1 栄光の手
「これはきっと、知ってはならない真実だったのですわ。」
亡霊の潜む地下の闇に、カメリアの悲しげな声だけが響く。
私は何もいえなくて、視線を落とした。
石畳の足元には赤い足跡と、それから…。
「知ってしまったら、もう後戻りできないのですから。」
事件の始まりは十数時間前に遡る。
「カメリア様、馬車のご用意ができました。」
「ありがとう、ヒルダ。
では参りましょう。」
私が呼びに行くと、カメリアは浮かない表情でそう答えた。
馬車へと乗り込む彼女に手を貸すと、カメリアは私に「ヒルダはこの婚約をどう思いますの。」と訪ねた。
「ローゼンベルク侯爵家はこの国で最も歴史の長い家の一つであられます。
そのご子息ユリウス様とあれば、カメリア様のお相手として申し分ない方だと思います。」
「そうですか。」
カメリアの長いまつ毛が彼女のブラウンの瞳に影を落とした。
従者に過ぎない私にはこのような返答しかできないことはカメリアにもわかっていただろう。
ユリウスはカメリアに一度会って話したいと彼女を侯爵邸へと招いた。
相手がローゼンベルク侯爵の子息となればカメリアとて無碍にはできない。
気が重くともローゼンベルク侯爵邸を訪れないわけには行かないのだ。
カメリアがこの婚約に乗り気でないことには理由がある。
幼い頃から決められていた第二王子との婚約が破棄されてからまだ一年も経っていないのだ。
そしてユリウスとカメリアの婚約にはもう一つ心配があるのだが…。
私は複雑な心境を口にできないまま馬車を走らせた。
やがて見えてきたローゼンベルク侯爵邸は、邸宅というよりお伽話の城のようであった。
高くそびえ立つ尖頭の四つの塔は、本館を外敵から守るかのように囲んでいる。
大理石の門を抜けてローゼンベルク侯爵邸の庭へと入ったとき、一人の婦人が馬車へ駆け寄ってきた。
「ようこそおいでくださいました、カメリア嬢。」
出迎えたのはローゼンベルク侯爵夫人だ。
「本日は探偵のお仕事はお休みかしら。」
ええ、と答えたカメリアに侯爵夫人は「それはよかったわ。」と嫌味を込めて言う。
「血生臭い匂いを屋敷に持ち込まれてはたまらないもの。」
私のもう一つの心配がこれだ。
第二王子との婚約が破棄された要因となった冤罪を自らの手で晴らしたカメリアは、その殺人事件をきっかけに探偵になることを決心した。
鮮やかな推理で数々の事件を解決したカメリアの活躍は国中に知れ渡った。
カメリアを称賛する者も多い一方で、貴族の中には悪趣味な悪女だとカメリアを非難する者も多いのだ。
「これからはローゼンベルク侯爵家の者に相応しい行動をしてもらうことになるわよ。」
嘲笑するローゼンベルク侯爵夫人に、カメリアは「まだ婚約が決まったわけではありませんわ。」とだけ答えた。
ローゼンベルク侯爵夫人は従者を呼びつけ、カメリアを屋敷内に案内するよう命じた。
大階段の前にある広間へ通されたカメリアは、壁際に置かれたマントルピースを凝視した。
後ろに控えていた私に、「ヒルダ、あれは何かしら。」と囁いた。
カメリアの視線を追った私は驚愕した。
マントルピースの上に飾られていたのは、干からびた人間の手だった。
細い手首や丸みのある指先が幼いのに、関節が黒く霞んでいるそのアンバラスさが得体の知れない不気味さを掻き立てている。
「それは"栄光の手"ですよ。」
柔らかな男性の声が広間に響いた。
カメリアは声がした階段の踊り場を見上げた。
「お会いできて光栄です、カメリア様。」
オリーブ色の瞳を輝かせ、カメリアに微笑みかけるユリウスが立っていた。




