金曜夜の図書館 1
50メートルほど坂を上がったところに、図書館らしき建物が奥にあった。
家から出て、長く歩いたという感じはない。
むしろ「こんなところに図書館なんてあったのか……」という驚きが強かった。
フラフラな足取りを一度止めて、建物の外観をよく見ようとする。
外灯が多くないので、全体的に暗くてよく分からないが、建物自体は5階くらいまであるのだろうか。
図書館は縦に大きい造りだ。
下に目線をやると、1階に明かりが点いていた。
僕が家を出ようとしたときは、夜中の12時をとっくに過ぎていたはず。
こんな時間にも図書館に人がいるのだろうか。
仮に人がいたとしたら……。
一瞬、怖い想像が頭に浮かんだので、図書館に続く坂を無視して違う方向へ進もうとした。
だが、行き先には、歩行者が寄りつきにくそうなトンネルが。
進むことをやっぱり諦めた。
「家、帰ろっかな……」
ぼそっと呟き、来た道に戻ろうとしたとき。
僕と同じように深夜徘徊する人が視界に入る。
しかも、図書館に続く坂道を登っていく姿をたまたま見かけてしまった。
見かけたその人は、フードを深く被った線の細い体つき。
男性か女性かは分からない。
何のためらいも無く歩みを進めて、図書館の扉に手を掛け、館内へと消えていったのだった。
「……図書館って、この時間に入っていいのか?」
普段の僕なら。
選択肢が2つあったとして……。
1つは安全、もう1つはどう見てもリスクを伴うやつなら、絶対に前者を選ぶ。
危なっかしいことは選ばない。
僕は慎重派で臆病者だ。
しかし、酒に入り浸り、夜中に理由もなく出歩く今の姿は、普段の僕ではない。
トンネルをくぐろうとは思わなかったが、坂の上の図書館が気になってしょうがない。
「……」
唾を飲み込み、図書館との距離をゆっくりと詰めていった。
『その本、次お借りしたいんですけど……』
歩みを進める中、ふと誰かの言葉が僕の記憶にちらついてきた……気がした。
最初は図書館を気味悪く見ていたが、急な坂を上がっていくことに気持ちが集中していた僕。
足元を見ようとすると、目が回っている感じがする。
あぁ、そうだ、今の僕は酒に酔っていたのだ。
コンクリートの坂から、2、3段ある階段に足を踏み入れ、とうとう入り口まで来た。
今時の造りとは言えない重そうな扉。
押してみると、いとも簡単に扉が開いたのだった。
これはこれでちょっと焦る。
その心情に反応するかのように心拍数が上がっていく。
この図書館、本当に大丈夫なのか?
「鍵……かかってない……」
扉を開けてみたはいいものの、不安定な心がどっと重くなる。
図書館の心配と、自分が不法侵入しているのではないかという焦燥感。
口では落ち着いたことを言っているが、変な汗が出ている感触さえしてくる。
だが、室内はちゃんと明かりが点いていて、図書館とだけあって静か。
入ってすぐ目の前に、大きな階段が一直線にあった。
2階から最上階まで連なっているのだろうか。
照明は1階の一部しか点いておらず、階段がある方向は暗くて見えなかった。
暗闇でしかない階段に気を取られていると、
「こんばんは」
か細い女性の声が聞こえてきた。
聞こえてはいけないものを聞いてしまったような気がしたが。
恐る恐る振り返ると、カウンターに女性が立っていた。
おまけに僕より若そうだ。
「ようこそ。 夜の図書館へ」
「夜の、図書館?」
酔っているせいもあって、言われたことが今1つピンときていない。
「初めての方ですよね。 毎週金曜日、深夜の2時まで1階のみ開館しているんです」
「いや……僕はただ、通りかかったものでしたので……」
僕はとうとう異次元の世界に入り込んでしまったのかと思ったが……。
もしかして、香織を失った悲しみに憑りつかれた挙句、三途の川に足を踏み入れる直前まで来たのか。
僕にとっては好都合かもしれない。
でもどうしてか。
よくある人見知りを発動して、今の状況から逃げようとしていた。
女性に向かって「酔っていて夜中に外を彷徨っていただけなので、どうか構わないでください」とでも言いたい。
だが、今の僕にはそんなスラスラと話せる余裕はなかった。
一方の女性は涼しい顔をして僕を見ている。
「そうでしたか。 では、せっかくですしコーヒーでも飲んでいきませんか?」
女性はカウンターから出てきた。
距離が近くなると、女性の姿がより鮮明に分かる。
艶やかな黒髪セミロング、化粧をしていない割に肌艶もある、ほんのりと赤い薄めの唇。
「あ、いや、そんな」
女性から離れるように、無意識に後ろに数歩下がった僕。
やましいことは1ミリもないのに、香織への後ろめたい気持ちから咄嗟の行動だった。
香織は少しヤキモチ焼きで、僕の女性関係にはあまり良い顔をしなかったが……。
僕は人に語れるほどの女性関係が少ない。
香織に対して一途であることを分かってもらえるように、女性と2人きりにはならないように心がけていた。
館内には利用者が他にもいたとして。
初めて入った図書館に、僕より若い女性がじりじりと距離を詰められては……。
「あの、こんな時間に図書館でお仕事って大丈夫ですか? それに、若い女性がお1人ですし……」
相手の動きを止めさせたい一心で、勢いで出た言葉はこれだった。
それでも、僕の言葉に大きな間違いはないと思う……。
仮に仕事だとしても、夜分遅くに大きな建物で、僕が見る限り、館内には女性1人しか見当たらない。
病院勤務で例えると、たった1人で夜勤をしていることになる。
しかし、女性から言い放たれたのは、
「ご心配なく。 私は図書館の責任者ですし、こう見えて未成年ではないので」
表情に変化を見せない女性。
真正面から返ってきた言葉に、僕は色々と後悔した。
自分の発した言葉は、見た目で女性を判断してしまったように捉えられる。
咄嗟に浮かんだことを言い訳にしただけで、何の思いやりもなかった。
「あ、いや。 すみません……」
「何であんなことを言ってしまったのだろう」と思いながら苦い顔をしていると、
「コンビニでも年齢確認されるので、そんな気にしないでください。 あ、どうぞこちらです」
僕の焦った表情を読み取ったのか、一瞬だけ顔を緩ませた女性。
腑抜けになった僕は言われるがまま、女性の後を付いていくしかなかった。




