交錯②
二週間ほど平穏な日々が続いていた。橋姫はあれ以来現れず、ブログを見ると京都に戻っているようだった。瑞貴が土蜘蛛と闘っている写真をたくさん撮られていたはずだが、ブログにその写真は載っていなかった。櫻子ともあれ以来、お互いに連絡は取っていない。
『主さま、次に妖に襲われた時には、我らを召喚してくださいね』
ブログを眺めていると、瑞貴の式神である管狐のタカネがピョンと跳ねて言った。
『そうです。我らは主さまをお守りするよう言いつけられておりますゆえ』
タカネの妹のフウロも口を揃える。この管狐たちは、瑞貴の父の千歳の実家である寒月峰神社のある暁父山の出身だ。いつもは竹筒の中に入っており、竹筒はリュックサックにぶら下げている。
「いや、本当にそれには及ばなかったんだよ。あれは全然本気の戦闘じゃなかった。何だったんだろうな」
『小手調べということなら、きっとまた襲ってきます』
『その時にはどうか、我らも召喚を』
二匹は勇んで、縁起でもないことを言う。
「分かった、分かった」
家ではまるでペットのようにじゃれ合い、昼寝し、寛いでいる管狐は、妖怪にしては世間知らずで狡賢さに欠ける。役には立ちたがるが、まだまだ危なっかしい。もっとも、柄掛山の天狗と闘った時、フウロは身を挺して瑞貴を守ろうとしたこともあったが。
日曜日の昼下がり、瑞貴は自宅で来客を待っていた。今日は蒼が訪ねてくるのだ。瑞貴を、というよりは、千歳を、である。
「わざわざ家まで来てもらわなくても良かったんじゃないか」
「僕もそう言ったんだけど、なんか渡したいものもあるからって」
千歳は研究の都合で休みが不定期だが、今日は珍しく日曜休みで家にいた。瑞貴の家は父子家庭なので家事は分担しており、今日は昼食の後片付けを瑞貴が、洗濯物を畳むのを千歳がやっている。瑞貴が二歳の頃に母と死別して以来、父は実家を飛び出して瑞貴と二人で暮らしており、お互いに慣れたものだった。
蒼がやって来たのは午後二時過ぎだった。前髪を切り揃えた特徴的なマッシュヘアの蒼は、地模様の入った上質なワイシャツを着ており、いつも理知的で上品な風貌だ。綺麗に包装された手土産の立派なシャインマスカットを恭しく千歳に手渡す。
「気を遣ってもらって、却って申し訳ないな」
「いえ。香油の御礼です。おっしゃる通り、刀の霊力が格段に上がりました」
「そうか。あれは試作品だからね。ちょっと使ってみてもらいたかっただけで、御礼を言われるほどではないよ」
千歳は蒼をリビングに通してソファを勧める。
「そんなに違うものですか?」
リビングのローテーブルに、冷たい麦茶の入ったグラスとマスカットを盛った皿を出しながら、瑞貴は尋ねた。刀の霊力といっても、蒼は滅多に妖怪を斬ることはない。刀を振るわなくても、霊力が上がったのが分かるのだろうか。そんな瑞貴の疑問を見透かしたように、蒼は話し始めた。
「先日、六花と一緒に、手長婆に会いに房総の方まで行ってきた」
「えっ?あの腕を斬り落とした手長婆ですか?」
夏の百鬼夜行の最中、妖怪との間に交わしていた取り決めを破って人間を攫おうとした手長婆の片腕を、蒼はその小太刀で斬り落とした。そしてその腕を持ち帰り、取り返しに来ることを見越して保管していたのだ。
「訪ねてくるのかと思っていたが、奴は俺の夢枕に立つようになった。毎晩現れて、腕を返してほしいと言うんだ。それで俺は、棲み処の山の妖怪のデータベース登録に協力するなら返すと言ったんだ」
夢枕に立った妖怪と取り引きをするとは、さすが蒼だ。瑞貴は上目遣いに蒼の顔を見たが、蒼は淡々と話を続けた。
蒼と六花は夢のお告げ通り、南房総の山に手長婆の片腕を持って向かった。山に入ってすぐに、狸が何匹か駈けつけてきた。人間には化けていないが、人語を話す狸だった。その中の長老のような狸に『そのように霊力の強い太刀を山に持って入られたら困ります』と止められたのだ。山の妖怪を引きつけてしまい、持ち主の身も危うくすると言う。蒼が手長婆の腕を返しに来たことを説明しても、狸は道を譲らない。押し問答となった末、手長婆の腕を見せろと言い出した。仕方なく、蒼は白い布に包んだ丸太のような包みを開いた。石化した枯れ枝のような手長婆の腕が露わになった瞬間、山の上から数十メートルもあろうかという細く青白い長い腕が伸びてきた。そこで蒼はすかさず鞘から小太刀を抜き放ち、斬られた片腕を掴もうとした手にその切っ先を突き付けた。刀は触れてはいなかったが、伸びてきた腕はまるで感電したように火花を散らし、びくびくと痙攣した。「もう片方の腕も斬られたいか」と蒼が凄むと、長老狸が慌てて『いや、これほどにお強い剣士様とは知らず、ご無礼つかまつりました』と平謝りに詫びた。蒼たちは狸の案内で手長婆の元へ行き、腕を返してやった。興味を持った蒼は外科医の腕を振るい、手長婆の腕を縫合して再接着してやったそうだ。さすがに妖怪だけあって、綺麗に縫い繋げられた腕はまもなく動くようになり、手長婆もその仕上がりにいたく感激していた。
「ははは。それは、刀の霊力というよりは、蒼くんが妖怪より一枚上手だったってことだな」
お伽話のような顛末を聞いて笑っている千歳を見て、蒼もほんのり微笑した。
