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ε Stampeder

『来るぞ、また速度が上がった』

『接触予定時間修正、ポイントD接触まであと27秒』

『一瞬なんてモンじゃないわ、気をつけて!』


 冬の色が濃くなってきた空の下で、一つの作戦が実行されていた。

 かつての高速道路を改修し、無数の監視・規制システムで完全な管制を施す代わりに、速度規制の上限が引き上げられているスーパーハイウェイに、最高速度を遥かに超える“何か”が走っていた。


『目標の現在速度は時速600km、マッハ0.5に相当します』

『マッハ0.5!?戦闘機でも走ってんすか!?』

『クライスラーのダッジ・トマホークとほぼ同速度だ。もっとも、狭い日本で出す速度じゃないがな』


〈システム不備の調整〉という名目で封鎖されているスーパーハイウェイの閉鎖区間に設置された無数のトラップを、常識外れの速度を出しているそれは次々と突破していく。


『ポイントDのトラップが突破されました。ポイントE到達まで18秒』

『行くぞ、準備はいいか?』

「OK!」

「了解」


 ポイントEに指定された場所には、二人の人影があった。

 一人は、深い藍色のジャケットを着込み、腰の後ろに一振りの日本刀を指している20にまだ届いてないであろう若い青年、もう一人は青年より僅かに年上、日本人の平均よりもやや背が高く、蒼く輝く右目を持った鋭い瞳の男だった。

 二人の上を滑空していた、一羽の大鷲が甲高く鳴いた。


『あと10秒』


 通信機からサポートAI『LINA』からの報告が届く。

 それを聞いた二人は、腰を落として腰の刀に手を掛けた居合の構えを、腰のホルスターからワイヤーの両端に大きさの違う二つの四角錐を組み合わせた形の刃の付いた武器―双縄標そうじょうひょうという名の古代中国の武器―を抜いて〈接触〉に備える。

