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人生楽してたのしむ転生のススメ  作者: U
一章:ワルトの子どもたち
15/24

11、義務と責任と、畑(4)




 何が起こったのか、分からなかった。

 目の前のこの人が、きっと助けてくれたんだろうけれど、あっちこっちでひっくり返ってじたばたしているワル鳥たちを目にしたら、尚更分からなくなった。

 小山のような背中が、意外な穏やかさで振り返る。

「お嬢ちゃんも、そっちのちびちゃんも、良い根性してるじゃねえか。見上げたもんだ」

 よく日に焼けた顔が、ニッ、と破顔する。抱き合ったまま気の抜けたように彼を見上げる私とフィーネリアに背を向け、

「助太刀致す、ってな!」

 彼は飛び出した。突風が額を打つ。

 矢じりの如く駆ける彼、迎え撃つは羽を広げ一際大きな威容を見せ付けるボスワル鳥。

 その眼が、ギョロリとこちらを向いた。


「ゴゲエ゛エ゛エ゛ェ゛!!」

「おおお!」


 疾風が激突する。ボスワル鳥の鋭い嘴を僅かな動きで躱した彼は、固めた拳の一撃を羽毛に包まれた体躯に突き込んだ。そして――そのまま殴り飛ばした。

「うえ!?」

 50~60kgはあろうかという羽毛の塊が軽々空を飛ぶ。

「ゴゲッ!」

 あ、落ちた。

 土埃と藁が空に舞う。

「きゃあああ! きゃああ!」

 呆然一転、興奮の赴くままに黄色い声を上げる妹の傍ら、私はただただ呆れ、――残りのワル鳥たちが彼へ殺到するのを目にし、喉を震わせた。情けない悲鳴のなりそこないが漏れる。

「――はァッ!!」

 しかしそれは彼の張った喝にかき消され、次の瞬間、私は我が目を疑った。

 彼を取り囲むワル鳥たちが揃って吹っ飛んだのだ。彼が手も触れていないのに。

 遠目にも分かる膂力(りょりょく)満ち満ちたその背中から、赤いもやのようなものが立ち昇っているように見えるけど、目の錯覚だろうか……。

「わははは!」

 大きな口から気持ちの良い笑い声を放ちながら、彼はひっくり返ったワル鳥の脚を掴んではぶーんぶーん回し、投げ、掴んではぶーんぶーん回し、投げている。とても楽しそうだ。

 ズガン、ドカン、とワル鳥たちがあちらこちらへ落下する音をBGMに、彼の体から立ち昇る赤い蒸気を眺め、私はぼんやりと思い出した。

 ひょっとしてこれは“オーバードライブ”ってやつではなかろうか。

 魔法医のおじいに聞いたことがある。世の中には、魔法医とは違う方法で命力を操る人々がいて、彼らは自らの命力を消費することで一時的に身体能力を高め(この状態を“オーバードライブ”と呼ぶらしい)、“呼気”や“闘気”といった技を用いて戦うんだそうな。

「きゃあああ!」

 しまった!

 もー辛抱たまらん! といったように体を震わせたフィーネリアが私の腕を掻い潜り、奇声を上げて特攻する。起き上がろうと悪戦苦闘しているワル鳥の一羽に飛びついて、両脚を脇に抱えた。

「こらっ! フィーネリア!」

「ふん゛ーー!!」

 聞いちゃいねえ。

 顔が真っ赤になるまで踏ん張り何とかしてワル鳥にジャイアントスウィングをかまそうとするフィーネリア。いっそう暴れるワル鳥。

 ジャイアントスウィングには、人を狂わす何かがあるのだろうか……。

「やめなさい、危ないから! もうっ……離れなさい!」

 興奮状態のフィーネリアが言っても聞かないのはいつものことで、強制的に引き剥がそうと私が駆け寄る前に、髭もじゃの顔を綻ばせた彼が、フィーネリアに近付いて何事か告げた。

 諭してくれたのかと、つい胸を撫で下ろしてしまった自分自身の見通しの甘さを、私はすぐに後悔することとなる。

 ワル鳥の片脚を大きな掌がぐっと掴んだ。彼は背後からフィーネリアの腹に腕を回し、抱き上げて――ジャイアントスウィングを始めた。お二人初めての共同作業です……。

「わははは!」

「きゃあああ!」

 溌剌とした笑顔の二人。

 飛んでいく大ワル鳥。

 ドカン、ズカンと落下の音。

「ああー! お、おらの家に穴がああ!」

「キャー! うちの家畜小屋があ!!」

 うおおい! 村が破壊されてるよ! ちょっとちょっと!!

