本音 2
コーヒーを淹れている間、香菜子さんの声が背後から聞こえてくる。
「そういえば、まだお名前をちゃんと伺っていませんでした。 私は保積香菜子といいます」
僕も名乗ろうと思い、慌てて体を香菜子さんの方に向けた。
「あっ、僕は野上誠司です」
このタイミングで自己紹介するのは、どうみてもおかしいが……。
「すみません、変なタイミングで。 先週は自己紹介できなかったので」
香菜子さんも同じことを思っていたようだった。
「トランプをやっていたときに、遼くんが『誠司さん』って呼んでいたので、そういうお名前なんだろうなとは思っていましたけど、一応確認で」
その話を聞き、僕の中で疑問が生まれた。
「あの……僕ってその時、香菜子さんのこと何て呼んでました?」
変な汗をかきながら、僕は香菜子さんに聞いてみた。
香菜子さんは少し考えた後、
「あの日は『館長さん!』って言っていました」
ゲームに白熱してハイテンションだった自分と……酔っ払いのノリで絡む自分。
2つを掛け合わせた感じで「館長さん!」と香菜子さんを呼んでいた自分を思い出す。
この前の自分が、どれだけヤバかったかを突き付けられた。
「ほ……本当にすみません……」
「確かに図書館の責任者ですけど、そんなエライ立場じゃないので、普通に呼んでください」
幸いにも、香菜子さんは笑い交じりにそう言ってくれたが、今の僕は苦笑いしかできなかった。
ちょうど良くコーヒーができて、僕も椅子に座る。
出来たてのコーヒーをそっとすすり、じっくりと味わった。
あれ、コーヒーってこんなに美味しかったかな……。
前回も、普段飲まないコーヒーが「悪くないな」と思っていたが、今飲んだコーヒーに感動している自分がいる。
多分、前回は酔っていたから、今日のほうがより美味しいと感じているのだろう。
「遼くん、結構喋っていませんでしたか?」
コーヒーに魅了されているところ、横から香菜子さんが話しかけてきてくれた。
「あ、そうですね。 申し訳ないことに、どんな話をしたか僕の記憶が曖昧なんですけど。 割と向こうから喋りかけてくれたなと……」
「ですよね。 夜の時間、あまり図書館に人が出入りしないので。 ついたくさん話しかけていたんだと思います」
遼くんは常連とあって、香菜子さんもよく彼を知っているようだ。
ふと、視線をずらすと、香菜子さんの近くにペットボトルに入った飲みかけの炭酸飲料が置かれていた。
誰かの忘れ物か……?
気になってじっと見つめていると、香菜子さんが僕の視線に気づいた。
「これ、私のです」
「え、香菜子さんのですか?」
予想外の回答に、大きめのリアクションをしてしまった。
確かに僕と同じコーヒーカップは香菜子さんの元には無い。
「はい。 外にある自販機のです。 苦いのが駄目なんです」
図書館にコーヒーを置いているにもかかわらず、館長である香菜子さんが苦手だとは……。
第一印象は若く見えたが、話し方や雰囲気はとても落ち着いている。
その意外性に、驚きの表情から一気に緩み、思わず笑ってしまう。
「すみません。 なんか、意外だなと思って……」
「そうですよね。 周りからは『ブラックコーヒー好きそう』ってよく言われますし」
そう言いながら香菜子さんはペットボトルに口をつけた。
炭酸のシュワシュワがかすかに聞こえる中、新たな疑問が僕の頭に浮かんでくる。
どうして香菜子さんは、自分が飲めないコーヒーを館内に置いてサービスしているのだろうか……。
もう少し関係性ができあがっていれば、図書館にコーヒーを置く理由を聞いただろうなと思った。
「ところで、今日はお仕事終わりですか?」
新たな話題を振ってきたのは、またしても香菜子さんだった。
読んでいた雑誌を棚にしまい、席に戻ってくる。
「はい。 残業もあったんですが、何とか終わりました」
「そうでしたか。 お忙しいのですね」
コーヒーの表面を見つめながら、今日のことをぼんやりと口にした。
「同期の異動が決まって、引き継ぐことが多くて……」
どちらかと言えば、片瀬から逃げるように仕事を遅くまでやろうとした魂胆もある。
「なるほど……同期がいなくなると、ちょっと心細くなりそうですね。 付き合いは長いんですか?」
何だか不思議な感じ。
香菜子さんとは今日を入れて2回しか会ってないのに、自然と話が入ってくる。
「彼とは大学から就職先までずっと一緒で。 半年前は、僕が異動だったんですけど、同期とまさかの再会でした。 完全な腐れ縁ですね……」
片瀬は今話したように、大学のときに知り合った。
彼は九州出身で、僕は東北出身。
生まれや育ち、性格や価値観も正反対だ。
そのため、一緒にいた友達のグループも最初は別だった。
