雪解け②
「まったく、無茶をしおって」
瑞貴と隣り合わせに敷かれた布団に寝かされた千歳を見下ろして、晴海は厳めしい顔をしている。部屋には他に吏と美弦と蔦子もいて、千歳を囲んでいた。
「ええ、すみません」
晴海の姿を見ると千歳は布団の上に起き上がり、あまり気持ちのこもらない謝罪をした。
「油断したね。まさか、行き遭い神が悠花さんの幻影を見せて千歳を攫っていくなんて」
晴海と並んで正座している吏が溜め息をつく。
「祀様の助けがなければ、今頃、命を落としていたか、気が触れていただろう」
晴海の言葉に、瑞貴は顔を上げた。行き遭い神に向かって走り出した千歳を追っていった光る甲虫が祀の化身であることを、晴海は知っていたのか。瑞貴は布団を挟んで向かい側に座る晴海の顔をまじまじと見た。
「山の神と遣いの狼が、お前を神社に帰したのだろう。その執り成しをしたのが祀様だ」
寒月峰神社の宮司を長く勤めているのも伊達ではない。拝殿での威厳のある装束姿とは異なるが、小柄な体に作務衣を着た晴海はなおも眼光鋭く千歳を諭した。
「行き遭い神の深淵を覗いて、まともに戻ってこられたのは僕くらいでしょうね」
晴海とは目を合わせず、千歳は軽く笑った。その様子を見て吏が呆れている。行き遭い神に魅入られて悠花は急逝し、柊真は精神を侵された。何事もなく戻ってこられたのは奇跡ともいえる。
「僕を救ってくれたのは、悠花です」
千歳は座った姿勢で前を見つめたまま、確信に満ちた口調でそう言った。唐突な千歳の発言に、全員がその顔に視線を注いだ。
「行き遭い神が見せた悠花は、確かに幻影でした。僕が行き遭い神にまんまとたぶらかされて取り込まれる寸前に、先代の宝珠である祀様の化身が、僕と行き遭い神を丸ごと連れ去ったんです」
千歳は、誰の顔も見ずに淡々と語り始める。吏は心配そうに弟を見つめ、美弦は興味深げに相槌を打っている。
「気付くと僕は、山の神のお社にいました。僕はそこで、現世に戻れるかどうかの裁きを受けたんです。正確には、僕は寸手のところで行き遭い神との接触を免れていた。だから、その時の僕はいわば、神隠しに遭った状態でした。僕を現世に戻すよう、山の神に直接申し入れをしたのは祀様です。でも、それを祀様に進言してくれたのは、悠花だったんです」
「千歳……。悠花さんに会ったの?」
「ええ。ほんの少しの時間でしたが」
答えた瞬間、千歳は思い出したようにうっとりと微笑した。その表情を見て、吏は悲痛な顔をする。千歳の言っていることは、瑞貴が夢で見たことと矛盾しない。おそらく事実なのだろう。暫しの沈黙があった。
「そうか」
重々しい口調でそう一言だけ残して、晴海は徐ろに立ち上がった。眉間に深く皺を刻んだ晴海の感情は読み取れないが、その声音は何か得心しているようだった。晴海は障子の引き戸まで歩を進め、部屋を出ていこうとする。
「悠花が亡くなった時、あなたは、悠花が宝珠の血筋を守るために犠牲になったと言った」
それまで淡白に話を続けていた千歳が、晴海の背中に向かって急に語気を強めた。そこには怒りのような感情がわずかに滲んでいる。晴海は、障子の前で立ち止まった。
「そして、その犠牲を以てしても宝珠を守ることが、この血を継ぐ者の運命だと、あなたはそう言ったんだ」
千歳の唇はわなわなと震えていた。押し殺せなくなった感情が、堰を切ったように、涙として溢れ出す。
「そんな運命なら破ってやると思ったんだ。宝珠も血筋も神社も、何もいらない。僕はただ、悠花を愛していた。悠花を失いたくなかったんだ……」
こんなに感情的になった千歳を、瑞貴は初めて見た。声を押し殺し、肩を震わせて嗚咽する千歳の背中を、吏が優しくさすっていた。心から愛し、追い求めていた亡き人と束の間の再会を果たし、千歳の感情は大きくかき乱されていたのだ。
「千歳。すまなかった」
振り向かず、背中越しに伝えて、晴海は部屋を出て行った。不器用だが真摯な謝罪の言葉に、長い間、言えずに心に秘めていた感情を吐露した千歳の嗚咽は、慟哭に変わった。
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