12、秋(1)
ププロフも 裸足で逃げ出す 季節かな (字余り)
ってね。
昔の人曰く、秋という季節はそれほどに忙しいということだ。お手伝い妖精のププロフが、大事な大事な、宝物の靴を脱ぎ捨てて逃げるほど。
お手伝い妖精と言えば、こちらの世界では割りとメジャーな妖精で(あ、もちろん妖精は架空の生物ね)地域によって姿形や名前は違うけど、本や伝承にも頻出する身近な存在だ。
ワルトのお手伝い妖精はプフロフと呼ばれていて、蜘蛛の糸で編んだ靴を履いており、夜キャップ一杯のミルクを窓辺に置いておくと寝てる間に仕事を手伝ってくれるそうな。メルヒェン!
そのお話をお母様から聞いたとき、私の胸は密かに高鳴った。小さな容れ物と少量のミルクをせがんでエリスに何とも言えない眼差しを向けられながら、それを窓辺に置いてわくわくしながら眠りについた。
そして翌朝。
何と、信じられないことにミルクは空っぽ! お手伝いを頼もうと思って一緒に窓辺に置いておいた刺繍は一針も進んでいなかったけど、そんなこと全然問題じゃない。
すぐ隣にある不思議、異界の気配にテンションあがりまくった私は、連夜窓辺にミルクをお見舞いし毎朝空っぽになった器を眺めては悦に浸っていた。
そしてあるとき、「グリューネはプフロフがとっても好きなのねぇ」とお母様が御本を下さった。それは書籍蒐集が趣味だった曾お祖父様のコレクションの一冊で、伝承や伝説上の生き物について挿絵付きで纏められた本だった。
私ははしゃいで礼を言い、一目散にプフロフのページを開いて――――
それ以来、窓辺にミルクを置くのをやめた。
……だって……挿絵がすごくキモかったんだもの…………。
三角帽子のフェアリーな小人さん♪を想像していたお花畑頭には、何かブツブツがいっぱいついた鶏ガラがギチギチ歯を鳴らしながら部屋を四つん這いで這いずり回る図は、衝撃的すぎた……。
背中のブツブツはしつこい油汚れを落とすためのものだし、噛み合わないギザギザの歯列は布や糸を裁断するためのもの、鋭く細長い手指は針代わりだって書いてあったけど、すんません、無理です。
プフロフキモカワイクナイ、キモコワイ……。
そういうわけで“プフロフ離れ”をした私が、再びその名前を思い出すことになるのは、しばらく経ってからのことだった。
それは、自分と同じように誰かからプフロフの話を聞いたフィーネリアとアストリアが、窓辺にミルクを用意しているのを目にしたとき。
当時私たちは同じ部屋で一緒に寝ていた。いつもは早起きの子ども二人が、プフロフが働いているところを見るんだと前日に夜更かしした結果、私が一番最初に起床したのは必然だったのか何なのか。
二人を起こさないよう、足音を忍ばせて窓辺に寄った私が見たものは、――――朝日を受け燦然と輝く白い水面。1mlも減っていないミルク、だった。
何度か瞬きしても、厳然としてそこにある牛の乳。隣に置かれた子ども用の黒板とチョークも昨夜から微動だにしていない。添えられた小さな花の指輪はしおれてしまっていた。
そういえば書き取りの宿題が出たようなことをフィーネリアが言ってたっけ。アストリアは花で輪っかを作り“妖精さんに王冠をあげる”と嬉しそうにしていた。
………………がっかりするだろうなぁ、二人とも……。
もう一度、ミルクと黒板と花を順繰りに見て――私は、小さなグラスの中身を口の中へ放り込んだ。それから花を寝間着の袖口に隠し、黒板に小さい小さいよれよれの文字(かどうか判別出来ないくらいの)を一文字だけ記して、また寝台に潜り込んだ。
その後本当に寝入ってしまって、二人が妖精の軌跡を認める瞬間を目にすることは出来なかったけど、二度寝から起きた私に、幼い妹と弟は興奮冷めやらぬまま競って報告してくれたのだ。“プフロフが来た!”って。何かちょっとエリスの視線が痛かったけど……
りんごのようなほっぺ、キラキラした瞳。そんな二人を見て、それで分かったんだ。ああ、こういうことだったのかって。
私のときは、お母様かお父様か、それともエリスかな?
