16、秋(5)
ごくり、と唾を飲み下す。
鍛錬とサウナによりくったくたに茹で上がった青菜のようになった私は、それでも何とかお行儀よく食卓についた。
タウヒの大樹から伐り出した一枚板の大テーブル。そこに、昼餉が並んでいくのをじっと待つ。決して給仕の動きを目で追ったりしてはいけない。そのような物欲しげな所作は、端くれと言えども貴族の令嬢には相応しくないからだ。あとエリスとオルガが恐い。
皿が、そして昼食を共にする人々が揃っていくのをまんじりともせずに待つ。きゃらきゃらと駆けてくる妹たち、彼女らへいつもの小言を口に載せながらオルガとエリス、老師はちょっと腰を曲げ老人ぶった姿勢でゆったりと。最後にお父様が現れ長方形のテーブルの上方、全員を見回せる席につく。
「揃ったかな? では、――森の恵みに感謝を」
「感謝を!」
復唱し逸る気持ちも露わにフォークとナイフを手に取る。
――いっただっきまーす!
* * * * * *
「それでどうかね? この子は。ものになりそうかね?」
「いやはや、なんとも」
迂遠な否定の言葉に、ささやかな溜息が落ちた。
レディらしく会話に口を挟むことはせず、傍目お淑やかに食事を続ける――その実単に目の前の料理に夢中になっているだけの私は、老師とお父様の会話も右から左へ聞き流していた。この肉うめぇわ。
「おとうさま、わたしもやりたい!」
フィーネリアが棍棒のような肉を振り上げて主張する。原始人か。
我がナイスミドル紳士お父様はちょっと眉をひそめ、ごく穏やかな声で妹の蛮行を窘めた。
妹の向かい側では、弟が棍棒肉にかぶりつき、小さな口で懸命に骨から肉を引き剥がそうとしていた。しかし幼い子どもの力ではなかなかな難事だったらしい。何度か挑戦し、肉に口をつけたままもごもごと咀嚼し、やがて諦めたのか皿の上に戻すと、目の前の肉に悲しげな視線を注いでいた。いや、もうちょっと頑張ろうよ、もうちょっとだから。
食卓に付いているのは、私、フィーネリア、アストリア、お父様と老師だけ。オルガとエリスは給仕として控えている。本当は給仕なんて要らないんだけどね。
フィーネリアとアストリアのマナーがなっていないのは、ある程度仕方なかった。彼らはまだ、ナイフとフォークの使い方を習っていない。
そもそもこの辺りの習慣として、汁物以外は基本手づかみで食べる。多分うちの領だけじゃなくて辺境の田舎はどこもこんなもんだと思うけど、だから王都なんかのちょっとおハイソな店で手づかみなんてした日にゃ「どこの田舎者だ」ーって言われちゃう。
私は次期領主だし、子どもの内から王宮に顔を出すこともあるだろうってんで結構早くから“宮廷式”食事方法の訓練を受けていた。その甲斐あって、今じゃほれこの通り。棍棒肉もナイフとフォークのみでこんなに綺麗に、つまり余すところ無く片付けられるようになりました! 骨にひっついてる辺りが美味いんだ。
「フィーネリア、お前には今、他にやるべきことが有るだろう? まずはそちらを片付けてからにしなさい」
「……はーい」
妹は、不承不承といった体で引き下がり、手に掴んだままの肉に噛み付き、喰いちぎった。首の動きに合わせて天使の輪も見事な銀髪がふわりと翻る。そしてそれをキャンバスに飛び散る肉汁。
原始人や。原始人の天使がおる……。
次の肉に取り掛かった私の傍らに音もなく忍び寄り、グラスに水を注いだのはエリスだ。忍びすぎて時々本気でびっくりするけど、びっくりした顔をすると怒られる。
オルガとエリスが給仕をしているのもマナー訓練の一環だ。基本うちの料理って大皿にどーん! と盛って好きなだけ自分でとって食べる形式だから給仕も不要なんだけど、給仕がいるような場面で狼狽えないように、って。