 冬場の冷たさと、抜き身の刃のような張り詰めた空気が相まって両者を内包したまま、空間は凍りついたが如く動かない。

 そこへ、両者の前方遠くから、音が近づいてきた。

 誰もが聞いた事がある、旧式の燃料式内燃機関の立てる爆音。

 それが、とてつもない速さで二人へと近付いてきていた。


「ふぅーーー………」


 居合の構えを取った青年が、息をゆっくりと一つ吐き、前方を鋭く見つめる。

 双縄鏢を構えた男が、無言で腰のパウチから呪文の書かれた四角い紙切れ―道教で使われる呪符と呼ばれる物―を取り出し、双縄標の刃に突き刺す。

 点にしか見えなかった音源が、瞬く間に近付いてくる、

 それが何か認識できた時には、それはもう目前だった。

 それは、一台の黒い大型バイクだった。

 フロントを始め、空気抵抗を極限にまで押さえる一切の無駄の無いカウルで全体を覆われたレーシング使用のバイク。それだけなら普通であろう。

 しかし、その輪郭は全体的に霞でもかかったかのようにぼやけ、乗っているはずのライダーもまるで幽鬼が如くその実体が掴めない。

 まるで夢の中、しかも悪夢から出てきたかのような幽霊バイクは、確かな爆音と焼け焦げたタイヤ痕を残しつつ、バイクに有り得ない超高速でこちらへと向かってきていた。

 上空に浮かんだ飛行指揮旗艦デュポンから見守る者達が固唾を飲んで見守る中、その幽霊バイクが二人の目前へと迫った。


ちょく!」


 双縄標を構えた男が、一言の呪文―道教では口訣と呼ばれるーを唱えつつ、手にした二対、都合四つの双縄鏢を高速で投じた。

 正面から迫るバイクの上下左右、ちょうど十字を形成して完全に逃げ道を防いだ形になる刃は、目標を捕らえる事は出来なかった。


「!?」


 バイクは突然、横に重心をずらしながら後輪を直角ドリフト、超高速のハングオンのスライドで双縄標の刃を潜り抜ける。


「はっ!」


 そこへ、青年の腰間から気合と共に高速の居合抜きが繰り出される。

 常人ならば認識すら不可能な速度の刃もまた、目標は捕らえられなかった。

 バイクは速度を保ったままハングオン状態で車体をスピン、マックスターンとも称される高等技術で刃を華麗にすり抜けてそのまま青年の横を抜けた。


「ちっ!」


 自らの刃を構えなおした二人が振り返った時には、すでに幽霊バイクは体勢を立て直してその場から遠ざかっていた。


「ウソだろ、オイ………」

「こちらイーグル、目標への攻撃に失敗。目標は逃走した」


 双縄標を腰のホルスターに戻しつつ、男は冷静な声で状況を報告。

 青年は手にした刀を鞘に納める事も忘れ、ただ呆然とすでに見えなくなりつつある幽霊バイクを見ていた。


『ポイントEが突破されました、ポイントFの準備を』

「もう出来てるぜ」


 インターチェンジからの合流口に、一台の大型バイクが止まっていた。

 その機上には、先程の男と同じ藍色を基調としている半袖のジャケットに大胆過ぎるスリットの入ったスカートを履いた若い女性が不敵な笑みを浮かべている。

 下に着込んだアンダースーツがはちきれそうな豊満な体に長い黒髪を持った女性は、首から掛けている古びたロザリオを指先で何度かなぞりつつ、目標の接近を待つ。


『来るぞ』

「おうよ」


 大型バイクー彼女専用のサポートマシン《スレイプニル》に内臓されたサポートAI『ARES』の合図と同時に、女性はハンドルにかけてあったメットを被り、スロットルを数度捻った。

 内燃機関とも違う、低音の風変わりな爆音と共にスレイプニルの車体が震える。


「ダーティエンジェル、行くぜ!」


 掛け声と共に、ギヤを入れてフルスロットル。

 スレイプニルは凄まじいまでの急加速でハイウェイへと飛び出した。

 本来取り付けられているウェポンベイ内臓のサイドカーが取り外され、高速用にチューンされたスレイプニルはその性能を発揮し、スピードメメーターの表示が瞬く間に上がっていく。

 しかし、その背後にはあの幽霊バイクが急激的に迫ってきていた。


「あたいを舐めるな!!」

『こ、こら無理をするな…』


『ARES』の忠告を無視して、女性はメーター類の下部にあるスイッチを入れる。


〈FIRST SAFEGUARD release〉


 メーター内の小型ディスプレイに第一安全装置解除の表示が点灯すると、スレイプニルが更に速度を増す。


「主よ、我に邪悪なる魂戒めん為の力を与えん事を」


 短く聖句を唱えながら、女性が胸の前で十字を切ると、腰のベルトに吊るしたあった特殊警棒を手に取る。


「天空に在りし神の座の右に在なす東の大天使ミカエルよ!その御手に掲げし御剣を我に貸し与えよ!」


 特殊警棒の伸縮スイッチを入れつつ、女性が聖句を唱える。

 すると、特殊警棒は光に包まれたかと思うとその形を変貌させ、細身の剣へと変化した。

 その時には幽霊バイクは彼女のすぐ背後に迫ってきていた。


(こっちか)


