雪解け③
その夜、晴海と千歳は、千歳が家を出て以来、初めて酒を酌み交わした。夕食後、珍しく晴海が千歳と美弦を酒に誘い、三人は食卓を囲んだまま酒を呑み始めた。気を遣った美弦は二時間ほどで中座したそうだが、晴海と千歳は夜更け過ぎまで呑んでいたようだ。千歳は家ではあまり酒を呑まないので、瑞貴は千歳が酔ったところを見たことはなかったが、深夜に隣の布団に戻ってきた時もそれほど酔った気配はなく、朝も普段と変わらなかった。晴海も千歳も酒は強いようだ。
翌朝、瑞貴は美弦と一緒に古い宝珠に関する文献を紐解いていた。離れにある美弦の自室は綺麗に片付いており、四畳半の部屋が広く感じられる。本棚には宗教や民俗学の本がぎっしりと詰め込まれており、棚の上には大小の桐の箱や漆塗りの箱などが整然と並べられている。中に何が入っているのかは分からないが、埃一つないそれらの箱はとても丁重に扱われているように見えた。物の少ない机の上には、宝珠に関する文献と思しき書類だけがまとめて積まれていた。
瑞貴は美弦にも橋姫の話をした。ぬらりひょんが送ってきた文にしたためられていた『妖怪攫い』と『傀儡妖怪』のこと、それが橋姫の仕業かもしれないこと、そして、橋姫に雄然が所有していた鬼のされこうべを奪われてしまったこと。美弦は時々質問を挟みながら、熱心に話を聞いていた。
「橋姫は、今までにはない技術を編み出すことに長けてるようだね。どんな風に妖怪を意のままに操ってるんだろう。鬼の末裔の、妖力を弱める能力も関係があるのかもしれない。橋姫はずいぶん研究熱心なんだね」
感心したように美弦は言う。そもそも橋姫には人を操る能力などないはずで、試行錯誤の末、それを可能にしたと美弦は考えているようだった。
「きっと古い妖術や異能に関する歴史なんかを詳しく調べてるんだろう。瑞貴、山地乳が陰摩羅鬼の妖力を吸い取ってるところに、瑞貴の赤いオーラがぶつかったんだったね」
「そうです。それでできた紫色のオーラが、陰摩羅鬼をただの鳥みたいに変えたんです」
「なるほど、そうか」
瑞貴の話をもう一度確認して、美弦は机の上の資料の束を手に取り、ぱらぱらとめくった。そして資料の探し当てた箇所を読み返し、何度か頷く。
「瑞貴、もしかしたら、それはすごく有益な情報かもしれないよ」
「どういうことですか?」
畳に置かれた座布団の上で膝を抱えている瑞貴に、机の前の椅子に座っている美弦が、頁のめくられた一綴りの資料を手渡す。
「それは、飛鳥時代の白雉前後の文献を現代語訳してもらったものだよ。雄然さんや民保協の二人から、初期の資料を当たった方がいいっていう助言をもらったから、古い資料から解読してみたんだ」
瑞貴は受け取った資料に目を通してみたが、現代語訳とはいえ文章は難解で、すぐには頭に入ってこない。
「恐らくそれは、宝珠かそれに仕える神官が書いたものだろう。そこには人魔相殺の詳細が記されていそうなんだ」
「えっ⁉」
美弦の顔を見てから、瑞貴は再びしげしげと資料を眺めた。よく読んでみると、儀式を執り行う日取りや場所、用意するものから具体的な手順まで、事細かに記載されているようだった。
「その中の記述で、分からないところがあったんだ。線を引いてあるところなんだけど……。さっきの橋姫の話を聞いて、謎が解けた気がするよ」
現代語に訳された資料の中に、赤いペンで下線を引かれた部分があった。
「簒奪の霊気を殲滅の霊気にて相殺し、生じる中和の霊気を以て変容の力と成す……」
瑞貴はその文章を読み上げてみたが、その表情には疑問符が浮かんでいる。
「人魔相殺の契約を交わせるのは、人型の妖怪か人に化けられる妖怪だけなんだけど、儀式のやり方としては、まず捧げる体の一部を決めるんだ。狐狸なら尻尾とか、特に化ける時に特徴的な部分やその妖怪の象徴になるような部分が選ばれたみたいだね」
それは雄然が言っていたことと同じだった。雄然も人魔相殺して貂から人間になった時に、尾を奉納したと言っていた。
「儀式の前には禊とかいくつか段階があるんだけど、儀式自体では宝珠はさっき言ってた変容の力を生み出すんだ。その中和の霊気っていうのを作り出した後、妖怪はわずかに残った妖力で、なりたい人間の姿に化ける。化け姿が決まったら、中和の霊気で妖怪を包む。すると、残りの妖力が捧げる体の一部に残らず集まって、それを切り離す」
美弦は言って、右手の二本指で鋏の形を作り、切る仕草をする。
「妖力を失って人間の姿になった元妖怪は、人間の調理法で作った料理を食べるんだ。それで儀式は完了する。人魔相殺で捧げられた妖怪の身体の一部は、その元妖怪が死ぬまでこの寒月峰神社に保管されるんだよ」
瑞貴は資料からそれを読み取ることはできなかったが、美弦が噛み砕いて説明してくれたことで内容は理解した。
「じゃ、この通りにやれば、僕でも人魔相殺ができるんでしょうか」
「その中和の霊気を作り出すことができればね」
美弦は、紫色のオーラが中和の霊気だと予想しているようだ。「簒奪の霊気」が妖力を吸い取る青いオーラで「殲滅の霊気」が赤いオーラだとすると、あの紫色のオーラはそれらが混じり合って「相殺」することで生じた「中和の霊気」と言えるのかもしれない。橋姫はそれを知っていたのだろうか。山地乳に陰摩羅鬼の妖力を吸い取らせ、瑞貴の赤いオーラがそこにぶつかるように仕向けて紫のオーラを作り、その中和のオーラが陰摩羅鬼の姿を変容させたのか。
「中和の霊気⋯⋯なんか、難しそうですね」
「瑞貴は半年くらいで緑、青、赤、黒の四種類のオーラを作り出すことができるようになったんだ。修行次第で、きっと紫のオーラを作れるようになるよ」
相変わらず弱気な瑞貴に、美弦が穏やかな笑顔を向ける。瑞貴はこれまでに新しい能力が使えるようになった時のことを思い返してみた。柄掛山の季仙坊はかつて、瑞貴が強い感情を抱いた時に新たな力を開花させると言ったことがあった。その言葉通り、四つのオーラを作る能力に目覚めた時はいつも、死にそうな目に遭ったり、強い怒りの感情を抱いたり、気持ちが高揚したりしていた。そういうきっかけが必要なのか、それとも修行をすればそれを会得できるのかは瑞貴にも分からない。人魔相殺のやり方が分かったことは朗報だが、実際にできるようになるまでには、まだ前途は多難のようだった。
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