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ζ CRUEL NOSTALGIA

 木枯らしを突き抜け、一台の大型バイクが疾走する。

 重低音のエンジン音を轟かせ、それを駆るライダーのメットから伸びている長髪を風に舞わせつつ、バイクは道路を駆け抜けていく。

やがて、目的地の手前で派手なブレーキ音を周辺に響かせつつバイクは停止。

 そして、季節感を無視したかのようなボディラインを露わにしている薄手のライダースーツを着た女性、瑠璃香は被っていたメットを脱ぐと無造作にキーを引き抜き、それを指先で弄びながら目的地の店へと入っていった。

『和風軽食&喫茶 HAYATE』と店名のロゴが入ったドアを無造作に開け、瑠璃香は店内へと入った。


「いらっしゃい、あ、あねさん」

「よ、儲かってっか?」

「相変わらずギリギリですよ」


 店内のカウンターに居た瑠璃香とほぼ同じくらいの活動的な雰囲気のする女性―店の制服なのか巫女装束にエプロン姿―が気さくに声をかけてくる。


「タケの野郎、こういう格好すれば客がいっぱい来るなんていうから着てみれば、なんか変な客が来るようになるし………」

「いいじゃねえか、なんならシスター服でも持ってきてやろうか?」

「また神父のおっさんに怒られますよ? 去年クリスマスイベントやりたいって言ったら、教会の十字架勝手に外してきて店に付けた時の事忘れたんスか?」

「ああ、有ったなンな事。今年も持ってこようか?」

「また説教会やられたくないんスけど………」


 適当な席に座った瑠璃香の元に、レディースランナー時代の後輩に当たる女性がちょっと渋い顔をしつつ、お茶を運んでくる。

 その足元を小さな影が抜いて、瑠璃香の足に激突した。


「あ〜」

「おう、元気だなレナ」


 足に激突してきた影、1歳になったかどうかの赤ん坊を瑠璃香が抱き上げる。


「あ、すいません。最近歩き回っちゃって困ってんスよ」

「いいって、ガキは元気が一番だろ、な〜?」

「る〜る〜、る〜る〜♪」


 舌足らずな言葉で名前を呼んでるらしい赤ん坊をあやしながら瑠璃香が自分の膝に乗せてやる。


「ご注文は?」

「そだな、いつもの軽い奴」

「かしこまりました〜。あ、タケの奴ちょっと出てるんで作る間レナ見ててください」

「おう。いいかレナ、おめえの母ちゃんは釘バット一本で対抗してたチーム10人まとめて……」

「あの、そういう事はちょっと……」

「じゃあ、おめえの父ちゃんは雨に濡れたセーラー服姿の母ちゃんに欲情して…」

「わ〜!!」



「ごっそさん」

「どういたしまして」


 HAYATEオリジナルメニュー・鳥唐揚げうどん(大盛り)を平らげた瑠璃香が、追加のお茶を持ってきた後輩がお茶を注ぎ終えるのを見ると、おもむろに口を開いた。


「ちょっといいか?」

「何スか? 改まっちゃって」

「フェイリンを見た、って言ったら信じるか?」

「!?」


 後輩の手から、中身がほとんど残ってない急須がテーブルへと滑り落ちる。

 それに気付かない程、後輩は狼狽して瑠璃香に詰め寄る。


「いつ!? どこで!? 生きてたんスか!?」

「いや、多分生きてない」

「……じゃあ」

「だが、死んでるとも言い切れない」

「どういう事っスか?」

「《スタンビーター》の噂、聞いてるか?」

「ああ、あの同じ時間に現れてぶっとばすって奴………」

「そいつと走ってみたんだよ。で、負けた」

「姉さんが!? バイクで姉さんに勝てる奴なんて!」

「高田さんか、アイツくらいだろうな。だけど、あの走りはどう見てもアイツだった」

「そんな、なんで今になって…………」

「あたいもそれが知りたい。幽霊か、それともそれ以上にヤバイ奴か…………」


 宙を彷徨っていた瑠璃香の視線が、店の壁に掛かっていた一枚の写真に止まる。

 そこには、改造されまくったバイクに囲まれ、不敵な笑みを浮かべる少女達の姿が映っている。

写真の中央にはまだどこか幼さの残る瑠璃香、その隣に同じく少女時代の後輩、そして彼女と肩を組んでいるクールそうな雰囲気を纏った少女が僅かに微笑んでいた。




同日夜半 アドル本部副総帥室


『検索結果です』

「ご苦労」


 レックスが送ってきたデータを、陸は目を通していく。

 料金所の記録とそれからたどった免許センターの記録、個人IDデータと最後は警察の検挙記録までからなる検索データに目を通した陸は、最後の検挙記録に書いてある部分に視線を止めていた。