 自らの直感に任せて、女性は片手でハンドルを操作し、巧みに幽霊バイクの進路を塞ぐ。

 彼女の思惑通り、幽霊バイクは彼女が剣を持っている右手側からスレイプニルを追い抜きにかかった。


「アーメン!」


 すれ違い様、女性は幽霊バイクへと向けて剣を大きく振るう。

 しかし、剣は虚空を切った。


「!?」


 斬撃がかわされた事に、女性が驚く。だが、それは同時に認識したもう一つの事実への驚愕も内包していた。

 剣が狙っていたライダーの姿はバイクの機上ではなく、車体の横にあった。

 ライダーが瞬時にして体を倒し、剣をかわした事に思い当たった瞬間、重心がずれた幽霊バイクはスレイプニルの方へとスライドしてきた。

 鈍い衝突音と共に、スレイプニルのバランスが崩れる。


「ちっ!」


 舌打ちしつつ、クラッシュしようとする車体を強引に操作。

 体を起こして暴れそうになる車体を押さえつけ、ハンドルを逆に切り、連続してギアをチェンジさせスロットルを調整。

 スピンしながらも、スレイプニルは致命的なクラッシュを回避し、前衛芸術のようなスリップ痕を描きつつ路肩へとなんとか停車した。


『ターゲット、ポイントGにてロスト。完全に存在感知不能になりました』

『また消えた……か』


 通信機から響いてくる報告を効きもせず、女性は呆然と幽霊バイクの消えた方向を見ていた。


「サイドワインダー…………まさか……………」

『どうかしたのか?』


 何も応えず、女性はいつまでも消えた幽霊バイクの方を見つめていた。



1999年、一部自衛隊による武力決起による東京占拠により、世界情勢は急激的に緊張状態を迎えた。

 決起自衛隊による在日米軍との戦闘により東京は戦場と化し、戦火を恐れた他の都道府県は次々と日本からの独立を宣言。

 直後、東京を襲った第二次関東大震災にて決起自衛隊は東京もろとも壊滅し、関西に組織された臨時政府は独立した都道府県を《シティ》と呼称される都市国家とし、臨時政府のあった関西―Nシティを首国家とする連合国家へとする事を宣言。

 ここに、事態は終息を向かえた。


 だが、それは表面上だけに過ぎなかった。


 東京壊滅の年を境に、日本各地で科学では解明不可能な超自然的災害・犯罪が増加の一途をたどり始める。

 年を追って増えていく超自然的事件に対し、古来よりそういう《闇》を監視してきた陰陽寮・高野山・神宮寮を中心とした退魔機関の処理能力を超えるのは最早時間の問題だった。

 その状況を打開するべく、ある提案が浮上した。


『宗教、思想、科学、魔法、民族、種族、それら全てを超越し、各分野のエキスパートを終結させ、独自の機動性と戦闘力を持ったまったく新しい退魔機関の設立』


 この驚くべき提案は、多数の反対と少数の賛同を持って受け止められた。

 かくして、その僅かな賛同者達はその力を結集させ、2025年 東北・Mシティにおいてその機関の試験的設立を成功させた。

 組織の名称は《Anti Darkness Defence Life members(闇から命を守る者達)》、通称ADDLアドルの誕生だった。

 そして、アドル誕生から四年。

 戦いは、更なる激化の様相を呈し始めていた………




同日 夜半 アドル本部会議室


 疲労と敗北感が重苦しい空気となって漂う会議室内に、先程の作戦に参加した全スタッフが集合していた。

 作戦は完全に失敗、目標の消息も不明、非の付け所の無い負け戦だった。


「疲れてる所悪いが、始めるとしよう」


 会議室前部壁面に設置された大型多機能ディスプレイの前に立った男の声に、皆がそちらに注目する。

 2m近い身長に、それを更に大きく見せるような筋肉質の体格を科学者用の白衣に包んだ、ある種異様とも言える格好をし、顔には野生と知性を兼ね備えた独特の雰囲気を持った20代半ばの男は、疲れた目でこちらを見るスタッフ達を見返しながら、壁面のディスプレイにデータを出力させる。


「ケース45、通称《スタンビーター(暴走者)》の解析・浄化作戦の反省会を行う」


 その男―アドル副総帥にして、直接戦闘部署であるバトル、科学解析部門であるサイエンスの両スタッフチーフを勤め、その驚異的な頭脳と非常識過ぎる行動から《史上最強のマッド・サイエンティスト》の異名を取る異才、守門もりかど 陸はこちらを見る面々のような焦燥感を微塵もみせず、淡々と会議を開始する。


