6、“異”世界(2)
この世界には「魔法」が存在する。
誰でも使えるわけではなく、生まれ持った才能が必要だけど、その「特別」な人々は、命力――魂の力を使い「魔法」を行使する。
自分の命を使うからか、彼らが可能とするのは“命”に関わることだけ。つまり、“ファイヤー!”とか“サンダー!”とか、私達がよく想像する“魔法使いらしい魔法使い”は、残念ながら存在しない。大昔にはそういうことが出来た人もいたらしいけど……今“魔法使い”と言ったら、医者か研究者のどっちかだ。多いのはお医者様の方かな。
自分の魂を消費した治療――つまり、自分の寿命と引き換えに相手を治すということで、そんなの冗談じゃねえ! やってられっか! と研究職を選ぶ人もいるようだ。余り数は多くないみたいだけどね。何せスポンサーがつかない。富裕層としては、一人でも多くの魔法医を抱えたいのが心情だから、一般人でも出来るような研究に金を出す謂れはない。
魔法の才能を持って生まれてきた時点で、職業選択の自由はほぼ無いに等しいということだ。
その代わり、魔法医になれば一生安泰。性質上、人々には尊敬されるし、(平民にとっては)べらぼうに高い治療費のおかげで生活に困ることもない。
でもそのせいで、富裕層とそうじゃない層の医療格差が激しい。
治療費の高さから、魔法医は貴族や商人のお抱え医師になっていることが多い。そして命力を使った治療では、多くの怪我や病気が治ってしまう。これが何を引き起こすかと言うと、支配層の医療技術発展への無関心だ。
魔法医以外の“医者”の治療法と言えば、未だに、効果のはっきりしていない香草や食物を使った“まじない”の域を出ていないようなものばかり。と言えば、“格差”の程も分かって貰えると思う。
で、そんな長短有する魔法医だけど、当然うちにも“お抱え魔法医”がいる。その魔法医の“お爺”曰く、アストリアは魂が大きい――命力が多すぎて小さな体に収まりきらず、体力の巡りを阻害しているらしい。成長して器が大きくなるか、アストリア自身が溢れる命力を制御出来るようになれば、健康体になるだろうとのこと。
魔法医は職業柄短命な人が多いみたいだけど、魂が大きいアストリアは普通の人よりずっと寿命が長いらしく、魔法医と同じくらい命力を使っても大丈夫だろう、とも言われた。
アストリアには、生まれつき魔法の才があった。
魔法医としての訓練を受けさせて命力の制御方法を覚えさせることも出来たけど、お父様とお母様はそうしなかった。私だって同じ気持ちだ。
あの子は優しい。魔法を――命力の使い方を覚えたら、きっと自身に構わず人々にそれを与えるだろう。
幾ら人より寿命が長いからって、子どもの命を縮めて平気な親なんていない。私もそんなこと、絶対反対だ。
アストリアには多少窮屈な思いをさせることになって可哀想だけど、普通の“病弱な子ども”として扱っていれば命の危険は無いんだから絶対そっちの方が良い。魔法の訓練中に命力を暴走させる危険性も考えたら。
だから、アストリアに請われても命力の使い方を教えないよう、お父様はお爺に厳命したし、屋敷の者たちにも、不用意にアストリアを焚きつけるような発言は慎むよう戒めた……ん、だけど…………
アストリアは、自己流で命力の使い方を覚えてしまった。血反吐吐きながら。
“見せたいものがある”と皆を庭に集めて何かと思ったら、庭木の蕾を花咲かせ、次いで血を噴いて倒れた時にはびっくりした。二重の意味で。血濡れの得意げな幼児という世にも珍しいものを見たわ。
まあ結局、使えるようになってしまったものは仕方ないし我流は逆に危ないってんで、基本的な操作方法だけお爺に訓練して貰ったみたい。命力を使用した治療は、まず人体の仕組みを覚え、そこに流れる命力の巡りに熟知し、それぞれの症状に合わせた適切な命力の制御方法を知らなければ出来ることではないらしく、基礎のコントロールだけなら特に命を縮めることもないだろう、とのことだ。
あ、因みに。
魔法医にも治せない病気は種々あって、その一つが“乗り物酔い”だ。
「……ぇっぷ」
大丈夫ですか、と背をさすりながらの確認に私はふるふると首を振って応えた。
前世でも乗り物には弱かったけど、まさか生まれ変わってまで乗り物酔いに苦しむことになるとは……。
こうなることが分かっていたからエリスは鬼だ。この状態で“ぼーっと”なんて出来るか!
