第一章~7~
7
(俺が守るんだ)
ジュンハクは大きなショックを受けていた。親友であるブラウを突き飛ばしてもなおその事実を認識出来ない程、にである。
この艦を守る存在が、地球を守る存在が、怠惰と堕落に沈んだ存在である事を知ったのが原因である事は言うまでも無い。
まだ十五歳の少年に過ぎないジュンハクには夢があって、希望があって。それを今日、無残にも壊された。
大袈裟な話に聞こえるだろうか、しかしそれでも、それはジュンハクにとっての真実だった。
夢を描いて希望を抱いて今まで努力を重ねてきた自分への、あまりにも酷い仕打ち。ジュンハクはそう捉えていた。
「ここが、訓練所か」
飲料の自動販売機がある休憩所から走る事数分、ジュンハクは目的地に到着した。
そこには学校の体育館を何倍にも拡張したような、広大な空間が存在している。
ただしその空間に設置されているのはもちろん遊具などではなく、正真正銘の兵器だ。
広大な空間を有するこの場所は、沢山の機械音で満たされている。
各種兵器のメンテナンスを行う為に稼動している、AI搭載型のロボットから発せられる音だ。
磁気ディスク並みの小型のものから人間大のもの、更には五メートルを超す大型のものまで様々なロボットが働いている。
ジュンハクは一度だけそれらを見やった後、目当てのものを探し始める。
あった。金属製の壁に、生体認証を行う為のセンサーが設置されている。
(グリューネの話通りだ。ここが目的地みたいだな)
ジュンハクは迷い無くそのセンサーに自分の身体を通した。ピッ、という動作音。
センサーのすぐ傍に取り付けられたディスプレイに警告文が表示される。壁から離れろ、との事だった。それに従うジュンハク。
すると今まで一枚の壁だと思っていた金属の板が開放された。金属の壁は今、扉としての役目を請け負っている。
ジュンハクはやはり迷わず、その扉をくぐって内部に進入する。金属の壁に囲まれた空間から、もう一度金属の空間へ。
彼の存在を認知したのか、天井に設置された明かりが自動的に灯される。すると、部屋の中心に座する物体の存在が明らかになった。
「……ゲイルローダー」
『ゲイルローダー』。ジュンハクはその物体を見てそう呟いた。それは一対の翼と球状のコックピットを持つ戦闘機だった。
といっても遥か大昔に地球の空を飛び回っていた戦闘機とは全くの別物である。
過去の流体力学や材料力学、航空力学を鼻で笑うかのような特殊なデザイン。
軍学校で見慣れていたのだろう、ジュンハクは特にそれらの要素を考慮する事無く機体のコックピットへと向かう。
球状のコックピットはジュンハクの手が触れた瞬間上下に開き、彼の存在を歓迎した。
ジュンハクはそのままコックピットに乗り込む。その瞬間、ゲイルローダーのキャノピーは閉ざされた。
「フライトシミュレーター起動。戦闘パターンEの十八」
ジュンハクの命令に従って、ゲイルローダーは戦闘シミュレーションのプログラムを起動した。
戦闘パターンEの十八。それは軍学生が卒業試験として課せられる課題の一つだった。当然難易度は他よりも高い。
正面のディスプレイに浮かび上がる、「READY?」の文字。ジュンハクは引き金を引いて其れに応えた。
球状のコックピットの内側に宇宙が映し出される。何処までも現実のそれに近いリアルな映像。
「ミッションスタート」
そして仮想空間での訓練が開始された。何も無かった宇宙に、円盤状のターゲットが出現する。
ジュンハクはゲイルローダーを操縦し、次々に現れるターゲットを逐一破壊していく。
順調に見えた訓練はしかし、ジュンハクの小さなミスによって強制終了される。
ターゲットから発せられるビームが、ジュンハクの機体を直撃した。ジュンハクが一瞬目を放した隙に起きた出来事だった。
ディスプレイに戦闘結果となるスコアや今後の課題等が表示されるが、彼はそれらを全て無視して叫ぶ。
「くそっ!次だ次!」
彼の声に反応して画面が切り替わる。再び「READY?」の文字。ジュンハクは即座に引き金を引く。
