7、“異”世界(3)
案内されたのは粗末な木の小屋だった。
中には、切り株そのままの小さなテーブルと椅子、藁で出来たベッドだけ。それを目にしたエリスは小さく片眉を上げたけど、私は秘密基地みたいで可愛いと思う。
失礼して藁のベッドに体を横たえた。お日様に当てられた枯れ草の匂いはどこか懐かしく、心を宥めてくれる。
しばらく体を休めていると村の人が食事を持ってきてくれた。優しそうなおばさんで、エリスと二言三言言葉を交わし小屋を出て行った。
体を起こし、用意された食事に目を落とす。
黒パンに、スープ。
思わずため息が零れた。好き嫌いとか献立がどうのとかいう話じゃない。
感謝の祈りを捧げて手にとる。パンは少し炙ってくれているのかほかほかと温かい。山羊の乳を使った乳白色のスープには、豆と木の実が浮かんでいる。
……貧しいなあ……。
今は秋。一年で最も実りある季節のはずなのに、これがこの人達にとっての“ご馳走”なんだ。
そして同じような村はきっと幾つもある。
「……痩せた土地でも良く育って栄養価があって収穫量の多い作物ってないかなぁ……」
「そんな都合の良いものあるわけないでしょう」
鞭のような言葉が飛んで来る。
ですよねー。前キリィに訊いた時も同じこと言われたわ。
こういう時はいつも前世での不勉強が悔やまれる。それなりに悔いの無いよう生きていたつもりだったけど、もっと農業とか食べ物について勉強しておくんだった。私が農業について覚えてることなんて
「農業って儲かるらしい」
「まじで! これから狙うなら独身農業男だな」
「農メンの時代キタ。amam来月号の特集は“私たち・農 業 しちゃいま~す☆”で決まり!」
「エコ女子(笑)」
「ロハス(笑)」
という友人との馬鹿話だけである。
何か日本史の授業で二期作がどうのこうのとやった記憶はあるけど霞の如く朧げだ。働いてると学校で習ったことどんどん忘れてくんだよねぇ。
ぶっちゃけ江戸時代が何年続いたかも覚えていない。
縄文時代の次は弥生時代です!(キリッ このレベル。
軽く火を通しても尚強情な弾力を誇る黒パンをスープに浸しながらチビチビ頂いていると、にわかに外がざわめいた。
「お待ち下さい」
私が口を開くより先に立ち上がり、エリスが様子を見に行く。やがて帰って来た彼女は、後ろに村長さんを引き連れ、曰く言い難い表情で、しかし声には感情を乗せず告げた。
「村の者が“森の主”を仕留めたそうです。これから神に感謝の祈りを捧げる儀式を行うそうで、お嬢様にも是非参加して頂きたいと」
こういう小さな村は保守的で排他的なことが多く、村内の宗教的な行事に余所者を参加させることは滅多に無い。この村の人々はあまり保守的でも排他的でも無いようだけど、きっとそこは同じだろう。
この申し出には、好意を感じこそすれ負の感情は感じない。私は微笑んで答えた。
「是非」
エリスの薄い唇が僅かに引き結ばれた。どうも彼女は参加に反対らしい。時間を気にしてるのかもしれない。ま、一時間二時間の遅れは許容範囲でしょう。
小屋の外に出ると、周りの家からも続々と人が出てきては村の奥に向かい列を成していた。村長さんに先導され、私達もその中に紛れる。
すぐに列は村を抜け森に吸い込まれていった。人々が興奮に交わし合う声、重なり合う枯葉を踏む音が、森の静寂をひと足毎に払っていく。
やがて辿り着いたのは、泉だった。
大地をドーナツ状にくり抜いたかのようなそこには清らかな水が満ち、溢れた湧水は小川となって森の奥に続いていた。泉の中央にはささやかな祭壇と、その祭壇をほとんど覆い隠すほどの巨体。あれが、“森の主”――なるほど、その名に相応しい堂々たる体躯の、大猪だった。既に絶命しているらしく、立派な二本の牙も雄々しい鬣すらそよともしない。
村人達はぐるりと泉を取り囲むようにめいめい散っていく。私も適当な所に陣取った。エリスは当然のように私の右斜後ろに控える。
村長がよぼよぼしながら一歩前に進み出た。ぷるぷると杖を掲げ、私の知らない、不思議な言葉で祝詞を紡ぐ。両手を掲げ膝をつけば、村人達も次々と膝をつき、私もそれに倣った。
土に膝をつき両手を掲げる人々の輪の中から、小柄な影が飛び出してひらりと泉の中央に降り立った。女性だ。百合のような印象のたおやかな佳人は、天を仰いでひときわ高く細く感謝を詠う。彼女が纏う麻の衣服に施された、流線と幾何学模様を組み合わせた意匠に目を奪われる。巫女さん、だろうか。
女性は、主の亡骸に向かい合い、叩頭した。そして土に額をつけたまま、100kgはあろうかというその巨体に両の掌を差し伸べ――
持ち上げた。
「えっ」
バーベルの重量上げよろしくガッツガッツと大猪を白日に掲げ、振り向いた彼女はとてもイイ笑顔だ。
ぐ、と膝を沈めたかと思えば、伸び上がり様猪を天に放り空中で両脚をキャッチ、そのままジャイアントスイング。一連の動作を流れるように行ったたおやめの表情は昂然と輝いていた。っていやいやいや。
「な、何と言う怪力美人……」
「何言ってるんですか」
エリスが耳に唇を寄せて来た。
「ここはセラム族の村ですよ」
――セラム族!
