金曜夜の図書館 3
女性が見えなくなったのを確認し、心の中で「やってしまった」と叫びながら天井を見上げた。
夜なのに煌々と明るい照明に目線を持っていくと、自然と目を瞑ってしまう。
静まり返った館内。
ここは図書館のはずなのに……。
コーヒー1杯出されると、まるで喫茶店にいるようだ。
あぁ、それにしてもこの後どうしたらいいのだろう……。
外していた眼鏡を掛けようと、天井から机に視線を戻す。
眼鏡を装着すると、ぼんやりした世界から、現実世界に戻されたようだった。
自分の今いる居場所をひとしきり見渡してみる。
考えてみると、これだけ本に囲まれた空間にいるのはかなり久しぶりだ。
自分が座っているところから分かる限りだと、子供たちが読みそうな絵本も置いてあった。
本棚の高さも大人の腰ぐらいで、あまり大きすぎない。
コーヒーが置いてある近くには、新聞や雑誌も置いてあった。
専門的な本や小説となると、上の階にあるのだろうと考える。
図書館といえば、僕にとって確か……。
「!」
図書館といえば大学時代だ。
当時は勉強に明け暮れていた僕。
図書館という静かな環境と、自習用のスペースがあったため、頻繁に利用していた。
「勉強しなければ」というピリピリした感覚も思い出す。
今となっては、こうしてコーヒーを飲み、6人掛けの開放的な席に一人で座っている。
着実に時は経っているのだった。
「そうだ、思い出した」
香織との出会いは、大学時代に通っていた図書館だった。
またしても無意識のうちに涙が滲んできて、
「あぁ、すぐこうやって……」
左頬を通った涙を強く拭う。
気持ちを紛らわすようにコーヒーを冷ましもせず、口に含んだ。
「熱!」
反射的に動いたせいで、少しコーヒーを溢してしまった。
今日の僕は本当に情けない。
「大丈夫ですか?」
またしても誰かの声が聞こえた。
横を見ると、声の正体はフードを被った華奢な体つきの男性が姿を現す。
「あぁ、すみません。 特に何とも……」
男性はコーヒーにあるテーブルから紙ナプキンを何枚か持ってきてくれた。
「よかったら使ってください」
僕に紙ナプキンを渡してくれた男性。
コーヒーメーカーの近くにあった布巾で、零してしまったコーヒーまで拭きとってくれた。
「ありがとう、ございます」
コーヒーを零した焦りと、初めて会った人への警戒心でお礼がぎこちなくなってしまう。
テーブルは綺麗に片付き、コーヒーカップの中身だけが僅かに残っていた。
「もしよければコーヒー、追加しますか?」
男性は僕に恐れることなくハキハキと話しかけてくる。
否定することが苦手な僕は「あぁ、じゃあ、いただきます」と答えた。
僕の暗い気持ちを知らない男性は、軽やかに僕のカップを拾い上げ、コーヒーを注ぎに行く。
男性の顔をちゃんと見てない分、華奢な背中を見つめる僕。
ダボっとしたパーカー姿が印象的。
この人はもしや、図書館の外で見かけた人ではないか?
僕と同じように深夜徘徊をしていた人。
だが、僕とは明らかに違うのは、気持ち的に余裕がありそうなこと。
それと、この図書館に目的を持って入ってきたであろう感じがしていた。
一方で気になるのが……。
僕が図書館に入って椅子に座るまでの間、どこにいたのだろう。
考え事をしている間に、男性は僕のところに戻ってきた。
僕と目が合うと、目が無くなってしまうほど微笑んで「お待たせしました! 熱いですよ」とコーヒーを持ってきてくれた。
ずっと親切にしてくれる男性に、申し訳なさがずっと先行してしまう。
「すみません。 初対面なのに色々とやっていただいて……」
顔を見てみると、相手は童顔だった。
肌艶からして学生だろうと想像する。
「隣、いいですか?」
律義に聞いてきた男性に「え?」と心の声が漏れてしまった。
席は他にも空いているのに、どうして僕の隣なんか……。
「その、誤解を解こうと思いまして。 僕の顔見て『こいつ学生だろ?』って思っていますよね」
僕が思っていたことをまんまと読まれていたのだった。
「あ、いや。 そういうつもりじゃ……」
必死に否定するが、僕の同意もなしに隣へ座る男性。
逃げるには手遅れだ。
「一応、高校は卒業していますよ! 年齢は……ご想像にお任せします!」