今はもう馬車を止め、私は草原に寝っ転がっていた。エリスもさすがに何も言わない。
牧草地では糞が気になってこんなこと出来ないけど、見える限り周囲に村もなく、ただ広大な草原と視界の端に常緑樹の林が広がっている。
風が草原を渡り、隣に腰を下ろす少女の若草色の髪を撫でていった。
「出発出来そうですか」
馬車に目を遣りひそめた眉の意味を正確に読み取って、エリスはため息をついた。
「少し歩きましょうか」
言うや、御者に休憩を告げに行った彼女に誘われるまま、私は林に足を踏み入れた。
ざくざくと、迷い無く進んでいく我が侍従様。続く無言が不安を煽り、思わずその背にくっついてしまう。
「歩きにくいです」
「いや、だって大丈夫なの?」
熊……はいないと思うけど、この辺り狼の生息圏じゃなかったっけ。
「大丈夫ですよ、道は知ってますから」
道って、私にはそんなものどこにも見えないんだが、と思ったやにわに、目の前が開けた。
そこは、小さな集落だった。
「ここでお待ち下さい」
見ていると、エリスはおっかなびっくりこちらを伺っていた子どもを捕まえ何事か告げる。子どもが駈け出して行って暫し後、よぼよぼのお爺さんが男の人を数人従えやって来た。
「ひょうひょひょ、ふひょうひょひゅひゃへぇ」
ごめんなさい、ちょっと何言ってるか分かんないです。
(エリスによると)具合が悪くなった私のために休める場所を提供してくれるそうで、お爺さん……村長さんの先導に従って私達はさして広くもない村の中を進んだ。子供らが鈴なりになってついてくるのが面白い。大人も好奇心を隠せない様子でこちらを注視している。それは決して嫌な視線ではなかったので私は向けられる視線に微笑みでもって応えた。
「こんな所に村があったんだね、知らなかった」
じろりと、エリスは横目を眇める。
「村落管理表に記載されているはずですが?」
村落管理表とは、その名の通り、領内のどこにどんな村があってどういう人々が暮らしているのかを纏めた資料である。ワルトのような、広い土地に村が点在している領地ではこれを覚えることも領主のお仕事の一つだ。
「あ、あー……そー、そういえばエリスはよく道が分かったね! 道無き道って感じだったのに」
「以前旦那様と来たことがありますから」
「お父様と?」
意外だ。忙しいお父様がこんな小さな村にわざわざ足を運んだなんて。
「この村だけではなく、旦那様は村落管理表に記載された全ての村に一度は必ず訪れています。お嬢様にも必要なことですよ」
確かにそうだ。
王家よりワルトが賜った広大な領地は、そのほとんどが森か草原――耕すに適さない土地だ。お世辞にも肥沃とは言えない。
だから牧畜が盛ん。加えて、ワルトの冬は厳しい。屋敷がある辺りはまだましだけど、東の方――エトワルト山に近くなるほどその厳しさは人の身を苛む。
備えに一つでも手を抜けば忽ち死を招く、雪に閉ざされた世界。
厳しい自然と共に生き、死を隣人とするワルトの地。これを治め、導いていくには、小さな村々を有機的に結びつけることが出来るかが、きっと鍵だ。
そのために、直接村の状況を見て回るのも大切なことなんだろう。
私は神妙に頷いた。