第二章~9~
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「……何も撃墜する事は無かったんじゃないの?」
自分の機体から降りたヴァルツはすぐ隣の、ジュンハク機が鎮座する格納庫にやってきていた。
「何言ってんだよ。これくらい当たり前だろ?」
懐疑的な表情を見せるヴァルツに対して、ジュンハクは何て事無しに言ってのける。
これが実戦でなかっただけまだ良い方だ、と言っているかのようでもある。
「てめえら、やってくれたじゃねえか!」
と、そこに一人の男がやってくる。雰囲気や話し方から、先程ジュンハクが撃墜した機体のパイロットだとすぐに分かった。
男は怒り心頭と言った様子で、ずかずかと大まかな足取りでジュンハク達に近付いてくる。
「こんな事しといて、ただで済むと思うなよ!?」
そう言って男は凄むが、いかんせん迫力に欠ける。
というよりは足りないものが多過ぎて、自分が小物である事を主張しているようにしか見えない。
「自分から仕掛けてきといてそれかよ。情けなくて涙が出そうだぜ」
頭を掻きながら適当にあしらうジュンハク。それを見た男は耐え切れなくなって、ジュンハクの襟元に掴み掛かる。
「あれ。お前の標的は俺じゃなかった筈なんだけどな?」
「うるっせえよ!今からお前も俺の敵だ!」
やれやれ。そう思いながらジュンハクは溜め息をついた。
男の年齢はジュンハクより三つ四つ程年上なのだろう。体格差もそれに準じて開いている。
しかしジュンハクはそれを歯牙にもかけず、掴み掛かってくる男の顔をただじっと睨みつける。
その冷静さに驚かされたのだろうか、襟元を掴む力が一瞬緩んだ。
ジュンハクはその一瞬の隙を見逃さない。即座に男の顎に掌底を叩き込む。
舌が口からはみでていない時を狙ったのは、ジュンハクなりの手加減の仕方だった。
だがそれでも男の身体は後ろに大きく弾き飛ばされる。
踏ん張ろうとしても、脳を揺らされた事によるダメージで足に力が入らなかった。
そのまま膝から崩れ落ちる。辛うじて地面に手を着いたが、暫くの間は立ち上がれないだろう。
「行くぞ。こんなのに構ってられるか」
「ちょ、ちょっと、アストロハーツ!?」
それを最後まで見届ける事も無く、ジュンハクは格納庫の出入り口に向かって歩き始めた。
ヴァルツは男を一瞥した後、戸惑いながらもジュンハクの背中を追う。
「……へっ、行け行け。そのまま本物の死神に連れてって貰え」
背後からの声。ジュンハクはわざわざ後ろを振り返ったりしない。
良く動く舌だ、さっきの手加減は余計だったか、とジュンハクは内心で舌打ちする。
「俺はまだ忘れてねえぞ!お前が俺の相棒を殺したんだ。お前だってまだ覚えてんだろうが!!」
ぎり。ジュンハクは奥歯を思い切り噛み締め、拳を硬く握る。男の絶叫は続く。
「忘れんなよ!てめえが死神だって事を!一生背負っていけ!まともに死ねると思うな、てめえは苦しみ抜いて死ぬんだ!あの世に行ったっててめえは――」
がん!!!!