結果はやはりジュンハク機の撃墜で終わった。またも注意不足によるミスだった。
その後何度も何度もシミュレーターに挑戦するジュンハクであったが、結果は変わらなかった。
気持ちばかりが先行して身体がついていっていない、という戦術指南が空しくジュンハクの目の前に広がる。
「……はあ。何やってんだ、俺」
やがて全身を襲う疲労に気が付いたのか、ジュンハクはコックピットのシートに全体重を預けた。
気分転換に他の人間のシミュレーターでも見てみるか、と思って、ジュンハクはモニターを弄る。
(……あんな奴らが真面目に訓練やってるとは思えないんだがな)
ジュンハクの予想は半分以上当たっていた。
救援任務であるのに救援対象である輸送艦を撃沈したり、味方同士で潰し合ったりと、散々なものだった。
これをやっている人間はお遊びのつもりでやっているのだろうという事が明確だった。
それを見てジュンハクのモチベーションがまた一段と下がる。
こんな連中には任せておけない、という気持ちが湧き上がってくるも、どうにも身体が動かない。
かちかちという操作音と共に映像が次々に切り替わる。下らない、つまらない、面白みの無い訓練風景の数々。
我ながら無意味な事をしているなあ、と自分の行為を嘆くジュンハクだったが、そこでふと彼の手が止まった。
「――!このパイロット……」
――居た。他のパイロットとは明らかに違う挙動を取るパイロットが。
周囲の人間というか、この軍に所属するパイロットが皆おしなべて奇妙な動きをするので、そのパイロットだけが周りから浮いていた。
ジュンハクは手元のコンソールを叩いてそのパイロットの戦闘に注目する。
無駄の無い動き。戦況全体を捉えられる視界の広さ。的確な判断を下せる思考。それにしっかり追従する操縦技術。
このパイロットは別格だ。ジュンハクは直感した。すぐさまコンソールを弾いて他の情報をモニターに表示させる。
パイロットの持つスコアのランキングが表示される。他の追随を許さない断トツの一位が存在している。
その第一位の存在も目立って映ったが、ジュンハクはそれよりも、その二つ下の順位のパイロットに着目する。
『ヴァルツ=ルナライト』。階級は中尉。第三位とはいえ、そのスコアは第四位以下のパイロットを明らかに突き放していた。
「すっげえ……!こんな奴が居るんじゃないか!あんな不真面目な奴らばっかりかと思ってたけど……こいつはすげえ!」
希望に目を輝かせる少年のような、というよりそのまま少年の目で、ジュンハクはヴァルツ中尉の戦闘に見惚れていた。
戦闘終了後、ジュンハクはもう一度コンソールの上で手を躍らせる。現在使用中のゲイルローダーを検索する為だ。
検索結果が表示される。ヴァルツ中尉は偶然にも、ジュンハクのすぐ隣で訓練中だったらしい。
勝手な幻想ながら、ジュンハクはその中尉の事を、背が高く恰幅の良い銀髪(?)の青年だと夢想していた。
もう一度重ねるが、これは完全にジュンハクの妄想である。
そんな空想を抱いたまま、ジュンハクはゲイルローダーのコックピットから飛び降りて、隣の格納庫へと走った。
生体認証を手早く済ませると、ヴァルツ中尉が搭乗中であると思しきゲイルローダーのコックピットを叩く。
「ヴァルツ中尉!さっきの戦闘見たぜ!俺思わず感動しちゃったよ!」
ごんごんごん、というノックの音。しかし、ゲイルローダーのキャノピーが開かれる気配は無い――。
「ヴァルツ中尉!どうしたんだよ、早く開けてくれよー!」
――と、思われた扉は勢い良く開かれた。そして。
「……へ?」
直後、何か黒い物体が急速接近してきた、事をジュンハクは認識できていたのだろうか。
豪速、快速、とにかくとんでもないスピードで迫る黒の物体。
それは靴底だった。滑り止めの付いた黒いゴムの塊。その先にはしなやかに伸びる脚――なのだが、視認する前に衝撃がやってくる。
「痛、っ、てぇーーー!?」
首が後ろに折れ曲がるかと思うくらいの強烈なインパクト。その次の瞬間には地面との衝突。ジュンハクは思わず絶叫する。
