金曜夜の図書館 5
さっきまでお酒を延々と飲んでいた僕。
ここ2週間の水分摂取は、お酒が八割を占めていたのではないかと思うほどだ。
それがどういう訳か。
手元にはコーヒーを持っている。
スッと入ってくるコーヒーを一口、また一口ゆっくりと飲んでいく。
黙ってコーヒーを飲む僕を、横で座っていた遼くんはどう思っていたのだろう。
僕のせいで、退屈な思いをしているかもしれない。
ひょっとして「俺に帰れって言うんじゃなくて、お前が帰れよ」とか思っていたりして。
自問自答を頭の中で繰り広げていた。
「家に帰りたくない理由でも、あるの?」
僕よりもずいぶん年下の19歳。
僕からしたら「少年」だ。
親といるのが何となく気まずいとか、敏感に感じ取ることが多いのかもしれない。
香織のことで頭がいっぱいだったのに、今は自ずと人様の話に耳を傾けようとしている。
これも酔っているからできる行動なのか。
「帰りたくない、という訳じゃないんですよね」
遼くんは、口を付けてなかったコーヒーカップに触れて、ゆっくりとコーヒーをすすった。
少し間が空いた後、
「純粋にここが好きなんです。 僕、小さい頃からこの図書館の本を借りていたので……誰も居ない、自分しかいない図書館って特別な感じがして。 独り占めしているぞ、みたいな」
静寂に包まれた館内見渡し、言葉を嚙みしめるように言い切った遼くんは、僕ににっこりと笑いかけてきた。
「そこの棚に絵本があるじゃないですか? 多分、ほとんど借りて読んだことあります。 最近新しく入った本は分からないですけど……」
指をさした先には、僕もちらっと見かけた本棚があった。
遼くんはゆっくり立ちあがって、本棚に向かっていく。
おもむろに手に取った絵本を見て「うわぁ、懐かしい」と言いながら表紙を見せてくる。
「誠司さん、これ知ってますか?」
表紙にはネズミの家族が描かれたものだった。
「あ、知っている。 それ、何冊かシリーズ化されているよね。 僕、個人的に『あさごはん』が好きだった」
僕の返答に遼くんも「あぁ! 読んだことあります!」と食い気味だった。
絵本の中身を優しい目で見る遼くんの姿から、本当に図書館が好きなことが伝わってくる。
とても温かい光景なのに、僕は罪悪感に苛まれた。
「ごめんね、遼くん。 僕、ちょっと邪魔しちゃったよね」
僕の謝罪に「どうして急に謝るんですか?」と困惑した顔をした遼くん。
「図書館を独り占めしたかったはずなのに、申し訳なかったなと思ってさ。 僕は、その、お酒の勢いに任せて、たまたま行きついたのが図書館だったから」
肩を落として言った僕を見て、何故か吹き出して遼くんはさらに笑っていた。
「誠司さん、お酒の勢いって……あ、いや、邪魔なんて。 そんなことは全然思ってないですよ!」
全力で否定してくれたが、僕自身は本当に申し訳ないことをしてしまったなと猛省。
「うん、本当にごめん。 そもそも僕、今ちゃんと会話できている? 初対面なのに、馴れ馴れしく絡んで、余計なこと話してうるさいなとか思っていない?」
ずっと心の中で思っていたことを、結局吐き出してしまった。
親切にしてくれたのに、僕は素っ気ない態度をとってしまって。
それなのに、お節介な質問や言葉を掛けてしまって。
僕はやっぱり、誠実な人間ではないのだ。
「誠司さん、本当に大丈夫ですから! 顔が赤いなとは思いましたけど、喋った感じ普通ですし、会話も成立しています! うるさいのはむしろ僕のほうだと思うので! そんな気にしないでください!」
遼くんは念を押すように言ってきてくれた。
遼くんは底抜けに明るい訳で、僕から見てうるさいとは感じなかった。
最初は図書館に中で、声のボリュームを落とさずに喋っていた遼くんには驚いたが……。
今は僕も普通に喋っている。
「あ、いや。 遼くんのこと、うるさいとは全然思ってなかったよ。 僕が元々そんなにテンション高くないから、その分明るく見えるなと思っていたくらいで……」
心を宥めようと、丁度いい温度になってきたコーヒーを飲みながらそう言った。
「珍しく図書館に人が来たから、少し舞い上がっちゃって……でも誠司さん、普通に僕と話してくれるから、すごく嬉しかったです!」
今の遼くんの言葉には、嘘が無いように思えた。
自分の気持ちをすらっと言葉にしてしまう遼くんのことが新鮮。
というか、いいなと思った。
今の僕、どんな顔をしているのだろうか。
笑えているのか、困っているのか、恥ずかしがっているのか。
でも、泣いていないはず。
きっと。
「誠司さん、せっかくと言ったら何ですけど、もう少し僕に付き合ってくれませんか?」
絵本をしまい、僕のところに戻ってきた遼くん。
隣に座るかと思いきや、僕の真正面に腰を掛けた。
黙って遼くんの動きを見ていると、ポケットの中から小さい箱を取り出す。
「トランプ?」
「はい、いつも香菜子さんとスピード対決するんですけど、香菜子さん強くて全然勝てないんです。 僕の特訓相手になってくれませんか?」
遼くんは箱から開けて、手際よく黒と赤のカードを二手に分けていく。
「スピードだなんて久々だけど……相手になれるかな、僕」
人から頼まれると断れない性分に抗えず、黒い絵柄のトランプを受け取った。
「じゃあ、4枚出しましょう!」
手札から4枚、机に並べていく。
数字がダブっているものがあって、ゲームの先行きが怪しそうだった。
それよりも、こんな真夜中にトランプをするとは……。
数十分前まで、アルコールに浸食された頭と体をどうにかしないといけない。
そう思っていたが、今度はアドレナリンがじわじわと出てきた。
「ちょっと待って。 始まる前にルール確認していい?」
心拍数まで上がってきてしまい、ゲーム開始直前に待ったをかけた僕。
ちょっと卑怯なことをしたかと思ったが、遼くんは「いいですよ!」と手持ちのカードを使いながら説明してくれた。
遼くん。
僕なんかよりも、君のほうがはるかに「良い人」だよ。
そう言ってあげたかった。
「では始めますよ?」
「せーの!」
2人で掛け声を合わせて、ようやくゲームがスタート。
捲ったカードは……。
「あ! 出せるカードがない!」
僕にとって、この日一番の声が出た。
「おお! カードがどんどん出せる!」
とんとん拍子でカードを出していく遼くん。
ゲームをやっていて、何となく思ったこと。
図書館という公共の場で、絶対にやらないことをやっている背徳感。
この感じが悪いようで良いのかもしれない。
ゲームスタートから数分経ったのち、
「もう1回やらない?」
どちらかともなく、ゲームは盛り上がりを見せた。
「はじめまして」からそう時間は過ぎていないのに。
どうしてだろう……純粋に楽しかった。
そんなこんなで、不思議な夜のひとときはこうして始まったのだった。