強烈な打撃音。骨を打ち砕く感覚がした。誰が何をどうしたのかなど、わざわざ問うまでもない。
ジュンハクは振り向き様に、握り締めた拳を思い切り男の横っ面に叩き込んだ。今度は手加減などしない。全力だ。
「か、は……っ!……は、はは!お前も死んでから後悔するんだな!そいつは本当に人間を――」
もう一度、全力の拳を打ちつける。男の台詞は最後まで続かず、中途半端な音を撒き散らしていくだけ。
「……ご、ふ、……ひ、ひひ。死神め!何度だって言ってやるよ、てめえは人間じゃねえ、しにが――!」
もう一度。もう一度。もう一度もう一度もう一度。
今度はもう、中途半端な音の存在すら許さなかった。何度も何度も顔を殴打する。
男の返り血や唾液で拳が濡れるのにも構わず、ジュンハクはただ目の前の男を殴り続ける。
「止めて、もう止めて!」
やがてヴァルツがジュンハクを後ろから羽交い絞めにした。それでもジュンハクの怒気は収まる所を知らない。
口から荒い息を吐きながら、ジュンハクはなおも男の顔を睨みつける。
しぶとい事に、男はまだ意識を保っていた。男は言う。声としては成立していなかったが、それでも口をもごもごと動かしている。
唇が、い、の形を二度作った辺りで、ジュンハクはもう一度拳を振り上げる。
どん!!
ジュンハクの拳が男の顔に突き刺さる音、ではない。
ジュンハクの視界から一瞬、男の顔が消え去る。拳が空を裂く。見れば、男は地面に横倒しに倒れていた。
「そこまでだ、クソガキ。人間殴る時はもうちっと加減しやがれ」
ジュンハクは声のした方向を振り返る。ぼさぼさの髪に無精髭、軍服をだらしなく着崩した男がそこには立っていた。
レヴ=ロミナスだ。彼はズボンのポケットに手を突っ込んだまま、片足を突き出した状態で立っている。
ジュンハクの拳を空振りさせる為に、既に意識を失っていると見られる男の肩口を蹴り飛ばしたのだ。
しかし、この状況ならばまずジュンハクの方をどうにかする方が手っ取り早くて確実だというものだ。
「……何しに来た」
その真意を掴み損ねたジュンハクは、二重の意味を込めてレヴに問い掛ける。
彼の声は冷たく、鋭い。本当の意味での、真剣、という言葉を表すのに相応しい声だった。
レヴは突き出していた足を金属の床の上に下ろす。
「決まってんだろうが。てめえを止めに来たんだよ、クソガキ」
対するレヴの声も、どこまでも人間味の感じられない冷たい声。
まるで虫けらを見るかのような目で、目の前の少年を見下す。
「だったら俺をぶっ飛ばしゃ良いだろ。なんでそうしなかった?」
言いながら、ジュンハクは呼吸を整えていく。ともあらば、頭上の男とも拳を交える気だ。
その様子を見たレヴは面倒くさそうに頭を掻きながら言う。
「そこの馬鹿があまりにもムカついたもんでな。それと、艦長から聞かなかったのかよ。お前は少々『特別』だ、って」
特別。それが一体何を意味しているのか、などという些細な事を、ジュンハクはいちいち気にしなかった。ただ、拳を握り締める。
「……ヴァルツ。ちょっと離れてろ」
「嫌よ、今あなたを自由にしたら」
「そういう意味じゃねえ。俺がぶん殴られるのに巻き込みたくねえから離れてろ、って言ったんだ」
言いながら、ジュンハクの意識はレヴ=ロミナスただ一人に集中していた。
鋭い視線で睨みつけるが、レヴの方にはこれといった動揺は見られない。むしろ彼は感嘆の表情を形作る。
「へえ。女を気遣うとはな。そこら辺はしっかりしてるんじゃねえか」
――馬鹿にしやがって。
ジュンハクは拳に更なる力を送り込む。
同時、ヴァルツはジュンハクの身体を締め付ける力を強くする。
だが、ジュンハクが本気で殴り掛かろうとすれば、それを完全に止める事は不可能だろう。
裸締めに持っていこうとしても、一瞬でも力を緩めたらその隙にジュンハクは戒めをすり抜けるだろう。
粘つくような拮抗状態。