夢から醒めてしまったような残念な気持ちと、“お手伝い妖精”を本物にしてくれた人がいたという温かさが胸の中で混じり合って、寂しいような嬉しいような……大人になるってこういうことかと思いかけ、中身はとっくに大人だったことを思い返して苦笑が零れた。
それからしばらく“プフロフ”のことは忘れていたんだけど、今になってまた思い出したのは、この忙しなさのせいだ。
秋って、本当に忙しい。
「やだぁ、子猫ちゃんったら何考えてるのぉ?」
妙にアップダウンの激しい声音に、私は我知らず逸らしていた視線を戻した。執務机を挟み、対面する相手方へ。
「もぉぉ、アタシと話してるトキはアタシのことだけ見ててよぉ、ひどい人っ。 アタシのこと焦らしてるのね? いけずぅ!」
「…………失礼」
うっかり思わず目を伏せると、質量を伴った体温が間近に迫った。仰け反る私も意に介さず、相手は机に手をつき身を乗り出す。
「やだやだ、何それぇ! 焦らさないでよぉ、アタシ我慢できなくなっちゃうじゃない!」
酷い酷いと身を捩り私を罵るこの人は、カロリーヌ・ヴォルツマン(仮名)さん。年は永遠の二十代、うちの領の“同性愛者村”の村長1をやっておられる、大変むくつけき、体格の良い、端的に表すればムッキムキスキンヘッドの厳しい眉モジャのおっさんだ。
因みに心は女性なので、彼……女のこれに、色っぽい意味はない。彼……女は鍛冶師兼宝飾職人であり、王都のギルドではそれなりの地位に居た方だ。“アタシ……もう自分を偽れない!”とか何とか言って都を飛び出し、噂を頼りにうちの“同性愛者村”に辿り着いたと思ったら気付けば村長になっていた。
どうも彼……女は、私の瞳の色を気に入っているらしく、見ていると“(創作意欲を)我慢できなくなっちゃう!”らしい。
「おい、いい加減にしろ!」
制止の声と共に、男くさい顔がぐっと引き戻される。
「あン! 何すんのよぉ、この不細工!」
「お嬢様に失礼だろう。貴様、何しにここへ来たのだ」
カロリーヌさんの襟首を引っ掴んだまま、眉剃り跡の青さも凛々しく柳眉をキリリと釣り上げたのは、アガット・アレンスさん。“同性愛者村”の村長その2を務める、心は男性、体は女性という人だ。
“同性愛者村”――ボルスタン村は、書類上一つの村になってるけど、実態はそうではない。住民は全員同性愛者だが、同じ村に男性の同性愛者と女性の同性愛者がいて一つに纏まるわけがない。
しかもややこしいことに、同性愛者と言っても様々で、村長二人のように体と心の性別が逆で恋愛指向は異性愛の住人、心体の性別は同じで同性愛指向の住人、心体の性別は逆だが同性愛指向の住人とおり、その中でも異性を激しく憎むタイプの人間と同性を憎むタイプの人間がいて、その同性異性という括りも心の性のことを言う人もいれば体の性を指して言う人もいて、もう……私は何がなんだか…………。
とりあえず今は一つの村の中で居住区を分け、それぞれに村長を立てて普段は相互不干渉を貫くことで上手くやっているようだ。
「だいたい貴様、村の代表としての自覚が足りないのではないか? 貴様の珍奇な言動一つで村の立場が危うくなることもあるというのが何故分からん!」
「な~にぃ? フン、カリカリしちゃってさぁ、欲求不満なんじゃないのぉ?」
「貴様!」
「きゃぁ、こわいぃんっ。グリーヴ様たすけてぇ、アタシ犯されちゃうぅ~!」
「冗談はその面相だけにしておけよ、この肉樽野郎!」
「あ? 今何て言った?」
……上手く……やっている……ようだ……?
