絡新婦①
新学期になり、クラス替えがあって、瑞貴は海斗と同じクラスになった。他にも陸上部の同級生など見知った顔がちらほらある。理系クラスは文系クラスに比べて女子が少ないが、そんな中、藤田風子が同じ理系クラスにいることが、瑞貴は意外だった。ファッションに興味がある文学少女だと思っていたのだが、聞けば、
「私、薬学部志望なの。資格取って安定した収入で趣味にお金かけたいから」
と至極合理的な答えが返ってきた。瑞貴はまたなんとなく焦りを覚えたが、一年生の終わりの進路希望調査では、半数以上がまだ進路を決めかねていると答えたと聞いたので、まだ猶予があると信じていた。
一方、志布井将孝の呪殺事件は、捜査がおおむね終わり、一応の決着を見たようだった。桃泉堂の強盗未遂事件に関しては、雄然がその事実を頑なに認めなかったため、立件されなかった。今邑夏陽は現在も国の特殊機関に勾留されているが、今後の身柄については国と民保協で協議中である。
「雄然が被害を認めれば、強盗致傷で普通の法律でも裁けたのに」
六花が半ば呆れ、半ば咎めるように口を尖らせる。
「いたずらに立ち入られて痛くもない腹を探られたらたまらんからな。人外の案件が増えたら民保協だって手間が増えるだろう」
悪びれる様子もなく、雄然は答える。それを聞いた蒼が鼻で笑い、コーヒーを啜った。
「今邑夏陽には、懲役刑と同じくらい働いてもらうことになるだろう。陰陽師としてな」
「夏陽の扱いを決めるのは国と民保協の上層部だし、我々一介の調査員は、やっと通常業務に戻れるよ」
六花は辟易したように首を振る。ここ二か月ほど、その案件にかかりきりだった蒼と六花もようやく解放されたようだった。
「あの……風見原陶生の家の家宅捜索ももう終わったんですか?」
おずおずと上目遣いに尋ねる瑞貴を見て、六花が察したように、ああ、と声を漏らす。
「うん。それももう終了したよ。結局、今回は風見原陶生の事件への関与を証明することはできなかったけどね」
桃泉堂が空き巣に入られる前に店に偵察に来ていた足の悪い男が、風見原陶生だった。瑞貴は、転倒した陶生に手を貸した時の、大きな手のざらりとした感覚や、微かに立ち上ったフレグランスの香りを思い出していた。浮かない顔をしている瑞貴を見遣った六花が、躊躇いつつも口を開く。
「瑞貴、小夜ちゃんとは今も変わりない?」
「ええ、まぁ……」
歯切れ悪く答える瑞貴の眼は暗い色をしている。小夜からは長くとも二日は空けずにメッセージが来るし、平日に一緒に帰ったり、休みの日には図書館でデートしたりもする。庭師が捕まったことや風見原の邸に捜査が入ったことは、当然、瑞貴は知らないことになっている。小夜もそれを瑞貴に打ち明けることはなく、振る舞いもいつもと変わらない。瑞貴からそのことについて訊くことはできず、時折見せる寂しげな表情や物憂げな溜め息から彼女の心情を推し量るしかなかった。
「ねぇ、瑞貴。あの子って、風見原陶生の本当の娘じゃないんでしょう」
「はい。去年の夏の終わりに養女になったって言ってました」
「風見原陶生は、これまでずっと独身だったみたいだし、特段、篤志家ってわけでもなさそうだけど、どうして突然、孤児を引き取ったりしたんだろうね」
「さぁ。その経緯までは聞いてません」
思案顔で髪をかき上げる六花の質問の意図が分からず、瑞貴は首を傾げる。
「家宅捜索であの家に行った時、たまたま風見原陶生と小夜ちゃんが喋ってるのを見かけたんだけど……なんていうか、あんまり親子らしくなかったんだよね……」
瑞貴と視線を合わせず目を泳がせていた六花は、無表情で見ていた蒼と視線がぶつかると、睫毛を伏せて言い淀んだ。
「どういうことですか?」
訊かれた六花は、少しきまり悪そうに眼で瑞貴の顔を見た。そして、慎重に言葉を選びながら答える。
「うまく言えないけど……意外と小夜ちゃんの立場が強いっていうか……少なくとも、一方的に庇護されてる感じではなくて」
まだ六花は何か言いたげだったが、蒼の鋭い目線を感じて口をつぐんだ。
「まぁ、他人の家のことだしね……」
それきり、六花は話題を打ち切った。瑞貴も敢えて続きを聞こうとはしなかった。一瞬流れた気まずい雰囲気を打破するように、雄然が座椅子から前のめりに身を起こす。
「ところで、宝珠。人魔相殺の方法を記した古文書が見つかったんだろう」
のんびりと言った雄然の傍らには、以前渡した祀の手記が積んである。
「あ、はい。そうなんですけど……」
