宇治の橋姫③
太陽の照りつける勝鬨橋は、じりじりと灼けつくような暑さだった。橋姫はゆっくりと車道に向かい、二つ並んだ黒い檻に近づく。ミチヒコが無言で二枚の写真を差し出すと、橋姫はそれを受け取り、満足そうに眺めた。
『虎隠良と竹伐狸。上出来やわ、ミチヒコはん』
機嫌の良い橋姫は、頭上の蝋燭を一本手に取り、長い爪で摘んだ二枚の写真をその火にくべた。写真は一瞬で燃え上がり、灰になる。
『西京鼠を』
蝋燭を頭上に戻しながら橋姫が命じると、居並んでいた中から麻の袋を持った鬼が進み出る。ミチヒコは黒い檻の扉を開けて、中にいる妖怪を引きずり出した。一つ目の檻に入れられていたのは、虎隠良だった。桃泉堂にもいた、体や手足が虎のような縞模様をした革の巾着の付喪神は、ぐったりと膝をついている。もう一つの檻から出されたのは、立ち上がれば人の背丈ほどはありそうな大きな狸だ。こちらも妖力を奪われているようで、息も絶え絶えの様子だった。
『ミチヒコはんの魂抜き、ますます磨きがかかってはるなぁ』
橋姫はミチヒコを笑顔で称賛したが、すぐにその顔から笑みを消し、鬼から西京鼠を受け取った。凍てつくように冷たい表情で虎隠良を見下ろすと、顎を掴んで上を向かせる。苦しそうな虎隠良の目を、赤い三白眼の瞳でじっと覗き込む橋姫。その視線は、それ自体が生気を吸い取りそうなほどの気魄だ。橋姫が囁くように呪文を唱え、西京鼠にふっと息を吹きかけると、灰色の毛玉はぱっと散って消え失せた。その途端、ぐったりしていた虎隠良が急に背筋を伸ばして立ち上がる。目は据わっていて、動きは見違えるように素早い。虎隠良は自らくるりと向きを変えると、軍隊のように微動だにせず立ち並んでいる傀儡妖怪の列に加わった。橋姫は同様にして、竹伐狸も傀儡妖怪の仲間に加えた。
赤い紐と護符で封じられている以津真天が、捕らえられた時と同じ鬼の形相で橋姫の一挙手一投足を睨みつけている。対する橋姫は却ってせせら笑い、今度は瑞貴の方に近づいてくる。
一部始終を見ていた瑞貴は、身を竦めた。退路を塞ぐように、背後にも鬼たちが迫ってきたのを感じた。背中にはじっとりと嫌な汗をかいている。
『宝珠さん、お次はあんたはんの番どすえ』
橋姫はしなを作り、妖艶に身をくねらせながら瑞貴の顔に自分の顔を近づけると、手の甲で瑞貴の頬を撫でた。弄ぶような手つきに、瑞貴は恐怖を感じてぞわりとする。
『変容の力を拵えておくれやす。とびきり大きいのんをな』
「変容の力……」
瑞貴は橋姫に魅入られそうになるのに必死に抗いながら、目を眇める。
『とぼけんといてや。変容の力を生み出せるようになったんは、私のお陰やろ。なんなら感謝してほしいわ』
橋姫が目配せすると、両側にいた鬼たちが、がっしりと瑞貴の左右の腕を掴み、半ば引きずるようにして、瑞貴を車道まで誘導する。そして、雁字搦めの以津真天の前に投げ出すように手を放したので、瑞貴はアスファルトにつんのめった。鬼はいちいち動きが荒っぽい。
瑞貴は以津真天の顔を見た。怪鳥の表情は憎悪に満ちている。橋姫がまた長い爪を弾くと、以津真天を縛り付けていた赤い紐と護符が散り散りになって地面に落ちた。
『この以津真天から妖力を引き出して、変容の力を作り出すんや。きっちり妖力を残さへんようにな』
橋姫は、歩道の上を漂っていたタカネの入ったシャボン玉を空中で引き寄せた。そして、何とは言わずに微笑んでいる。瑞貴は非難がましい目で橋姫を見て、以津真天を見て、そして眠ったままのタカネを見た。唇を噛み、一瞬逡巡する。
(ごめん……以津真天)
瑞貴は意を決して以津真天に右の掌をかざし、妖力を吸い取り始めた。以津真天の身体から青いオーラが立ち上る。体長四メートルほどはある以津真天からは、弱っているとはいえ、まだまだ妖力が引き出せそうだ。瑞貴はそれを徐々に相殺して、紫色の中和のオーラに変えていく。
『おやまぁ。見事なもんやね』
はしゃいだ声を上げて喜んだ橋姫は、自分も印を結び、呪文を唱え始める。先刻、他の傀儡妖怪の隊列に加わった虎隠良と竹伐狸、そして軍隊のように整列していた七歩蛇と山地乳のうちの一体が、直立不動のまま突然発火して、青い炎に包まれた。
(なんだ……?)
炎を纏った四体の傀儡妖怪は、隊列を抜けて兵士が行進するように以津真天の傍らまでやって来る。以津真天の妖力に交じって、傀儡妖怪たちの青い炎が一緒に宝珠に流れ込んできた。瑞貴の作り出す紫色のオーラは、一気に大きく膨れ上がる。少し離れたところで、橋姫も呪文を唱え続けている。一定の調子の低い声で唱える呪文に、瑞貴も惑わされそうだ。瑞貴が相殺して作り出した紫のオーラは、もうすぐ以津真天の身体を丸ごと呑み込めそうなほどになる。
その時。橋姫の異層に割って入る凄みのある男の声がした。
「橋姫、そこまでだ」
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