たぶんもう少ししたらワインに慣れる訓練も始まると思う……おお嫌だ。王都は水が悪いから、食事に伴う飲み物は大概お酒だ。私、食事とお酒一緒にするのあんまり好きじゃないんだよなぁ、ご飯の味がよく分からなくなるというか。
あーワルトが地下水豊富な土地で良かったー! エトワルト山さまさまである。
「それにしても、そうか、グリューネはだめか……」
「エリス嬢、ミミュウ嬢はなかなかの才を見せておりますよ。周囲の者に力があるのなら、お嬢様ご自身が無理をする必要もありますまい」
人には向き不向きというものがありますのでな。そのダメ押しに、お父様は冷蔵庫の奥に忘れられた青菜のように、しおしおと肩を落とした。その悲しげな様子は、アストリアとよく似ている。あ、この肉もうめぇわ。
お父様が娘に自衛の力を持たせようとするのにはわけがあって、そもそもはワルトの自治に端を発する話だ。
一応こんな田舎で平和なワルトの領主街でも、喧嘩や犯罪、揉め事は皆無ではない。向こうと違ってこっちには警察なんてものは無いわけで、じゃあ誰がそれを取り締まるかというと、普通は領家の私兵が領主にその役を任じられる。
――が、ワルトは国から私兵の保有を禁じられていた。
代わりにワルトには国から派遣された兵士たちが常駐しており、彼らが治安維持その他を行ってくれている。
一応領主であるお父様に指揮権は与えられているけど、やっぱりお役人のようなものだし、国とお父様の命令と、彼らがどちらを優先するかは想像するまでもなく。
……なのにお給料はワルト持ちなんだよ……さすがお上汚い、さすが汚い。
ってわけで国の有事その他諸々の事情で彼らが不在の際には、領主館と領務館の人間がその役を務めなくてはならない。時には継児が先頭に立つこともあるだろう。――と、お父様がお考えになったのかは定かじゃないけど、うちの使用人たちは老師に訓練を受けていて、私も今年からそれに混じることになった。
しかし、フィーネリアを見習ってこの美味しい手羽先肉を振り上げても私は言いたい。
いい迷惑である!
* * * * * *
昼食後自室にて、お腹いっぱい食べ過ぎてうつらうつらしていた私を急き立てるが如く、エリスが今日の予定を読み上げる。
「食休み十五分挟みまして、歴史が一時間、十分休憩の後、ダンスの練習二時間、十分休憩の後、貴血系譜の暗唱三十分、続けて詩歌の……」
待って待って待って! ちょお待って! 何か詰まってるんですけど!? すごいスケジュール詰まってるんですけど!?!?
エリスの朗々たる声が何よりの目覚ましとなって、私は瞼をかっ開いた。
なに? なんでなんで? なんでそうなったの?? エリス怒ってる? 怒ってるの??
怒りを買った覚えは無くとも前科だけはありまくりの私は、言葉も出せずに怯え混じりの眼で必死にエリスを見上げる。
低めのよく通る声で地獄のスケジュールを諳んじていた美少女は、暫くの後、小さく息を吐いてこちらを見下ろした。
「いいですかお嬢様、そろそろ冬支度の準備が始まる時期です。家庭教師の先生方もご実家や王都にお帰りなります。本格的に冬入りとなれば、お勉強は完全に止まってしまいますから、今のうちに出来るだけ進めておかなくてはならないのです」
ぐうの音も出ないほどの正論である。しかし私には愛するお昼寝の時間を何としても守るという使命があり、そのためには淑女のプライドもかなぐり捨てみっともなく食い下がる所存。
「ぇ~……、その、先生方には、冬の間も当家にお泊り頂いて……」
エリスがちょいっと片眉を上げる。
「冬の間? ずっとですか? ただでさえワルトの冬は長いというのに、その間中ずっと?
この、冬期は雪に閉ざされ、人の行き来も殆ど無い退屈でつまらない冗長なド田舎の冬に?」
あんた人の故郷をなんだと思ってんだ! その通りですけど!!
