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今宵、図書館で逢いましょう。  作者: さきみやめぐ
第二夜

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18/18

香織エピソード 花言葉 1

 薬剤師として仕事をしてから、2年目を迎えたある日。

午前だけ出勤したとき、初めての異動を告げられた。


2年目にして、ようやく先生や患者さんとの関係性が深まってきたというのに。

このまま穏やかに仕事ができると思いきや、環境の変化というものは突然やって来る。


「押上店、ですか?」


次の異動先を聞いたとき、聞いたことのある場所だなと思った。

香織と同棲している家からはそう遠くないので、通勤のことで悩むことはなかった。


当時の薬局長からは「ここよりも大きくなるから頑張れよ」という他人事を言われただけ。

僕としては、小規模の店舗で、ひっそりと仕事をしていたかった。

それだけに、薬局長の一言が重くのしかかる。


処方箋を数枚出したのと、自分の辞令を聞いただけで、午前の勤務が終わってしまった。

白衣を脱ぐためにロッカールームへ。

鞄からスマートフォンを取り出すと、2件のメッセージが入っていた。

1件は香織から。


『誠司! もし大丈夫だったら、仕事の帰りに牛乳買ってきて!』


『大丈夫だったら』という言い方が、香織らしい気遣い。

笑みを溢しながら『まかせて! 買ってくるよ!』と返信をその場でした。


そしてもう1件は……。


『押上で待っているぞ!』


片瀬直弥。

この男からのメッセージだった。

片瀬の一言を読んで、押上店は片瀬が配属されている店舗だったことを思い出す。


『片瀬って押上店だったのか。 今思い出した』


片瀬とは普段からもメッセージでやり取りしていたが、彼が所属する店舗名が頭に浮かんでこなかった。

片瀬はお昼休憩中なのか、僕のメッセージにすぐ反応してくれたようだ。


『忘れていたのかよ! 野上は尾久店だろ?』


記憶力の良い片瀬に感心しながら、聞きたいことを送った。


『押上店ってどんな感じ? 薬局長から大きい店舗って聞いたけど』


異動先のことを聞ける人がいて良かった。

大学が一緒で、相手が同期で良かったと、片瀬の存在に感謝していたが、


『近くにスカイツリーがあるよ!』


聞きたかった情報を言ってくれないので『いや、そうじゃなくて笑』と返す。


僕のツッコミに既読をつけた後、片瀬はすぐに送ってきた。


『尾久店と比べたら薬剤師と事務の人数が多いかも。 あと、介護施設に薬を届けることが多いかな』


人間関係を新しく築いていかなければならないと思うと、来月の赴任初日まで気が重い。


僕の場合、他人と打ち解けるのに時間がかかる。

最低でも半年、長くて1年。

一度でも相手の嫌な部分が見えてしまうと、心のシャッターを降ろしてしまう。

相手に面と向かって「嫌い」とまで言わないが、自分から話しかけることや、無条件で優しくしようとは思わない。

最低限の挨拶や、業務上の引き継ぎはするけど……。

自分が傷ついたり、悩んだりしてしまうなら、余計な人とは関わらない主義を貫いている。


『野上のことだから、色々と気にしているだろ?』


片瀬は僕の心配事がお見通しらしい。


『心配するな。 俺がいるし、いくらでもフォローするから!』


文章と一緒に、ふざけたスタンプも添えてきた。

クスっと笑いながら片瀬に返信をするが、異動への不安は完全に拭いきれなかった。


***


 家の玄関に入ると、小走りで香織が僕を迎えてくれた。


「おかえり! お疲れ様! あっ! 牛乳ありがとうね!」


飼い主の帰りを楽しみに待っていた小型犬のように、明るく振る舞う香織。

キラキラした目に、吸い込まれそうになる。


牛乳1本買ってきただけで嬉しそうにされると、異動のことが薄れてきてしまう。

香織の表情に釣られて、僕も笑っていた。


「ん?」


ちょっと首を傾げて、僕の顔色を伺ってきた。


「あ、いや。 帰り道にプリン買ってきたんだけど、良かったら食べない? 店員さんがオススメって言っていた抹茶プリンだけれど」

「えぇ! 誠司ったら、私の心が読めるの?」


駅の改札口を出たところに、たまたまプリンの専門店が臨時出店していた。

この日は香織が休みなので、香織にお土産のつもりで買ってきた。


「え、どうして?」


香織の心を読んだどころか、香織が「プリン食べたい」の一言は聞いていない。