「あ、あのー、二人とも、少し落ち着い……」

「わははは!」

「きゃあああ!」

 ズガン、ドガン。

「ああ゛ー! うちの食料庫がああ!!」

「ギャー! あたしんちの牛小屋ああ!」

「あのっ、聞いてますか! とりあえず一旦止まっ……」

「わははは!」

「きゃあああ!」

 ズガン、ドガン。

「アッー! メリー! メリィィ!!」

「ン゛メ゛エ゛エ゛ェ゛ェ゛!!」

「……もしもーし、聞こえてますかー!! 聞こえてますよねー!? 無視ですかー! そうですかー!!」

「わははは!」

「きゃあああ!」

 ズガン、ドガン。

「…………」

 もうやだ、この二人、全然人の話聞いてくれない。

 早々に諦めた私は、せめて巻き込まれないようにと隅っこへ移動し膝を抱えた。泣いてなんかない、泣いてなんかないよ……。

 ああ……今日はいい天気だなあ…………。

「わははは!」

「きゃははは!」

 青空を舞台にした大ワル鳥たちの曲芸は、助けを引き連れたエリスが戻って来るまで続いた。



 ※



 ガラゴロガラ、車輪が石畳を行く音が、まるで子守唄のようだ。

 よく似た頬を寄せ合い、眠る弟と妹を見て何となくそんな風に思った。

 今日は本当に色々なことがあったから、二人とも疲れたんだろう。ぐっすり寝入っている。これは家についても起きそうにないな……。

 そういえば二人の寝顔を見るのは久しぶりだった。昔は三人一緒に寝ていたから、そんなことに気付いて少し寂しくなった。

 いったいいつまで子どもでいてくれるんだろうなぁ……。

 村を発つときのことを思い出し、じわりと胸が熱くなる。


 それは、私が村長にワル鳥の処遇を告げたときのことだった。

「全て潰すように」

 あんな凶暴な生物、繁殖させるのはどう考えても危険だ。私の決定に、村長は少しばかり残念そうな顔を見せたものの、特に反論はせず頷いた。

 否やの声を上げたのは、フィーネリアだった。

 驚いた私の眼前へ立ちはだかるかのように両手を広げ、顔を真っ赤にして“異議あり”と主張する。その小さな後頭部をボスワル鳥が優しく啄んでいた。

 この少女と巨大な鳥は、一連の騒動でどうしてか友情を育んだらしい。解せぬ……。

 八歳児が上げるところの異議、つまり“ヤダ!”とか“ダメ!”とかいう駄々に、これみよがしのため息をつけば、フィーネリアは涙を我慢するときのしかめ面でこちらを見上げた。

「フィーネリア、自分の意見を通したいときは、駄々をこねるのではなく別のやり方をしなさい」

「……わかんないもん……」

 くしゃ、と紫玉が歪む。

「分からないなら訊きなさい」

 固く唇を噛んだフィーネリアと私の間を村長の心配げな眼差しが行き来した。見送りに集まってくれた村人たちも固唾を呑んで見守っている。

 ややあって、地面に視線を落とし爆発しそうな感情の塊をどうにか飲み込んだらしきフィーネリアが、水分を含んだ銀糸の睫毛を上げた。

「どうしたらいいのか、おしえてください」

 まあ、いいかな。これ以上要求するレベルを上げるとたぶん泣く。

「じゃあナゾナゾね。フィーネリア、ワル鳥たちは何故“要らない”のだと思う?」

 突然の謎かけに一瞬きょとんとした様子を見せたフィーネリアは、慌てて語を継いだ。

「あ、暴れるから!」

「そうね、それもあるわ。あなたも分かっていると思うけど、大ワル鳥たちはとても力が強くて乱暴な鳥だから、もし逃げ出したりしたら、人間だけでなく森にも悪い影響を与えるかもしれない。厳重な管理が必要だけど、それにも大きな危険が伴うということが、今回のことでよく分かったでしょう」

 俯き、肩を落とす妹へ、私は重ねた。

「それが一つ目の理由。もう一つあるんだけど、分かる?」

 涙は一時引っ込んだようだ。傍目にも真剣に考えを巡らせている姿に免じて、ヒントを一つあげる。

「私が何のためにワル鳥たちの牧場を作ったか、覚えてる?」

「食べものをふやすため!」

「当たり。じゃあ今日の様子を見て、それは成功したと思う?」

「う……し、し」

「してない。食料なら安定した量の供給が可能なこと、家畜なら育て易さが大事だけど、ワル鳥はそのどちらも満たしてないもの。この気性の荒さだとあまり数を増やすのは危険だし、管理に手間もかかる。散々手間隙(てまひま)かけて育てたのに、()める寸前襲われて逃げられたら、それまでの苦労が台無しになっちゃうでしょう?」