「山の妖怪たちは調査に入られるのが嫌だったんでしょう。だから、山には入らせず、腕だけ奪い返そうとして失敗した。でも、その後は快く協力してくれましたよ」
しかし、話はそれで終わりではなかった。蒼は革の鞄からビニールのジッパーバッグを出して、ローテーブルの上に置いた。中には一掴みほどの植物が入っている。
「手長婆の腕を綺麗に縫ってやったら、礼にこれをもらったんです」
「ほぅ……」
千歳は興味深そうにジッパーバッグを手に取り、バッグの上から丹念に眺めた。硬い肉厚の葉が輪状に重なった天辺に、小さな黄色い蒲公英のような半球状の花が房状に密集している。
「イソギクに似てるが……花も葉も少し大きいな。葉や花の形から、キク科ではあるようだが、花の時期にはまだ早い……」
独り言のように呟き、千歳はジッパーバッグの口を少しだけ開けて匂いを嗅ぐ。すっかり研究者の顔になっている。
「香りが強いな。菊の香りと……少し甘みと苦みがある」
「手長婆は、山の奥深く、人の踏み入れない土地に生えている薬草だと言っていました。俺が持っていても役立てられないので、上条さんの研究に使えそうならと思ったんです」
一瞬、自分の世界に入り込んでいた千歳は、蒼の言葉にはっと我に返る。
「そうだね。新しい調合ができたら、また試してみてもらえるかい?」
「ええ。それが……」
蒼は若干淋しそうな表情をして言葉を濁した。
「十月から、調査員ではなく民保協の技術部の研究員になることになったんです。ですから、自分であの刀を持つこともなくなります」
「やっぱり、異動を取り消しにはしてもらえなかったんですか」
横から残念そうに問うた瑞貴を振り返って、蒼は空虚な笑いを洩らす。
「ああ。佐竹統括に申し入れをしてみたんだが、技術部の研究員に欠員が出て、人が足りないからひとまず行ってほしいと言われたんだ。俺じゃなくてもいいような口ぶりだったが、他にいないらしい」
やはり、六花と蒼はバディ解消になってしまうのか。瑞貴は項垂れた。二人の様子に首を傾げる千歳に、技術部に異動が決まった経緯を蒼が説明する。
「それは、研究員が足りないってことなのかな」
「はい。俺が医者なので、研究員としてもやっていけると判断されたんでしょう。俺は一応、学位も持ってますし」
「新しい研究員が見つかれば、君たちのペアは解消しなくて済むってことか」
「……。分かりませんが、そうかもしれません」
「じゃ、僕が民保協の研究員になるっているのは、どうかな」
「えっ⁉」
突拍子もない千歳の提案に、瑞貴の方が素頓狂な声をあげた。蒼も、目を瞠って千歳の顔を見ている。
「今の仕事はどうするの⁉」
「仕事は続けるさ。共同研究って形にすればいい。企業や組織が研究協力をすることなんて珍しくないからね。うちの会社から依頼をかけるのは難しいから、民保協の方から依頼をしてもらわなきゃいけないけど」
「そりゃ、上条さんほどの人材なら、民保協も願ったり叶ったりだとは思いますが……」
正直なところ、千歳は妖魔に関する研究をやりたくて仕方ないのだろうと瑞貴は思った。民保協の研究員になれば、今、こそこそとやっている妖魔に影響を与える香やハーブの研究を、大手を振ってできることになる。
「……確かに、民保協は宝珠の存在も警戒対象にしているが、その血筋の人間が身内になるというのは、悪くない話かもしれませんね」
蒼は顎に手を当てて考えているが、まんざらでもなさそうだ。窓の外の空の方へと視線を逸らしていた蒼は、ややあって大きく頷くと、千歳の穏やかな顔に視線を戻した。
「分かりました。佐竹統括に提案してみます」
蒼はあまり感情を表に出す方ではないが、やはり少し嬉しそうだった。よほど、技術部への異動に気が進まないのだろう。一方の千歳も蒼に向かって頷くと、花の入ったジッパーバッグを再び手に取り、玩具を得た子どものように目を輝かせていた。
瑞貴は、帰る蒼を送ってエントランスまで一緒に降りた。エレベーターホールからガラスの自動ドアを出たところで、蒼は急に何かを思い出したように瑞貴を振り返る。
「先日、雄然がうちのクリニックに来たんだ」
「受診しに、ですか」
「ああ。以前、切りつけられた腕の傷が開いたと言ってな」
「あー……」
かなり出血していたようだったのに、雄然は頑なに病院に行くのを拒否していたことを思い出す。
「和服の女性に連れられて……説得されて来たようだったな。本人は嫌々だったが」
「和服の女性?奥さんですか?雄然さんにもそういう人がいるんですね」
「……さぁな。どういう関係なのかは知らないが」
「それで、傷の方はどうだったんですか」
「一部分だけ裂けて血が滲んでいたが、綺麗に整えて縫っておいた。抜糸には来ないだろうからな。往診に行くか」
「そうですか。でも、蒼さんに診てもらえてよかったです」
他人事ながら心配していたのだ。その後、店の方にも異変はないようで、ひとまずは安心した。
蒼は瑞貴に向かって手を挙げると、足取り軽くエントランスを出て行った。まだ陽射しの強い夕暮れ前の蒸し暑い空気の中、小さくなっていく蒼の背中を瑞貴は手を振って見送った。
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