第二章~3~
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入隊式の後に行われた対面式の会場は、広大な軍司令部の中の一施設である食堂で行われた。
人数の割合としては入隊式とは対照的に、新入隊員の方が圧倒的に多い。
右を見ても左を見ても、まだ軍に馴染んでいない様子の、明らかな新入りだらけだった。
全員参加という訳ではないのだろう、食堂内には先輩というより上官と呼ぶべきである人間の数は少なかった。
レヴ=ロミナスやその取り巻きの男達と遭遇する心配が無いので、ジュンハクはひと安心する。
今頃彼らは軍服を乱雑に脱ぎ散らかして第一詰め所辺りでだらだらとしているのだろう、というのはジュンハクの想像だった。
「よお。お前、新入りだろ?」
と、横合いからの声。ジュンハクが振り返ると、そこには見知らぬ男の姿があった。手を挙げているのは、挨拶のつもりなのだろう。
歳は僅かばかりジュンハクより上で、身長はジュンハクよりも顔一個分くらい高い。
「そうだけど、それがどうかしたのか?」
何の気無しに返すジュンハク。しかし、目の前の男の表情はその一言で険しいものになった。
「何だよ、俺に何か用事でもあるのか?」
「お、おいおいお前……。上官に対してその口ぶりは無えだろうよ?」
「?」
何かおかしな事を言っただろうか、とジュンハクは自分の言葉を反芻する。だが、おかしな点を発見する事は出来なかった。
ファイネリオン艦長であるアポロの言葉によれば、確かここでの言葉遣いはこれで正しかった筈だ。
「何かおかしいか?……ああ、名前くらい名乗れ、ってか。俺の名前は……」
目の前の男は明らかに気分を害した顔でジュンハクを睨んでくる。生まれつき目つきが悪いのか?と見当違いの疑問を抱くジュンハク。
「てめえ、ふざけてんのか?それとも只のアホなのか?」
「誰がアホだよ。いきなり喧嘩腰になられても困るんだけどさ」
あくまで落ち着いた様子で言葉を放つジュンハクに、男は拳を硬く締める。周囲がにわかにざわめき出す。
血の気の多い奴だな、まさかこんな所で闘り合うつもりなのか?と考えながらそれに応じる姿勢を整えるジュンハク。
「ゲルブ=ギーリヒ中尉!何をしている!」
誰かの名前が呼ばれた。恐らくジュンハクの目の前に居る人物の名前だろう。変な名前だな、と率直な感想を持つジュンハク。
声は女性のものだ。聞き覚えのある声だった。誰の声であるかは、音のした方向を振り向けばすぐに分かった。
「隊長!」
ゲルブと呼ばれた男もジュンハクに遅れて振り返る。その顔には少しの焦りの色が見て取れた。
「隊長、聞いて下さいよ!この新入り――」
「問答無用っ!」
「――ぶがっ!?」
何事かを喋る前に、ゲルブ=ギーリヒは隊長、シュトリーペに側頭部を思い切りぶん殴られた。
二、三メートル程ぶっ飛んで床に身を投げ出す。机等は片付けられているので、それらの角で頭をぶつける事は無かったようだ。
が、本人はもとより周囲の人間までもが思わずうわあ、と動揺する程痛そうなパンチだった。
実際、相当痛かったのだろう。ゲルブという男は床に倒れこんだまま、動く気配が無い。
「え。……え。な、何、何が起きたんだ?」
思わずしどろもどろになるジュンハク。新・機動兵器隊長シュトリーペはにっこり笑顔になってそれに応える。笑顔が逆に怖い。
「ごめんなさいね、部下の躾不足だわ。何処にも怪我は無い?」
「え、ああ、はい、……なんともない、です」
彼にしては珍しく敬語を使う。大の男を二、三メートルも吹っ飛ばすパンチを間近で見せられたら、まあ当然の反応と言えるだろう。
シュトリーペ隊長はジュンハクに対するそれとはがらりと印象を変えた口調で周囲の新人隊員に号を飛ばす。
「あー、新入隊員の諸君!貴様らはこれからこの軍でそれぞれの任務に就く事になる訳だが、勘違いはしないように!