「完全に失敗だったからね…………」


 席の一番前に座った、長いウェーブの掛かった金髪を持った若い女性―バトルスタッフの一人、《サイレント・ネィチャー》のコードネームを持つ精霊使い、マテリア・イデリュースことマリーはため息をつきつつ、イスに備え付けのサイドテーブルに突っ伏した。


「スタンビーターの最初の目撃証言は二週間前の10月24日、午前10時19分。道交法を完全無視でハイウェイをぶっ千切り、それを起因とする事故が4件、計12台が接触、玉突きを起こして死者が5名、重軽傷者10名を出した。それだけの大惨事にも関わらず、原因となった奴は忽然と姿を消した。翌週の10月31日、同10時19分、またしても奴は出現。懲りずに道交法無視の暴走を繰り広げ、今度は8台が事故、死者が4名、重軽傷者が3名出してまた消えた。交通システムに残った映像と料金所のデータ解析からそれがハイウェイに入った形跡も出た形跡も発見されず、事故のあった地点でのみその存在が確認された事から超自然犯罪と断定、本件はMシティ警察からアドルへと捜査権が移行。本日11月7日、我らアドルによるスタンビーター捕縛・浄化作戦が決行された訳だが………」

「予想以上……でしたね」


 席の中ごろに座った、眼鏡を掛け優しげな顔をしたやや背の高い男性の言葉に、その肩に留まっている大鷲―バトルスタッフの一人、《イーグル オブ ウインド》のコードネームを持つ拳法の達人にして霊幻道士、そして陸の弟でもある守門 くうとその愛鳥ダイダロスーが一声鳴いた。


「すいません、私がもっと早く動きを〈見て〉いれば………」


空の隣に座っている小柄のいかにも気弱そうな少女―特殊能力サポート部門であるアビリティスタッフの一人、時空透視能力者である羽霧はぎり 由花ゆかが己の非力を詫びる。


「由花さんのせいじゃないっすよ、閃光斬をかわされっとはオレだって思ってなかった…………」


 前の席中央、一番陸に近い位置に座っている、会議場でも愛刀を手放さない二十歳くらいのちと軽そうな青年―バトルスタッフ研修生にして退魔用剣術 光背一刀流を修める修行中の陰陽師―御神渡おみわたり 敬一が頭をかきながらため息を吐き出す。


「作戦失敗の最大要因はそこだ。スタンビーターは半実体にも関わらず、物理学を半ば無視した高速高機動能力を有している。ハリウッドのスタント協会が大金積んでスカウトに来かねないくらいにな」

「本物のホラー映画撮ってどうするの………」

「無論、アメリカNo1ヒットを取る」

「じゃああいつにその話持っていったらどうです?こんなとこで暴走してないでオスカー狙えって」


 表情一つ変えない陸のジョークに敬一が呆れた声で応える。


「問題は、四回目は確実にあるだろうという事だ。不通の人間なら三回もやれば飽きるだろうが、生憎と化け物ってのは律儀に何回も何十回も何百回もやってくれるからな」

「ガルーダで狙ってみたら?あれならもっと早く飛べるでしょ?」

「あまり地表に近過ぎると己の衝撃の反射で機体バランスが保てん。それ以前に、ハイウェイでドッグファイトやらかすのか?オレは別に構わんが、政治家連中が卒倒するような被害が出るぞ」

「結界は突破されましたし、あの速度じゃ縛呪の類も掛かってくれなさそうですね」

「術的、物理的両トラップが双方効果が薄いとはな。いっそ、ハイウェイごと吹っ飛ばすか?」

「さすがに三回目はヤバイんじゃない?前は下からだったけど」

「やったんですか…………」

「いや、事故死した人の自縛霊が高架脚にとり憑いていて、仕舞いには半融合体になって襲い掛かってきましてね」

「あの時は苦労したわね〜ホント」

「恐らく、今回も自縛霊の類だと思うが…………」


 ふとそこで席中央の一番端、壁際で先程から一言も言葉を発していない長髪の女性に、陸の視線が向いた。


「瑠璃香、考え事か?」

「ん、ああ……」


 その長髪の女性―バトルスタッフの一人、天才的な格闘技能とバイク操縦技能を持つ破戒的エクソシストー十字架とじか 瑠璃香るりかが気の無い返事をした事に全員が一斉にざわめく。


