまれなくなって、カーテンを閉めようとした時だった。

 一台のバイクが、エンジン音を響かせてこちらへと向かってくる。


「姉さん?」


 それが、姉が会いに来てくれた時と同じ状況だった事に、ユウリンは慌てて玄関へと走り出す。

 玄関を勢いをつけて開けるのと、バイクが玄関先で止まるのは同時だった。


(違う……)


 ヘルメットを取った下から現れたのが、姉ではない事に落胆したユウリンに、そのバイクのライダーが優しく微笑みかける。


「あんたか、フェイリンの妹は」

「姉さんを知ってるんですか?」

「知ってるよ、ダチだったから」

「え……と、ひょっとして瑠璃香さんですか?」


 そのライダーが、姉が聞かせてくれた友人の特徴にそっくりだったのをユウリンは思い出す。


「お、あたいの事なんか聞いてたのか?」

「黙っていればワイルドな長髪美人だけど、その実チームで一番凶暴で淫乱な…」

「………で、続きは?」


 にこやかに殺気を発しつつある瑠璃香に、ユウリンは続きを一部省略、姉が病院に見舞いに来てくれた時に話してくれた一番重要な事を口に出す。


「頼りに、なる奴だって…………」

「……そうか、あいつはあたいをそんな風に言ってたのか…………」


顔を伏せ、視線を合わさないようにした瑠璃香は口元だけで微笑。


「だったら、あたいはどうしようもない嘘つきだな。あいつの頼りに、なれなかった……」

「え……」


 瑠璃香はバイクの後ろに結わえておいた荷物を解くと、その中から出てきた物をユウリンへと手渡す。


「これ、姉さんのヘルメット!」

「ハイウェイの下に落ちてたのが、最近見つかったらしい。焦げたバイクと一緒にな」

「じゃ、じゃあ姉さんは!」

「……骨もほとんど残ってなかった。ちょうど影の位置で、今まで発見されなかったらしい………」

「そんな………姉さん………」

「じきに警察から正式な話がくるはずだけど、先に連絡だけでも、と思って…な……」


 ヘルメットを抱え、涙を流すユウリンを瑠璃香は黙って見てたが、やがてバイクの後ろにあったもう一つの荷物を取り出す。


「生憎と、こんな手土産しか用意出来なくってな。ついでにもらってくれるか?」

「……これ!」


 それは、一冊のスケッチブックだった。

 そのスケッチブックの何ページにも渡って、生き生きとしたフェイリン・春都の姿がスケッチされていた。

 涙をぬぐいながら、そのページに見入るユウリンの顔に懐かしむような笑顔が浮かぶ。


「思い出しながらだからな、ちょっと美化してっかも」

「瑠璃香さんが描いたんですか?」

「一応、本職だからな。でも、一枚完成してねえんだ。手伝ってもらえるか?」

「あの、何をすれば?」

「そうだな………あそこで座っててもらえるか? そんなにはかからないと思うから」

「?」


 縁側にユウリンが座ると、瑠璃香は鉛筆を取り出し、スケッチブックの最後のページを開くとそこにスケッチを始める。

 幾度となくユウリンの方を見ながら、瑠璃香の握る鉛筆が紙の上に何かを描いていく。

 無言のまま、しばらくその作業を続けた瑠璃香は、やがて会心の笑みで作業を終える。


「おし、完成♪」


 スケッチブックを手渡されたユウリンは、そこに描かれているのを見て言葉を失う。

 それは、バイクに跨っている姉とその隣に立つ自分が肩を組んで楽しそうに笑っている絵だった。


「いいんですか? これ、もらっちゃって………」

「何言ってんだよ、そのために描いたんだから遠慮なくもらっときな。プレミアはつかねえかもしれねえけどよ」

「あ、ありがとうございます………」

「じゃ、あたいは帰るからよ。体、大事にしな。あいつも天国でお前の事を心配するからな」

「は、はい!」


 バイクに跨った瑠璃香は、一度だけ背後を振り返る。

 そこに、スケッチブックを持って微笑む少女と、そのそばに立つ優しい顔をした親友が見えたが何も言わずにその場を走り去った………




「る〜り〜か〜さ〜ん〜」

「よ、潤平体大丈夫か?」


 教会に戻った瑠璃香に、顔色がまだ青い担当編集が地獄の底から響くような声で瑠璃香を出迎える。


「し〜め〜き〜り〜、今日ですよ〜………?」

「あ………………」


 幽鬼のような表情で肩を掴む潤に、瑠璃香の表情が凍りつく。


「あのさ、諸事情によりせめて明後日くらいに…………」

「もう限界なんですけど?」


 奇怪な角度で首を傾げながらの宣言に、瑠璃香の頬を冷や汗が流れ出す。


「今度落としたら、原稿料減らすって編集長言ってますよ?」

「待ってくれ! そんな事されたら、おっさんに怒られるし、陸の奴が並行して危険手当減俸するって言ってやがるんだ!」

「後、5時間ですよ」

「だあああああぁぁぁー!!」


 瑠璃香の絶叫が、周囲に木霊する。

 まるでせかすかのように、空から初雪が、静かに舞い始めていた……………






同日夜半 アドル本部副総帥室