記憶の扉がバタバタと開き、村落管理表の中に見つけたその名前を引っ張り出す。
それは、記憶と共に鮮烈な印象を呼び起こした。ここが“異”世界であるという。
セラム族は元々、ヴァイツェン王国の南西に位置するアヌメリィ帝国由来の少数民族だ。しかし彼の国で迫害に曝されために他国へと逃れ、現在部族は散り散りの状態らしい。うちの領で暮らす彼らも、そうして逃げてきた人々だ。
セラム族の特異性は、その体にある。迫害の動機ともなった、――“無性”という特異性。
彼らには、成人するまでの間、“男”“女”が存在しない。成人の儀式を経て初めて性を獲得するんだそうな。一説によれば、その体変化には命力が深く関わっているとかいないとか。
大剣を軽々振り回すほどの膂力を誇る華奢な美少女、に見える男性や、女性では実現不可能なはちきれんばかりの筋肉を誇示する女性等は、まず間違い無くセラム族だ。
セラム族の、成人を迎えるまでの成長の方向性には、どうも本人の“意思”が反映されるらしく、例えば“ぼく女の子になりたい!”と常々思っていたり日々“わたしは男なのだよ”という認識で過ごせば、顔つきや体つきはその通りに成長していく。ただし性器の発達は無い。
以上のことを、私は本を読んで知った。……被差別民である彼らについては、詳細な研究書が残されている。
アヌメリィ帝国でセラム族排斥が始まったのは古い話ではない。何でも、帝国で最近幅を利かせている新興宗教がセラム族を“異端”認定し、それが変態貴族の下衆い需要と合致したという話だ。セラム族は比較的容姿の整った者が多い。
唯一の救いは、追尾の手が他国まで及ばないという点だろうか。彼の帝国の変態貴族の突出した変態性は近隣諸国に広く知れ渡っており、例え、逃げ込んだセラム族を引き渡せと国から国へ要求があっても、変態pgrで撃退可能だ。因みに難民云々と言い出した折には、セラム族は“人”じゃないんだろpgrで撃退可能という実績が、我がヴァイツェン王国史に燦然と輝いている。
あれっ。ということはあの巫女さんもおと……
迷走した思考の果ての呟きを、ギャラリーの歓声がかき消した。
熱狂は最高潮。今や人々は雄叫びをあげながら主へと両腕を伸ばす。それに応えるかのように、巫…女さん? 巫……男さん? は、笑みを深くした。
そして、光が一閃。
びちゃっ、と粘度を伴う音。
彼女? 彼? は、片手で猪の脚を掴んでいた。空いた片手には、一振りの黒い小刀。黒い刃が、猪の首辺りに突き立つ様は、ここからでもよく見えた。
そして、鮮血が噴き出す様も。旋回する巨体から、血のシャワーが降り注ぐ。沸騰した村人たちは歓喜と嬌声をもってそれを受け入れていた。久方ぶりの慈雨に沸く砂漠の村人のような有様だった。
お嬢様、お嬢様、とエリスの声が聴こえるが、いやに遠い。なんか、目の前の光景が揺れてる気がするけど、肩を揺さぶられているのかこれ目眩か。
再び彼の人の華奢な手首が閃いて、大きく膨らんだ腹に刃が埋まる。狂声。回る。血。引きずり出された黒。猪ぐるぐる。細長いのプラプラくぁwせdrftgyふじこlp
びちゃっ。
ひぎぃ
強い鉄錆の臭いと温かい何か。
以降の記憶が、無い。
猪を使った儀式が好きでよく書きます。
流行れ!