「案の定か……」


 そこにあったのはその該当人物が所属していたレディースランナーチームと、その構成員。そして、そのリーダーとして瑠璃香の名前が有った。


「変わり果てた仲間、か………」


 そう呟いた時、ノックも無しにドアが開く。

 あいさつも無しに、瑠璃香が室内へと入ってきた。


「何か用か?」

「あいつ、あたいに任せろ」

「スタンビーター、いやフェイリン・春都の件か?」

「やっぱ、気付いてやがったのか……」


 瑠璃香は舌打ちしつつ、陸のデスクの上に転がっていたシガレットケースを手に取り、許可も得ないで一本咥えて引き出してシガレットケースを机の上に投げ捨てる。


「火」

「ほらよ」


 陸は懐からやけにゴツくて表面に妙な表示が幾つか付いているライターを取り出して火を付けてやると、瑠璃香はゆっくりと紫煙を吸い込み、陸に向かって吐き出す。


「で、どこまで知ってやがる?」

「二年前の11月14日、スーパーハイウェイの通行データに一つの齟齬が生じている。いずみ中央の第7ICから入ったはずのバイクが一台、いつまで経っても降りてこなかった。道路公団は残存してた当該車両を捜索したが、事故の形跡も事件の形跡も一切発見出来なかった。その消えたバイクの運転者が…」

「そう、あいつだった。あたいらも必死になって探した。どこぞの偉いさんが事故を隠さなかったか、それとも変な所で事故って見つかっていないだけか…………でも、あいつは見つからなかった………」

「そして、なんでか今になって出てきた。明らかに人外の者となってな」

「……!」


 瑠璃香の口内で、タバコが噛み千切られる。

 火の付いた先端が落ちたのも構わず、瑠璃香は口の中に残っていたタバコを床へと吐き捨てる。


「なんなんだ、あいつは! なんでフェイリンがあんな化け物になってやがるんだ! どうしたら、あいつを、あいつを!」

「殺す、のか? 救う、のか?」


 破砕音と共に、陸のデスクに瑠璃香の鉄拳が突き刺さる。

 視線で相手を射殺さんばかりに、壮絶な形相となった瑠璃香が陸を睨みつけていた。


「仲間を殺るほど、落ちちゃいねえぜ、あたいはよ…………」

「もし、救う手段が無かったら?」

「あたいが、ケリをつける。他の誰にも渡さねえ………空にも、マリーにも、敬一にも、そして手前にもな」

「……聞くだけ野暮だったな」


 陸は変形したデスクの上から、瑠璃香の鉄拳の余波でひしゃげたシガレットケースからひん曲がったタバコを取り出しつつ、デスク端のコンソールを操作する。

 陸が火を付けている間に、コンソールから何かがプリントアウトされてきた。

 印刷されたそれを切り取り、タバコを吹かしつつ瑠璃香へと手渡す。


「なんだよこれ?」

「今回の件と同様の事件の記録だ。もっとも253年前だがな」

「……何語だ?」

「日本語だぞ、炭文字でちょっとばかり言い回しが古いがな」

「あたいは体育と美術以外は全部赤点だぜ。翻訳してくれ」

「日付は安永五年、老中・田沼 意次をスポンサーに平賀 源内がエレキテルを完成させた年だな」

「知らねえよ、誰だそれ?」

「時代劇くらい見ておけ。こいつはその年に仙台藩と南部藩の境辺りで起きた事件を担当した与力が書き記した記録らしい」

「どこの事だよ、そこは………」

「現在ならちょうど、《スタンビーター》が出現した辺りだ」

「!」

「卯月七日、当時の仙台藩藩士にして屈指の乗馬の名手、三谷 真衛門が一ノ関藩への急使として赴き、藩主・伊達 重村からの書状を届けた後、行方不明になるという事件が起きた。事故、事件双方の面から周辺の探索が行われたが、結局手がかりは掴めなかった。

