13、秋(2)
領務館を出て一路穀物庫へ。私たち三人は馬車中の人となった。
「お嬢様、クッションをどうぞ。さぞやお疲れでしょう、わたしたちのことは気になさらず横におなり下さい」
「あり……」
「いけません、はしたない!」
「お嬢様、喉は渇いていらっしゃいませんか? このジュリオ、ポットにキール茶とお嬢様のために焼き菓子をいくつか焼いて参りました。どうぞお召しあがり下さい」
「いた……」
「いけません、だらしない!!」
…………。
バチバチと、またもや目の前で静かな火花が散る。
甘い誘惑を差し出すジュリオ、すかさず叩き潰すエリス、という図が先ほどから繰り返されていた。この二人、仲悪いなぁ……。
いや、仲悪いと言うよりは、エリスがジュリオに対してピリピリしている感じ。まるでお嬢様を甘やかすなとでも言いたげに、ジュリオの言動にいちいち過剰反応して…………あれっ、ひょっとして私が悪い……? ジュリオの誘いに乗って怠けようとするから……いや、しないよ! ジュリオの気遣いはありがたいけど、エリスに怒られるの分かってるし。 しないよ! 眠いけど。 ほんとだよ! そろそろおやつの時間だけど。 分かってるから!
だから、そんなにお互い牽制しあわなくても……。
睨み合いはしないものの、逆毛を立てた猫のごとく決して歩み寄ろうとしない二人。
穀物庫まで馬車で十分弱とは言え、この空気はちょっと気まずい。見目麗しく若い男女が並んでいて、何故こんな刺々しい展開になるんだ。普通はお互いひと目会ったその日から恋の花咲くこともあるんじゃないの? 何なの? このキャットファイト開始直前のような緊張感。
村長たちに続いて喧嘩なんて勘弁してほしいなあ、非生産的だよ。どうせならもっと生産的なこと、例えば……
「恋に落ちればいいのに」
「「落ちません!」」
期せずして声が揃ったことが屈辱だったのか、エリスは唇を噛みジュリオは眉間に皺を寄せた。
……お似合いのカップルだと思うんだけど……。
ジュリオは黒目黒髪の禁欲的な雰囲気漂う美青年だし、エリスはエリスで水晶のような美貌を持つ美少女だ。ただ二人並んでいるだけで目の保養になるはずなのに。
「お嬢様、よ」
「だめです!!」
飛び散る火花。思わず二人から目を逸らしてしまう私。さ、触らぬ神に祟りなし。
馬車はかっぽかっぽと進む。
私は、険悪な空気からの逃避を求め、窓の外へ視線を移した。
領務館を中央に据えるここ、領主街は、周囲をぐるりと石垣に囲まれた物々しさとは対照的に、牧歌的なのんびりとした街だ。
王都のように世話しなく行き交う人並みも汗を散らしながら駆けていく馬車の姿も無い。それでも一年で一番忙しい時期とあって、いつもより人通りは多い。
ずぅっと向こうまで伸びる灰色の石畳は密かな自慢だ。全ての道が石敷きの街ってなかなか無いんですぞ、えっへん。……まあ、うちの領でもここだけなんですけどね……。
大通りの両側には様々な品物の露天が立ち並んでいる。ふいに店のおばさんと目があった。カブの束をふくよかな手に掴んだまま、ぶんぶん腕を振ってくれる。いい笑顔だ。さすがに馬車の中で同じことは出来ないので、微笑みながら小さく手を振り返す。
「マルタですね」
ちらりと外を見遣ってエリスが呟いた。
「館に野菜を卸している人ですよ。お嬢様はご存知ないかも知れませんが、領主館に出入りしていますからお嬢様の顔をどこかで見かけて知っていたのでしょう」
「あのような人間を出入りさせて大丈夫なのか? お嬢様方にもしものことがあったら……」
混ぜっ返され、エリスの眦は吊り上がった。
「出入りの人選は特に厳しく行なっています! 貴方の勤めは領務方でしょう、領主館のことに口出ししないで頂きたい!」
「したくなくとも、せざるを得まい? お嬢様たちの安全が脅かされる危険があると知ってはな」
「なんですって?!」
ふ、二人ともよく喋るなあ……うん、何かうちの使用人って主人の前でもよく喋るわ……。
家によって使用人の扱いというものは大きく違う。家具のように常に押し黙るのをよしとする家もあれば、家族のように気安い関係を許す家も(滅多にないけど、たまに)ある。うちは多分、比較的緩い方だと思う。
けど、それにしたって、あの、一応主人の前で喧嘩おっぱじめる使用人ってどうなのこれ……。いや厳密には二人の主はお父様で私じゃないわけだけど。
これは多分私に威厳が無いせいですね。なめられてますね、私。
ここはいっちょお嬢様の威厳ってやつを見せつけてやらねば! と頬を引き締め力を入れた途端、
「ぐう」
お腹が鳴った……。色々台なしじゃないですか……もうやだ……。
呆けたような表情でこちらを見る使用人たちから私はさっと視線を逸らした。何故かあれだけ白熱していた言い争いは止まっている。
ちょっとおお! 何でそこで止めるの! 言い争っててよ沈黙が辛いじゃない……!
