最期の朝 2
彼女に笑顔で見送られた後は、卒なく仕事をして、定時になれば家に真っ直ぐ帰る。
そして彼女と晩ご飯を食べて、眠りにつく。
穏やかな日常を過ごす今日ばかりは「早く明日になってくれないか」と念じていた。
薬局での仕事はいつもと変わらない。
ただ、何か違っていたかといえば……。
仕事中でも表情筋が緩みっぱなしだった僕を見て「気持ち悪い」と同期に冷やかされたこと。
箱に入っていた漢方薬を開けようとしたら、盛大にぶちまけて、薬局長に呆れられたこと。
浮き足立った気持ちの僕をよそに、彼女は今日どう過ごしていたのだろうか。
心穏やかに笑っていたかな。
僕と同じように、明日を待ち遠しく思っていただろうか。
ひょっとして、涙が出るほど悲しくて辛い思いはしていないか。
いつだって彼女を笑わせる自信はあるし、困ったことがあれば僕が彼女を守る。
これからもずっと、そうしていく。
心から誓うよ。ねぇ、香織。
プルルルル
薬局の電話が鳴った直後、調剤室の外にいた事務員さんが受話器を取った。
患者さんから立て続けに電話がかかってくるため、対応に追われている事務員さんに少し同情していると、
「野上先生、上村さんという方からお電話が……」
不意に名前を呼ばれた僕は、慌てて取り次いだ。
「上村さん」が誰なのか思い出すため、頭をフル回転させる。
確か昨日、大学病院の処方箋を持ってきた患者さんだっだような……。
糖尿病を患っていて、合併症がどうのとかで「複雑な処方箋だな」と感じ取ったことは覚えている。
「お電話変わりました、野上と申します」
電話の相手は、上村さんの娘さんだった。
「……いえ、とんでもないです。 何事もなくて本当に良かったです」
昨日上村さんが持ってきた処方箋に引っかかった僕は、大学病院に疑義照会をした。
その結果、飲み合わせが良くない薬を処方されていたことが確認できた。
薬局での出来事を娘さんに話したらしく、そのお礼として僕に電話をかけてきたようだった。
「大丈夫でしたか?」
電話を切ったあと、隣で一部始終を見守っていた事務員さんに声を掛けられる。
「はい。 昨日のことについてお礼だったみたいで」
「なら良かったです」
まさか自分宛てに電話がくるとは思わなかったので、心臓はいまだにバクバクと音を立てていた。
「野上先生」
今度は薬局長に呼ばれ、薬局長がいる方向に自然と体が向いた。
かかってきた電話の内容について聞かれるかと思ったが、
「ロッカールームで着信音がずっと鳴っているんだけど。 先生、心当たりあるかしら?」
原則、スマートフォンはロッカールームにしまい、音が鳴らないように設定しておくのがルールだった。
普段から着信音を出さない僕には関係なさそうだが「確認してきます」と言い、念のためロッカールームへ。
自分のロッカーを開き、スマートフォンの画面をつけてみると……。
「……お姉さん? って、え?」
スマートフォンを見て驚いた。
マナーモードのはずが、何故か設定は通常モード。
着信の相手は彼女のお姉さんから。
しかも着信が13回と異常に多い。
1分前にも着信の形跡があった。
折り返すべきか迷っていると、僕の目の前で音が鳴った。
電話に出られない事情をお姉さんに伝えようと、すぐに通話ボタンを押す。
「もしもしお姉さん? すみません、電話に出られなくて。 今、仕事中でして……」
手短に話して通話を終えたかったが、
「お姉さん?」
僕にあれだけ電話をかけたというのに、声を発さないお姉さんに違和感を覚える。
「……あの子が……」
どうしてお姉さんは、そんなにも声が震えているのだろうか。
「今、何て言いましたか?」
そこから僕の記憶は、とうに無くなって。
僕もお姉さんに返事がすぐに出てこなかった。
ただ、1つだけ聞きたかったことがある。
ねぇ、香織。
あなたはどうして突然、僕を置いて何処にも届かない場所へ逝ってしまったの?