『マスター、シュミレート結果出ました』

「メインディスプレイに出してくれ」

『了解』


 『LINA』の操作で部屋の壁に吊るされたディスプレイにシュミレーション結果が表示される。

 それを見た室内にいた数人が、誰もが信じられないような声を上げる。


「兄さん、これは……」

「にわかには信じられないわね……」


 空とマリーの言葉に誰もが同意するかの用に、嘆息する。


「恐らく間違いないだろう。現場の検証結果を詳細に分析して、サイエンス・アビリティ両スタッフの出した結論だ」


 陸の静かな断言に、空が片手で顔を覆う。


「酷い話だな、瑠璃香のダチは昔のとばっちりで死んだのかよ」


 メカニックスタッフチーフの榊原の言葉が示す通り、ディスプレイに映し出された結果は、《スタンピーター》を253年前の呪法によって発生した物と結論付けた物だった。


「当時の何者が行った呪かは分からない。恐らくは当時も完全に制御できた物ではなかったんだろう」

「犬神か何かの召喚系呪法を馬に応じたもの……でしょうね」


 陸の説明に、画面を見て顔を青くしていた敬一が捕捉をする。

 だが、誰もが納得した表情は出来なかった。


「当時の文献にも、三谷 真衛門を恨みに思う者がいたかは特定できませんでした」

「関係者の魂魄が活性化しないかと、言われた通りに作戦中、恐山の桐生さんに口寄せしてもらったっすけど、そっちもダメでした」


 レックスが手元のコンソールを操作し、メインディスプレイに当時の文献を幾つか表示させる。

 並行して、若いイタコと敬一が二人がかりで交霊の儀式を行っている映像が倍速で表示されていた。


「皮肉な事だが、一番ってのは怨まれるもんだぜ。なんであってもな」


榊原の言葉には、深い苦渋が満ちていた。


「この事、瑠璃香には言うの?」


 マリーの言葉に陸は首を横に降る。


「今は言わない方が良いだろう。いつか落ち着いてから話をする」


 デスクの上のシガレットケースから、タバコを一本取り出した陸は、ゆっくりと火をつけると紫煙を天井に向けて吐き出す。


「でもなんでっすか? 当時の呪だったら、呪をかけられた当人も、かけた本人も死んでいるってのに、何でそんな物が今ごろ!」


 敬一の問いに答えられる者はいなかった。

 室内に思い沈黙が満ちる。


「どちらも死んでいるからじゃよ」


 不意に今までしなかった声が、入り口から掛かってきた。


『遣雲和尚!』


 全員が一斉に声をかけた当人へと向き直る。

 そこには先程までいなかった小柄な僧衣の温厚そうな老人が立っていた。


「いつお戻りに?」


 陸の問いに遣雲和尚は答えずに、部屋の中へと入ってきてメインディスプレイに映された情報を読みとっていく。


「昔にの、これと似た事があった。あの時は50年前の呪いじゃったがな。犬神に失敗した者がとんでもない化け物を産み出しよった」


 目を細め、何かを思い出すかのような遣雲和尚の言葉に誰もが重く口を閉ざす。


「偶然にも条件が似通った時ぐらいじゃ、こんな事が起きるのわの」


 陸の手にしたタバコが、長くなった灰を下にある灰皿へと落す。それに気付いた陸がタバコを灰皿に押し付けて消し捨てる。


「気に病む事は無い。こんな事あとはありゃせんって! 瑠璃香坊にはワシが慰めておくからの。さ、解散じゃ、辛気臭い話はの」


 遣雲和尚の言葉に納得したのか、榊原が頷きだけ残して、部屋を出る。他の者もそれにならって退室していく。


「遣雲和尚、瑠璃香さんの事をお願いします」


 最後に部屋を出た、空の言葉に遣雲和尚は手だけ降って答える。


 部屋には陸と遣雲和尚だけが残された。


「言わなかったんじゃな、もう一つの要因を」


 陸に背を向けた遣雲和尚が、呟く。


「言えないでしょう。不安を煽るだけになる」


 陸がデスクのコンソールを操作すると、メインディスプレイに、まったく違う情報が表示される。


「近年の日本各地のオーラレベルと超常事件をグラフ化した物です」


 画面には、右に行くと急激的にマイナスに落ち込んだグラフと、それと反比例で急激的に増加していくグラフだった。


「また、下がったの」

「ええ、おそらく今回の件と関係なくは無いでしょう」


 メインディスプレイの表示を消すと、ディスプレイはそのまま天上へと収納されていった。


「この世界そのものが、急速にマイナスに向かっている。M‘Sも、今回のような呪的な存在も今後、さらに活発化する事でしょう」


 陸の言葉を受けた遣雲和尚が、虚空を睨むかの用に見上げる。


「させぬよ、このADDLがある限りはな」

「その通りです」


 陸はデスクの引き出しから、一枚の写真立てを取り出すと、それに向かって静かな視線を注ぐ。


「未来を、我々は作らなければ」





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