 つまり、と私は続けた。

「危険だし、役に立たないから。これがワル鳥を処分する理由よ」

 ぐ、と苦いものを飲み込んだような表情で言葉を詰まらせ、フィーネリアはしかし発奮して声を荒げた。

「でもっ! だいじょうぶかもしれないのに!」

「危険ではないって?」

 実際ものすごい襲われたわけですけれども……あの髭もじゃさんがいなかったら危なかったわけですけれども……。

 頷いたフィーネリアにそこのところを指摘すると、彼女は後ろのボスワル鳥に抱きついて言った。

「わ、わたしは仲良くなれたもん! だから、だから……」

「ゴゲッ」

 首にぶら下がるフィーネリアを振り落とすわけでもない。大人しく(くちばし)で羽を繕うボスワル鳥を眺めつつ一考し、……結論は、やっぱり。

「ダメよ。聞き分けなさい」

 じわぁ。紫と銀の(さかい)に涙が盛り上がる。

 あ、泣くかな。そう思った矢先、エリスの背中に隠れてこわごわと流れを見守っていたアストリアが、羽毛の塊に怯えつつも双子の姉に近付いていった。何やら耳打ちし、二人は額を寄せ合ってごにょごにょ相談し始める。やがて顔を見合わせ頷くと、フィーネリアはキリリと引き締まった面を私へ向けた。

「姉さま、姉さまはおっしゃいました。さきほどの“はたけ”も“ぼくじょう”も、いずれはわたしとアストリアに、……わたしとアストリアに……、……ええと」

 小さな掌で口元を隠し、フィーネリアに耳打ちするアストリア。

「そう! いずれは、わたしとアストリアにまかせるおつもりだと。ですから、わたしには……けんり? が? あるはずです?」

 いや、聞かれてもな……。

 視線を移せば、アストリアはフィーネリアを何とも言えない表情で見つめていた。それは、何というか……可哀想な子を見る目、というのが一番近いかもしれない。

 胸を張ってよく分からない主張をするフィーネリアの、やりきった感溢るる大威張りの様子を眺めていると、目的と手段の優先順位入れ替わっちゃってるよというツッコミと共につい笑いが零れそうになるが、我慢。

「つまり、何が言いたいの?」

「ええと、つまり、つまり……」

 フィーネリアは、幼い美貌をぱっと輝かせた。

「つまり、わたしにまかせてください!」

「…………ワル鳥たちを?」

「はい!!」

 とても良い返事だ。

「わたしが何とかしてみせます!」

「…………ワル鳥たちを?」

「はい!!」

 すごく良い返事だ。

「……つまり、“危険だし、役に立たない”ワル鳥を、あなたが“危険でない、役に立つ”生き物にしてみせようというのね?」

「はい!!」

 満面の笑みで打てば響くような答えを返すフィーネリア。胸の内へ、嘆息と共に私は吐き出す。

 無理だろ~~~~! 貴族と言えども単なる八歳児であるところのこの子に、動物学者のような真似が出来るとは思えない。

 しかしどうしたものだろうか。

 見下ろす妹は、一見妖精のような(かんばせ)に期待と根拠の無い自信を漲らせ、真っ直ぐな眼差しを向けてくる。

 この状態のフィーネリアは、論理的に説明してもたぶん言うことを聞かない。やってだめだった場合は素直に聞き分けるのに、まずやりもしないで諦めるということは、どうにも彼女にとって耐え難いことらしかった。

 それに、この子のせっかくの決意を切って捨てるのもなぁ……。

 礼儀作法のお勉強をサボり、お昼寝の時間は抜け出し、気付いたら姿が見えず、戦利品(木の枝、小石、虫など)をポケットに詰めて凱旋するばかりだと思っていたあのフィーネリアが、きちんと理解はしていないだろうけど、自ら責任を負うことを決めたのだ。これは、姉として背中を押してやるべきではないだろうか。

 期待満面のフィーネリア、心配そうなアストリア、無表情のエリス、誰の顔にも反対の色は浮かんでいないのを一応確認し、私は村長に尋ねた。

「収穫祭はいつ?」

 夢から覚めたようなとぼけ(まなこ)を数度瞬かせ、村長は、二月(ふたつき)後です、と答えた。

 ワルトの町村では、秋の終わり頃に収穫祭が開かれる。それぞれ祭りの日は違うけど、一年の実りを神々に感謝し、厳しい冬を迎えるに当たってお互いを鼓舞し合うという目的はだいたいどこも同じだ。