「ウソ………」

「そんな、瑠璃香が考え事なんて!」


 暴言を発した敬一の顔面に引っぺがされたサイドテーブルが直撃、敬一はその場に崩れ落ちる。


「てめえら、あたいが考え事すんのがそんなに珍しいか?」

「ああ、珍しいな」

「あんだとぉ!」


 陸の一言に、瑠璃香がいきなり隣のイスを座っていたスタッフごと持ち上げる。


「わ〜〜〜!!」

「ちょっと瑠璃香、ストップ!ストップ!」

「落ち着いてください!」


 イスごと投げられそうになっているスタッフがわめく中、マリーと空が慌てて静止に入る。


「とりあえず落ち着け。人間は凶器に使うもんじゃない」

「いや、結構使うぜ。あたいは」

「ひいいぃぃぃ〜〜〜!」

「この状況でそれは冗談になってませんよ!」

「は、話せば分かるはず!」

「やるならイスだけにして!」


 顔面を蒼白にしたスタッフごとイスを持ち上げている瑠璃香を周囲の人間が必死になって止める中、狙われている陸は平然と懐からタバコを取り出し、それに火を付け紫煙を吸い込む。


「で、何をいらついている?何かあれに思い当たる事でもあるのか?」


 紫煙と共に吐き出された陸の一言に、瑠璃香の動きが止まる。


「……天才様は何でも知ってるってか?」

「いや、まだ確実な物は見つかっていない。心当たりがあるなら、教えて欲しい所なのだがな」

「……………」


 瑠璃香は無言でイスを少し手荒に下ろすと、陸へと背を向けた。


「知らねえよ。疲れたからけえって寝る」

「あの、まだ会議中なんですけど…………」

「構わん、どうせ愚痴しか出す事ないだろうしな」


 ふらりと会議室を出て行く瑠璃香を空が止めようとするが、陸はそれを止めようとしなかった。

 瑠璃香の姿が消えてから、皆の懐疑的な視線が陸に向けられる。


「やっぱ、瑠璃香何か知ってたんじゃないの?」

「あいつがそうそう口滑らせる玉か。しゃべりたくなったらしゃべってくれるだろうよ」

「どうかな〜、下手に探ったら後が怖そうだし………」


 敬一の言葉に、皆が一斉に頷く。

《アドル一のトラブルメーカーにして、トラブルクラッシャー》とも言われる瑠璃香の機嫌を好き好んで損ねる人間も人外もここには存在しなかった。


「とりあえず、今考える事は次にスタンビーターにどう対処するかって事だ」

「トラップもダメ、待ち伏せもダメ。後は何が残ってるでしょうかね…………」

『う〜ん…………』


 全員が唸りこんだまま、一分が過ぎ、二分が過ぎる。

 まったくアイデアが出ないまま朝が来そうな状態を、陸が止めさせた。


「このまま考えた所で有効的なアイデアも出そうにないからな。一度寝てからゆっくりと考える事にしよう。二日後の20時にまた集まってくれ」

「そうですね、皆さん疲れてるでしょうし」

「じゃ、解散っつう事で」


 眉間にしわを寄らせ、腕組みしたままドアへと向かう敬一に続くように他のスタッフ達も後に続く。


「あだっ!」

「おぅ!」

「ぶげっ!」

「きゃぅ!」


 挙句、前を見てなかった敬一がドアから一歩隣の壁に直撃したのに、全員が続いて玉突きを起こす。


「……大丈夫ですか?」

「いや、これくらいなんとも」


 最後尾だったので巻き込まれなかった由花が心配そうに覗く中、敬一が額のコブを押さえながら室外へと出て行く。