余りのダメージに頭の中が真っ白になった。目を開いているのに視界がぼやける。
だが辛うじて聴覚は無事らしい。ヴァルツ中尉の言葉と思しき声が聞こえてくる。
「上官に向かってため口を使わないでよね。新米のくせに図々しいとは思わない訳?」
凛とした、強い意志を全面に押し出した、――少女の声。
「……あん?」
予想外の声にジュンハクは一瞬面食らって、とぼけたような鳩が豆鉄砲を食らったような声を返す。
「……女?」
「……何よ、その反応は?」
沈黙する事数秒。思案する事また数秒。十秒以上間を置いてから、ジュンハクの中の何かが音を立てて崩れた。
先程まで彼が勝手に思い描いていた理想の『ヴァルツ=ルナライト中尉』が破壊し尽くされる音だった。
そこまでショックだったのだろうか、恐らくショックだったのだろう、地面をごろごろと転げ回って悶え苦しむジュンハク。
「……そ、ん、な、馬鹿なああああ!?お、俺のヴァルツ中尉を返せぇぇぇぇ!!??」
そこにもう一度蹴りがぶちかまされた。地面を転がる力を利用されたのだろうか、豪快に壁まで吹っ飛んでいくジュンハク。
「げ、が……ごへごへ……っ!?」
「名前で呼ぶな。あと返せって何よ。変な妄想すんな変態」
なんというかとっても締まらない格好のジュンハクであったが、そこで彼は目の前の少女、ヴァルツを見やる。
するとジュンハクはどうにも締まらない様子のヴァルツ=ルナライトを発見した。
「一つ良いか?」
「許可を取ろうとしてる辺り少しは進歩したようだけど、それでもため口って何よ。大体あん――」
「パンツ見えてんぞ」
「――ッ?!」
上官としての振る舞いであったのか先程の少々高圧的な気風が一変、途端に顔を赤くして恥ずかしがる少女、ヴァルツ。
超弩級戦艦ファイネリオン内部の自由軍隊女性服は思わず目を見張る程の超弩級ミニスカだった。
当然、キックなんてものを放てば内側に隠されている布が外側に晒される訳で。
「み、みっ、みっ、見たわねあんた!?」
「おう。つうか案外可愛い柄のやつ履いてんだな、でも俺の『ヴァルツ=ルナライト』のイメージに合わないから却下」
「何その意味不明なコメント!?勝手な妄想抱いてんじゃないわよ!!」
目の前の変態(?)を蹴散らす為にもう一度脚を振り上げようとするヴァルツであったが、寸前で重要な事に気が付いた。
このまま蹴りをお見舞いしようとすれば、確実に先刻の二の舞になる。
そして地面に転がるジュンハクに対しての攻撃手段がそれしかないという事を悟ると、へなへなとその場に座り込んだ。
それを見たジュンハクはゆっくりと立ち上がり、そしておもむろに隣の格納庫に向かって歩き始めた。
「どっ、何処行くのよ!私の話はまだ終わってないわよ!?」
至極面倒そうに首の調子を確かめたり後頭部を掻いたりしながら返すジュンハク。
「何処って、シミュレーターだよ。もっと訓練積まないといけねえんだからさ」
背を向けたまますたすたと歩いていくジュンハクに、ヴァルツは後ろから声を掛ける。
「ちょっと待ちなさい!」
「んあ?」
気の抜けた声で応じるジュンハクであったが、ヴァルツがいちいちそれを咎める事は無かった。いや、余裕が無いのか。
とりあえず振り返るジュンハク。そこには勢い良く立ち上がるヴァルツの姿があった。
彼女は左手でミニスカートの前の部分を押さえながら右手でジュンハクの事を指差していた。
第一声は威勢良く発せられたものの、その後に続く言葉の歯切れが悪い。んぐう、とか、意味の無い音が断続する。
「何だよ?」
「~~っ、勝負しなさい!」
「……はあ?」
いまいち話の意図が掴めないジュンハクは思わず首を傾げた。誰が、とか、何で、とか、色々情報が不足している気がする。
ヴァルツはゲイルローダーをずびし!と指差して言う。……なんで?と別の方向にもう一度首を傾げるジュンハク。
「勝負よ、勝負!私が勝ったら今までの無礼を地に顔突き付けて死ぬまで謝りなさい!!」
「いや、謝れっておま」
「お前じゃない!ヴァルツ=ルナライト中尉よ!」
「え、じゃあヴァルツ」
「名前で呼ぶのも却下!!」
「じゃあルナ」
