ゆうべはおたのしみでしたね……でも、楽しんでたのはお前らだけだからな!?
「……夕べは、お楽しみでしたね」
「えっ?」
「あれ? 聞こえちゃってましたー?」
ヘラヘラと笑う勇者様と、少し頬を赤らめたお連れの王女殿下。そして——その向かいでニコニコと笑ってみせる、宿の店主である俺。
勇者様から宿泊費を頂戴し、丁寧に頭を下げる。
「勇者さま、わたくし……その……」
「大丈夫大丈夫! 可愛かったし! じゃ、また近々来まーす!」
出入り口の扉が閉まる音が聞こえ、勇者様たちの足音が遠ざかっていく。しばらくして顔を上げた俺は、深くため息をつき——
「『聞こえちゃってましたー?』じゃねぇんだよぉぉ!!」
宿の受付に、俺の叫び声が響き渡った。
あの勇者様——いや、勇者がウチの宿に来始めて、早3ヶ月。どうやら今は、この辺りの地域で探索だのレベル上げだのをしているらしく、2〜3日おきにウチに泊まっていく。
このご時世だ。勇者が街の近くに居てくれれば、魔物に対する抑止力にはなる。なるのは確かなんだが——
「ちょっと、すみません!」
「ひゃ、ひゃいっ!!」
肩を跳ね上げながら素早く顔を上げる。受付カウンターの向こうには、昨晩泊まられた3人家族のご主人。
……嫌な予感しかしない。
「は、はい……何かご用で——」
「何か、じゃありませんよ! 昨晩のアレ、何なんですか!?」
「申し訳ございません!!」
慌てて頭を下げるも、当然お怒りは収まるわけがなく……
「ウチは小さい子どももいるんですよ!? ここ、家族歓迎って聞いたんですけど!」
「そ、その通りなんですが——」
「あれだけ騒がしいと寝てくれませんし、何より子どもから『あれ何?』って聞かれた時の気まずさ……わかってます!?」
「ももも申し訳ございませんんん!! こちらも、できる限りの対策はしているのですが……」
……勇者がいつも泊まる部屋の壁の厚さは、他の部屋の5倍だ。街の魔法使いたちに頼み込んで、件の部屋に定期的に防音魔法もかけてもらってる。両隣の部屋だって、客室から物置に変更した。
にもかかわらず! お客様からのクレームがゼロにならない……! というか、防音魔法すらも突破するなんて、どんだけ激しくお楽しみしてるんだよぉぉ!!
「あの、聞いてます?」
お客様の声に、ハッと我に返る俺。
「ご、ご迷惑をおかけいたしました……宿泊費は割引かせていただきますので——」
「結構です。泊まった分はお支払いします」
「ありがとうございま——」
「ただし」
お客様は、俺に鋭い視線を向けた。
「残りの日数分は、全てキャンセルさせていただきます」
「か、かしこまりました……キャンセル代も結構ですので……」
「当たり前ですよね?」
「も、申し訳ございません……」
扉の前に待機していた奥様とお子様と共に、宿を立ち去るお客様。乱暴に扉が閉まる音が聞こえ、静かな宿の中にその音がやけに響いた。俺はカウンターの中にしゃがみ込む。
また……また、貴重なお客様がぁぁあ! このご時世、宿を利用してくれる人間なんて、とんでもなく限られる。宿泊客1人1人が、俺たちにとっては大切な収入源だってのに——
「ちょいと、あんた!!」
妻の声が聞こえ、俺は顔を上げた。カウンターの向こうから、明らかに怒ったような顔の妻がこちらを見下ろしていて——
「あの部屋のベッド、また脚にヒビが入ってるんだけど! あんた、強化魔法をかけてもらい忘れたんじゃないでしょうね!?」
「そ、そんなことあるわけないだろ!? 昨日あの2人が来てから、慌てて魔法使いを呼んだくらいなのに——」
「フレームだって歪んでるのよ!? このままじゃ、また買い替える羽目になるじゃない!」
俺は思わず頭を抱える。
ベッドだって安くない。しかも、勇者どものお楽しみに耐えられる可能性のある頑丈なベッドであれば、尚更だ。こんな頻繁に買い替えてたら、とてもじゃないけど金が……!