 やがて、室内には陸と空、ダイダロスの二人と一羽が残った。


「それで、兄さんは何を知っているんです?」

「お前まで言うか。まだ詳しい確証は何も掴んでいない」

「まだって事は、もう手がかりは掴んでいるんですね?」

「そういう事だ」


 残り少なくなったタバコを携帯灰皿でもみ消すと、陸は資料を手にその場を去ろうとする。


「それじゃ、ボクは由花さんを送ってきますね」

「ああ、ついでに明日学校が終わった後、少し時間を取るように言っておいてくれ。それまでに確証を掴んでおく」

「無理しない程度に」


 肯定か否定か、陸は適当に手なぞ振りつつ、一人事件の再解析をするべくメインコンピュータールームへと向かった。




翌日


「はっ!」


 気合と共に繰り出された拳が、サンドバッグにめり込む。

 古びた上に小さい道場の中、道着姿の瑠璃香はただ一人サンドバッグに向かって汗を流しながら拳を叩き込み、蹴りを打ち込む。


「おらあっ!」


 強烈な前蹴りがサンドバッグをひん曲げながら、半ば吹き飛ぶように大きく揺れる。


「ふん!」


 帰ってきたサンドバッグに今度は頭突きをぶちかまし、その衝撃にサンドバッグは停止したかと思うと、一部が裂けて中の砂が漏れ出した。


「あ、やっちまった」


 漏れていく砂を見た瑠璃香が困ったように頬を掻く。

 とんでもない事に、漏れてくる砂には小石やアスファルト片のような物まで混じっていた。


「とうちゃんもどうせならもっと頑丈なの買えばよかっただろうに………けちって川の砂なんて入れやがったし」


 ブツブツと文句を言いながら瑠璃香はサンドバッグを吊るすロープを外し、漏れた砂を適当に詰めなおすと、道場の隅に置いてあったガムテープで破れた個所をぐるぐる巻きにして補修する。


「今日はこれ位にしとくか」


 ボロさに磨きがかかったサンドバッグを元通りに吊るすと、瑠璃香は道場を出る。

 道場からの廊下は薄汚れており、玄関と風呂に通じる場所以外はうっすらとホコリすら積もっていた。


「そろそろ掃除しねえとダメかね、これは………」


 道場が有る事を除けば典型的な古い一軒家には、瑠璃香がいる事以外には一切生活のニオイがしない。

 普段ここに住む者がいない事を如実に語っていた。

 ご多分もれず汚れ気味の風呂場で瑠璃香は無造作に道着を脱ぎ捨てる。

 道着の下には胸にサラシを巻いている以外下着すら付けておらず、汗の染み込んだサラシも外すと道着と一緒にまとめて買い換えたばかりの完全自動洗濯機に放り込んでついでに洗剤もぶち込み、蛇口を捻ってスイッチを入れる。

 後は機械任せにして風呂場へと向かった瑠璃香は、どんな時も外さない古びたロザリオ以外は一糸まとわぬ体に水滴を浴びせる。

 調子が悪くなっているのか、温度がなかなか上がらないシャワーを気にもせず、瑠璃香は頭からそれを浴びる。

 異性同性問わず羨望を浴びそうな均整の取れた体は、裸体になると肩や太モモが盛り上がっているのがよく分かった。

 ボディビルのような膨れた筋肉でなく、柔軟性と瞬発性を重視して鍛え上げられたしなやかな体の汗を流すと、瑠璃香は拳ダコの出来ている手でスポンジと石鹸を掴み、体を洗い始める。

 体を洗いながら、瑠璃香は昨日の作戦を思い出していた。


(あのテクニック………あんな真似が出来る奴はあいつしかいない……けど、あいつが何故?)


