どうしようもない世界だ
夜のコンビニの前。
自動ドアが開くたび、白い光とぬるい風が吐き出される。
私はそれを背中で受けながら、スマホの画面を伏せた。
タイムラインには、正しさが溢れている。
頑張れという言葉。
生きていればいいことがあるという断言。
命は大切だという結論。
誰も私の一日を知らないまま、結論だけを投げてくる。
朝、満員電車で押し潰されながら、今日も無事に職場に着けたことを褒められる。
残業して、終電を逃さなかったことを評価される。
空気を読んで黙ったことを、大人になったと言われる。
怒らなかったことを、成長だとされる。
そうやって少しずつ、逃げ道が削られていく。
「選択肢はある」と言われながら、選んでいいものは決まっている。
違う道を選べば、自己責任という名前の崖が用意されている。
私は特別不幸ではなかった。
家もある。
仕事もある。
最低限の人間関係もある。
だからこそ、苦しい理由を説明できなかった。
夜になると、頭の中が静かになる。
音が消えた分だけ、言葉が浮かんでくる。
「もう十分じゃないか」
「これ以上、何を証明すればいい」
誰かに助けを求めようとして、何度も文章を書いては消した。
重いと思われたくなかった。
甘えだと思われたくなかった。
正解の言い方が分からないまま、時間だけが過ぎた。
追い詰められた末に立った場所は、誰にも見えない崖だった。
目の前には、はっきりとした終わりがあった。
不思議と怖くはなかった。
ただ、やっと選んでいい気がした。
そのとき、思い出したのはニュースの言葉だった。
「若者の自殺は社会問題です」
「命の大切さを伝えていかなければなりません」
社会問題。
その言葉の中に、私はいなかった。
個人ではなく、数字としての私。
対策の対象としての私。
踏み出す寸前で、誰かの顔が浮かんだわけでもない。
未来の夢が蘇ったわけでもない。
ただ、怒りが残った。
ここまで追い込んでおいて、最後だけ綺麗な言葉で止めに来る、その構造への怒りだった。
結局、私は崖から離れた。
理由は立派じゃない。
死ねなかっただけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
翌日も世界は同じ速度で動いていた。
電車は遅れ、上司は苛立ち、ニュースは命を守れと言った。
私はそれを聞き流しながら、また歩いた。
生きていることを選んだのではない。
ただ、まだ終わっていないだけだ。
その曖昧さの中で、私は今日も若者として存在している。
誰にも称賛されず、
誰にも理解されず、
それでも確かに、私はここにいる。