そしてそれから半年経った神無月七日、所用で同じ道を通った一ノ関藩藩士・阿部 縁三郎が謎の騎馬に襲われ重傷を負う事件が起きる。

それを皮切りに、同月十七日、二十七日、そして翌霜月七日と同じような謎の騎馬が現れ、街道を暴走して多数の死傷者を出した。

日中の事件にも関わらず、目撃者はそれが《黒い霞みが掛かった騎馬》と証言し、仙台、一ノ関双方の藩が強力してその騎馬の退治を試みたがことごとく失敗。仙台藩は虎の子の騎馬鉄砲隊まで出したらしいが、誰もその騎馬の速さに追いつけなかったとある。

そして霜月十七日、仙台藩は切り札として行方不明になった三谷 真衛門の弟にして兄に並ぶ乗馬の名手・三谷 佐久乃進にこの騎馬の追跡を依頼。

二騎は壮絶なデッドヒートを繰り広げながら街道を爆走して消えたそうだ…………」

「で、どうなった?」

「分からん。翌日、疲労が原因で死亡した馬と衰弱しきった佐久乃進が発見され、佐久乃進は「兄上」とだけ言い残して息を引き取ったとある。以後、謎の騎馬は現れなかったそうだ」

「それじゃ何も分からねえじゃねえか………」

「いや、これで分かるのは過去の騎馬も今のスタンビーターも、なんでか定期的に出現して消えるという事。そしてなんらかの方法でその存在を封印出来るという事だ。恐らくその方法は………」

「あいつと走って、勝つ事」

「多分な」


 陸は手元の灰皿にタバコの灰を落とし、瑠璃香の出した結論を肯定する。


「だが、速度が違い過ぎる。馬の最高速度は時速70km、奴の速度は時速600km。253年前の8.5倍以上だ。挙句、物理法則無視したテクニックまで披露してくる。やり合って勝てるとは思えないな」

「そうだな、走りじゃあいつの方があたいより上だった………だが、負けられねえ、負ける訳にはイかねえ…………」

「作戦を立案しておこう。スレイプニルの超高速化改造のプランもな」

「頼むぜ」


 それだけ言うと、瑠璃香は吐き捨てたタバコもそのままに部屋を出て行く。

 その後ろ姿を見送った陸は、残ったタバコを灰皿に押し付けて火を消す。


「『LINA』」

『何でしょうか、マスター』


 陸の呼びかけに応じ、若干ヒビが入っているデスクのコンソールに栗色の髪をした若い女性、陸が創り上げた擬似人格保有型第7世代AI『LINA』が映る。


「メカニック、サイエンス両スタッフを一時間後、会議室に全員集合させてくれ。次の作戦のプランを作成する」

『分かりました、マスター』


 陸からの命令を受諾した『LINA』が、関係各所に放送を入れる中、陸は脳内で次の作戦のプランを急速的に組み上げていった…………




一時間後 ADDL本部会議室


「無茶ですよそんなの!」


 プラン発表と同時に、メカニックスタッフの一人が叫ぶ。

 ほかの者達も同じように頷いていた。


「時速600kmって言ったら、最新型のフォーミュラマシンのトップスピードと同じ速度じゃないですか! 幾らハイウェイでも、公道なんですよ!?」

「それ以前に、どうやって運転する? ブレーキをちょっと架けただけでもスピンする可能性もある。事故でも起こしたら、幾ら瑠璃香さんでも即死する可能性があるぞ」

「ただ走らせるだけならともかく、デッドヒート前提ではな………」

「理論、技術双方の面に置いて、スレイプニルを高速改造すれば速度面に置いては可能のはずだ」


 予め反対意見は予想していたのか、陸はそれらの意見を聞きつつ、プランの詳細を語り始めた。


「まずスレイプニルの両サイドウェポンカー用のエネルギーラインを封鎖し全動力を機動力に変換、ウェイトバランスの調節も必要になるな。ブレーキ系も完全に高速用にセットし直し、エアブレーキの類を付属も考慮する」