 肌のケアも何も考えないような力任せで体を洗いつつ、瑠璃香はただその事だけを考えていた。


「幽霊じゃない、M‘sでもない。じゃあ、あいつは一体…………」


 どこまでも答えの出ない問いに囚われながら、瑠璃香はいつまでもシャワーを浴び続けていた…………




「セッティング、OK」

『脳波同調、グリーン』

「よし、いいぞ。始めてくれ」


 昨日と打って変わり、高速で車が行き交うスーパーハイウェイに、大型貨物トラックに偽装されたアドルの総合探索システム内臓コンテナ車が路肩に停車していた。


『頼みたいのは二年前の10月24日、10時19分にここで起こった事だ。無理はしなくていいい、危険だと思ったら即座に止めるように』

「あ、はい」


 コンテナ車のすぐ脇で頭部に脳波観測用のバイザーをセットされた由花が、自分の能力によって、〈過去〉を見ようとしていた。


「大丈夫ですか?無理はしないでくださいね」

「……大丈夫、だと思います」


 用心のために由花の隣でスタンバイしている空に多少自信無さげに答えると、由花は過去を〈見た〉。

 由花の目に移る景色がだぶり、片方が急激的に巻き戻されていく。

 ビデオを高速逆転させるような勢いで流れていくもう一つの景色を、それがいつの事か認識しながら、由花は目的の〈過去〉まで時間を戻そうとする。


(一月、二月、……半年……一年……)


『マスター、ミス 羽霧の脳波が少々乱れてます』

「さすがに負荷が掛かってるか……レベル3に達するようなら中断させよう」

「大丈夫ですかね……あと半年くらいなんですけど」


 コンテナの中、由花の脳波と同調して彼女の見ている〈過去〉の映像を映し出す、先日開発したばかりのシステムで、その映像をチェックしているサポートAI『LINA』の打ち出していくデータを、陸とメカニックスタッフのオペレーターのレックスが由花の状態を確認しながら記録していく。


『乱れがレベル2に達しました』

「…………まずいな」


 予想以上に由花の負担が大きい事に、陸が顔をしかめる。


「あと三ヶ月……」

『脳波の乱れが大きくなってきています、警告レベルに到達』

「由花、無理はするな」

『もう少し……です』


 通信からの由花の声に危険を感じた陸は、即座に現在の彼女のライフデータをチェックする。


「あと一月……」

『レベル3に到達!これ以上は危険です!』

「空、すぐに由花を止めろ!」


「由花さん!」


 陸からの指示に空が由花に能力の使用を止めさせようとする。


「もう少しなんです……」


 空の手を払い、由花が目的の過去を〈見よう〉とする。


「見えた……」


 由花はそう呟くと同時に、突然力を失ったように崩れ落ちる。


「由花さん!」

「こっちに!」


 倒れそうになる由花の体を空はとっさに抱きかかえ、コンテナの中にへと連れ込んだ。


「大丈夫なんですか!?」

『心拍、やや上昇、脳波は正常値に戻ってます。能力の過負荷に失神しただけのようです』

「無理をして………」


 空が顔を曇らせながら、呼吸を整え、自らの手を由花の胸の上にかざす。


「フウウウゥゥ………」


 息をゆっくりと吸う事によって取り入れた〈外気〉を肺で練る事によって体内へと取り入れ、己の〈内気〉へと変換させ、それを相手へと送り込む気孔術による治療を空は行い、由花の体調を安定させていく。


「用心のためだ、脳波スキャンの準備をさせておいてくれ。あとベッドの準備。ついでに由花は向こう一週間は出動禁止だ」

『イエス・マスター』

「レックス、データを洗っておいてくれ。目標が映ってればいいが」

「ちょっとノイズがありますが、大丈夫ですね」

「これは………」


 由花が意識消失寸前に〈見た〉物がディスプレイに表示される。

 そこには、猛スピードでチェイスする二台のバイクが映っていた。


「こいつ、か…………」





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