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第二章~死なないでね~




第二章~死なないでね~



「……ここは」

 黒。視界を塗り潰す色。黒。少年を塗り潰す色。黒。光の無い色。黒。この宇宙の色。

 宇宙の色だと分かってはいるものの、星の輝きが見られないことから、ここが『この宇宙』ではない事を知る。

 上も下も前も後ろも右も左も無い世界。方角はおろか自分すらも見失ってしまいそうな世界。

 少年はこの光景に見覚えがあった。というより、彼は割合頻繁にこの世界にやってくる事を自覚している。

「……また、同じ夢か」

 そう、ここは少年の夢の世界なのである。彼がぽつりと呟くと、目の前の空間が急激に収縮していくのが分かった。

 無限に広がっていた黒の世界は突如として何者かに囚われ、凝縮されて圧縮されていく。

 外界の視点に立つのであれば、閉じた宇宙のその淵が、まるで空気の抜けたボールのようにしぼんでいく、ようにも見える。

 しかしボールの内容物はどこかに発散していく訳ではなく、逆に、異界から新たな物質を吸収しているかのようである。

 増大する質量。極限の密度。全てが混ざり合い形を失って存在意義が抹消されていく。

 無論少年とて例外ではない。腕も脚も胴体も、魂ですらも、全てが混ざり合った世界に溶け込んでいく。

 暫くの静寂。そもそもこの世界に音というものが存在していたかどうかすら疑わしくなる程の、長い沈黙。そして。

『やあ』

 再び音の生まれた世界で、少年は声を聞く。それは先程までの黒の世界同様、彼にとって聞き慣れた声だった。

 その言葉がきっかけとなったのだろうか、世界には、それまで存在していなかった要素、概念が雪崩のように押し寄せてきた。

 にわかに形を取り戻す世界。しかし、それは少年が良く知った世界とはどこか位相のずれた、異界とも呼べる世界であった。

 入れ物を失った魂が再構築される。やってくるのはしもやけを起こした身体を急激に暖めた時のような、全身を襲う痺れ。

「んで。また『お前』が出てくる訳だ」

 少年は毎度毎度繰り返される予定調和に、溜め息をつきながら応えた。

 目の前に何かが居る訳ではない。目を凝らしてもそこに広がるのは一面の黒だけだ。

 しかし少年は、この空間に居るのかどうかすらも分からない存在の声を聞き、それに反応した。

 人間には見えない周波数の光。人間には聞こえない周波数の音。観測不可能領域。絶対の不可思議。

 それは夢という現象のみが持ちえる稀有で奇妙な特性ではあるが、逆に言えば万人がその不可思議に遭遇しているとも言える。

 そして人々は何の疑問も持たずにそれを受け入れる。それはありふれた不可思議。

『今日は私だけではない』

 少年の見る夢もそういった不可思議の一つだ、と、少なくとも少年はそう考えている。

 何処かに居るその存在が語り掛けてくる、なんていう夢にももはや疑問を抱かなくなっていた。のだが。

「他に誰か居るのか?」

 今日この日に見た夢だけは、何かが少し違っていた。夢の中の自分が、疑問符をぶつける。

 今まで少年の夢に出てきた存在は確か、単体だった筈だ。他の何かを引き連れてくるというのは、初めてだった。

 真っ黒の空間に、真っ黒の人影が現れる。

 相も変わらずそれは見える筈の無い光であったが、何故か少年はそれが人間のシルエットであるという事を理解していた。

 数は八つ。声が聞こえる訳ではないのだが、やけに賑やかになったな、と少年は率直な感想を漏らす。

『と言っても、この内の何人かは既に出会った事のある人物だと思うのだがね』

 言われてみれば、確かに、少年はその人影に見覚えがあった。といっても、それが誰であるのかは一向に思い出せない。

「いつもと違うパターンの夢だな。何かあったのか?」

 少年の問い掛けに、目には見えない存在は唇をにやりと曲げた。明確な根拠は無いが、少年にはそれが分かっていた。

『今日は記念すべき特別な日だからね』

 記念?特別?夢の中の少年はその単語について思案するが、そうこうしている内に、夢の終わりが訪れた。

 視界が白んでいく。閉じた宇宙と、八つの人影と、目には見えない存在が全てその白に飲み込まれていく。

 今回もまた、この夢は少年に謎と疑問を残すだけの、誰もが見るような、意味の無い夢だった。そう、少年は思った。

「……ーい。ジュン?早く起きなよー」

「……ん。ブラウ、か?」

 夢が終わって、現実が始まる。ジュンハクは寝ぼけ眼を何度かこすって、その先に親友であるブラウの姿を発見した。

 見れば、ブラウは既に普段着から軍服に着替えていた。しっかりと整った服が、ジュンハクにこの後の出来事を思い出させた。

「そうか、今日は俺達の入隊式だったな」

「今の今まで忘れてたの?相変わらず時間にルーズなんだからさ、ジュンは」

 わりいわりい、と気の抜けた返事を返して、大きな欠伸をするジュンハク。とりあえずベッドから起き上がる。

「……あれ。トラ……なんとか、って人と何とかールって人は?」

 部屋を見回す。確かこの部屋は四人部屋の筈で、自分達の他にも人間が居た筈だ。ブラウは額に手を当てて呆れながら返す。

「昨日説明したじゃん。トライク少佐とルヴェール少佐。二人は式の準備やら何やら忙しいから、先に部屋を出たんだよ」

 そうなのか、と呟いて、ジュンハクは寝間着を脱いで軍服に手を掛ける。

 その途中でブラウは部屋の出口へ向かって歩き出した。

「僕も急いでるから、先に行ってるね。道は分かるでしょ?」

「ああ。っていうか、迷いようが無えよ」

 そう、じゃあまた、というブラウの声を聞いた後で、ジュンハクは洗面台に向かって歩き始めた。遅れて、ドアの開閉する音。

 何とは無しに、鏡を見る。そこに映っているのは勿論自分の姿。ただ、自分の表情が予定とは少し違っていた。

 鏡の中の自分は、どこか不安げな表情を浮かべていたのだ。

(……何をそんなに心配してるんだ。何も不安な事なんて無いんだ。俺はやっと軍人になれたんだ。父さんや母さんを、地球を守るんだ)

 ぱし!と勢い良く両頬を左右それぞれの手ではたいて自分に喝を入れる。少しだけ元気が出てきた、ように思える。

 それからは手早い動きで軍服に身を包み身だしなみを整えて、部屋を後にする。

 がしゃ、というオートロックの音に見送られ、ジュンハクは入隊式の会場に向けて歩き出した。


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