「しかし、問題はやはり運転ですね………」

「グラビティグリップシステムの性能も考慮しなくては」

「それ以前に空気抵抗だ。フルカウルタイプでもないと持たないぞ」

「だとしたら、まず素材から見直さないと………」

「システムはマニュアル中心にする。素材は杉本財団の素材研で開発された宇宙船用の外殻素材を流用しよう」

「マニュアル!? オートでもやばいのに!?」

「いや、むしろオートだと誤作動の可能性も高いな」

「しかし、生身で制御できるのか? ロケットに跨るような物だぞ?」

「能書きはそんくらいにしとけ、ボンクラども」


 会議室の一番端に座っていた、作業服姿の小柄な中年男性―メカニックスタッフチーフの榊原 繁行が口を開いた。


「おやっさん………」

「しかし………」

「機械屋の仕事は能書き垂れる事じゃねえ、注文された機械を手前の腕で作る事だ、違うか?」


 チーフの言葉に、メカニックスタッフが押し黙る。


「しかし繁行さん、安全面はどうなります? 技術的には可能でも、とてもマトモに乗れる代物とは…………」

「そこだな、問題は。なんか手はあるんかい?」

「せこい手だが、空の護身符を大量に張るとか、予め防護術式を発動させるといった類の術的防護を考えてはいるが、それで完全かどうかは不明だ」

「やってみなけりゃ分からない、ってぇ訳かい。さすがに試験運転やらせる訳にもいかねえしな………」

「やってもらえるか?」

「安心しな、次の出動までにはどうにかしといてやる」

「おやっさん!?」

「まだ理論構築状態なんですよ!?」

「基本コンセプトは出来てんだ。あとはいじりながら詳細煮詰めてやりゃあいい。いじってもいねえのに細かい事なんか分かるかよ」

「そんな適当な……」

「スレイプニルの基礎フレーム設計時には高速改造仕様も組み込まれている。確かにあとはバランスの問題だろう」

「ま、機械は機械屋だ。任してくんな」

「頼む」

 他のスタッフ達がざわめく中、二人の男だけが笑みを浮かべていた。




 街の喧騒が遠くから微かに響いてくる中、それを否定するような静寂が、その場に満ちていた。

 チリ一つ無いように丹念に掃除が施された教会の礼拝堂、そこの祭壇の前に瑠璃香は佇み、じっと飾られたキリスト像を見上げていた。

 小学生の時に両親を亡くして以来、この教会を家として過ごしてきたが、このようにこれを見た事が無かった事を思い出しつつ、瑠璃香は神の御子の像を見つめる。


「瑠璃香さん?」


 いきなり架けられた声に、瑠璃香はそちらへと振り向く。

 そこには、小柄で小太りのいかにも人の良さそうな中年の白人神父が立っていた。


「お祈りですか? 珍しいですね」

「そんな事する柄じゃねえよ」


 この小さな教会の神父にして瑠璃香の保護者、エクソシズムの師匠、かつてアジア圏屈指のエクソシストとまで呼ばれた元バトルスタッフ、ブレヴィック・オルセン神父に瑠璃香はぞんざいな口調で応えた。


「何か、悩み事が有るようですね」

「……おっさんは、ダチと戦った事は有るか?」

「ええ、一度……」


 柔和な笑みを浮かべて言うブレヴィック神父に、瑠璃香は僅かに驚く。


「なんで……戦ったんだ?」

「友であったが故でしょうね」


視線をキリスト像に向け、まるで説教のような口調で神父は続ける。


「昔の話です。私も彼も同じ時期に修行を受けていました。勤勉な彼と鷹揚な私、まるで鏡のような二人でしたが、神の意志は不平等に訪れたのです。」


 話をする神父の手が胸元の十字架に添えられているのに、瑠璃香は気付いた。


「彼の心を、私は、聖職者であった筈の私は気付いてやれてなかった。彼が姿を消した時も、そして再開した彼の姿を見た時も」

「そいつは………」


 なにか言おうとする瑠璃香を、神父は手で制して話を続ける。


「映りあった鏡であった私達は、その時、すでに相容れない者となっていました。そして………」


 神父は静かに十字を切る。


「全てが終わる時に、彼は一言だけ私に言ったのです『すまない』と」


 もう一度、十字を切りながら神父は十字架に添えていた手を離し、両手を組み合わせキリスト像に短い黙祷を捧げる。


「………」


 師の独白を、瑠璃香は黙って聞いていた。

 そして、師と同じようにキリスト像を見あげる。


「鏡……か。あたいとあいつも、そうなのかもな。何であいつがああなっちまったのか、あたいには分からねえ………だけど、あいつを救ってやる事は出来るかもしれねえ………」


