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夜半の階梯 ―宵のハコブネ②―  作者: 朔蔵日ねこ
潜入

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潜入③

 手前の部屋から延びる一筋の水路と交差するように廊下が横切り、その先に洞窟があった。これまでの部屋とは打って変わって洞窟の青黒くごつごつした岩肌が、壁の松明の灯りに照らされて浮かび上がる。洞窟の向こう側には明るい光が射しており、外界へ通じているようだ。

 廊下を右へ左へと駆け回っているのは、大小様々な鬼たちだった。一本角や二本角、肌の色も様々で、服を着ているモノもいれば、腰巻だけのモノもいる。

『おい、早く聖水を持ってこい』

『いや、こっちが先だ。手を貸せ』

 鬼たちは傀儡妖怪とは異なり、何かに操られているわけではなさそうで、せわしなく動き回るその様子は活気に満ちている。

 まさに今、奥の明るみから何か巨大なものが運び込まれるところを、三人は目の当たりにした。

『新しい獲物のようね』

 いちかが小声で囁く。ぬらりひょんといちかと瑞貴は、廊下の壁に張り付くようにして息を潜め、鬼たちが大騒ぎしているのを窺うように見つめていた。七、八人の大きな鬼が、四メートルほどあろうかという怪鳥を運んでいる。怪鳥の目鼻立ちは人のようで醜く、体は鱗で覆われた蛇、鋭い爪のついた脚があり、翼は半ば閉じているが、もがくたびに鱗か羽毛か分からないものを撒き散らしている。

以津真天いつまでん……』

 目を瞠り、ぬらりひょんは低い声で呟く。

『どこに身を隠していたものを引き出してきたのか』

 洞窟の岩の床に降ろされた以津真天は手負いのようで荒い呼吸をしていたが、その鋭い眼光で射殺さんばかりに、取り囲む鬼たちを睨みつけている。

『ほほほ。鬼の顔をしてはるわ』

 もはや聞き慣れた関西訛りの女の声に、瑞貴はぎくりとした。廊下の左手の暗がりから橋姫が現れる。瑞貴をはじめ三人に緊張が走った。目に眩しい黄蘗色きはだいろの着物でこなれた装いの橋姫は、以津真天を満足そうに眺めている。その背後には、まるで影のようにミチヒコの姿があった。

『これからは大きな妖怪も兵士にしていくさかい、みんなもしっかり頼んますえ』

 そこへ、ずんぐりむっくりした小鬼が、水をなみなみと張った角盥つのだらいを掲げて、よたよたと走ってくる。

『橋姫様、聖水おみずです』

 橋姫は小鬼と角盥を一瞥して唇の端に笑みを浮かべ、そして以津真天を見遣る。

『われらが妖怪軍へようこそおこしやす』

 そう言って橋姫が片手を頭の上まで振り上げると、角盥から噴水のように水柱が立ち上がった。橋姫はその水を掌で受け止め、以津真天に向かって放つ。角盥からは途切れることなく水柱が立ち上り、水は横たわった以津真天の身体の上に驟雨のように降り注いだ。以津真天は最後の力を振り絞って翼を広げ、立ち上がろうとする。

『あれまぁ、まだそないな元気があるんやねぇ。さすが大型妖怪やわ』

 橋姫はさも楽しそうに笑って、頭上に挙げていた手を前に出し、掌を以津真天に向けた。まるで消防車の放水のような激しい水圧が、以津真天の身体を横倒しにする。以津真天の大木のように太い蛇の尾が、地面の岩にしたたか打ち付けられ、降り注いでいた聖水の飛沫が盛大に跳ねた。

『しまった』

 ぬらりひょんが言うのと同時に、じゅっという音を瑞貴は聞き、三人を囲んでいた煙管の煙の輪が、ぷつりと破綻した。以津真天の尾が跳ね飛ばした聖水が、煙を溶かしたのだ。

「あっ」

 瑞貴は小さく声を上げる。橋姫が振り向くのが、コマ送りのように見えた。全身に針が刺さったかのような緊張。隣で、ぬらりひょんといちかも身構えているのが感じられる。橋姫は、廊下の壁の隅にいる三人の方へ向き直ると同時に、白装束に三本の蝋燭を刺した鉄輪を被った鬼女に変貌した。

『こそこそしはって、いやらしおすなぁ』

 言葉とは裏腹に、にやりと嗤う橋姫の口は耳元まで裂け、目をぎらつかせた表情は般若の面そのままだ。

『いかん。脱出するぞ』

 ぬらりひょんの結界は解けてしまった。ここでは橋姫の水の方が強い。ぬらりひょんはかますから煙管を取り出して再び煙幕を張ろうとするが、橋姫の手から放射状に放たれた鉄砲水に阻まれる。

『秘密を知られたからには、生かしておくわけにはいかへんなぁ』

 不意に、連続でシャッターを切る音が聞こえた。瑞貴は目を泳がせる。以津真天の小山のような体の向こうから、カメラの望遠レンズがこちらを捉えているのが見えた。ミチヒコの魂抜きだ。

