第二章~7~
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「ヴァルツ!!」
ここはゲイルローダーの格納庫。詰め所を飛び出したジュンハクは迷う事無くここへと辿り着いた。
彼女はきっとここにいる、という直感に従って、ジュンハクは汗だくになりながら走り続けた。
人間のメカニックマンやAI制御式のメンテナンスロボットが行き交う中、ジュンハクは目的の人物を発見した。
ヴァルツ=ルナライト。階級は中尉。死神の異名を持つパイロット。
後者二つの情報をジュンハクは切り捨てた。重要なのはそんな些細な事ではない。
「……まだ居たの。とっくに辞めたかと思っていたけど」
不機嫌そうな顔で相手を突き放す台詞を吐くヴァルツ。
その言葉が憎まれ口である事はもう分かっていたが、ジュンハクは敢えて表には出さなかった。
彼は一旦彼女の言葉を無視して、自分が伝えたい事を言う事にする。
「俺、謝りたいんだ」
それはジュンハクの中にあった率直な思い。ジュンハクは気が付かなかったが、その言葉を聞いたヴァルツの肩が少し震えた。
彼は続ける。頭を下げ、たった一言に自分の全力を注ぎ込んで。
「ごめん」
たった一言で良かったのだ。なんて言えば良いとか、そういう準備は全く必要無かった。
それが卑怯な手段である事には気が付いていた。
それに、もしもシュトリーペから貰った言葉を使っていたら、彼はどんなに上手い言い回しをしても許して貰えなかっただろう。
言葉は時として、伝えたい内容を隠してしまうものだ。
「……、」
彼の決死の言葉に対して、ヴァルツは暫く何も言わないまま黙り込んでいた。
沈黙が重く圧し掛かる。
その圧力に耐え切れず何か別の言葉を言おうとしたジュンハクだったが、結局何も思いつかなかった。
それに、思いついたとしてもそれらは全くの無駄である事にも彼は気付いていた。
本当に伝えたいのは、そんなに長ったらしい言葉ではない。全力の言葉が届く事だけを信じて沈黙を受け入れる。
まず沈黙を切り裂いたのは、ヴァルツの大仰な溜め息だった。
「……馬鹿ね。たった一言しか思いつかなかったの?」
「ああ。これしか思いつかなかった。俺、馬鹿だから」
頭を下げたまま答えるジュンハクに、ヴァルツはもう一度溜め息をつく。
「……馬鹿。頭上げなさいよね。そういう事はちゃんと相手の目を見て言うのよ」
言われた通りに、ジュンハクは頭を上げる。彼女の目を真っ直ぐ見据える為に。
そこには、怒っているんだか笑っているんだかよく分からない、しかし何処かすっきりした表情のヴァルツが居た。
そしてジュンハクはもう一度、言われた通りに相手の目を見て、はっきりとした口調で言う。
「ごめん」
そしてまた沈黙。
「……あっははは!や、やっぱり頭下げた方が良いかもね!誤算だわ、そんなに真っ直ぐ言われるのがこんなに困るなんて!」
今度の沈黙は、ヴァルツの笑い声によって掻き消された。その笑い声の意図が読めなくて、ジュンハクはぽかんとした表情になる。
笑ったままのヴァルツに、ジュンハクは素朴な疑問を投げ掛ける。
「……まだ、怒ってるか?」
「これが怒ってるように見える?」
疑問に対して質問が返ってきた事で、ジュンハクは困惑する。その謎を解明する為に、ジュンハクはもう一度疑問をぶつける。
「許して、くれるのか?」
言って、ジュンハクは目をぱちくりと開閉させる。その仕草が面白くて、ヴァルツはまた笑った。
「そんなに必死の形相で謝ってる相手見て、怒り続ける方が難しいわよ」
その言葉を聞いて、ジュンハクは目から鱗が落ちるという表現の意味を生まれて初めて味わった。
感極まったジュンハクは、ヴァルツの手を両手で包み込んだ。
突然の出来事に顔を真っ赤にして動揺するヴァルツであったが、ジュンハクはそんな事など眼中に入っていない。
「ありがとう!お前、本当は良い奴なんだな!」
「なっ、なななな……!」
包み込んだ手をぶんぶんと上下に振って喜びを表現するジュンハクに、ヴァルツは何の対応も出来ないでいた。
ちなみにこの間、周囲のむさくるしいメカニックマン達はジュンハクを睨み付けたりしていた訳だが、それにも気が付く訳が無く。
「はっ、放しなさいよね!」
掴まれていた手を力ずくで振り払って、ヴァルツはジュンハクから顔を逸らす。
依然として顔は朱に染め上がったままだし、手にはまだ温もりが残っていた。しかし、その熱まで振り払おうとはしなかったらしい。
「……?どうかしたのか?」
「どうもしないわよ!……わっ、私は今忙しいの!」
忙しい?文脈の合わない、そして何がどう忙しいのかが分からないジュンハクは思わず首を傾げる。
「……ふっ、フライトシミュレーターで腕を磨こうと思っていたのよ!忙しいんだから、後にしなさいよね!」
「なんだ、お前も訓練しに来たんじゃないか。だったらちょっと付き合ってくれよ」
突然、ヴァルツがぶふう!と噴き出した。
「な、何かあったのか!?あ、もしかしてさっきの戦闘でどっかぶつけたとか!?」
「なっ、なんでもないわよ!ちょっと黙ってて!」
あまりにもなんでもなくないヴァルツの様子を見て、ジュンハクの頭上には再び疑問符が大量展開される。
本当に、何があったというのだろうか。ジュンハクはそれが全く理解出来ないでいた。
ヴァルツは両手の平をそれぞれ膝に乗せ暫く肩で荒い息をした後、やがて諦観混じりの溜め息をつく。
膝から手を離して、ヴァルツは顔を上げた。
「……分かったわよ。とりあえず自分のゲイルローダーに乗りなさい」
一刻でも早くジュンハクを遠ざけたかったのか、ヴァルツは一番合理的な選択肢を取る。
彼女の顔はまだ赤い。が、ジュンハクはそれには全く気が付かなかった。
彼は普段通りの表情をしていたつもりだが、ヴァルツにはそれが余裕たっぷりの顔に見えたらしい。
だから彼女は悔し紛れに軽口を叩いてみせる事にした。
「ま、今のままじゃ使い物にならないし?ちょっとは面倒見てあげるわよ?」
そしてジュンハクは軽薄にもその軽口に乗った。飛び乗った。
「……上等だ。こっからめきめき成長してやるから、覚悟しとけよ!」
ずびし!と人差し指を突き付けてから、ジュンハクは自分の機体の元へと走る。
彼の姿が自動ドアの向こうに消えていく。ヴァルツはそれを見送った後で、一言。
「……馬鹿」