ため息をつきながら立ち上がると同時に、妻から布の山を押し付けられた。
「それ、洗っといてもらえる?」
「えっ!? こ、これを全部……?」
「勇者様たちが汚したシーツ類だよ! あんたが宿泊拒否しないんだから、あんたが洗いな!」
妻はモップと木桶を手に、そのまま客室の方へと向かっていく。
俺はシーツ類を抱えたままそれを見送ると、重い足取りで裏手の川に向かった。シーツを川の水に突っ込み、ひたすら汚れた箇所を擦る。
な、何で俺がコレを洗わなきゃいけないんだよぉぉ!! 俺だって、できるなら宿泊拒否したい……でも、曲がりなりにも勇者様と王女殿下なんだぞ? もし、断ったらどうなるか……
思わず首元に手を当てる。
そんなの、絶対にごめんだ! それなら、いっそのこと廃業して——いやいやいや、このご時世にすぐ仕事が見つかるとは思えない。嫁と子どもたちだって食わせなきゃいけないのに、これじゃ八方塞がりじゃないか……!
そんな焦りと苛つきをシーツ類にぶつけつつ、悶々としながら洗濯を続けた。
その後、客室の掃除や夕飯の仕込みを終わらせた俺。前もって呼び出しておいた魔法使いと共に、勇者たちの泊まる部屋にそっと足を踏み入れる。簡素な部屋に似合わぬ高級ダブルベッドの脚元にしゃがみ込むと、縦に1本入った亀裂を指差した。
「コレなんですけど……魔法で何とかなりませんかね?」
「うーん、結構派手に割れちゃってますねぇ……これ、強化魔法をかけても時間の問題だと思います」
「そ、そんなぁ!」
か、買い替えるしかないのか? 何とかこのまま——いやでも、勇者たちのお楽しみ中に壊れでもしたら、もっと面倒なことに……
「仕方ないですね。買い替えを検討——」
「ただ……」
魔法使いは言いにくそうに頭を掻く。
「ここ最近、色んなところで木材の需要が増してるじゃないですか」
「そういえば、そうですね。この街も街門や防壁が分厚くされましたし……」
「そうなんです。だから、高級品ベッドみたいなものって、そもそもの材料が手に入りにくい上に、値段も相当上がってるらしいんですよ」
「えっ!?」
一瞬で全身の血の気が引いた。
嘘だろ? このベッドも大金はたいて買ったのに、それよりも高くなってる……?
「ちょ、ちょっと寝具屋見てきます!」
俺は、一目散に宿を飛び出す。
数分後、寝具屋のショーウィンドウの前で、俺は顔を青ざめさせていた。
「一、十、百、千……」
見間違いじゃないかと、何度も何度も桁を数え直す。が、結果は変わらず、思わず地面に膝をついた。
ぜ、前回買った時より1ケタ多いって、どう考えてもおかしいだろ!? しかも、これよりもっと頑丈なベッドが必要なのに……!
フラフラと立ち上がった俺は、寝具屋に背を向ける。
……もう、無理だ。
俺は重い足取りで宿に戻ると、妻を呼んでテーブルに向かい合う。
「……宿を、閉めようと思う」
「えっ? あんた、何言ってんだい!? ここを閉めたら、あたしらはおまんまの食い上げ——」
「王都の方で、交易の荷運びに男手を探してるらしいんだ。給金も悪くない。お前は子供たちとこの街に残ってくれれば良いから……な?」
「……」
妻はテーブルの上に目を落とした。その目には、うっすらと涙が滲む。俺は思わず彼女の手をそっと握る。
「大丈夫だ。何とかなるさ」
「あんた……」
妻は俺の手を強く握り返した。その夜——
「こんばんはーっ!」
宿の受付に、勇者の明るい声が響く。その隣には、いつものように王女殿下の姿が。俺は精一杯の笑顔を浮かべる。
「……いらっしゃいませ、勇者様」
「今晩も、お世話になりまーす!」
「いつもご贔屓いただき、ありがとうございます。あの、実はですね……」
俺は宿を閉めることになった旨を、勇者たちに簡単に説明した。
「えぇっ!? 閉めちゃうんですか!?」
「このご時世、色々と厳しいものがありまして。アレコレと手は打ってみたのですが……」
「いやいやいや! そんなの困るんですけど……!」
勇者は少し考え込んだ様子を見せたかと思うと、ゴソゴソと懐を漁り始める。何事かと小首を傾げる俺の目の前に、両手に乗るくらいの大きさの革袋が音を立てて置かれた。俺は思わず目を丸くする。
「これは——」
「閉めないでください! ここ以上に良い宿なんて、そうそうないんですよ!?」
勇者はそう言いながら革袋の口を開ける。中には見たこともないほどの大量の金貨が——
「金なら、俺がいくらでも払いますっ! だから、どうか……!」
「ゆ、勇者様ぁぁ……!」
視界が滲む。
まさか、勇者がうちの宿をここまで気に入ってくれていたなんて……
俺は涙を拭うと、静かに決意をする。
……やってやろうじゃないか。これだけの資金があれば、今までできなかった対策がすべて叶う……!