 いつも肌身離さず首に下げている、母の形見でもある古びたロザリオを瑠璃香は我知らず、握り締める。


「もし、あなたがその人の《友》ならば、最後までその人を信じてあげなさい。信じる者に、主は必ず手を差し伸べてくれます」

「そいつはどうかね。ただ、これだけは言える。あいつはあたいが、必ず………」


 最後の一言は言わないまま、瑠璃香は静かに、決意の瞳で神の御子の偶像を見ていた………




「それじゃ。夜中にすんませんでした」

「いえいえ、お役に立てばよろしいのですが」

「調査の後、修復してお返しいたします」

「別に構いませんよ、蔵の隅に埋もれていた物ですし」

「それでは……」


 ある民家から、古びた巻物を持った敬一とサイエンススタッフの一人がお礼を言いながら出てくる。

 乗ってきたワゴン車へと二人は乗り込むと、後部座席にあった解析機にその巻物を慎重に広げて入れた。


「読めるといいんだが………」

「えらい古ぇからな〜、残ってたのは奇跡だ」


 スキャンされた結果が、解析機脇のディスプレイに表示されていく。


「欠損がひどいな………補完できるかな?」

「250年は前の代物じゃあな………由花にでも見てもらうか?」

「聞いてないのか? 彼女ならこの間の透視でちと無理して守門博士から能力使用停止食らったって」

「あ〜、そういやそうだった。便利なんだが、使う当人があれじゃあな」

「ADDLの女性陣はガチばっかだからな〜。ああいうのはいいと思うぞ」

「空さんが予約済みって噂、本当だと思うか?」

「五分五分って所だろ。オレだったらもうちょっと……、ってこれでどうだ?」


 腐食部分や欠損部分を補正した画像が、ディスプレイに表示されていく。


「ん〜っと、有った有った。真衛門に、佐久乃進。没年は同じになってるな」

「ちょっと待ってくれ、ほらここ………」

「え〜と、真衛門・妻 しず。これも同じ没年になってるな」

「これ以上は書いてないな。仕方ない、もう一つの方行くか」

「……今からか?」


 もう一つ、の指す場所がどこか分かっている敬一が露骨に顔をしかめる。


「仕方ねえだろ、それとも守門博士に睨まれたいか?」

「怖いんだよな〜、陸さんって顔でも声でもなく、気配で怒っから………」

「無意味に八つ当たりしないとこがまた怖いんだよな〜。じゃ行くぞ、三谷家の菩提寺に」




「よ〜し、じゃあ風圧テストやっぞ〜」

『へ〜い』


 ADDL本部の格納庫の片隅で、超高速仕様にカスタムされた《スレイプニル》が風圧テスト用の小ドームに入れられる。

 その外観は通常時よりも一回り大きくなっており、その元となっている薄い光沢を持った特殊素材のカウルが、フロントから紡錘型に先端に張り出し、乗降のための狭い空白と僅かに覗くタイヤ以外は全てを覆い、気流を受け流すために計算された曲線を描き出しながら、後部にまで達している。