「……帰ったら、ジュリオさんの焼菓子を頂きましょうか」
エリスの微妙に労りを含んだような言葉が空きっ腹に刺さる。
私はままならないKY腹を抱え無言で頷いた。
馬車がゆっくりと止まったのは、白い建物の前だった。
この街の建物は、薄黄色いレンガ造りに三角屋根が一般的だ。同じ三角屋根でもこの辺で白い壁の建物は倉庫だけなので分かり易い。
「おお、これはこれは、グリーヴ様! また一段とお美しくなられて!」
ジュリオに支えられ馬車から降りると、でっぷりと太った男性が満面に笑みを浮かべこちらに近づいてきた。一瞬前まで鷹のような目付きで帳面を睨みつけていたのが嘘のように、三日月型の瞳を頬の脂肪に埋めている。
「お久しぶりです、ボニファーツさん。お元気でしたか?」
この口から先に生まれてきたようなおっさんは、アレンス商会の商会長で、納税の時期になるとワルトにやって来る。
うちの国は現在、貨幣制度浸透の完遂を推し進めている。その一環として、国への納税は貨幣で行う決まりだ。王都や領主街、だいたいの大きな街では貨幣での売買が一般的になっているけど、辺境の小さな村ではまだまだ物々交換が主流だ。
で、そういう“田舎の寒村”を数多く抱えるワルトは貨幣での税徴収が難しく、領民には税を麦かチーズで納めて貰ってる。それらはこの領主街に集められ、アレンス商会に一括で買い取って貰う形で換金し、国へと納めているのだ。
「どうです、今年の出来は」
「チーズはだいぶ宜しいですな。麦は少々粒が小さいようで」
後ろにジュリオとセリスを付き従え、ボニファーツと肩を並べて倉庫の中へ足を進める。
薄暗いその中には、黄色の塔と茶色の塔が静かな迫力を持って屹立していた。うず高く積み上げられたチーズと麻袋に詰まった麦だ。ひんやりした空気に麦穂の香りとチーズ独特の発酵臭が混じり合い、倉庫の中は、何とも言えない匂いに満ちていた。
ボニファーツの説明を右から左へ聞き流しながら、実際手にとって確かめてみる。
麦はそう言われれば確かに小さめに思えるけど……こんなもんじゃないか? 今年は特に日照不足ということも無かったろうし、この袋の粒がたまたま小さかったのか、それとも。
次にチーズを軽く叩き、一箇所、外から中央に向かってナイフを入れられた面にじっと目を凝らす。……うん、色も白いしみっしり詰まっていて良い出来だ。
ジュリオがすっとチーズにナイフを入れた。ハンカチの上に載せられ差し出されたそれを口に含むと、癖のある発酵臭が鼻孔を通り抜ける。次いで、きつい塩気と濃厚な旨み、僅かにまろい甘みが、唾液に溶け味蕾に広がっていった。
うん、美味い。典型的なワルトチーズの上物だ。今年は特に出来が良いかもしれない。
さて。
私は、緩慢な動作でボニファーツに向き直った。
「……そう言えば、お聞きしましたよ」
脳裏で戦いのゴングが鳴り響く。
私は彼におっとりと微笑んで見せた。
「アレンス商会、王都の一等地に店を構えたそうですね。おめでとうございます」
「いやいやいや、これも皆様方のおかげですわ。ありがたいことです」
一見何てこと無い世間話に思えるこの会話。しかしこれは、軽い先制ジョブの交わし合いに他ならない。
「ボニファーツ・アレンスの辣腕これに、といったところでしょうか。随分繁盛しているそうで、噂はこの街まで聞こえてきますよ」
訳:おうおうボニ公、なんやアレンス屋も景気エエらしいやないか。ぶっちゃけ儲けてまんのやろ?