このような馬鹿者が現れた場合には、即刻鉄拳による制裁が加えられるという事を留意する事!以上、解散!」
余りにも強引で無理矢理な締め方で決着させた機動兵器隊長、シュトリーペ。食堂内の空気がぐにゃりと歪んで淀む。
なんとも言えない哀愁を漂わせるずるずるという音を引き連れて、こつこつという硬い足音が出入り口に向かう。
新任隊長の恐ろしさを目の当たりにした隊員達が、黙祷のようにも見える沈黙でそれを見送る。
(……なんか知らんが、気の毒な奴)
ジュンハクも思わず合掌。次に目を開けた時には、目の前にはブラウが立っていた。なんだか複雑そうな表情でジュンを見ている。
「ジュン。僕は君の生き方にあれこれ口出しするつもりは無いんだけどさ、とりあえず、所構わず喧嘩吹っ掛ける癖止めなよ」
「いやいや、どう考えても、先に仕掛けてきたのはあっちだろうが」
「相手の人もお気の毒に。ジュンに関わったばかりにあんな事になるなんて」
「お前は俺の何を見てるんだ?」
友人を思っての一言なのかそれともただ単に馬鹿にしているのか分かりづらい言葉で諭すブラウ。
こういったいざこざが起きる度にブラウとはこんなやり取りを行っているので、今更どうこう言うつもりもないジュンハク。
しかしその手慣れた感が、彼がしょっちゅうこういった出来事に遭遇している証でもあったりするのだが。
「それにしても今の人、凄かったねえ。あの人がジュンの所の隊長さんなんだ」
「ああ、末恐ろしい事にな。俺も気をつけ――、!」
ブラウとの会話中に、何かを見つけたジュンハク。視界の隅を注視すると、そこには昨日出会った少女の姿があった。
「ヴァルツ!」
ジュンハクは思わず会話を中断して、少女の元へと駆け出す。
少女、ヴァルツ=ルナライト中尉はあからさまに不機嫌そうな表情でこちらを睨んでいた。
名前を呼ばれた事が腹立たしいのかそれとも別の原因があるのか。とにかく、ジュンハクは彼女とのコンタクトを図ろうとする。
「名前で呼ぶの、止めなさいよね」
先に会話を始めたのはヴァルツの方だった。
やはり指摘するのはジュンハクが彼女を名前で呼び捨てにした事だが、どうやら他にもまだ何かあるらしい。
「そりゃ悪かったな。今度から気をつけるよ、ヴァルツ中尉」
呼び捨てにするのは止めたジュンハク。
それでも気に入っていない名前で呼ばれた事は不機嫌の一端を担っているのだろうか、ヴァルツの表情は険しい。
「上官に対する態度がなっていないわね。あなたも鉄拳制裁を喰らってくる?」
勘弁してくれ、というニュアンスのジェスチャーで応じるジュンハク。
「隊長から聞いたわ。あなた、どういうつもり?」
何がどういうつもりなのかなど、言葉にしなくても分かりきった事だった。
無論、何故自分をパートナーに選んだのか、という話題なのだろう。なので、ジュンハクはその説明を省略する事にした。
「どういうつもり、とはまた随分な言い方だな。これから肩を並べて戦う『仲間』なんだからさ」
彼の言葉のどこかの部分で、ヴァルツは目を吊り上げ更に強く彼を睨みつける。
余程納得がいかないのだろう、彼女は口を尖らせてより不機嫌である事をアピールしだした。
すると、ジュンハクの後ろの方に居たブラウが心配そうな顔でジュンハクの隣に立った。
「ジュン、また喧嘩?」
素でそう尋ねてきたブラウに対して、ジュンハクは手の平をひらひらと振ってなんでもない、と示した。
「ゲイルローダーのパイロットが二人一組なのは知ってるだろ?だからパートナーを組もう、って言っ――」
「はいはいそりゃ相手も怒るよね」
「――待て、俺の何がいけないんだ!?」
ブラウが現れた事によってぎゃあぎゃあと騒ぎ出した彼らを見て、ヴァルツは思わず頭を抱える。
