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夜半の階梯《よわのきざはし》 ―宵のハコブネ②―  作者: 朔蔵日ねこ
宇治の橋姫

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宇治の橋姫③

 太陽の照りつける勝鬨橋は、じりじりと灼けつくような暑さだった。橋姫はゆっくりと車道に向かい、黒い檻に近づく。ミチヒコが無言で一枚の写真を差し出すと、橋姫はそれを受け取って眺め、頷いた。

『上出来やわ、ミチヒコはん。さ、こやつにも言うことを聞いてもらいまひょ』

 機嫌の良い橋姫は、頭上の蝋燭を一本手に取り、長い爪で摘んだ写真をその火にくべた。写真は一瞬で燃え上がり、灰になる。写真に込められた吸い取られた妖力が炎とともに朽ちていき、以津真天は苦悶に満ちた表情で喘ぐ。

『西京鼠を』

 蝋燭を頭上に戻しながら橋姫が命じ、居並んでいた中から麻の袋を持った鬼が進み出る。ミチヒコは黒い檻の扉を開けて、ぐったりした以津真天を引きずり出した。橋姫は鬼から西京鼠を受け取り、凍てつくように冷たい表情で以津真天を見下ろすと、手中の西京鼠に向かって呪文を唱え始める。最後にふっと西京鼠に息を吹きかけると、灰色の毛玉はぱっと散って消え失せた。その途端、息も絶え絶えだった以津真天が唐突に立ち上がり、体をまっすぐに伸ばして頭を持ち上げた。しかし先ほどの橋姫に向けた敵意の眼差しは消えており、その目は据わっている。妖力を弱らせた以津真天に西京鼠を憑かせたのだ。以津真天が傀儡と化したのを見届けて、ミチヒコは反対側の歩道へと移動してカメラを構えた。常に物陰から撮影の機を窺っているのだ。

 橋姫は傀儡妖怪となった以津真天を満足そうに眺めてせせら笑うと、今度は瑞貴の方に近づいてきた。一部始終を見ていた瑞貴は身を竦めた。退路を塞ぐように、背後にも鬼たちが迫ってきたのを感じる。背中にはじっとりと嫌な汗をかいている。

『宝珠さん、お次はあんたはんの番どすえ』

 橋姫は瑞貴の顔のすぐそばに恐ろしくも妖艶な笑顔を近づけると、手の甲で瑞貴の頬を撫でた。弄ぶような手つきに、瑞貴は恐怖を感じてぞわりとする。

『変容の力をこしらえておくれやす。とびきり大きいのんをな』

「変容の力……」

 瑞貴は橋姫に魅入られそうになるのに必死に抗いながら、目をすがめる。

『とぼけんといてや。変容の力を生み出せるようになったんは、私のお陰やろ。なんなら感謝してほしいわ』

 橋姫が目配せすると、両側にいた鬼たちががっしりと瑞貴の左右の腕を掴み、半ば引きずるようにして瑞貴を車道まで連行する。そして、直立不動の以津真天の前に投げ出すように手を放したので、瑞貴はアスファルトにつんのめった。鬼はいちいち動きが荒っぽい。

 瑞貴は以津真天の顔を見た。怪鳥はもはや自我を失い、虚ろな目で遠くを見つめている。

『この以津真天から妖力を引き出して、変容の力を作り出すんや。きっちり妖力を残さへんようにな』

 橋姫は歩道の上を漂っていたタカネの入ったシャボン玉を空中で引き寄せた。そして何とは言わずに微笑んでいる。瑞貴は非難がましい目で橋姫を見て、以津真天を見て、そして眠ったままのタカネを見た。唇を噛み、一瞬逡巡する。

(ごめん……以津真天)

 瑞貴は意を決して以津真天に右の掌をかざし、妖力を吸い取り始めた。以津真天の身体から青いオーラが立ち上る。体長五メートル近くある以津真天からは、弱っているとはいえまだまだ妖力が引き出せそうだ。瑞貴はそれを徐々に相殺して、紫色の中和のオーラに変えていく。

『おやまぁ。見事なもんやね』

 はしゃいだ声を上げて喜んだ橋姫は、早速自分も印を結び、呪文を唱え始めた。西京鼠を憑かせた時とは異なり、長い呪文だ。低い声で途切れなく唱える橋姫の呪文は、地を這うように橋の上に行き渡っていく。アスファルトの道路に整列した鬼火を含む九体の妖怪軍は、照りつける陽射しの中で身じろぎもしない。だが、橋姫の呪文に晒されるにつれて、山地乳と虎隠良、そして鉈を持った大きな狸が直立不動のまま突然発火して、青い炎に包まれた。

(なんだ……?)

『山地乳、虎隠良、竹伐狸たけきりだぬき。前へ』

 炎を纏った三体の傀儡妖怪は、橋姫に号令を掛けられて自ら歩き出し、兵士が行進するかのように以津真天の傍らまでやって来る。瑞貴の宝珠に、以津真天の妖力に交じって傀儡妖怪たちの青い炎が一緒に流れ込んできた。瑞貴の作り出す紫色のオーラは一気に大きく膨れ上がる。橋姫の呪文はなおも続いている。一定の調子で唱える呪文に瑞貴も惑わされそうだ。瑞貴が相殺して作り出した紫のオーラは、もうすぐ以津真天の身体を丸ごと呑み込めそうなほどになる。

 その時。橋姫の異層に割って入る、凄みのある男の声がした。

「橋姫、そこまでだ」

※カクヨムでも同じ作品を掲載しています。カクヨムでは章ごと、なろうではパラグラフごとの掲載です。

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