血色はあまりないが、元気よくそう言ってきてくれた。
僕の態度や思い込みに怒ってないかと思ったが、そういう感じではなさそうだ。
「お兄さんと香菜子さんのやり取りが聞こえてきちゃって……」
「香菜子さん?」
知らない女性の名前が出てきたので、無意識にオウム返しをした。
「さっきの人、館長の香菜子さんです。 落ち着いた喋り方ですけど、若そうに見えるじゃないですか。 香菜子さんがお兄さんに『未成年じゃない』って言っていたのを聞いて『僕のことも同じように思うだろうな』って想像できて」
僕と女性……香菜子さんとのやり取りが筒抜けだったらしい。
「あ、ずっと盗み聞きしてないですよ! 僕、トイレにいたんですけど、建物が古いから声が響いちゃうんです!」
僕が険しい顔をしていたせいか、必死に否定された。
よく周りには「表情に出やすい」と言われるが、初対面の人にもそう思われているのだろうか。
お酒を飲んでいたから、余計そう見えるのだろうと思いたいところ。
でも、香織にはしょっちゅう言われていた。
『誠司って本当に分かりやすいんだから! でも、そこが好き』
香織の言葉に癖を感じることは無くて、むしろ「そうかな」と満更でもない返事がすぐにできる。
目の前の彼には「分かりやすい」と直接的に言われた訳じゃないのに。
何故こうも違うように聞こえるのだろうか。
「僕は遼っていいます。 金曜日の夜はだいたい来ています。 日中も、気分によっては来ていますけど」
軽やかに自己紹介をしてくれた。
フードを外した彼は、眩しいほどの銀髪に、両耳にピアスを付けた、僕とは真逆タイプのお洒落な青年。
そして図書館の常連らしい。
自己紹介をされたからには、僕も名乗ることにした。
「僕は……野上誠司です」
「誠司さん、ですね!」
見た目が派手なわりに、敬語で話してくれて、僕のことを「さん」付けで呼んでくれる。
「えっと。 遼くん、でいい、ですか?」
人様をどう呼べばいいのか迷ってしまった。
僕の緊張感とはよそに「はい! 何でも呼んでください! あと、敬語じゃなくていいですから!」と気さくに返事をしてくれる。
僕は「じゃあ、遼、くんで」と答えるのがやっとだったが……。
微笑んだ彼を見て、僕が「遼くん」と呼ぶことに同意してくれたと捉えた。
「誠司さんって、ここの図書館に来るのは初めてでしたっけ?」
会話のキャッチボールは思っていたよりも続きそうだった。
「そ、そう。 だから、夜開いていることも知らなくて」
夜中で外装がよく見えないが、所々で建物自体が古いであろうことは予想がつく。
腕を組んでいた遼くんは突如、
「確かに! こんな夜遅くに図書館が開いているのは珍しいですよね! というより、日本で深夜に開いてる図書館ってここしか……」
「あ、あのさ遼くん。 そんなに大きい声で大丈夫、なの?」
僕は場所を考えて、いつもより声量を落としていた。
建物が古いのも理由だと思うが、遼くんの声はかなり通りやすい。
「大丈夫も何も、今は僕と誠司さんしかいないですし、問題ないですよ!」
心配を払拭することを言ってくれたが、別の心配が発生した。
「え? 僕ら、だけ?」
僕の表情は強張った。
「香菜子さんは多分、別の用事で席を外していると思いますけど。 誠司さん、もしかして怖いですか?」
「ちょっと、ね。 僕、お化け屋敷とか苦手だから……」
「誠司さん、ここはお化け屋敷じゃないですって!」
遼くんは僕の言葉にウケていたが、僕は引きつった表情を浮かべる。
図書館は1階しか照明が点いていない。
それ以外は開放していないとはいえ、本に囲まれた中で男2人……香菜子さんも入れたとしても3人しかいない。
それでも遼くんは笑いながら話を続けた。
「この時間、1階以外は閉鎖。 今見渡せる1階しかスペースが無いわけですから! 僕もいますし、大丈夫ですよ!」
ハキハキと話す遼くんに思わず感心してしまう。
「そ、そうだよね?」
「大丈夫ですって! 怖いものがあったとしたら、死ぬことぐらいじゃないですか! だから心配しなくても大丈夫ですよ!」
「えっ?」
明るく話していた遼くんが突然、意味深なことを言い出した。
それもそう。
今の僕の中で「死ぬこと」は最も心を痛める言葉だ。