だがその状態は長くは続かなかった。レヴが鼻を鳴らして身を翻した事で、突然緊張の糸が切れる。
「おっ。到着しやがったか。覚悟しろよガキ。おしおきの時間だ」
何?ジュンハクは眉根を寄せる。変化が起きたのは、その次の瞬間だった。
「ジュンハク=アストロハーツ少尉!」
名前を呼ぶ声と共に、複数の人間が駆け寄ってくる複数の足音。
それが一体何者なのかを改めて確認する必要は無かった。ジュンハクはすぐにその人間達に包囲される。
彼らは軍用の警棒を装備していた。レヴの言葉の意味。つまりはそういう事だろう。
「貴様、上官に手をあげるとは何事か!」
物々しい雰囲気の男達の間を割って、一人の少女が現れた。ジュンハクより三つは年上だろう。
シュトリーペ=ロナ。今は機動兵器隊長と呼ぶ方が適切だろう。彼女の口調は厳つく高圧的だ。
……そういう事か。ジュンハクは目の前の状況を把握した上で達観する。
それと同時、周囲の男達が一斉に詰め寄ってきた。ジュンハクを拘束するつもりなのだろう。
「……アストロハーツ!」
男達はまずヴァルツをジュンハクから引き剥がした。ヴァルツは彼の名前を呼ぶが、反応は無い。
ジュンハクは男達に向けてゆっくりと両手を差し出す。
「拘束しろ」
冷徹な声で指示を飛ばすシュトリーペ。男達は彼女の声にすぐさま応え、ジュンハクの手に手錠を掛ける。
電子制御式の手錠だ。内部に埋め込まれた発信機からの電波が途絶えた場合、高圧電流が発生する仕組みになっている。
「アストロハーツ!」
ジュンハクがこれからどうなるのか。想像する事は容易かった。だからヴァルツは彼の名前をもう一度叫ぶ。
彼は何の反応も見せないまま、ただ大人しく周りの行動に身を任せていた。
「シュトリーペ隊長、これは違うんです!彼はただ……!」
彼女は必死にジュンハクを擁護しようとするが、咄嗟の言葉が出てこない。
何がどう違うというのか、説明する事など不可能だった。恐らく、何も違わないのだろう。
それはシュトリーペにも分かっていた。だから彼女はただ黙ったまま、ヴァルツの口元に天井に向けた人差し指を添える。
「連れて行け」
短い言葉で命令を下すと、男達はジュンハクを囲みながら歩き始めた。ジュンハクはそれに大人しく従う。
同時に男達は気を失って床に転がっていた男を担架に乗せて搬送する。
彼らの迅速な行動によって、ジュンハクと男は一瞬で格納庫から姿を消した。
次いで、シュトリーペもその後を追う。ヴァルツは彼女に腕を伸ばすが、届く筈は無かった。
「……レヴ=ロミナス!」
そして格納庫にはヴァルツとレヴの二人だけが残された。
ヴァルツは感情を剥き出しにした声で食って掛かるが、レヴは動じない。
呼び捨てにされた事は、この際不問としたらしい。彼は何の気無しに会話に応じる。
「何だよ。俺が何か悪い事したか?」
「最初からこのつもりであの男をけしかけたんでしょう!」
はあ、という短い溜め息。レヴは面倒くさそうに額を手で覆う。
「勘違いすんなよ。俺は偶然ここを通り掛かっただけだぜ?」
「偶然?よくそんな白々しい事が言えるわね!」
レヴの表情に、ヴァルツが言うような白々しさは感じられなかった。だが、それが一体何だというのか。
ヴァルツは鋭い目つきでレヴを睨みつける。それに対して、レヴは大した反応を見せなかった。
やがて息切れしたのか、ヴァルツは視線を床に落として俯く。足から力が抜けて膝から崩れ落ちる。
「もう……もう私に構わないでよ……っ!もう放っておいて!私が何をしたって言うの……!?」
「……わーったよ」
彼女の言葉通りにしたつもりなのか、それともただ単に付き合いきれなくなったのか。兎に角レヴは出口に向かって歩き始めた。
「これだけは言っておく」
このまま立ち去るかと思われたレヴは扉の前で足を止めて、何事かを呟く。
「あのガキだけは死なせんじゃねえぞ」
ヴァルツには、その声が聞こえていたのかどうか。