止まらない口論、ヒートアップしていく声量。ほんとにお前ら何しに来たんだ。今日は納税の手続きに来たんじゃないのか。
そう言いたいけど言えない。口を挟めない己の弱さが恨めしい。
抜き身のナイフのような鋭く研ぎ澄まされたアガットさんの殺気と、重量級ハンマーのような重苦しい圧力を感じさせるカロリーヌさんの殺気。その間に挟まれた私。どうしようもない。ああ、どうしようもない。
私はどこへともやら視線を逸らし、再び現実逃避という思考の海へ意識を飛ばすことにした。
どうしてうちの領に“同性愛者村”があるのか。
それを説明するには、まずこの世界における“同性愛者”の扱いについて話さなければならない。
この世界において、“同性愛者”はどのように扱われているか。――それは国による。
もっと言えば、宗教、信奉する神によって違う。
例えば、セラム族を異端認定した彼の“聖女教”は同性愛者も異端認定している。(と言っても迫害に晒されるのは社会的立場の低い人たちばかりだけど。変態貴族どもの“お遊び”は見て見ぬふりされているようだ。下っ衆!)
で、我がヴァイツェン王国ではどうかと言うと、積極的な排斥はしていないけど認知もしていない。それぞれの領主に任せる、といったところか。
というのもうちの国、一神教じゃないから。自然豊かな国のせいか、アニミズムに近い多神教だ。国教も特に制定してないし、宗教を理由に国家として統一した方針は取れない。
ワルト領は緑と豊穣の神“グリーヴ”の信奉者が(生活に根付いているという意味で)多いし、ケティのティエティシエ領は太陽と勝利の神“スターク”の信奉者が多い。
そんな感じで、それぞれの土地に根ざした宗教が、ゆる~く人々の生活と共にある。
そこに住む人たちがそうだからそういう神様が出来たのか、それとも逆なのか分からないけど、人々の価値観も信奉する神に沿うことが多いようだ。
例えば、うちの国で一番同性愛者排斥が激しいのは、風と厳正の神“シュドルト”の信奉者が多いヴィンシュタイン領。ここは領主が代々武門の家柄で領民も気骨溢れる人々が多い土地柄。
ワルトの人々は同性愛者、というかマイノリティに対して比較的鷹揚な態度を取ることが多い。
これは単なる予想だけど、緑と豊穣の神“グリーヴ”の性別が関係してるのかなと思う。
うちの国の神様たちは、だいたい性別が決まっている。太陽と勝利の神“スターク”、風と厳正の神“シュドルト”は男神で、グリーヴは………………どっちでもない。
いや、どっちでもないと言うか、どっちでもある。
タウヒの林の中で美しい女性の姿で現れたという言い伝えがあれば、エトワルト山中で雄々しい男性の姿を見せたという話もあって、人々の間では、緑と豊穣の神“グリーヴ”は男神でもあり女神でもあるという認識だ。
だからなのか、うちの領の人たちは、“どっちでもない”または“どっちでもある”人々に対して寛容だ。
これがたぶん、ワルトに“同性愛者村”がある理由の一つ。
そして“同性愛者村”が作られる直接のきっかけになったのは、十五年前に公布された慶法。
私が生まれたときお父様はすっごく喜んで、お祝いに墾田永年私財法みたいな領法を発布したんだよね。色々条件付きだけど自分が耕した土地は自分のものにしていいよーって法律。それでワルトへの移住者が増えた。ボルスタン村の最初の人たちもこのときにやって来たらしい。
で、噂が人を呼び、気付けば“同性愛者村”が出来ていた、らしい。詳しくは知らない。(知るつもりもない)
ただ、何故か同性愛者の人たちって手に職持ってたり妙な人脈があったりで、うちの領にはなくてはならない存在になってしまっていることは知っている。カロリーヌさんは言わずもがなだし、アガットさんも、たぶん良いところのむす……子息なんじゃないかなぁ。藪蛇恐いから聞いたことはないけど。
カロリーヌさんには“みんなでお出かけ楽しい号”作成の際、ギルドを通して職人さんを紹介して貰ったし、アガットさんには、うちの使用人たちの武術の先生を紹介して貰った。余り無碍には出来ない。
だから、「ヤダヤダ、ご領主サマか子猫ちゃんに会いたいのォン!」というカロリーヌさんの駄々が通りこうして私が直接手続きを行なっているのは、そういう理由があるからで、カロリーヌさんに秋波を送られたお父様がビビってテンパったからではない。決して。そう思いたい……。
「ドタマかっちかち割ンぞこの腐れ×××女!」
「俺の親切心に感謝しろよ貴様、その汚い×××を切り取ってやろうというのだから!」
飛び交う放送禁止用語が辛い。
ああ……ここにエリスがいれば、奉行裁きの如くバッサバッサと斬り捨ててこの場をおさめてくれるのに……。敢えて同席させぬよう、エリスに用事を言いつけたのは自分だ。私って、ほんとバカ。
でも、どうしてもエリスをこの場にいさせるわけにはいかなかったんだ。
だって……
「お二人とも、ここがどこだかお分かりですか」
殊更冷たく、彼の侍従を頭の片隅に住まわせ声を出せば、ぴたりと言い争いを止める男女。振り返った二対の瞳は、心なしか輝いているように見える。
遠回しに退室を促すと、二人は揃って向き直りそれぞれに謝辞を述べた。
やっと本題に入れる……。既に疲労を感じ始めた私へ、口火を切ったのはアガットさんだった。
「ところで、エルシリア嬢はどちらに? 御姿を見かけませんが……」
エリスを同席させられない理由――――そう! この人、エリスのこと狙ってるんだよ!!