「略すな、却下!!」
「すわ、とんでもねえ我が儘おん――!」
「――ちょっと黙りなさいよあんた!!」
矢継ぎ早の会話の連続の最後は、何だそりゃ!!というジュンハクの叫び声で締め括られた。
「良いから早くゲイルローダーに乗りなさいよ!」
「えー、面倒だな」
背を向けたまま立ち去ろうとするジュンハクであったが、その次のヴァルツの一言で彼はぴたりと足を止めた。
「あら、私に負けるのが怖いの?」
あけすけな挑発だったが、ジュンハクはその言葉に見事に乗っかり、こめかみに青筋をわななかせた。
「言ってくれるじゃねえか。女子供だと思って手加減してくれるなんて期待してんじゃねえだろうな」
「まあ仕方無いわよねーぺーぺーの新入りだもんねー。ところであんたのスコアってどんなもんだっけー。
あらまあEの十八程度がクリア出来ないのーごめんなさいねー大きなお世話だったかしらー」
ぶちい!!と、先程の青筋が焼き切れる音がした。ジュンハクは完全に頭に熱が回った状態で叫び散らす。
「上等だ!俺の華麗な操縦テクですぐその減らず口塞いでやるからちょっと待ってろ!」
ばたばたばた!!という忙しない足音と共に隣の格納庫へと走り去るジュンハク。
少しだけ冷静さを取り戻したヴァルツは、彼の背中を眺めながら、口角を吊り上げて邪悪な笑みを浮かべる。
そしてジュンハクは先程自分が搭乗していたゲイルローダーのコックピットに飛び込むと、勢い良くキャノピーを閉じた。
画面が切り替わり、仮想空間である宇宙が目の前一杯に広がる。操縦桿を荒々しく掴み取ると同時、通信回線が開いた。
『はっ、ぁーい♪心の準備はオッケーかしらEの十八程度がクリア出来ない新入りくーん?』
「ふざけんな!一度はクリアしたミッションなんだ、俺が本気になったらこんなもん瞬殺だっつの!!」
『せいぜい自分が瞬殺されないように気をつけなさいよねー?じゃあ始めるわよー♪』
彼女の声が途切れた瞬間、モニターには先程から何度も目にしている『READY?』の文字。
ジュンハクはその問い掛けに、手の中にあるトリガーで答えた。その瞬間、目の前の宇宙空間が急激に加速する。
その加速に追従するスピードでターゲットが展開されていく。レーダーに映る無数の機影。
ミッションはこの無数のターゲットの内、百枚を撃ち抜けば良い、というものだった。
ジュンハクは自分の持てる最高の作戦でその千枚を達成するつもりだ。
(最初の内は命中精度なんて関係ねえ、とにかく撃ちまくればどれかは命中すんだよ!)
ジュンハクはまず、数多くの標的が密集しているエリアにゲイルローダーを飛ばした。
大量にばら撒かれた的に対してジュンハクはとにかくそれを上回る数のビームを撒き散らす事に徹する。
事実、彼の思惑通りにターゲットは次々とビームで焼かれていった。密集していた無数の機影が散らばって点になっていく。
「はっはあ!調子良いぜ!こりゃ最高スコア更新してるかもな!」
上機嫌のジュンハクは通信機の向こうのヴァルツに話し掛けるが、彼女の反応は冷ややかなものだった。
『その程度?残念ね。もっと歯ごたえがあるかと思っていたけど』
「ん?」
あまりにも冷静なその声に、ジュンハクはモニターの端に映るヴァルツ機の挙動を見る。その瞬間だった。
「うおわっ!?」
ジュンハクの乗るゲイルローダーが前後左右に大きく揺さぶられた。
何事かと思いモニターの方を振り返ると、そこには被弾によってダメージを受けた事を示すパラメータ画面。
今まで単なる的としての役割を遂行していた円盤状のターゲットは突然その姿を変えた。
円盤の真ん中から突き出してきた銃身から、無数の弾丸がばら撒かれる。それはジュンハクが射出した弾数を明らかに上回っていた。
「う、おおお!!」
高密度の弾幕の中を叫び声と共に駆け抜けるジュンハク。だが、チェックメイトはもう目前まで迫っていた。
虎子を得ようと踏み込んだ虎穴からは、牙を剥いた虎が這い出てきている。その数は十や百ではない。
今やジュンハクのゲイルローダーは絶体絶命の状況にあった。ヴァルツはそんな彼を横目で見ながら笑みを浮かべる。