「ありがとうございます! 必ずや、勇者様のご期待に沿ってみせましょう!」
「やったぁぁ!」
無邪気に喜ぶ勇者の——いや、勇者様の姿に、俺もつい笑みをこぼした。その翌々月——
「……よし、完璧だっ!」
俺は目の前に立つ宿の離れを、感慨深く見上げる。あの後、勇者様からいただいた資金を使い、専用の離れを建てたのだ。
防音魔法は最上級。壁は完全石造りに加え、分厚い木材で防音機能を上乗せ。床もしっかり補強済みで、窓も本館とは反対に設置した。周りは植木と倉庫を挟んで物理的に距離を確保したし、何よりベッドも最高級クラスの特注強化品……ここまですれば、何の問題にもならないっ!
「……良かったわね、あんた」
「ああ、勇者様には感謝だな。宿も失わずに済んだし……何より、家族と離れ離れにならずに済んだ」
俺は妻の肩を抱き寄せる。次の瞬間——
「すみませーん!! あれ? 誰もいない?」
本館の方から、勇者様と思しき声が聞こえてくる。俺は妻と顔を見合わせると、そのまま本館へと戻った。その夜——
……いやぁ、今晩は静かだ。何も聞こえない! ついにやったぞ……!
俺は内心喜び勇みながら、いそいそと自分のベッドに入って目を閉じる。うとうととまどろんでいると、どこからか木材の軋む音が聞こえてきた。
……ギシッ
「ん?」
うっすらと目を開けるも、何も聞こえない。気のせいかと再び目を閉じた瞬間——
ギシッ……ギシギシッ……
思わず布団を頭から被る俺。軋む音と何やら妙に楽しげな声が、絶え間なく耳に飛び込んでくる。
「いやいやいや、気のせいだって……! 絶対に、気のせいっ!! ただの幻聴だ……!」
俺は小声で自分にそう言い聞かせながら、半ば無理やり目を閉じた。翌朝——
「いやぁ、めちゃくちゃ快適でしたよ、あの離れ!」
目を輝かせる勇者様。俺は目の下にクマを作りつつ、何とか笑顔を浮かべる。
「……お気に召していただけたようで、何よりです」
「じゃ、また来ますねー!」
意気揚々と宿を出ていく勇者様と王女殿下。次の瞬間——
「ちょっと、何なんですかあの音!」
「こっちは全然眠れなかったんですけど!?」
「『リニューアルしました』って大々的に宣伝してたから、わざわざ泊まりに来たのに!」
「も、申し訳ございませんんん!!」
……あれだけの対策を練ったにもかかわらず、勇者様——いや、勇者たちのお楽しみボイス&サウンドは、離れの魔法も防音機能も物理的距離すらも突破。本館のお客様からは、再びクレームの嵐が発生していたのだ。
何とかお客様の対応を終え、カウンターに項垂れかかる。
「ちょいとあんた、大丈夫かい?」
「なぁ……やっぱり、宿閉めないか?」
「勇者様にあれだけお金を出してもらっておいて、かい……?しかも、ひょっとしたらあのお金、王家からの支給分も入ってるかもしれないんだろ?」
「それは……」
俺は無言で妻と顔を見合わせた。
「ああぁぁあ! もう逃げ場がないぃぃ!!」
頭を抱える俺の叫び声が、宿の中に響き渡った。
—fin—