3年生になったとき、学校の教育方針で各学部2名ずつと全学部の生徒とチームを組み、各チームでの授業、研修が短期間であった。
その時、同じ学部で偶然一緒になったのが片瀬だ。
案の定、社交的でリーダーシップのある片瀬は、チーム内を引っ張ってくれていたが……。
一方の僕は、ひっそりと息をしているだけにとどまっていた。
そんな中、僕が夜遅くまで自習しているのを見た片瀬が近づいてきて、
「凄えんだな。 授業料全額免除の特待生って噂で聞いていたけど、こんな難しい課題やっていたんだ……」
そう僕に言ってきたのだ。
片瀬の「凄えんだな」が、人から言われた褒め言葉で一番印象的に聞こえた。
どうやら僕のことを『優等生だから、自分は相手にされない』と思っていたらしく……。
僕が片瀬に思っていたように、片瀬も僕に対するイメージがあったようだった。
それから片瀬は、グループは違えど、僕によく声を掛けてくれるようになって……。
そして、5年生からの本格的な実習で再び片瀬と同じチームになり、就職先も一緒になり、現在に至る。
昔、片瀬は『俺たちは、お互いに足りないものを持っている関係性だ』と僕に言ってくれたが……。
実際は、僕の至らないところを片瀬がカバーしてくれているのに、僕は片瀬に何もしてあげられていない。
じわじわと自責の念に駆られていた。
「腐れ縁だなんてとんでもない。 素敵な関係だと私は思いますよ」
僕が言い放った言葉を香菜子さんは拾い上げ、やんわりと否定してくれた。
「香菜子さんに『心細くなりそう』って言われて少し気づきました。 僕はいつも、同期に助けられてばかりだなって。 彼は僕の変化や悩みによく気づくんですけど……僕は時々、それがお節介に感じていました。 異動のことを聞いて、少しホッとしている自分がいたんです。 彼に感謝しなくちゃいけないのに……」
素面だからなのか。
香菜子さんは友達でも仕事の人ではないからなのか。
言葉にしていくと、自分の本心に気づかされる。
それと同時に、片瀬の異動に「寂しさ」も感じ始めてきた。
「当たり前の人がいなくなる。 当たり前のことができなくなる。 どうして私たちは、そのことに気づかず、失ってから気づくのでしょうかね……」
「……」
目線を一点に集中し、香菜子さんはそう言葉を漏らす。
答えようとも、応えることができない。
今の僕が抱える『人生においての課題』に聞こえたからだ。
この瞬間、僕はまさに『当たり前』を失う現実に直面している。
片瀬との当たり前は、あと少しで無くなるし……。
香織との当たり前なんて、どんなに願っても二度と……。
「同期の方の異動先は、遠いのですか?」
マイナスな感情が渦巻いていたところ、香菜子さんから再び質問が振ってきた。
「長野県って言っていました。 近いような、遠いような……」
「でも、会おうと思えば会えますよね」
僕のネガティブ思考が出かけていたとき、香菜子さんは落ち着いたトーンで返答する。
「え?」
「距離は遠くても、約束すれば会える。 最初のうちは毎日顔を合わせられなくて、慣れないこともありますけど。 必ず会えるんですから。 良しとしましょう、そこは」
考えもしなかった発想に、たくさん瞬きをしてしまったが……。
「そうですね。 確かに」と結局は頷くのだった。
「言葉や行動で表すのは難しいですけど、心では感謝しないと……ですね」
丁寧に「肝に銘じます」と軽く頭を下げたのだ。
「さて、もうそろそろ遼くんが来ると思うんですが。 誠司さんお腹空きませんか? もしよかったら、コンビニかどこかに行きますか?」
香菜子さんは席から立って、時計の近くまで歩き出した。
「あ、いやでも……」
そこまで気を遣わせて申し訳ないと思い「僕はもう帰ります」と言おうとしたが……。
自分が家に帰ってからのルーティンが頭によぎる。
「そしたら僕、何か買ってきましょうか」
また酒を飲んでしまうと思い、自分から買い物に行こうとした。
すると、香菜子さんから「シュークリームとスティック野菜」と、組み合わせが謎すぎる注文が入ってきた。
「それ、晩ご飯になりますか?」
「私にとっては夜食です。 スティック状の野菜なら、誠司さんも食べられるでしょう?」
僕にまで恵んでくれることに心が少しほっこりした。
「念のため確認なんですけど。 ここで食べてもいいんですか?」
「大丈夫です。 夜だけ特例です」
真顔で返ってきたので、それが妙に面白かった。
僕はそのまま出口へと向かい、図書館を後にする。
『必ず会える』
片瀬とはできても、香織にはそれができない。
それが言葉にならないくらいの葛藤があった。
だが、香菜子さんの言うように、片瀬まで失いたくないという気持ちがあったお陰で、なんとか持ち堪えようとする。
流れてきそうな涙をしまって、僕は駆け足でコンビニへと向かった。