頭を抱えたまま、彼女はシュトリーペが向かったのと同じ出入り口へと歩き出した。
五歩程進んだ所で、彼女はジュンハクに呼び止められる。
「お、おい待てよ。まだ話してない事が……」
「言わなくても分かっているわ。あなたが馬鹿だって事くらいね」
なんだと、という言葉を喉の奥でぎりぎり押し留めて、ジュンハクは言う。
「死ぬなよ。何があっても、絶対に死ぬんじゃねえぞ」
「……それはこっちの台詞だわ」
振り返りもしないまま応えて、ヴァルツは新入隊員対面式の会場である食堂を後にする。
ジュンハクとブラウの二人はその様子を暫く眺めていたが、そこでジュンハクはブラウの顔が妙ににやけている事に気が付く。
「……何か面白い事でもあったのか?」
「別にぃ?いやぁ、ジュンはやっぱり面白いなぁ、と思ってさぁ?」
やたらと語尾が間延びしていたり意味不明な疑問符が混じっていたりしたが、ジュンハクは大して気にしなかった。
というより。
「よう。生意気な新入りのガキ」
他に対処しなければならない問題が発生した。見れば、そこにはだらしなく前の開いた軍服を着た男、レヴが立っているではないか。
その他にも彼の取り巻きと見える、ごろつき風の男が六人も居た。彼らも軍服を三者三様に着崩している。
厳しい規律に縛られた(筈である)軍の中、ある意味異様とも言える雰囲気を纏った男達の登場に、新入隊員がざわめきだす。
ジュンハクは明らかに気分を害した表情でレヴの顔を見ていた。隣に居るブラウはそんなジュンハクを見て一言。
「……また喧嘩?」
「そんなんじゃねえよ。……ただの喧嘩よりもっと質が悪い」
言いながら、ジュンハクは自然に拳を締めていた。それを見たブラウはただならぬ事態である事に気が付く。
「そう緊張すんなよ。ああ、もしかしてビビッてんのか?」
へらへらと笑うレヴの顔は少し赤い。息もアルコールの成分を含んでいる。
機動兵器隊長交代の儀からまだ一時間程しか経過していないというのに、もう酒が入っているらしい。
この駄目人間め、と心の中で呟いてからジュンハクは応じる。
「脚がふらついてるぜ。なんならドクターでも呼んでこようか?」
「へっ。医者なら間に合ってんだよ。なあ?」
レヴが後ろを振り返ると、彼についてきた六人の男達が頷く。知り合いに医者でも居るのだろうか。
「そうかよ。で、元・機動兵器隊長様が俺達新入りに何の御用で?」
「お前達に忠告しにきた」
別段ふざけた様子も無く、レヴは言う。忠告?ジュンハクをはじめとした多くの新入隊員が眉を寄せ疑問符を浮かべる。
レヴは大仰そうに両腕を開いて、まるで演説を行う君主のように語り始める。
「いいかあ、お前ら!人生の先輩からのアドバイスだ、しっかり聞いとけよお!?まず第一に!この軍を信じるな。ここにいる奴らは皆体の良い言葉ばかり並べてお前らに近付いてくるが、それは罠だ。裏じゃあどんな事を考えているか分かったもんじゃねえ。絶対に信用するんじゃねえぞ」
第二に、という声が聞こえる前に、ジュンハクはレヴに飛び掛かろうとする。が、途中で取り巻きの男達に行動を阻害された。
「てめえ、勝手な事言ってんじゃ……!この、放せっ!」
「騒ぐんじゃねえよ、ガキが。大人しく隊長の話を聞いてろ、ってんだ!」
辛うじて言葉を発するジュンハクだが、レヴの話を止めるには至らない。取り巻きの男達がジュンハクを押さえに掛かる。
隊長、と呼ばれたレヴは一瞬だけ眉を潜めたが、気にせず話を続けた。