 気を取られている隙に、橋姫は腕を横ざまに動かす。大きな鉈のような形に姿を変えた水の塊が、三人に向かって振るわれた。重く鈍い衝撃があり、ぬらりひょんといちか、瑞貴は壁に叩きつけられる。

「……つっ」

 背中に痛みを感じながら、瑞貴は反射的に右の掌を上に向け、赤いオーラを溜め始めた。

『おや。宝珠さんやないの。ずいぶんと綺麗なカッコしてはるから、分からんかったわ』

 橋姫にそう言われて、なぜか瑞貴は赤面する。いちかの言っていたことも、宝珠の気配を消すという意味ではあながち嘘ではなかったようだ。

『皆の者、捕らえよ!』

 橋姫が命じると、鬼たちが一斉に飛び掛かってくる。ぬらりひょんは扇子を広げて応戦する。見た目によらず、素早く無駄のない身のこなしだ。いちかは身を低くした後、弾むように飛び上がると、洞窟の天井を覆いつくすほどの大入道に化け、鬼たちを威嚇した。

 色々な妖怪に化けて鬼たちを翻弄するいちかの傍らで、瑞貴は橋姫に狙いを定め、赤いオーラを撃ち込んだ。対する橋姫は、水芸さながらに両手から幾筋もの水を迸らせ、鞭のようにしならせてオーラを切り刻む。

『宝珠さんはもう少し使い道があると思てたけど、面倒やさかい、ここで消えてもらいまひょ』

 橋姫は髪を逆立て、とてつもなく好戦的で不敵な笑みを浮かべながら、両手いっぱいに水の渦を練り上げる。瑞貴も二発目の赤いオーラを作り出しながら、橋姫の至近距離に切り込んで、妖力を吸い取れるかどうか計算していた。

『分が悪い。退避しよう』

 戦いながら肩を寄せてきたぬらりひょんがいちかと瑞貴に耳打ちする。

『三つ数えたらわたしが壁の扉を開ける。元来た道を戻って、泉に飛び込むのだ』

 瑞貴が頷くと、ぬらりひょんは数え始める。

『三……、二……、』

 ぬらりひょんは、一、という掛け声とともに体当たりで壁を押し開けた。瑞貴は橋姫に向かって赤いオーラを放ち、同時に橋姫も黒々と念のこもった水の渦を繰り出した。

 三人は一斉に壁の隙間をすり抜け、走り出す。橋姫の水の渦は一瞬、瑞貴の赤いオーラと拮抗したが、それを打ち砕き、回転扉のようになっている狭い石壁にわずかに勢いを削がれながらも、怒涛の勢いで三人を追ってくる。白い滑らかな石の床の上を走りながら、いつの間にかいちかは狸に戻っていた。

(いちかさん、本当に狸だったんだ……)

 妙に冷静に、瑞貴は思った。そして、自分だけがやけに走りづらいことに気が付いて、厚底のエナメルの靴を脱ぎ棄てて裸足で駆け出した。

『もう少しだ』

 西京鼠の水槽と傀儡妖怪の立ち並ぶ部屋を通過して、ぬらりひょんがもう一つの壁に体当たりする。橋姫の放った渦巻く水が、津波のようにすぐ背後まで迫ってきている。

『飛び込め!』

 二つ目の石壁の隙間を通り抜けた三人は、躊躇なく泉に身を投げた。

 くぐもった鈍い水の音が、瑞貴の頭の中に反響する。底知れない澄んだ水の中に、深く深く堕ちていく。頭上から、橋姫の黒い水の渦が、濁流となって流れ込んでくるのが分かった。ぬらりひょんといちかの姿が、仄暗い水の中に微かに見える。水面はどこだ。息がもたない。とうとう濁流に呑まれて、視界が真っ黒になる。

(駄目だ……僕は、死ぬのか……)

 土石流のような荒々しい灰色の水に押し流されて、瑞貴は意識が遠のくのを感じた。もはや水の勢いに抵抗できずに身を任せ、まるで台風の中の木の葉のようだった。

 息を吸うのと吐くのを同時にするような――突然、脳裏に紫のオーラを作り出す練習をしていた時のことが蘇ってくる。今は、吸うことも吐くこともできない。頭が痛くなってきた。もう無理だ。

 眼前が真っ暗になりかけた瞬間、視界にひどく人工的な赤い色をしたものが飛び込んできた。

(えっ……?浮き輪……?)

 レジャープールで使うような真っ赤なビニールの浮き輪が、なぜか目の前に浮遊している。まるで意味は解らなかったが、瑞貴は無我夢中でそれに縋りついた。それと同時に、瑞貴を押し流す奔流が、突如としてどこかの空間に吐き出された。

※カクヨムでも同じ作品を掲載しています。カクヨムでは章ごと、なろうではパラグラフごとの掲載です。

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