「彼我の戦力差を把握した上で、的確なポイントに的確な攻撃を加える。細かな敵の各個撃破がゲイルローダーの役目。
戦果を上げる事ばかりに気を取られて自分を見失った者はパイロットとして重要な部分を見落としているのよ」
言いながら、ヴァルツの機体は出撃地点よりさほど遠くないエリアで、向かってくる敵の迎撃を行っていた。
ゲームのような大袈裟な挙動は必要無い。派手に動き回らず、あくまで冷静にターゲットを撃破していくヴァルツ。
相手にする敵の数が少なければ、それだけ被弾のリスクが減る。
敵から発せられる攻撃も、十分見切って回避出来るだけの余裕を持っていた。
それでも撃墜数は順調に伸び続け、序盤でジュンハクが撃ち落した数をあっという間に追い抜いた。
ジュンハク機のダメージが限界を迎え、ヴァルツ機が目標を完遂しようとした、その瞬間だった。
「――!?」
突然、ヴァルツの搭乗するゲイルローダーのモニターが真っ赤に染まった。大量のエラーメッセージで画面が埋め尽くされたのだ。
機体が緊急停止し、モニターには『MISSIONFAILED』の文字。
「うわっ!?」
そして異変はジュンハク機にも訪れた。こちらもヴァルツ機と同じく、機体が大破した事を知らせるメッセージが。
突然の出来事に、ジュンハクは何が起きたのかも分からないまま呆然とするしかなかった。
しかし、ヴァルツだけは異変が生じる寸前の出来事を把握していた。
彼女はゲイルローダーのキャノピーを開放すると、彼女を待っていたかのごとくその場に佇んでいた男に声を掛けた。
「――ロミナス中佐!」
「……!」
その声はゲイルローダーの通信機を通じてジュンハクにも届いていた。ロミナス、という名前には聞き覚えがあった。
それもその筈。その名前は、腐敗の温床と化しているパイロットの詰め所に居た、あの男の名前だった。
ジュンハクはすぐさまゲイルローダーから飛び降りると、ヴァルツの機体がある隣の格納庫へ走り出した。
扉を開けるとそこには五、六人の男達と、それに真正面から向き合うヴァルツの姿があった。
間違い無い。ジュンハクは確信する。そこに居るのは、詰め所でたむろしていた男達だった。
「おい、お前ら!」
ジュンハクは直感的に、その男達が何かやらかしたのだと思った。本能が告げるままに、ジュンハクは男達に接近していく。
その中のリーダー格の男、レヴといったか、は、陽気な様子でジュンハクに話し掛ける。
肩を怒らせ相手の顔を睨みつけるジュンハクとは対照的な態度だった。
「おう、新入りのガキ。随分精が出てるじゃねえか。正式配属される前からこんな所でパイロットごっこなんてよ」
「ガキじゃねえ、ジュンハクだ!それに、ごっこ遊びなんかじゃねえよ!」
「ごっこ遊びじゃねえか。機体が大破したのに傷一つ無えだろ?俺はそれを教えてやろうと思ったんだよ」
レヴはすぐ傍にあるゲイルローダーを親指で差しながら言う。彼の言葉の通り、ダメージは何処にも見当たらない。
彼の口ぶりから、ジュンハクはある事を悟る。
「教えてやった……?まさかてめえ、俺達をわざと狙いやがったのか!?」
「おいおい、今の今まで気付かなかったのか?ありゃあ、こいつは駄目だ。周りの状況がなあんにも見えてねえんだなあ」
レヴが両手の掌を天井に向けて呆れ返ると、周囲にいた男達も腹を抱えてげらげらと笑い始めた。
明らかに人を馬鹿にしているのが見て取れる、下卑た笑い。それを聞いたジュンハクの怒りが、急激に過熱し始める。
「まあそういうこった。こんなもんやったって何の役にも立たねえから――」
「――ふざけんなよ!」
レヴの言葉を聞き終える前にジュンハクはありったけの力を込めて叫ぶ。
耳を塞ぎ眉を尖らせて嫌悪感を顕にするレヴであったが、ジュンハクはいちいちそんな事を気にしたりしなかった。
彼は自分の腹の奥から湧き出て来る言葉をいっぺんに並べ立てる。
「この際だからてめえらがだらだらやってんのは構わねえよ、だけど真面目にやってる奴らの邪魔なんかしてんじゃねえよ!!
