出逢い③
その日の帰り道、瑞貴はどこかで獺に遭うだろうと予想していた。『またな』と言っていたあの様子。それに、これまでの妖怪たちの行動パターンを考えると、宝珠に用のある妖怪はすぐに接触してくる。だいたい、妖怪というのは寿命が長いくせにせっかちなのだ。
予想はしていたのだが、瑞貴が獺に遭遇したのは意外な場所だった。文化祭の初日が終わり、簡単な片付けと翌日の準備をして、午後五時には下校した。帰宅ラッシュで混み始めた地下鉄の車両の中で、そいつは瑞貴に近付いてきた。
『宝珠さん。先ほどはどうも』
互いの肩が触れ合うほどには混雑している車内で、吊り革につかまっている瑞貴のすぐ横に立った眼鏡の青年が囁いた。ツーブロックの髪型に、やや甘い顔立ちの爽やかな青年は、パーカーにデニムパンツの今時の大学生風の服装で、片手に文庫本を広げている。瑞貴が怪訝そうに横目で見ると、青年はさらににっこりと笑顔を作る。
「獺……」
『あ、そうです。よく分かりましたね。地元では、カワソとかカブソとか呼ばれてますけど』
「それで、ご用件は」
冷たくあしらう瑞貴の態度にもめげず、獺は肩を寄せてくる。満員電車で妖怪と密着するなんて、あまり気持ちのいいものではない。
『ええ。宝珠さんにお願いがありまして』
「黒猫に化けて人を驚かしておいて、お願い事ですか」
『あれ。お気を悪くされました?僕なりのジョークだったんですが。黒猫も風船も、雰囲気にはぴったりだったでしょう?』
吊り革に体重を預け、青年はお茶目に笑う。なるほど、獺としてはエンターテインメントのつもりだったのか。瑞貴は呆れながら、青年の手元の文庫本をちらりと見る。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、しかも下巻だ。小道具ではなく本当に読んでいるのだとしたら、なかなかインテリジェンスが高そうだ。
「で、お願い事ってなんですか」
『僕、人魔相殺の契約をしたいんです』
甘い笑顔のまま事もなげに獺は言うが、瑞貴は息を呑み、その勢いで激しく噎せ込んだ。
『大丈夫ですか?宝珠さん』
「だ、大丈夫……いや、大丈夫じゃないか。ちょっと、この話は電車を降りてしましょう」
瑞貴と獺は、次に停車した駅で地下鉄を降りた。よく知らない駅だったが、スマホで調べて、ほど近いマクドナルドにとりあえず入った。
『うふふ。いいですね、こういうの。人間っぽくて』
獺は、フィレオフィッシュバーガーのセットの載ったトレイを運んで席に着き、楽しそうだ。瑞貴はチーズバーガーセットを前に、複雑な表情をしている。ファストフード店の喧騒は、話をするにはちょうどいい。誰も二人の会話を気には留めまい。
『僕は泉刻一って言います。石川県出身です。泉は、泉鏡花の泉です。石川県が誇る文人ですから』
刻一と名乗った獺は、早速ハンバーガーにかぶりついて満足そうにしている。瑞貴はポテトをつまんでコーラを飲みつつそれを眺め、尋ねた。
「なんで、人魔相殺したいんですか」
人魔相殺とは、二度と妖怪に戻らない代わりに人間の姿を得る契約で、妖魔と宝珠の間で交わされる。寒月峰神社のある暁父山の稲荷の狐で、タカネとフウロの母である雪絵は、瑞貴の先代の宝珠だった巫女・祀と人魔相殺の契約をしていた。
動機を訊かれた刻一は食べかけのハンバーガーをトレイに置き、急に改まって眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げると、居住まいを正した。
『僕は人間に憧れているんです。昔から本が好きでよく読むんですが、人間の感情というものに興味があるんです。妖怪のままでは、どうしても人間の感情がよく分からない。人間になって、感情というものを味わってみたいんです』
純真な瞳をきらきらと輝かせて刻一は語った。妖怪も十分、感情豊かなのではないかと瑞貴は思ったが、刻一にとってはそれでは足りないのか。
『人間の感情は、繊細で難しい。妖怪にはない感性がありますよね。僕はそれが知りたい。勉強して、詩を書いたりできるようになったら、素敵ですよね』
刻一は背筋を伸ばしたまま、首を傾げてうっとりと遠い目をする。妖怪が詩を書く。そう言われると確かに、妖怪にそういう感性はなさそうだ。
『百五十年待ったんです。僕は今年で二百二十一歳ですけど、先代の祀様とは契約できなかったので、次の宝珠さんが現れたらきっと、って思って心待ちにしてたんです。宝珠さんに会えてあまりに嬉しくて、つい調子に乗っちゃいました』
妖怪の寿命としてそれがどのくらいなのかはよく分からないが、それだけ長い間気が変わらないということは、決意が固そうだ。刻一は期待に胸を膨らませているようだが、そこには大きな問題がひとつあった。瑞貴はコーラを飲み、咳払いをすると、刻一の甘い顔を見据えて言った。
「刻一さん。正直に言います。僕は宝珠ですけど、まだ人魔相殺のやり方を知らないんです」
『えっ⁉』
「半年前にこの力を得ましたけど、これまでの宝珠のように、子どもの頃から修行したり勉強したりしてきたわけじゃないんです。急に宝珠の力を得て、やっと力の使い方を覚えてきたくらいで……。今後、人魔相殺ができるようになるかどうかも分かりません」
『あぁー……』
瑞貴の告白を聞いて、刻一は一瞬、がっかりと肩を落とした。しかし、すぐに気を取り直して、爽やかな笑顔を浮かべる。
『そうですか。でも、大丈夫です。もう百五十年、待ちましたから、あと数年待つくらい、なんでもありません』
何が大丈夫なのかよく分からないが、刻一はまったく退かない。数年待てばできるようになるという保証もないのに、と瑞貴は渋い顔をして、ポテトを口に運び続けた。
『では、宝珠さんが人魔相殺できるようになったら、一番に僕と契約してください』
どうやら諦める気はなさそうだ。刻一の曇りのない笑顔を、猫背になりつつ恨めしそうに瑞貴は見た。
(これは、美弦さんに相談だな……)
美弦は瑞貴の従兄で、寒月峰神社の神主をしている。夏休みには禊や山駈けなど、宝珠の力を扱うための修行を共にしてくれた兄のような存在だ。寒月峰神社の宮司である瑞貴の祖父も、何か知っているかもしれない。百鬼夜行以降、しばらく妖怪と関わらずに済んでいたので宝珠の修行のことから少し心が離れていたのだが、急に現実に引き戻された。やはり逃れられない運命か、と瑞貴は目を閉じて心の中で呟いた。
※カクヨムでも同じ作品を掲載しています。カクヨムでは章ごと、なろうではパラグラフごとの掲載です。




