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夜半の階梯 ―宵のハコブネ②―  作者: 朔蔵日ねこ
憂い

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憂い③

 春休み、瑞貴は少し憂鬱な気持ちで秩父行きの特急電車に乗っていた。隣には千歳が座っている。

 高校一年の終わりに文理選択があり、瑞貴はひとまず理系を選んだ。理系科目の方が比較的得意なのと、文系科目が純粋に苦手なことがその理由だ。ただ、それ以上の将来的なヴィジョンは、瑞貴にはまだなかった。綾山高校のような進学校では、高二にもなれば進路を決めている生徒も多い。海斗は将来、IT系の企業に就職したいと言って理系を選択していたし、壱流は心理学部への進学を希望して文系を選択していた。

(みんな、けっこう将来のこと、ちゃんと考えてるんだな……)

 理系に進んだからと言って就きたい職業や行きたい学部があるわけでもなく、千歳のように研究者になるというのもいまいちピンと来ない。千歳はやりたいことをやればいいと言うが、そのやりたいことというのを見つけるのが、瑞貴には難しいのだ。

 一方、瑞貴の隣で千歳も緊張した面持ちで座っている。今回、千歳は連休を取り、二泊三日の予定で瑞貴に同行することになっている。

 秩父の山あいは、四月に入ってもまだ雪が残っていた。いつものように美弦に迎えに来てもらい、雪の多い裏道を避けて表参道から神社を経由して、離れに到着した。

「瑞貴、千歳、おかえりー」

 出迎えたのは吏だった。千歳から事前に泊りがけで帰るという連絡を受け、覚悟を汲んだのだろう。吏はいつものように冷やかしたりはせず、蔦子とともに穏やかに二人を迎え入れた。

 宮司の晴海は不在で美弦も昼食後には神社に戻ったが、吏は今日は休みのようだった。

「千歳が帰ってきたら、お墓参りに行くだろうと思って。あの辺りはまだ雪が残ってるから、雪かきがてら一緒に行きましょう」

 吏は朗らかに、弟とその息子に笑いかける。なんだかんだ言っても、吏と千歳の姉弟は仲が良い、と瑞貴は思う。理性的で普段はあまり弱みを見せない千歳が、少し甘える様子すらあるのが意外だった。

 見晴らしの良い山の中腹にある上条家の墓までの道のりは、思ったほど雪深くはなかった。晴れた午後の山には初春の陽光が降り注ぎ、空気をぬるませている。瑞貴と千歳は、吏とともに墓を訪れた。二匹の管狐を放してやると、故郷の雪の上を嬉しそうに走り回っている。いくつもの墓石が並ぶ先祖代々の墓の周りには雪が残っていたが、数人いれば雪を除けるのにもそれほど時間は掛からなかった。日差しに溶け始めてみぞれのように水を孕んだ雪を、持参したシャベルで樹々の足元に寄せる。すべての墓の周りの掃除をして、瑞貴と千歳と吏の三人は墓の正面で手を合わせた。

「こんな雪の中を歩くのは久し振りだな」

 千歳はそう言いつつも、慣れた足取りで雪道を進んでいた。都会っ子で雪に慣れていない瑞貴の方が、滑りそうでおっかなびっくりだ。墓参りを終えて、三人は息を弾ませながら、往路で踏み固めてきた獣道のようなところを戻っていく。常緑樹の濃い緑色の葉の上の雪が、まるで粉をはたいたようだ。墓所からの獣道が、寒月峰神社に上る少し大きな道と交わるところで、先頭を歩いていた吏がふと足を止める。

「待って。……良くないものが近づいてくる」

 吏は右腕を横に広げて、瑞貴と千歳を制した。三人は警戒して耳を澄ます。大きな道の山の上の方から、ゆらりゆらりとやって来るのは、見覚えのある行き遭い神だった。瑞貴はいち早く、管狐たちを竹筒に戻す。