いい年したおっさんが大人げ無え事やってんな、恥ずかしいと思わねえのか!」
「へえ。ガキのくせに言う事だけはいっちょ前じゃねえか。そういう所は嫌いじゃないぜ?」
だがな、とレヴはずいとジュンハクに近付いた。明らかな身長差に威圧の気を感じるジュンハクだが、辛うじて怯まず堪える。
かと思うと、レヴは人差し指をジュンハクの額に突き立てて言い放つ。
「真面目にやってる奴が全員報われる、なんて考えはさっさと捨てろ。でなきゃ、それが命取りになるぞ」
レヴの口元には笑み。しかし刃物のように鋭く尖った目は確実にジュンハクのそれを捉えていた。
「……大きなお世話だ、って言ってんだろ。俺はお前らとは違う」
「口だけは達者な奴だ。しかし残念だな。俺達と違う、って事はお前もあっちの女と同族かよ」
……女?ジュンハクは熱くなった頭で少しの間だけ考え、そしてすっかり意識の外へと押し出されていたヴァルツを思い出した。
ヴァルツの方を振り向くジュンハク。そこには毅然とした表情で周囲の男達を睨みつける彼女の姿があった。
「ロミナス中佐。これは何の悪い冗談ですか。自分達は――」
ヴァルツの言葉は最後まで続かなかった。彼女を囲む男達の一人が、こんな事を言い始めたからだ。
「――『死神女』。次のターゲットはそいつって訳かい?」
「――っ!!」
途端、ヴァルツの表情が凍りついた。瞳が小さく収縮し、唇が震えて声が出せなくなる。
何故彼女が死神女と呼ばれているのかなど些細な事だ。その名の由来を考えるなんて事で、ジュンハクは戸惑ったりしない。
再び熱源を得たジュンハクの頭が熱暴走を起こす。許さない、という言葉が脳内で暴れ出す。
「てめえら、いい加減に――!」
「止めて」
ジュンハクが何かを叫び散らす前に、ヴァルツの細い腕がジュンハクの目の前に現れた。それが制止のサインである事は明白だ。
全身に行き渡ろうとしていた熱が空回りして、脳内が一時的に真空状態と化す。何の感情も無い空虚な空間。ストップモーション。
その隙を突いたのか、ヴァルツは俯いたまま、ジュンハクに向かってもう一度制止の合図を出す。
「止めて。お願いだから」
ぼそぼそという、消え入りそうな程小さな声。しかしその声は確かにはっきりとジュンハクの耳に届いた。再び訪れる空虚の間。
ジュンハクは元より、相手側のレヴまでもが、ばつの悪そうな顔になっていた。
その表情のままレヴは、ヴァルツを『死神女』と呼んだ男の後頭部を軽く叩く。痛て、という軽い反応。
「……余計な事口走ってんじゃねえよ」
「だ、だけど隊長……」
「言い訳すんじゃねえよ。あと、その呼び名は止めろ。反吐が出そうなんだよ」
本当に吐き出しそうな程気分が悪そうにして、男の目をじろりと睨みつけるレヴ。睨まれた相手の男が一瞬で萎縮する。
「あーあ、興ざめだよ。おいお前、今から全員分の酒となんかつまみになるもん買って来い。五分だぞ」
「ええーっ、お、俺っすかあ?!」
「他に誰が居やがるんだよ。さっきの麻雀の負け分プラスアルファだ。さっさと行ってきやがれこの馬鹿」
わ、分かったよ……、という腰の引けた台詞とともに、男は駆け出していった。居住区のコンビニにでも行ってくるつもりなのだろう。
「さあ、俺らも帰るぞ。もう一回酔い直しだ」
レヴの合図に従って、周囲の男達が彼の背中を追う。格納庫の外へと向かっているのだろう。
その行動によってようやく硬直が解けたジュンハクはその背中に声を掛ける。
「お、おい待てよ!」
「じゃあな、新入りのガキ。実戦じゃあ後ろから撃たれないように気をつけろよ」
男達を率いたレヴはひらひら、と手の平を何度か翻らせる動作を交えて格納庫から立ち去る。
彼らが去った後には、ジュンハクとヴァルツの二人と、物言わぬゲイルローダーのみがぽつんと取り残された。
「……どういう事だよ」
ぽつりと零れる、ジュンハクの声。答えるものは誰も居ない。彼は続ける。