「いやいやグリーヴ様のお耳の早いこと恐れ入りますな。おかげ様で王都の皆々様にはご贔屓にして頂いております」
訳:なんやねん耳汚い小娘が。なんやワイに文句あるんかワレ。
「うちのチーズもそこで販売していると聞きましたが」
訳:ええやろ、うちとこのチーちゃん。
「ええ、それはもう大評判でございますよ。さすがは豊穣の神の恩恵を受けたワルトのチーズと、商会内でも口に上らない日は無いという評判ぶりで」
訳:なんや。なんやねん。
「まあ、嬉しい。チーズはうちの自慢ですもの。もっとたくさんの、……様々な土地の方にこの良さを知って貰いたいと、最近私も思ってるんですよ」
訳:おーまーえーんんとーこーとー、べーつーんとこにー、取ー引ーいれよかな~どしよかな~
「おやおや。これはこれは。ワルトも安泰ですな、これほど領地想いのお次様がいらっしゃるのですから。是非アレンス商会とも末長いお付き合いをお願いしたいところです」
訳:このババ小娘が。やれるもんならやってみぃやあ。
「それは勿論。ワルトの発展には、アレンス商会そしてボニファーツ・アレンスは欠かせないものですもの」
訳:勉強しろや。
「ホッホッホッ。いやいや、これは参りましたなあ」
訳:なんやてワレ。
「うふふ、本当に。私、心からそう思ってますのよ」
訳:勉強しろや。
「ホッホッホッ。褒めても何も出ませんぞ?」
訳:なんやとコラ。
「うふふ、嫌だわ、ボニファーツさんたら。ご冗談ばかり」
訳:勉強しろや。
「ホッホッホッ。グリーヴ様こそ、ご冗談がお好きですな」
訳:いい加減にしろやワレ。
「うふふ」
「ホッホッホッ」
使用人二人は直立不動。入り口を背にしたその表情は影となって見えない。
一歩外に踏み出せば、そこは明るい日が差し忙しく立ち働く人々の喧騒に満ちた街の中。
「うふふふ」
「ホッホッホッホッ」
薄暗い倉庫内に、どこか不穏な響きの笑い声だけが響いていた。
・
・
・
「全く、グリーヴ様には敵いませんなあ」
……勝った!
とは、思わない。
当初提示された金額よりもそれなりに上乗せされた値での買取が決定したけど、たぶん向こうにしたら想定の範囲内なんだろう。初めからその値段を提示することも出来たけど、あんまり最初から甘い顔を見せるとこちらが付け上がるかもしれないし、安く買取出来たらラッキー、といったところだろうか。
だいたい数年前から交渉ごとの勉強をし始めたばかりの小娘が、もう何十年もこの道でやっている商人を負かせるとは思えない。この値段を落とし所に「させられた」というのが真実かな。
「ふふ、ごめんなさい。ボニファーツさんはお優しいから、つい甘えてしまって」
「おやおや。そう言って下さるのはグリーヴ様だけですよ。私なんぞ、家に帰れば妻にはロクデナシと罵られ従業員からは邪魔者扱いですわ」
「まあ」
やたら中身の無い、上滑りする会話を交わしながら連れ立って外に出る。眩しい。
「そうそう、ご注文の品が届いておりますよ。後で屋敷の方に届けさせます」
手で日差しを遮ったまま私は彼に微笑みを向けた。
それからボニファーツに辞去を告げ、私たちは馬車に乗り込んだ。
「あとはもう無い?」
「はい、お疲れ様でした」
走り出した馬車の中で予定を確認し、小さく息をつく。
あーーー疲れた。合わない相手との緊張する会話は気を遣う。
正直言って、私はボニファーツが好きではない。ボニファーツ個人が、と言うよりはアレンス商会が、だけど。
アレンス商会は裏でシルトーの商人たちと繋がっている。シルトー商業連合は、商売を始めようという人間に資金提供を行う代わりに、一定の上納金を納めさせる仕組みを作った。あっちで言うフランチャイズに近いかな。シルトー側は「金銭の授受はあるが、その他の関わりは全くない、自由で公平な商業活動を支援するシステム」って言ってるけどそんなの建前も建前だって子どもだって分かるだろう。シルトーの商人は、このやり方で、色んな国に着々と“子分”を増やしている。