 そして、家畜を潰すのも収穫祭に合わせて行われることが多い。

 これには、神々に命を捧げるという祭事的な意味と、家畜の処理は重労働なため村人総出で行う方が効率的という理由がある。

 他の地域ではどうか知らないが、ワルトでは、家畜は冬を迎える前に限られた数を残し全て潰してしまう。土に生える植物は全て雪下へ没する冬期に多数の家畜を飼育するには大量の飼料が必要で、普通はそんなもの用意出来ないから、潰して冬の間の食料として保存加工する。

 要するに、今ワル鳥たちを処分しなくても、結局末路はほぼ同じ。今か二ヶ月後かの違いでしか無い。

 であれば、処遇を先に伸ばしても構わないのかもしれないな、と私は対の紫水晶を見つめながら考えた。

「村長、収穫祭まで牧場は継続可能なの?」

「より頑丈なものに囲いを作り直しましたからな。大丈夫でしょう」

 前科持ちの言うことだ。余り信頼は出来ないが、素早く目配せすればエリスは僅かに顎を引いて見せる。心配無用ってことか。

 私とフィーネリアが手当を受けている間、エリスは最寄りの村から引っ張ってきた人手と村人たちの指揮を取って、村の修復にまわっていた。牧場もエリスの指示で直したなら、まあ安心して良いだろう。

「二ヶ月よ」

 こちらを見上げる紫の瞳が一瞬固まり、みるみる大きくなる。

「二ヶ月の間に何とかしてみせなさい。収穫祭までは、ワル鳥たちの処分は保留とします」

「ありがとうございます、姉さま!!」

 弟と手を取り合い、羽毛に抱きついて全身で喜びを表すフィーネリアの姿に、人々の眼差しは温かい。

 私はそんな妹が誇らしく、それから――ちょっとだけ、寂しかった。


 揃って夢の世界の住人となっている双子の顔を覗き込む。走行中に席を立った私へ、隣から物言いたげな気配を感じたが、結局エリスは何も言わなかった。

 見下ろす寝顔はよく似ていて、言いようもない愛しさと寂寥が胸の内にこみ上げる。

 もちろん、二人の成長はとても喜ばしいことだ。だけど、ほんの少しだけこのまま時が止まってほしいと思った。

 こちらの世界ではよくそういうことを思う。この幸せな時間が、一瞬でも長く続きますようにと。在りし日の世界より、こちらは時間が流れるのがずっとゆっくりだ。それでも、思う。

 向こうの世界にいたときは、時間なんて、早く過ぎ去ってほしかった。

 早く早く。

 早く大人になりたかった。見たくないもの、聞きたくないことがたくさんあって、家を出て行きたかった。

 一人に、なりたかった。


 それぞれの額へ口付けを落とす。かきわけた銀の髪は汗でほのかに湿っていた。金糸の下の額は熱い。

 掌を当てる。

「少し、熱があるかな」

「だいぶお泣きになってらっしゃいましたから」

 そっか……。

「ごめんね」

 柔らかい金の髪を撫でながらアストリアに、そしてエリスに囁く。

 一つ、小さなため息が返ってきた。

「本当に、お止め下さい。あのようなことは」

 零した苦笑への返答は、厳しい視線。

「分かってる。ごめん」

 ちゃんと謝れば幾許か眼光を和らげてエリスは重ねた。

「再度申し上げますが。私は、グリーヴ様、貴女の侍従です。それをお忘れなきよう」

 澄んだ、しかし有無を言わせない響きが耳朶を打つ。


 エリスは「私の」侍従だ。

 家に仕えてくれている他の使用人と違って、根本的に私とお父様以外の人間の命令には従わない。少なくともアストリアとフィーネリアの言うことはきかない。私の弟と妹だから、お世話はしてくれるけど。

 そして、彼女は私の身を最優先する。例えそれが私自身の意思を無視することになっても。

 今日はそれほど危険度が高くなさそうだったこともあってか、私の命令をきいてくれたけど。次はどうか分からない。

 例え――アストリアとフィーネリアが犠牲になったとしても。

 そういう忠告だ。

 わざわざ忠告してくれるんだから、やっぱりエリスは優しい。

 嫌な言い方だけど、アストリアとフィーネリアは私の“スペア”だ。私に何かあった時のための予備で、逆に言えば、二人が生まれてくれたおかげで私はある程度自由な行動が許されるようになった。以前は外出など滅多にさせて貰えなかったものだ。