 そしてそのカウル内部に増設された高速走行用に増設された多種のメカニズムが、半透明のカウル越しに重厚な存在感を出す。


「ようし、流せ〜」


 スイッチが入れられ、ドーム内の送風機が回る。

 実際の走行時の風の当たり具合を確かめるために煙が混ぜられた風が、取り付けられたばかりのカーボン・チタン複合結晶素材のボディに吹き付ける。

 その辺り具合や風の流れ具合をつぶさにチェックし、得られたデータを実際の風速に変更したシュミレートが画面に表示されていく。


「バランスはいいみたいですね」

「だが、実際の風圧はこんなモンとは比べ物にならねえ。こんなのは気休めだ」


 シュミレートデータを見たメカニックスタッフの言葉に、チーフの繁行は顔をしかめる。


「そんな事言っても、時速600kmっすよ? どこでそんな走行実験やれって言うんすか?」

「仕方ねえ、明日一番に知り合いにどっかのサーキットでも」

「出来たかい?」


 頭をかきむしる繁行の背後に、いつの間にか立っていた瑠璃香がドーム内のスレイプニルを見る。


「へぇ……結構見てくれはいいな」

「問題は実際の走りだな。こいつばっかりはシュミレートじゃどうにもならねえ」

「じゃあ、走ってみればいいだけの話じゃねえか」

「そうだな。こいつが全力で走れるくらいのサーキットが…………」


 言葉の途中で、ドームのドアの開閉音に繁行がそちらを見た。

 そして、仕上がったばかりのスレイプニルに跨る瑠璃香を発見する。


「……オイ」

「じゃ、行ってくらあ」

「ちょっと待った…」


 慌てて制止に入るメカニックスタッフを尻目に瑠璃香はイグニッションを入れ、アクセルグリップを回しこむ。

 メインエンジンとして搭載されている小型常温核融合炉が唸りを上げ、タイヤが高速で回転を始める。

 暴れ馬よりもはるかに凶暴な車体を巧みに操作し、周囲のメカニックスタッフ達を掻い潜って瑠璃香の駆る《スレイプニル・SH(超高速度)タイプ》が格納庫から飛び出していく。


「…………………オイ」

「行っちまったぞ………」

「どうする?」

「どうするもこうするも………」

「あ〜、陸か? 馬鹿が一人飛び出しってたが、どうする?」


 困惑するスタッフ達を無視して、繁行はそばの壁にあるコンソールから陸へと手早く連絡する。


「やっぱそう思うか? オレもそうだ。分かった、そういう事にすっか」

「……おやっさん、どうするんすか?」


 コンソールを切った繁行に、メカニックスタッフが恐る恐る聞いてくる。


「ほっとけだってよ。いい具合に走行試験やてくるだろうしな」

「ほっとけ………って、高速仕様過ぎて公道走れる代物じゃあないんすけど…………」

「だからこそよ、帰ってきたら調整やっから準備しとけ」

「いいのかなー?」


 あまりの適当さに、メカニックスタッフ達は顔を見合わせた。


「グダグダ抜かしてんじゃねぇ、早いとこモニタシステム起こせ! 記録の準備もだ! モタモタすんな、嬢ちゃんが飛ばし始めちまうぞ!」


 チーフの怒声にスタッフ達は慌てて倉庫の中を走り回り始めた




『瑠璃香! 何考えてるんだ!』

「ん? いたのか」

『いたのかじゃない!』


 外へと通じる通路を疾走するスレイプニルの小型ディスプレイに、サポートAI『ARES』の顔が映し出される。


『まだ微調整が済んでないんだぞ、この機体!』

「そんなモン、走った後でやりゃあいい」

『そんな無茶苦茶な………あ』

「どした?」

『陸からの許可が下りちまった』

「それじゃ、遠慮する事ねえな」

『コラ待て…』


 アクセルが更に絞られ、スレイプニルが更に加速する。

 外へと通じる扉が開ききるよりも早く、漆黒の弾丸と化したスレイプニルが深夜の市街へと飛び出した。


「じゃあ行くぜ!」

『待ってろ! 今交通量の少ないポイントを検索して』

「いらねえよ!」


 風を切り裂きながら、スレイプニルは公道を制限速度を物理無視して疾走する。


『ノーヘルの上に速度無視だぞ!』

「わり、忘れてきた」

『事故ったら確実に死ぬぞ!』

「まだまだ、こんなモンじゃねえぞ!」


 スレイプニルは更に加速し、目に映る光景は尾を引いた残像のみとなっていく。


『赤信号!』

「飛ばす!」


 信号を無視し、両側から来た乗用車とトラックの隙間を僅かなバランス移動のみで回避し、スレイプニルは交差点を通り抜ける。


『歩行者!』

「なんの!」


 瑠璃香はグリップ根元のエア・ジャンプスイッチを押し込む。

 車体下部のエア・ジャンプシステムが起動、瞬時にして爆発に近い勢いで圧縮空気が噴出され、スレイプニルの車体が宙へと跳ね上がり、横断歩道を横切る歩行者達の頭上を飛び越え、着地する。