陰謀論は好きじゃないけど、前世で勤めてた会社が外資のファンドにM&Aを仕掛けられすっごいゴタゴタしたことがあって、ファンドの大元を調べたら某世界的財閥だったってことがあり、私はそういう国をまたいだ商人たちの族閥というものが嫌いだ。
ならアレンス商会との取引をやめて、シルトーの息がかかっていない商会を相手にすれば良いかと言えば、そこに「義理」と「しがらみ」がある限り、そう簡単にいくわけもなく。
若い時はとかく敬遠がちで軽視しがちだけど、人と金銭のやりとりが長く続けばどうしてもこれらはついて回るし、悪い面ばかりでもない。
例えば、どれだけ作物の出来が良く他商会の方がずっと高値で買取している時でもうちはアレンス商会と取引をする。その代わり、不作で厳しい時には配慮しますよ持ちつ持たれつですから、となるわけだ。
まあそういうことが出来るのも、アレンス商会が母体にシルトー商業連合を持つ、体力のある店だからだ。
他商会と競合させたらワルトの商業発展になるし買取額UPでウハウハかなーと一瞬考えたこともあったけど、何せ取引額が大きいから、代わりの相手もなかなかいないし。
不義理、と言うか不誠実な真似はやめようと思った。
正直者は馬鹿をみる、という言葉がある。確かにそういうこともあるだろう。だけど、人が人と関わり生きていくなら、不誠実な行いは必ず自分に返って来る。それは、余り長くない社会人生活の中でも感じたことだった。
あと正直もう面倒くさい。
そんなことまでやってたら昼寝の時間がなくなる。
ボニファーツ・アレンスもアレンス商会もシルトー商業連合も気に食わないけど、適当に折り合いつけてやってくのが現状一番面倒がない。
ボニファーツだって、私が自分に良い感情を持ってないことぐらい気付いてるだろう。
強かな商人は、物と人と時勢を見る。
どんな微笑を繕って表面上は友好的に接していても小娘の猫被りなんてお見通しだと思う。だけど彼は表立っては決してそれを表さないし、私もそうあるように気をつけている。
「も~う、ダーリンらぶらぶ(はぁと)、チュッチュ!」そういう気持ちで接しろ、相手を彼氏だと思い込め、と、昔、営業職の友人が嫌いな相手と仕事をする際のアドバイスをくれた。
それを思い出し、最初ちょっとだけ頑張ってみたけど無理だった。早々に諦めた。なので、今はせめて「交渉の練習をさせてくれてありがとう」という気持ちで接するようにしている。
人の好悪は自分の想像以上に滲み出てしまうものだ。
気をつけなくては、と、ボニファーツに会った後は毎回気持ちを改める。
「それではお嬢様、ここで失礼致します。後日、是非茶と菓子の感想をお聞かせ下さい」
そう言って、執事服の青年はエリスにバスケットを託し去って行った。
一度領務館の前で停まりジュリオを降ろした後、御者は街の外へ馬を走らせた。
やや陰りを見せ始める陽の下、馬車は街門をくぐり、傾斜のある丘の道をゆっくりと登っていく。
丘の上には、皆が暮らす家、領主館が静かに私たちの帰りを待っていた。
関西圏だと、安くする・まけるという意味で「勉強する」という言葉を使うことがあります。
今回の場合は高く買ってもらうのが目的なので「高く買えやぁ」的な意味で「勉強しろやぁ」という言い回しをしています。
例)おばちゃんと店員
お「なんやこれエライ高いなあ。お兄ちゃんもうちょい何とかならへんの?」
店「この値段でギリギリ勉強させてもろてます!」
お「ほんならあっちのアレも一緒にこうたるわ。男気見してや~」
店「ほんまもーしわけないです、勘弁したって下さい」
お「あれっこんなところにジョー◯・クルーニーが!」
店「……」
お「ブラッ◯・ピットがこんなところで店員やってはるなんておばちゃん知らんかったわ!」
店「…分かりました分かりました!赤字覚悟で勉強させてもらいます!!」
お「おおきにな~彦摩呂ちゃん!飴ちゃん食べるかー?」