 この世界には、たぶん、“子どもの権利”という考え方は存在しない。

 普遍的な親から子への情愛というものは向こうと変わりなくあるけど、社会的に“子どもは守られるべきもの”という価値観は無い。それは恐らく、ある程度余裕のある社会に許されたものなんだろう。

 子どもは未熟な大人の成り損ない。大人に比べれば損なった時の損失は低く替えが利く。

 貴家の継嗣は“大事”にはされるけど“大切”とはちょっと違う。

 だから私は見誤らないように気を付けなくてはいけない。

 私に許されるラインを。


「っ」

 エリスの隣へやや無造作に腰を降ろす。どこかにぶつけたのか、太ももが少し痛んだ。一瞬詰めた息を聞き咎めたのか、エリスの視線が厳しくなる。大丈夫だと言う代わりに笑って見せれば、刻まれる眉間の皺。

 あー……これは。後悔してる顔、だな。

 エリスは、言い訳も悔恨も口にしない。でもきっと、私を一人で残していくべきじゃ無かったと思ってるんだろう。本当に真面目だから。

「エーリース」

 なるべく自然に腕を絡めてみる。

「何ですか、鬱陶しい」

「この間つくってたコケモモのジャム、そろそろ食べ時じゃない? 夕飯の……」

「ダメです」

 ぴしゃりと切り捨てられる。

「あれはこの冬の分でしょう。全く“食べ時”ではありません。だいたいお嬢様は少し食い意地が張りすぎです。前々からご忠告申し上げようと思っていましたが」

 もう眉間に皺はない。始まった、いつも通りのお説教を聞き流し、腕を組んだまま彼女の掌にそっと触れる。

「ありがとう」

「はっ?」

 滅多に無いぽかんとした顔が面白くてつい笑みが溢れた。

「いつも、私のことを考えてくれて、動いてくれてありがとう」

 その言葉が染み渡るのと同時か、エリスの綺麗な眉がみるみる吊り上がった。

「別に、仕事ですから」

 強く言い切って前を向いた、その耳たぶだけが赤い。色が白いから分り易いなぁ。

「なに笑ってるんですか!」

「いや笑ってない笑ってない」

「どの顔で、そんなことを!」

 笑いながら受け答えしていたら腕を振り払われ、もう完全にむくれてしまったらしき我が侍従殿は、進行方向に頑として首を向けたままこちらを見もしない。

 そのまま、しばらく沈黙が流れた。


「………………」


 聞こえるか聞こえないかくらいの声が、沈黙の水面に落ちて。その波紋は確かに私に届いていた。

 寄り添わせた掌は、振り払われない。

 背もたれに背を預け瞼を閉じる。透き通った声を耳の奥で反芻した。


 “ご無事で、良うございました。”


 うん、良かった。

 冗談みたいな事件だったけど、打ちどころが悪かったら、あと少し助けが遅かったら……冗談じゃない事態になっていたと思う。

 冷静になって考えるほど、あの髭もじゃさんには感謝しきりだ。だからこそ、きちんとお礼が出来なかったのが悔やまれる。

 彼は、いつの間にか姿を消していた。

 あの大きな存在感が嘘のように、私たちが手当を受け始めたときには、既にどこにも姿が見えなくて。

「ワルト家」としてちゃんとしなきゃいけなかったんだけどなぁ……。

 村長に聞いたところ、彼は元々あの村の住人では無いそうだ。最近どこからかふらりとやって来て住み着いた『旅のきこり兼剣士』だそうな。

 なんか……“剣士”部分がついでのように聞こえるけど……逆だろうそれ。

 自分の作り話じゃないけど、“旅の剣士”なんてものを本当に目にする機会があるとは思わなかった。

 東海道膝栗毛じゃあるまいし……王都周辺ならまだしも、街道がどこまで続いてるかも分からない辺境を一人旅?

 怪しい。めっちゃくちゃ怪しいわ……だいたい、(領によって差はあれど)領民の移動はそれなりに制限されてる筈だ。

 流浪の民……には見えなかった。何と言うか、難民に特有の疲労感や逼迫した感じがなかったし……。


 …………まあ、いいか。

 彼が何者でも、妹と私にとって命の恩人であることには変わりない。悪い人じゃ、なさそうだったし……


「…………」

「お嬢様?」


 くすぐるような囁きかけ。ひんやりした掌が、静かに離れたのを感じた。

 それから、何か柔らかいものが体にかかる感触と。

 覚えているのはそこまで。


 睡魔に誘われるまま、私の意識は暗闇へ沈んでいった。





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