第二章~10~
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拘置所という施設は第二詰め所のすぐ隣に存在する。
問題を起こした隊員はそこで事情聴取を受ける訳だ。
しかし、その拘置所に入れられたのはジュンハクではない。気を失うまで殴られた男の方だ。
格納庫やその周辺に設置された防犯カメラ。それからゲイルローダーの戦闘記録。
この二つを踏まえた上で男は暫定の処置として拘置所に送られ、対するジュンハクは第二詰め所にその身を預けられた。
そして彼の目の前には今、シュトリーペ=ロナ――機動兵器隊長が立っている。
「自分が何をしでかしたのか、分かっているわね?」
彼女の口調は機動兵器隊長としてのそれに比べれば柔らかなものだった。
しかし彼女の周囲には今も警棒を装備した兵士が数人整列しており、物々しい雰囲気は隠せない。
「……、」
ジュンハクは無言のまま、掛けられた手錠に目線を落としていた。
シュトリーペの声を聞いて初めて、彼女の顔を見据える。無言のまま、小さく頷いた。
その様子を見たシュトリーペが彼に一歩近付く。
「前後の事情がどうであれ、あなたは上官に手を上げた。理不尽な事だと分かっていても、ここは軍隊であなたは軍人。――歯を食い縛りなさい」
言葉の直後、容赦の無い拳がジュンハクの左頬を捉える。
凄まじいインパクトが頭蓋骨を強烈に揺さぶり、ジュンハクの身体は第二詰め所の床に叩きつけられた。
「立ちなさい」
それから間を挟まず、シュトリーペはジュンハクを立ち上がらせる。ジュンハクはすぐさまそれに応じた。
「もう一発殴るわ」
今度は右頬だった。ジュンハクの身体がもう一度宙を舞う。今度は、命令されても立ち上がれそうに無い。
シュトリーペはぶらぶらと手首を揺らして拳の力を抜いて、床に転がるジュンハクを見下ろしながら言う。
「一発目はあなたが殴った男の分」
ジュンハクが自力で立ち上がる事は困難であると理解していたシュトリーペは、彼の胸倉を掴んで強制的に立ち上がらせた。
足がふらふらしていてどうにも頼りないが、辛うじてジュンハクは身体を支える。
「二発目はあの子の分よ」
あの子という呼び名が指す人物は、当然ヴァルツの事だろう。
ジュンハクはぼやける視界からシュトリーペの顔を見つけ出し、その目を睨みつける。
「だったら、あのままあいつが傷付けられるのを黙って見てろ、って言いたいのか」
「じゃああなたはあんな方法で、本当に彼女を守ったつもりなの?」
上から被せられる声。威圧的な口調に、ジュンハクは一瞬言葉が出なくなる。
「確かにあなたはその場では彼女を守ったかもしれない。だけど本当の意味では彼女を守った事にはならない。守りたいものがあるなら、力の使い方には気をつけなさい。あなたの『力』は少し強過ぎる」
力、という単語には何か含みが感じられたが、ジュンハクは自らの拳を見下ろしただけでその言葉には反応しない。
拳を見つめたまま、ジュンハクは疑問を投げ掛ける。
「処分は」
「謙虚な申し出ね。本来ならあなたも拘置所に放り込むべきなのだけれど。相手が相手だから、今回だけは軽い罰で済ませてあげるわ。ジュンハク=アストロハーツ少尉。ヴァルツ=ルナライト中尉を守りなさい」
――言われなくともそうするさ。ジュンハクは内心で呟いた後、拳を締める事でそれを決意表明とした。
「どう守っていくのか、どこまで守っていくのか。それはあなたが決めなさい。兎に角、彼女を傷つけない事。良いわね?」
「了解だ」
短い返答。それを確認してから、シュトリーペは警棒を所持する男達に命令を飛ばした。
ジュンハクに掛けられた手錠が外される。男達はそのままジュンハクを第二詰め所の外へと促した。
「アストロハーツ!」
ドアを潜った先には、ヴァルツが立っていた。
心配そうな表情。というよりは、純粋にジュンハクの事を心配していたのだろう。
彼女の目は赤く、頬には、涙が伝ったあとがあった。
「……すまん。俺はお前を守るとか言いながら」
「大丈夫?!……痣が出来てる!」
みっともなく自分の弱点を晒すのが嫌だったのか、ジュンハクは横を向いてヴァルツから顔を背ける。
が、すぐにそれが無意味な事だと気付いた。そういえば彼は、両方の頬を殴打されていた。
ヴァルツが自分のポケットからハンカチを取り出す。可愛らしい花柄模様のハンカチだった。
普段の彼女の態度とのギャップにジュンハクは戸惑うが、それ以上に目の前の状況をなんとかするのが目下の課題だった。
「良いって。こんなもん、怪我の内にも入らないからさ」
半ば強引に、押し戻すような形でヴァルツから距離を取るジュンハク。
ヴァルツは暫くの間、行き場を失ったハンカチをどうして良いか分からずにいた。
ジュンハクはそんなヴァルツに声を掛けようとしたが、何を言えば良いのかという自問にすら応えられなかった。
「……ごめん。私の所為で」
「お前の所為じゃねえよ。完全に俺の自業自得だ」
「いいえ、私の所為だわ」
「違う!俺が……!」
俺が悪かった。そう言いかけて、ジュンハクは言葉を打ち切った。
……何だこれは。ジュンハクは内心で溜め息をつく。
互いに責任を擦り付け合うだけ、痛みをどちらが請け負うかだけの押し問答。
彼が言いたいのはこんな事ではない。今大事なのは、ここから前に進む事だ。
「私、やっぱりシュトリーペ隊長に言ってくる。あなたとのコンビを解消して、って」
俯きながら、ヴァルツはそんな事をぽつりと零した。すぐにジュンハクが止めに掛かる。
「その必要はねえよ」
「シュトリーペ隊長から聞いたんでしょ?私は、あなたを死なせたくない」
「だったら尚更だろ」
ジュンハクの意外な言葉に、ヴァルツは顔を上げてジュンハクの目を見る。
「今日の訓練で言った事、忘れたのかよ。ゲイルローダーが全力を発揮するには俺達二人の力を合わせなきゃ駄目なんだ、って」
「でも」
「実際俺達良い線いってたじゃねえか。俺が道を用意したら、お前がそれに上手く乗っかる。逆も同じだ。自分で言うのもなんだけど、完璧なコンビネーションだっただろ」
判断材料に足る要素を次々と提示していくジュンハク。しかし、ヴァルツの表情はまだ晴れない。
「それでも、実戦とシミュレーションは違う。本番でそれと同じ事が出来るとは限らない」
「やってみなくちゃ……、いや、やってみせるさ」
「あなたは絶対に死なないの?」
「絶対に死なない」
嘘だ。ジュンハクは無意識の内に気付いていた。不死身の人間など存在しない。それでもそう言うしかなかった。
「私の事を、守ってくれるの?」
「守る。守り抜いてみせる」
この言葉は本当だ。ただし、自分がどうなってでも、という条件付の言葉ではあったが。
ヴァルツはその二つの解答の意味を理解してしまったのだろうか。床に視線を落としたまま、ぽつりと呟く。
「その言葉、卑怯だよ」
――そうかもしれない。