きょろきょろそわそわ。手櫛でちょっと髪を直しちゃったりして浮ついた様子のアガットさんに、カロリーヌさんが鼻を鳴らす。
「いやぁねぇ発情した雌猫って」
途端に飛び散る視線の火花。
この二人、以前エリス(の性別)を巡って争ったことがあったんだよね……あれは酷いもんだった。確かにエリスは美少年と言われればそう見えなくもない中性的な顔立ちだけど、娘に男の侍従をつける親がいるか! というか最初に侍女だって言ってんだろー!! なんだ 「こうなったら脱がしてみるしか……」って!! 馬鹿か! 馬鹿だな! この馬鹿者共!!
あの時の怒りが蘇った。自然眦は吊り上がり、発する言葉はキツくなる。
「もう結構。あなた方は目前の仕事よりお互いを貶め合うことにしか興味が無いようだ。どうぞ、この部屋から出て好きなだけおやりなさい」
注がれる二つの視線は、……どことなく嬉しげだった。
…………この二人、被虐趣味なんだって……冷たくそっけなくされると燃えちゃうんだって……。知りたくなかったよそんなこと……貴重な脳みそのリソースがそんなことを記憶するために割かれているかと思うと腹立たしいことこの上ない……っ。
「あァン、あァン、そんな目で見つめられたら……もうダメェっ」とクネクネし始めるカロリーヌ。
頬を紅潮させ期待に満ちた眼差しを向けてくるアガット。
……もうヤダおうちに帰りたい。何を言っても言葉責めにしかならない状況で私に何を言えというんだ。
誰か……誰か助けてー!!
その祈りが通じたのか。一触即発(情)の室内に、ノックの音が響いた。
「どうぞ」
まさに天から垂らされた蜘蛛の糸! 縋るような気持ちで、しかし声音は努めて冷静に入室を許可すると、そこに姿を見せたのは執事服の青年だった。
「ジュリオぉ!」
突貫する筋肉達磨を躱す所作には無駄がない。
「あン、いけずぅ」
「お時間でございます」
秋波ビンビン物語開幕中のカロリーヌをさらっと無視し、彼は低音で告げた。腰を折れば烏の濡羽色の頭髪が形の良い額に落ち秋波ビーーンビーーン物語最高潮。
桃色だか赤色だかとにかく不穏な熱波の発生地を横目に「ああ、もうそんな時間だったのね」とか何とかわざとらしく答えつつ、私は卓上のベルを振った。すぐさま飛んで来た従僕の少年に、二人を案内するよう言いつけて席を立つ。
「では、私はこれで。後の手続きは家令が担当致します。ごきげんよう、森の恵みがお二人にあらんことを」
返答も待たずに部屋を出る。ちょっとしてから従僕と揉めているような声が後ろから聞こえてきたけど空耳ーアーワーー!
ジュリオを付き従え廊下を進みつつ二人の呆気にとられた顔を反芻し、やっと溜飲が下がる。
「次は?」
「穀物庫でございます」
淀みない、予め用意されていたかのような応えに従い外へ出ると、そこには既に馬車が用意されていて、脇にエリスが控えていた。
いつも通りのその無表情が何だかやたら懐かしく、ほっとしてしまったのは、あの二人のせいだと思う。絶対。