瑞貴は美弦とともに読み解いた人魔相殺の方法を三人に話した。秩父滞在中、美弦にも見てもらいながら、管狐を相手に紫色のオーラを作る練習もしてみた。要は、妖怪の妖力を引き出しながら、赤いオーラを作り出して、その二つを相殺すればよいのだが、それが頭で考えているほどうまくいかない。息を吸うのと吐くのとを同時にやれと言われているようなもので、何度やってもどちらかしかできなかった。
「宝珠の修業がまだ足りんということだな」
ニヤニヤ笑う雄然に冷やかされ、瑞貴は項垂れる。雄然は再び座椅子に深々と身を預け、瑞貴の渡した古文書の現代語訳のコピーを眺め、機嫌良く目を細めている。
「よくは覚えておらんが、こんな儀式だったか」
八百年も昔では、記憶が曖昧なのも無理はない。文書を楽しそうに熟読している雄然に、六花が興味を示した。
「人間の調理方法で作った料理って、雄然は何を食べたの?」
質問に、雄然はまたチェシャ猫のようににやりと笑う。勿体ぶって、読んでいた資料をゆっくりと脇に置き、六花を見据えた。
「人魚の肉だよ。干し肉を炙りで食べたのだがな」
「人魚⁉」
目を丸くして、六花が大きな声を出す。
「人間の調理法であれば、人間の食べ物でなくてもいいってことか」
テーブルで頬杖をついている蒼はさして驚きもせず、眉を顰めた。これに雄然は心外だとばかりに言い返す。
「人魚の肉など啖うのは、人間くらいなものだぞ」
反論された蒼は肩を竦めた。興味のなさそうな蒼とは対照的に、六花が話題に食いつく。
「人魚って、あの八百比丘尼が食べたっていう若狭の人魚でしょう。雄然は、人魔相殺した時から不老不死なんだね」
「まぁ、初めからその覚悟だったからな」
雄然は得意げに鼻を鳴らした。蒼は目を眇めてそれを眺め、疑問を口にする。
「若狭の人魚は今もいるのか?民保協のデータベースにはまだ報告が上がっていないが」
「滅多に姿は見せんが、数百年に一度は人魚の肉が世に出回っておる。最後に私が見たのは天保の頃だったか。海の妖怪は陸の妖怪に比べて、身を隠す場所が広いからな」
人魚の肉を食せば不老不死になると言われており、若狭の漁師の娘が誤って人魚の肉を食べて八百比丘尼となった伝説は有名である。その人魚の肉を人魔相殺の聖餐に選び、雄然は不老不死になったのか。
「ともかく、瑞貴が人魔相殺できるようになるためには、まずその中和のオーラっていうのを作れるようにならなきゃいけないんだね」
「そうなんです。この調子だと、いつになることやら……」
瑞貴がコーヒーを飲み終えた湯呑み茶碗の底を見つめていると、六花のスマホが短く鳴って、メッセージの着信を知らせた。
「あれ、礼恩からだ」
メッセージを送ってきたのは、タンジェリーナの店長である六花の幼馴染みだ。六花はスマホの画面を開いて、顔を曇らせる。
「ああ、また。『表参道にいるなら、店に寄ってくれればよかったのに』だって。なんか最近、こういう人違い、多いんだよね」
「人違い?」
「そう。どうも、私に似てる人がこの界隈にいるみたい。身に覚えのないところで私を見かけたって言われることが続いてて」
礼恩にメッセージを返しながら、六花は不思議そうに言った。すらっと背が高く手足の長い六花は、奇抜な服も着こなして、かなり人目を引くタイプだ。乳白色の肌やオレンジ色の髪も日本人離れしている。瑞貴からしてみると、その目立つ風貌は間違いようがないように思えるが、よほど六花に似ているのだろうか。
「ほら。タンジェリーナのバイトの子が、店に行く途中で私が男の人と歩いてるところを見たって言ってるんだって」
そう言って、六花はテーブルの向かい側に座っている瑞貴にスマホの画面を向けた。瑞貴がタンジェリーナに行った時の店長の様子を考えると、六花が男性と歩いていたなどとなれば、聞き捨てならないに違いない。すぐさまメッセージを送ってくるわけだ。他にも、モデル仲間や撮影スタッフから、いるはずのない場所での目撃情報があるらしい。
「ドッペルゲンガーだな。六花と同じ背格好で同じようなファッションの人間が二人もいたら、少し煩いな」
「ちょっと、蒼。どういう意味?」
揶揄うように言った蒼を、ふくれっ面の六花が睨みつける。
「六花は唯一無二で、必要十分ってことだ」
蒼はニヒルな笑みを浮かべて、間髪入れずに答えた。自分に似ている人は世界に三人いるなどとよく言われるが、ただの偶然なのだろうか。
「ドッペルゲンガーに出会うと数日のうちに命を落とすと言われてるからな。気をつけろよ」
冗談交じりに言った蒼に不服そうな視線を向けたまま、六花は湯呑み茶碗に残ったコーヒーを飲み干した。
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