靴を脱いで、寝室に自分の荷物を置きに行きながら、香織と会話を続ける。


「仕事から家に帰るとき、いつもプリンのお店の前を通るから。 あそこって期間限定で売っているでしょ? 密かに気になっていたの!」

「あぁ、そうだったんだ。 でもずっと買わなかったのはどうして?」


今度は手を洗うために、洗面所へ向かった。


「だって食べたら……」

「え、何?」


あいにく、手を洗う水の音で、香織の声が聞こえてこない。

聞き返しても、香織の反応が無かったので、そそくさとリビングへ向かう。


「香織?」


右側のキッチンに目を向けると、香織がプリンを睨んでいた。

さっきまでテンションが高かったはずなのに。


「ど、どうした?」


眉間に皺を寄せる香織に恐る恐る尋ねると、


「食べたら太っちゃうから、買わないで我慢していたの」


目を潤ませながら、小声で言ってきた。


「え、そしたら食べるのはやめとく? 僕が香織の分も食べよっか?」


僕の問いかけに、一瞬だけ目を点にした香織。

しかし、我に返って「もう、誠司の意地悪!」と拗ねた顔をして、お湯を沸かす準備を始めた。


僕が香織に「意地悪」という「冗談」を言ったのは、香織にも伝わっている。

現に、香織は拗ねた顔を見せながらちょっと笑っていた。


***


 お茶を出す準備をする香織を見て、僕はテーブルを布巾で拭こうとした。


「お花、新しくしたの?」


少し大きめのダイニングテーブルに、小さな花瓶とお花が飾ってあった。


「そうなの。 家の近くにお花屋さんがあったでしょ? そこで買ったんだ」


今年の4月に新しくできたお花屋さんのことを思い出す。

外装がかなりオシャレだったので、香織はずっと行きたがっていた。


「実家で散々花を見てきたから、家の中で飾りたいって思わなかったけど。 なんか買っちゃったんだよね」


トレイにカップとプリンを乗せて、テーブルに持ってきてくれた。


同棲を始めて、家具や家電など大分揃ってきた我が家。

言われてみれば、室内に生花やドライフラワーなど「花」にまつわるインテリアを取り入れてなかったことに気がつく。

小ぶりで薄い紫をした花だった。


「その紫、ラベンダーみたいじゃない?」


香織の一言に、目を細めて「うん、僕も思った!」と返事。


「ラベンダーパープルっていう色らしいよ」


色の名前まで「ラベンダー」だったとは。

香織のことだから、運命を感じて買ったのだろう。


「すごい偶然だね」と言うと、香織は「でしょ?」とドヤ顔だった。


「あ、そうだ。 茶葉を忘れていた」


椅子から立ち上がり、再びキッチンへ戻った香織は「抹茶プリンだから、あれにしよう!」と大きい独り言を口に出していた。


「今日のお茶は入り番茶です」

「いりばんちゃ?」


初めて聞いたお茶の名前に、不思議そうな顔をする僕。


「前にさ、一緒に和菓子を食べに行ったの覚えている? そこで出してもらったお茶と同じやつ」

「あぁ、あのときの」


買い物ついでに寄った1軒の和菓子屋さんでのこと。

いつもは混んでいるらしいが、僕らが行った日は、10分待ちでお店に入ることができた。

季節のものをイメージした練り切りが数種類あり、そこから1つを選んだものを職人さんが目の前で作ってくれたのだ。

細やかな技術と、色合いの美しさが印象的だったことは覚えている。


「香織が言っているお茶って、最後に出てきたやつ?」

「そう! 食べたあと、私がお茶も買いたいって言って、お店探したじゃん?」


練り切りで十分に感動していた僕は、最後に出てきたお茶までは少し記憶が曖昧だった。

茶葉を取り出して、お湯を注いだ瞬間。

茶葉から強い香りが。


「あ、思い出した。 ちょっと独特な香り」


お茶ではかなり珍しいスモーキーな香り。

そういえば茶葉を買ったとき、お店の人が「香りが強いので、店頭には普段出してない」と言っていた。


茶葉の香りが広がるにつれ、その日のことが鮮明に浮かんでくる。

香織と買い物を楽しんだ街並みも、職人さんの姿も、練り切りの優美さと、お茶の温かさと……。


「ね? 印象的でしょ? 匂いは独特だけど、飲むと美味しいの」


茶葉を蒸すまで約5分。

お茶を注ぐまでは、一足早くプリンに手を付けていた。

プリンの専門店とだけあって、十分に美味しい。

本当は定番のプリンがよかったが、人気商品とあって午前中のうちに完売してしまったそうだ。


「……ねぇ誠司、今日なんかあった?」

「え?」


突然、香織は僕の様子を尋ねてきた。

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