第三章~3~
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「……だぁーっ……。し、死ぬかと思った……」
長くて辛い訓練が終わった。何度か死を連想するような出来事があったようだが、とりあえず生還出来たらしい。
シャワーを浴びてから軍服に着替え、さあ昼飯でも食いに行くかーといった様子の他の隊員の中、一人ベンチに座り込む。
周りでは既に何人かで一組のグループが出来ている。彼らは自発的にグループを結成したのだろう。
通常、新人パイロットは自分よりキャリアが長い隊員とパートナーを組むので、彼らが必ずしも同じ隊の人間だとは限らない。
そんなどうでも良い事を考えていると、急激な睡魔が襲ってきた。肉体的な緊張が一気に決壊したのだろう。
更に都合の悪い事に、ジュンハクは堪えがたい空腹にも見舞われたようだ。腹の虫が大合唱する。
「……うう」
腹が減っているのに疲労で動けない、という二重苦の状況に追い込まれるジュンハク。
周囲の人間に助けを求めようにも、最早声を出す気力すら残っていない。
これは、死んだ、か……?彼の瞼の裏に映るざんねん!の五字。彼はゆーしゃではないのでこちらの表現の方が妥当かもしれない。
こんな高度文明満載の超弩級戦艦の中で餓死とは珍しいなあ、ああそれにしても短い人生だったなあ、とか考えていた、その時だった。
「ひょっこり」
ジュンハクの前に一人の少女が現れた。擬態語をそのまま口に出す辺り、少し天然が入っているのかもしれない。
そんな感じの知り合いいたっけ、とジュンハクが回らない頭を働かせる。
脳内の記憶を探り始めてから数秒経過してようやく、目の前の少女の名前を思い出した。
「イ、リデ……センス?」
「めっ」
「あいたっ!!」
が、彼女がこの自由軍隊の中でも珍しい、丁寧な言葉遣いを要求するタイプの人間である事までは覚えていなかったようだ。
容赦の無いデコピンがジュンハクの額を打ちつけ、衝撃を後頭部まで伝達する。
呻き声を上げる事すらままならなかったジュンハクも、思わず叫んでしまう程の威力である。
「私は特務執行官なのよ?よ?」
何故疑問詞を二度も連続で使用したのだろう、その理由は分からないが、兎に角ジュンハクは額を押さえながら訂正に掛かる。
「し、失礼致しました、特務……執行官、どの……」
言いながら、疲れたのに腹が減ったのに痛みに耐えなければという三重苦に、この世の理不尽を噛み締めるジュンハク。
そんなジュンハクの心の内を知ってか知らずか、イリデセンスはにっこりと満面の笑顔でジュンハクの顔を見ていた。
特務執行官という響きが余程好きなのだろうか。満足げな表情でもある。
(こ、この人は苦手かもしれない……)
などといった事を考えながら、ジュンハクは患部を摩り続けていた。
「んしょ」
すると、イリデセンスは可愛らしい声と共にジュンハクの隣に座ってきた。
そして真横に居るジュンハクの横顔を、ただ、じー……っとみつめている。
「……、」
「じーっ」
あまりの熱視線に、さすがのジュンハクも彼女の行動の特異性に気が付いた。
イリデセンスはまたも擬態語を口にしながら、引き続きジュンハクウォッチングを続行する。
他人の顔をまじまじと見る事の何処がそんなに楽しいのだろうか。
非常に気まずいというか恥ずかしいというかなんというか色々な感情に押し潰されそうになるジュンハク。
耐え切れずに彼女から目を逸らし、床に向かって話しかけるような声で彼はなんとか変化球をミットに収めようとする。だが。
「あ、あの。自分に何か御用でありますか」
「めっ」
「痛っっ、てぇー!?」
理不尽再び。デコピンの衝撃が、後頭部どころか銀河のバックスクリーンまでカッ飛んでいく。
ついでに会話のキャッチボールもすっ飛んでいったので、回収は不可能だろう。そんな事はさておき。
