第三章~2~
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超弩級戦艦ファイネリオンの内部に存在する広大な練兵場。そこに百人単位で人間が集まっている。
これから始まるのは基礎体力を向上させる為のトレーニングや格闘技による鍛錬だ。
数人の教官が隊員の前で訓練の心得や方法を説いている。トレーニングが始まったのはそれから間も無くだ。
「よう、また会ったな」
準備運動の最中、隣の男がジュンハクに話し掛けてきた。
が、ジュンハクはそれが誰なのか分からなかった。なので、とりあえず記憶を掘り起こす為に無言を貫いてみる。
確か、昨日、会った、ような、気がする。といった具合に断片的な情報はいくつか見つかるのだが、個人の特定には至らない。
「忘れたとは言わせないぜ?この宇宙最速の男、ゲルブ=ギーリヒ様をよお」
「……誰だ?」
がっくり。屈伸運動をしていたゲルブが、足から力を失って急降下する。
確か、そんな、名前の、男が、居たような、居なかったような。そもそも、宇宙最速だなんて肩書きは聞いた事が無い。
一瞬、シュトリーペ隊長が殴り飛ばした男がそんな名前だったような気がしたが、気のせいだろうとジュンハクは断定する。
隣の男は顔に青筋を立てながら、なおもジュンハクに話し掛けてくる。
「……へっ。そうかそうか。お前、アホだから他人の顔を覚えられないんだな。かわいそうに」
ぴき。ジュンハクのこめかみの辺りから、なにやら奇妙な音が聞こえた。握り拳が形作られ、目が危険な光を帯びる。
それから二人は同時に地面に伏せる。かと思えば、がば!とお互いの顔を見合わせた。
「「うおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!」」
それが合図となって、二人は腕立て伏せを開始した。どちらかが力尽きるまで続く、無限腕立て伏せである。
それもかなりの高速。ともあらば質量を持った残像が見える程のスピードである。
十。二十。三十……とどんどん回数を重ねていく。
未だに準備運動を行っている周囲の隊員が、なんだなんだと騒ぎ出した。
それは水面に石を放り込んだ時のように一瞬で波及していき、その隊員達はすぐさま二人の戦いを見守るギャラリーと化した。
「やれやれー!」
「どっちも負けるなー!」
「今夜はカレーよー!(?)」
声援(?)のような声が上がる。カレー、の辺りでゲルブの瞬間最高腕立て速度が跳ね上がったのは気のせいだろうか。
「はっはっはぁ!!所詮凡人は宇宙最速の称号を冠する俺様には敵わないみたいだなぁ!!」
「っく、なぁめぇるぅなぁぁぁぁぁ!!」
叫び声と同時、今度はジュンハクの腕立て伏せが加速した。曲げと伸びの間隔が更に狭まる。
「な、何ぃ!?」
「ははは!!どうしたどうした宇宙最速ぅ!!」
目を剥いて驚くゲルブ。追い上げてきたジュンハクを引き離すためにゲルブも速度を上げるが、すぐに追いつかれた。
二人の速度が拮抗する。少しのずれも無く全く同じタイミングで上下に躍動する二人の身体。まるで竜巻だ。
彼らに釣られて、周囲のボルテージも加速していく。
「頑張れー!」
「あともう少しだぞ!」
「秋刀魚が待ってるわよー!(??)」
秋刀魚、の辺りでジュンハクの速度が上がったのは以下略。
必死の形相で腕立て伏せを続ける二人は、直感的に二人の力が同等である事を理解していた。
((こいつ……できるッッ!!))
一歩も譲らない男と男。地面に突っ伏しそうになりながら、なお意地と根性で身体を支える。
ぶつかり合う力と力。最後の一瞬まで気合を全身に送り込んで、熱い血をたぎらせる。
「「……っがぁぁぁああああ!!!!」」
雄叫びを上げてラストスパートを掛けるジュンハクとゲルブ。
腕や胸を初めとする、全身の筋肉が悲鳴を上げる。軋む筋肉、唸る筋肉、張り裂ける筋肉。秋刀魚カレー。
「「負ける……ものかぁぁぁッッ!!!!」」
「――なぁにをしとるかぁぁぁぁぁ!!!!」
……ゲルブの身体が、跳ね上がった。
すわ!遂に高速腕立て伏せが腕立て高飛びに切り替わったのか!と疑う者は、まあ居なかっただろう。
流石にそこまで幻想めいた思考の持ち主は存在していない、筈である。
事実、賢明で薄情者の辺りの人間はいつの間にか野次馬から従順な軍人に早変わりしていた。
「え。……え。な、何、何が起きたんだ?」
言いながら、あれ、昨日もこんな状況に遭遇したような、と思い返すジュンハク。恐らく気のせいではないだろう。
腕の筋肉は疲労困憊を訴えていたが、目の前で起きた衝撃的な現象に、呆気に取られて腕を立てたそのままの状態で固まっていた。
「ぐえ」
そして襟首を掴まれ、ぐい、と持ち上げられるジュンハク。首が絞まって一瞬呼吸が止まるが、それすら気にならなかった。
足がぶらぶらと空中で揺れる高さにまで持ち上げられてから、地面に下ろされた。
直立不動のジュンハク。何故彼が身動き一つしないかなど、理由は分かりきっていた。
「何度も何度もごめんね~?ほんっと、馬鹿な部下を持つと苦労するわ~」
彼の目の前には、じっとりと据わった目がチャーミングな機動兵器隊長、シュトリーペのにっこり笑顔。
その笑顔には、握り拳が良く似合っていた。本気で握り締めた拳が似合う笑顔、というのも想像するだけで怖いが。
彼女の言葉からは「これ以上騒ぐようだったら貴様も地獄送りにするぞ」的なオーラが滲み出ていた。すごく怖い。
ジュンハクはふとシュトリーペの足元を見てみる。軍靴のつま先は、何やら物騒な雰囲気を醸し出す赤で染まっていた。
「あー、あー。良いか貴様ら!この軍のモットーは鉄拳制裁と鉄脚制裁だ!
勝手な行動をした者にはその場で即刻問答無用に裁きが下るので注意するように!」
鉄拳制裁がこの自由軍隊のモットーだなんて一切知らされた事は無いし、そもそも鉄脚制裁なんて言葉は存在しない筈、である。
だがどうやら彼女はやると言ったらやるという超・行動派の新任機動兵器隊長のようだ。
なので、自分の主張はとりあえず喉の奥の方でごっくんするジュンハク。何か反論したら、次は命が危ない。かもしれない。
シュトリーペが戻ってきた時に自分まで制裁されては洒落にならないので、周りに合わせてトレーニングに励む。
彼がちょっぴり涙目になりそうだったのは、高速腕立て伏せの代償か、若しくは制裁大好き隊長の存在の所為か。