「どういう事だよ!なんだよ『死神女』って!ふざけてんのか、そこまで腐ってやがんのかよあいつらは!」
「止めなさい」
「止まるか、止まれねえんだよ!マジで頭にきた!俺はもうあいつらをぶっ飛ばさなきゃ気が済まねえ!」
「止めてよッ!!」
響き渡るヴァルツの絶叫。血の上った頭が緊急停止する程の、張り裂けそうになるくらいの痛烈な叫び声。
見れば、ヴァルツの目元には涙が浮かんでいた。滲み出てきたそれを必死に抑えるようにして、少女は言葉を紡ぐ。
「止めてよ。お願い、止めて……」
「……っ」
彼女の懇願に、ジュンハクはただ押し黙る事しか出来なかった。重い、沈黙。
たっぷり分単位の静寂。しかし一向に空気は入れ替わらない。
痺れを切らしたジュンハクは溜め息混じりにヴァルツに声を掛ける。
「……あー、なんだ。しばらくそこのベンチで休んでろ。何か飲み物でも買ってくる」
「……要らない。もう放っておいて」
「放っておけるかよ。良いから俺の言う通りにしろ」
「私の方が階級は上よ。命令されるいわれは無いわ」
それが彼女の強さなのだろうか、ヴァルツの毅然とした口調は変わらない。
しかしそれがただの強がりである事くらい、誰の目にだって明らかだった。
ジュンハクはばりばりと乱暴に後頭部の髪の毛を掻き毟って言う。
「……だーっ、面倒な奴だな!階級なんて関係無いだろうが!」
「軍規は軍規よ、それが分からない程あなたは馬鹿ではないでしょう」
んがーっ!という唸り声。ジュンハクのものだ。
もう折れる寸前まで追い詰められているというのに、目の前の少女は決してそれをよしとはしない。
「馬鹿はお前だろうが!誰がこんな状況でそんな些細なもん気にするか、ってんだ!」
「だとしても、この話はあなたには関係無いわ」
依然として、彼女は突き放すような態度を止めない。あくまで強がりを続けるつもりなのか。
「関係大有りだよ!あんなもん間近で見せられて、見て見ぬ振りが出来るほど俺は馬鹿じゃねえんだよ!」
「でも」
「でももだっても無えよ。……あーっ、なんていうか、アレだアレ!」
次の言葉が見当たらないのか、要領の得ない話にもつれ込みそうになる。しかしすんでの所で検索が間に合った。
ジュンハクはヴァルツの目を真っ直ぐに捉え、真剣な表情のまま言い放つ。言ってのける。
「俺はお前を守りたいんだ。こういう表現が正しいのかなんて俺には分からねえけど、とにかく守りたいんだよ!」
「……え?」
守る。その言葉はジュンハクの中でも最も意味のある言葉だった。
彼が軍人になった理由も、これと一字一句違わぬ言葉で言い表す事が出来る。
彼を突き動かす原動力、と言っても良いかもしれない。それ程までに特別な意味を持つ言葉だった。
「ここで待ってろ。すぐ戻ってくるから、な?」
初めの内は彼の言葉に対する戸惑いを隠せないヴァルツであったが、やがて理解が追いついたのか、彼女は小さくこくりと頷いた。
「……分かった。ここで待ってる」
「よし。炭酸大丈夫だよな?とりあえず何か買ってくる」
「え、あ……」
ヴァルツの返事を聞くより早く、ジュンハクは近くの自動販売機を探して走り始めた。
自動販売機はすぐに見つかった。五分と経たない内に、ジュンハクはヴァルツが待つ格納庫のベンチに戻ってくる。
「ほらよ。言っとくけど金なんて受け取らないからな」
ぶっきらぼうな言葉を並べながら、ジュンハクは今しがた買ってきた炭酸飲料をヴァルツに投げ渡す。
受け取ったそれをしばらくまじまじと眺めていたヴァルツ。ジュンハクは彼女より先に炭酸飲料を流し込んでいた。
一気に飲み干すかのような勢いでごくごくと飲み進めるジュンハク。
ややあって、ヴァルツもボトルの蓋を開けて口をつける。炭酸の気泡が次々に流れ込んでくる。
「……う、けほ、けほっ!」
どうやら上手く飲み込めなかったらしい、ヴァルツはせりあがってくる二酸化炭素を堰という形で吐き出した。
「おいおい、大丈夫か?」
「……炭酸、苦手」