(い、一体何が『めっ』なんだ……)
依然として、彼女に対する疑問や彼女の行動に対する疑念は消えない。
謎だらけのイリデセンスという人物像を少しでも解析出来ないか、と考えたジュンハクはとりあえず彼女の顔を見返す事にする。
「……、」
「じーっ」
「…………、」
「じーーーっ」
「………………、」
「じーーーーーっ」
……駄目だ。会話のキャッチボールはおろか、アイコンタクトすら取れそうに無い。
もちろんそれは愛コンタクトなどという甘ったるいものではなくて、そもそも愛コンタクトなどという言葉は存在しない訳だが。
なんていう無駄な新出単語を頭の中から振り払おうとしたジュンハクの行動は、無駄に終わる。
「ぽっ」
「――ッ!?」
何故かどういう訳か、イリデセンスは擬態語つきで頬を染め顔を赤らめ始めたではないか。
――愛コンタクト、成立したのだろうか。ジュンハクの脳の領域を無駄な思考が埋め尽くしていく。
無駄な単語が更なる無駄を呼ぶ。二度手間、いや三度手間だ。
クリーンナップを行わなければジュンハク脳の作業効率は落ちる一方であろう。
無論人間の脳みそはそんなに簡単に弄れるものではないのだが。
「あ、あの、特務執行官殿……?」
「めっ」
「ぐっがあぁああぁぁぁ!?」
三度めの理不尽。今までの会話の法則性から言えば、彼の言葉に落ち度は無かった筈だ。本当に、何がいけないのだろう。
にも拘らず、正確無比、強力無双のデコピンは今までと全く同じポイントを、今までにない破壊力で射抜く。
ジュンハクの額は、そこから第三の目でも生み出そうかという程に赤く腫れ上がっていた。絶叫が轟く。
(も、もう勘弁してくれ……)
ここは無理矢理にでもこの場を後にして、食堂若しくは医務室に行かなければ、待っているのは、――死。
そう思ったジュンハクは、決死の覚悟で、イリデセンスにその旨を伝えようとする。しかし、イリデセンスに先手を取られた。
「あの――」
「二人っきりの時は、そんな風に呼んじゃ、や・だ」
「――ッッ!?」
一体何を言い出すのだろうか。一体何の目的があって。などという疑問は、ジュンハクの頭の中からすっぽ抜けた。
気が付けば、ジュンハクの手をイリデセンスのおててが包み込んでいるではないか。
柔らかいなあ、とか、あったかいなあ、とか、無意味な感想が脳裏を駆け抜けていく。一体、何のつもりなのだろうか。
「うん。……うん。そう、そうなの」
などといった事を考えていると、イリデセンスはおもむろに瞼を閉じて、何事かを呟き始めた。
先程まで暴走気味だった思考が急激に冷却されていくのを、ジュンハクは感じ取っていた。
「……なんだ?何を……」
「静かにしててね。……感じるの。貴方の力」
「……『力』、だって?それって一体」
台詞は、最後まで続かなかった。
『敵機接近!敵機接近!第二種戦闘配備!繰り返す!敵機接近、敵機接近!第二種戦闘配備!』
オペレーターの緊迫した声に、けたたましく鳴り響くアラート音。
周囲の隊員達が慌しく駆け回り、一斉にそれぞれの持ち場に着こうと移動を開始する。
ジュンハクもすぐさまその流れに合流しようとするが、イリデセンスに手を掴まれていた事を思い出した。
しかし、いつの間にかその拘束は解除されていた。
代わりに手に伝わってくるのは、人間の手とはまた別の温もり。
「持ってって」
ホットドッグだ。イリデセンスは鞄から取り出したそれを、ジュンハクの手に当てていた。
「お腹。空いてるでしょ。これ食べて、元気出して。ね?」
作りたての暖かさを残したそれを受け取って、小さく頷いた後、ジュンハクは駆け出した。
「……ありがとう!俺、行ってくる!」
走り出した途中で振り向いて、ジュンハクはイリデセンスに向かって手を振る。
「ごきげんよう~」
ゆっくりと、柔らかな動きで手を振って返すイリデセンス。その顔には、笑み。
「……ふふふふふふふふふ」
満面の、笑み。