「第二に!お前らに下される命令も嘘っぱちだ。死にたくなかったら命令には絶対に従わないように。第三に!お前らが上の連中から守れと言われてるもの、お前らが守ろうとしてるものは全部まやかしだ。特に、『地球を守るんだ』とかっていう馬鹿げた事を言ってる奴は、悪い事は言わねえからとっとと一般人に戻れ。良いな?」
彼の言葉は、右も左も分からない新入隊員達を混乱させるのに十分過ぎる威力を持っていた。
どよどよと、今日入隊したばかりの新入りからはざわめき声が聞こえる。
真に受ける者は殆ど居なかったが、真っ向から否定する材料も持っていない為、完全否定は出来ない。
半信半疑のまま、ただ周りの者と顔を見合わせるのが精一杯だった。
ただ一人ジュンハクだけが、レヴの言葉を否定しようとする。
「事実無根の間違った認識を植えつけるのは止めて頂きましょうか、ロミナス中佐」
だがその声は自分を拘束する男の手と、新たに現れた人物の声によって掻き消された。
この場に居る全員が、声のした方向を振り返る。食堂の出入り口。
そこにはすらりと背の伸びた少年と、彼の部下であると思われる複数の兵士が居た。彼らの手には警棒が握られている。
物々しい雰囲気を纏った兵士達が、すぐさまレヴやその取り巻きの男達を包囲した。訓練された兵士の、迅速な行動だった。
その結果として、ジュンハクの拘束が解除される。
「なんだ、またてめえかよ。毎度毎度計ったようなタイミングで現れやがって」
舌打ちを交えながら、レヴは複数の兵士を引き連れた少年、グリューネに向かって悪態をつく。
「大人しくしていてくれればわざわざ貴方の目の前に現れたりはしませんよ」
「へっ、違いねえ」
グリューネは感情の起伏が感じられない声でその悪態を撥ね退ける。応じるレヴに、大した異論は無いようだ。
連れて行け、というグリューネの一言で、兵士達はレヴや残りの六人を何処かへと誘導する。
彼らが全員食堂から出た後で、グリューネは困惑の最中にある新人達に号令を飛ばす。
「貴様達は何も見なかった!何も聞かなかった!我が軍は太陽系の、ひいてはこの宇宙の絶対的正義である!秩序を乱さず命令に従い、守るべきものを守る。それが我らの使命だ。ゆめゆめ忘れぬように!」
グリューネの言葉で、少しは動揺が収まったようだ。周囲のざわめきが沈静化する。
それを確認する間も無く、グリューネは足早に食堂を後にした。他に何か用事があるのだろう。
拘束が解かれたジュンハクは、思わず隣に立つブラウに話し掛ける。
「……お前の兄貴、やっぱすげえな」
なんの気無しに放った言葉であったが、ブラウからの応答は一歩分程遅れて返ってきた。
「……うん。そう、だね」
「?」
その微妙な間に小さな疑問符を浮かべるジュンハク。何かあったのか、と質問しようとした、その時だった。
『敵機接近!敵機接近!第二種戦闘配備!繰り返す!敵機接近、敵機接近!第二種戦闘配備!』
天井に設置されたランプが赤い光を辺りに撒き散らしながら、けたたましいアラートを鳴らす。
戦闘開始直前の合図。それに合わせて食堂内が再びざわめき始めた。
「総員、持ち場に着け!パイロットは格納庫へ、それ以外の者は我々についてブリッジへ!」
その場に居た上官が指示を飛ばす。突然の出来事に慌てながらも、なんとか命令の内容を理解する新人隊員達。
「ブラウ!」
ジュンハクはブラウの顔を見る。その顔には他の隊員のような迷いは見えなかった。
「分かってる!ジュンこそ気を付けて!」
言って、ブラウは先程指示を飛ばした上官に従って、ブリッジへと駆け出す。
それを見送ってから、ジュンハクも格納庫へと走り出そうとした。
しかし他の新人パイロット達の動きが悪い。混乱していたり、携帯端末で地図と現在位置を確認しようとしている。
ジュンハクは思わず叫んだ。
「格納庫はこっちだ!皆、急ぐぞ!」