思わずヴァルツの方を見やるジュンハク。ヴァルツは少し機嫌が悪そうな顔で手の中の炭酸飲料を睨んでいた。
「だったら先に言えよ……」
「言う前に、あんたが走り出したのよ」
何と言うのだろうか、とにかくヴァルツは少々虫の居所が悪いらしい。はあ、と溜め息をついてから彼女の隣に座るジュンハク。
すると、ヴァルツはジュンハクから少し距離を取って座り直した。む、という顔でヴァルツを見るジュンハク。
「言っておくけど、私とあんたの距離はこれよりまだもっと広いんだからね」
「……はいはいそうですか」
言って、ジュンハクはもう一度炭酸飲料の入ったボトルを急激に傾けた。そのまま一気に飲み干す。
「……で。理由くらいは聞かせて貰えるんだろうな?」
真剣な表情で、しかし深刻にならないように気を配って、ジュンハクは問い掛ける。
「……言いたくない」
視線を床に落としたまま、ヴァルツはぽつりと呟く。あくまで黙秘を貫くつもりらしい。
だが一度否定されたくらいで簡単に引き下がる程、ジュンハクは諦めの良い人間ではなかった。
「だけどさ」
「聞かれたくない」
もう一度、ヴァルツからの拒絶信号。はあ、という短い溜め息をついた後で、ジュンハクはもう一度疑問をぶつけた。
「じゃあ誰にも吐き出さないまま、理解されないままで良いって言うのかよ?」
「……そんな事は、言ってない」
「だったら話せよ。俺にどうにか出来る問題じゃないかもしれないけど、それでも話聞いてやるくらいは出来るんだよ」
ジュンハクの台詞からややあって、ヴァルツはようやく彼の目を捉えた。真っ直ぐな瞳だ、ヴァルツはそう思ったかもしれない。
「分かった……。その代わり、最後までしっかり聞いてよね」
「ああ、勿論だ」
こくりと頷いて肯定の意を示すジュンハク。その姿を見て、またしばらくしてからヴァルツは重たい口を開いた。
「ゲイルローダーが二機で一つの小隊を形成するのは知ってるわね?」
軍学校のパイロット養成所で初めに学んだ知識だ。ジュンハクは黙って頷く。
「私と一緒に出撃したパイロットは、皆その戦闘で死ぬの」
そして重たい口から零れ出た言葉は、またしても重たいものだった。瞳が収縮する。喉を絞められる。
正直、こうなるとは予想出来ていなかった。背筋を駆ける寒気を感じて、自らの覚悟が甘かった事を悔いるジュンハク。
一瞬決意が揺らぎそうになるが、内面で己に喝を入れてなんとか持ち堪える。
「……偶然だろ、そんなの」
ジュンハクは、そんな薄っぺらい言葉を返す事しか出来なかった。
情けない、何を言ってるんだ、などと考えるが、既に言葉は放たれた後だった。
「偶然なんかじゃないわ。これまでずっとそうだったもの。きっとこれからもそうよ」
言いながら、ヴァルツの視界はどんどん霞んでいった。涙を浮かべているのだ、という事を、本人は認識していなかった。
「勝手に決めつけんなよ。お前良い腕してんじゃねえか。責任は死んだ奴らの腕が――」
「止めてよ、そんな無意味な慰め。余計自分が惨めになるじゃない」
ここでもう一度ジュンハクはしまった、と己の未熟さを恥じる。
彼女の気を紛らわせる為とはいえ、死んだ人間に責任を転嫁してしまった。きっと彼女はその言葉を重荷に感じてしまうだろう。
そしてそんな言葉では、決して彼女は心を開かないだろう。それくらいの事はジュンハクにも分かっていた、筈だった。
「だからって許して良いのかよ?あいつらは言っちゃいけねえ事を言いやがった。俺がお前だったら――!」
「もう良いわ。私の話はこれで御終い」
ジュンハクの言葉を最後まで待たずに、ヴァルツは格納庫の外へと歩き出した。
非常に淡白な行動の前に、ジュンハクは待てと声を掛ける事すら出来なかった。
……失敗だ。結局、自分は分不相応なお節介を焼こうとした挙句、余計に彼女の心をえぐってしまった。
手の中のボトルを握り潰す。そしてそのまま金属の壁面に拳をぶつけた。毒を吐き出すように、言い捨てる。
「最低だ、俺」