「おし!」

『頭上通られたオヤジ凍ってるぞ………』

「風圧でちょっと頭のバーコードが進んだかもしれねえな」

『そういう問題じゃなく!』


 市外を爆走するバイクに、段々周辺の人間が騒ぎ始める。


『そこのノーヘル暴走バイク! 停まりなさい!』

「お、もう来やがった」


 真後ろに着いて警告してくるパトカーを楽しげに見ながら、瑠璃香は更に速度を上げる。


『こら停まれ! 停まらんか! 停まらねえと自爆テロ容疑で射殺すっぞゴラァ!』

『随分とガラの悪い警告だな…………』

「はっ! やれるモンならやってみやがれ!」


 真後ろのパトカーに中指なぞおっ立てつつ、瑠璃香は速度を緩めようとしない。


『貴様、道交法改正案を知らんのか! 事故を及ぼす危険のある車両を警察は排除できんだぞ! 改正した時から一度やってみたかった!』

「血の気の多いポリだな」

『おい、向こうの言ってる事本当だぞ! 周辺のパトカーと白バイ全部こっちに向かってる!』

「へっ、久しぶりにやってやらあ!」


 前の交差点の左右から来たパトカーをすり抜け、スレイプニルは更に加速。

 背後から加速してきた白バイがスレイプニルに並ぼうとするのを、アクセルを吹かして追随を許さない。


『ようし、停まらないな! 停まる気無いんだな! 撃つ! 撃つぞぉ〜!! オレに銃を撃たせろ〜!!!』


 どこか警官としてあるまじき警告を発しつつ、背後のパトカーから発砲音と共に飛んできた弾丸が瑠璃香の髪をかすめる。


『オイ! 本気で撃ってきたぞ!』

「非殺傷のゴム弾だろ。そんなモンであたいが止められるか!」


 連射されるゴム弾をかわしつつ、瑠璃香は背後に続々と集まりつつあるパトカー群とデッドヒートを繰り広げる。


『いい! いいぞお前! スカウトしたいくらいだ! さあもっとオレを楽しませてくれ!』

『誰かあのバイクと前の馬鹿を止めろ!』

『もう何がなんだか………なんであれでこの街の治安守れてんだ?』

「ガチと馬鹿だけだったら汚職も無えからな。両方揃ってるとちとマズイが」

『お前もだろ!』

「その通りだ!」


 瑠璃香は破顔しながらクラッチペダルを操作。

 温存していたトップギアに入れると、今までとは段違いの速度でスレイプニルを急加速させる。


『待て! 待たんかぁ! もっと撃たせろ!お前のどてっ腹にしこたま撃ち込ませろ〜!!』

『馬鹿確保!!』


 何でか先頭にいたパトカーに他のパトカーが群がるのを確認もせず、瑠璃香は市街地を抜け、スーパーハイウェイのICへと向かう。


「払い頼むぞ」

『ったく…………』


『ARES』がETCへと信号を送り、ゲートが開くと瑠璃香はスーパーハイウェイへと突っ込む。


『一般車両もいるんだぞ! 分かってるだろうな!?』


 警告も聞かず、瑠璃香はスロットルを全開。

 居並ぶ車両を次々と抜き、更に速度を上げていく。

 どんどん強くなっていく風圧に、瑠璃香は体を完全に車体に預けるように押し付け、暴れようとする車体を押さえ込む。

 速度は更に上がり、小型ディスプレイの表示速度はすでに時速300kmを超えていた。


『これ以上はその装備じゃ無理だ! 速度を落とせ!』

「うるせぇ」


 低い声で一喝して、瑠璃香はギアをハイトップにチェンジ。

 弾丸のような速度で、スレイプニルが加速していく。

 目まぐるしい速さで表示速度が跳ね上がり、かなりの速度で走っているはずの周囲の車もただの静止物と変わらないレベルにまで相対速度が上がっていく。


『400………450………500………550……』


全て諦めたのか、『ARES』は静かに現在速度を読み上げる。

 瑠璃香はそれを聞きつつ、ただ黙って大気を切り裂く矢となったスレイプニルを駆る。


『570……600!』


 最早切り裂かれた大気の唸り以外は何も聞こえない状態で、瑠璃香は音速の半分にまで達した凶悪な暴れ馬を走らせる。

 しばし、最高速度を維持させた瑠璃香は、やがて静かに速度を落としていく。

 周囲の背景がゆっくりと実像を帯びた物となっていき、大気の唸りも消えていく。

 通常の制限速度まで落としたスレイプニルは、パーキングへと入っていくとようやく停まった。


「いける………、こいつなら」

『頬、切れてるぞ』


 カウルの隙間から入り込み暴れた風との摩擦で切れた頬から滴る血を拭いもせず、瑠璃香は不敵に微笑む。


「待ってろ、今あたいが追いついてやる………!」


 頭上に浮かぶ星に向かって、瑠璃香は固く握り締めた拳から親指を突き上げた…………





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