* * *
うっうっ……ひどい、田舎だっていいじゃない。雪しか無いんだから仕方ないじゃない……。
最も身近で忠実と信じていた家臣からの謂れ無き中傷に、この繊細なお嬢ハートが受けたショックの余り、私は気付いたらダンスの授業を抜け出していた。なんということでしょう。
午後も訓練に使用されている中庭(女体から発せられているとは思えぬような雄叫びに満ちていた)を迂回し、屋敷を出る。雄叫びが上がるごとにちょっとだけ震えたのは秘密だ……。
さてどうしよう、森に美味しいものでも探しに行こうか。
そう言えばこの間、畜舎番のカールが仔羊が生まれたって言ってたっけ……見に行ってみようか。
豊かに広がる牧草地をぶらぶらと歩いていたら『ケェーーッ!』と怪鳥の鳴き声が聞こえた。……そう言えばフィーネリアの“ワルどりのおうちけいかく”はどうなったんだっけ。
どことなく気が進まないながらも、私は、遠くに見える囲いの方へ足を向けた。
* * *
「ゴッゴッゴッ……」
「ゴゲッ」
「ゴゴ、ゴケッ」
「ゲーーーッ!!」
うわぁ……。
「来るんじゃなかった……」
目に映る光景は、どことなく地獄の釜の様相を呈していた。
円い柵の外側に、死相を浮かべ膝を抱えて座ったまま、頭をワル鳥につつかれている男性は、鬼に折檻を受ける餓鬼の如く。
顔を涙と鼻水と鼻血濡れにして、地面に散らばった木の実を必死にかき集め、集めた傍からワル鳥に蹴り飛ばされている弟は、賽の河原で石を積み上げ続ける罪子の如く。
そうして一際大きなワル鳥の背に仁王立ち、「ケェーーッ!」っと怪鳥の鳴き声を上げている我が妹は、鬼の獄卒長の如く。
――ここははじまりの村ですか?
――いいえ魔王城のフモト村です。
それぐらい状況が把握できない。だめだもう全然分からん。
棒立ちの私に気付いたのか、金色の頭がはっと上がった。相好を崩し弟はこけつまろびつしながら駆けてくる。そしてその後ろから追ってくるワル鳥。
ぐしゃぐしゃな顔で腰に抱きついてきたアストリアをそのまま、ふくらはぎにギリリと力を入れて土を踏みしめ、息を吸い……
「キエエーッ!!」
意気揚々と走ってきたワル鳥は、私の喝声に驚き急停止……しきれずに転けてしばらくじたばたした後、ゴケゴケとどこか決まり悪そうに鳴きながら去っていった。
ふっ、ざまあみさらせ。人の可愛い弟をいじめるからじゃ。
安心したのか、アストリアの顔面が崩壊した。顔から液体という液体を垂れ流し、それは私の服に吸い込まれていく。
……お、弟よ……出来ればお手柔らかにお願いします……姉は服を汚すといつも侍女たちにすごく怒られています……。
自分の顔よりも大きな染みを姉のスカートに作ってもまだアストリアは泣き止まず、仕方なしに私は弟を腰にひっつけたまま移動する。とりあえず状況を把握しないと。
しかし、お、重い……。
柵のそばのワル鳥を一喝して追い払い、頭をつつかれていた幽鬼面の男性に事情を訊く。
彼はワル鳥のお世話係としてフィーネリアに付けられた使用人の一人で、今日はフィーネリアの思いつきでワル鳥のお家……この柵に天幕を張る作業をしていたそうな。
……天幕?
銀髪紫目の原始人天使こと我が妹によれば、『雨よけのために屋根が必要だよね! でもひなたぼっこもしたいよね!』ってことで、円形の柵の半分ほどを天幕で覆うことにしたのだとか。
見れば、柵の外側にそれより高い梁を何本か立て、その間に布……の残骸のようなものが垂れ下がっている。たぶんあれが天幕……にしようとしたものなんだろうけど、彼の言うことには、天幕を張った瞬間、ワル鳥たちがお互いの背中を足場にして蹴っ飛ばしながら羽ばたき、天幕まで舞い上がったかと思うと、グワシと掴んで天幕の上に降り立ちそのまま柵を跳び越えていったそうな。
おいおい……ちょっとー。
そしてその様を目撃していたフィーネリアは狂喜乱舞。逆に柵をよじ登って中に入り、ボスワル鳥の背中でテンション最高潮、彼とアストリアはワル鳥たちにド突き回されるはめになった、……と。
なるほど、分からん。
分からんが、分からないということが分かった。どうして天幕は越えられるのに、柵は越えようとしないのか、とか。ワル鳥の生態について、私たちはほとんど何も知らないということが。
これはあれだな、詳しい人連れて来ないとダメだな……。
私は事態の集収にかかる労力と、侍女たちに貰うであろうお小言について考えを巡らせ、青空に向かって溜め息をついたのだった。