「あの行き遭い神、最近よくこの辺りをうろついてるんだよ」

 そう言って吏は、斜め掛けにしたがま口のショルダーバッグから、美弦が持っていたのと同じ狼の牙の御守りを取り出す。三人は雪の窪地に身を隠して、徐々に姿が大きくなる行き遭い神の様子を窺った。

 むくろが歩いているのかと思うほどに枯れた体躯からは、骨の軋む音が聞こえてくるようだ。纏った襤褸をなびかせて、その目は暗黒の伽藍洞だ。

「やり過ごせればいいけど」

 吏が声を潜める。行き遭い神は規則的に大きく体を揺すりながら、山を下りてくる。眼球のない盲いた眼窩で、何かを探し求めているようだ。

「あれが……行き遭い神か」

 千歳の目は行き遭い神に釘付けになった。悠花の命を奪った行き遭い神――。千歳にとって憎むべき妖魔だが、実際に邂逅したのは初めてだった。覚悟を持って秩父に来ていたはずの千歳だが、唐突な行き遭い神との遭遇に少なからず動揺しているようだった。

「あれは……悲しみの渦だな……」

 行き遭い神を見つめながら、千歳は絞り出すように呻いた。行き遭い神はまだこちらには気付いていないようだ。千歳も一つ深呼吸をすると、ダウンジャケットのポケットから塩の袋を取り出し、自分たちの前の雪の上に弧を描くように撒いた。

「この山の行き遭い神は、上条の血縁の者をつけ狙ってるんだよ」

 幼き日の瑞貴の片方の靴を隠し持っていた行き遭い神。宝珠とそれが現れる家系の者を追い求めるのには、何か因縁があるのだろうか。

 行き遭い神は、雪の除けられた細い山道を通過していく。気配に気付かれることなく、そのまま通り過ぎるかと思われたその時。行き遭い神は三人が身を潜めている窪地の少し先で立ち止まった。ゆらゆらと頼りなく左右にぶれながら、ゆっくりと虚ろな顔を振り向かせる。瑞貴との最初の逢瀬の時と同じだ。落ちくぼんだ眼窩の中に、何もかもを吸い込みそうな闇を内包した実態のない眼差しが向けられる。

(気付かれた……!)

 あるはずのない視線に貫かれ、瑞貴は体がぞわりと総毛立つのを感じた。吏が狼の牙を握り、狙いを定めて構える。対する行き遭い神は、急に音もなく高く伸びあがって、枯れ枝のような両腕を案山子のように広げる。すると行き遭い神の薄っぺらい腹の真ん中にぽっかりと穴が開き、灰色の霧のような淡い光の渦が出現した。見たことのない行き遭い神の姿を目の当たりにして、吏と瑞貴も一瞬、怯んだ。身の危険を感じた瑞貴が宝珠に赤いオーラを作り出した刹那、台風の目のような渦の中心に、ぼんやりと儚げな女性の姿が投影される。

「悠花……」

 光の中に女性の姿を認めた千歳が、やにわに立ち上がる。

「千歳⁉」

 制止する吏を振り切って、千歳は行き遭い神に向かって駆け出した。

「父さん!」

 瑞貴は放とうとした赤いオーラを一旦収めた。放てば我を忘れて飛び出した千歳に当たってしまう。瑞貴は一瞬戸惑ったが、行き遭い神に向けて宝珠のある掌を伸ばし、その妖力を吸い上げようとした。行き遭い神からは、いつもの青いオーラではなく、黒く濁った青鈍あおにびのオーラが立ち上った。オーラが宝珠を通して吸い取られるとともに、瑞貴の体の中心にひやりと凍るように冷たいものが、急激に流れ込む。みぞおちの辺りに嫌な感覚があり、重苦しくどす黒い何かが瑞貴の意識にのしかかった。

「千歳!それは悠花さんじゃない!」

 叫んだ吏の声が遠くに聞こえた。朦朧とする記憶の中で、瑞貴は小さな黒い甲虫が、真っ白な光を放ちながら行き遭い神に飛来するのを見た。灰色の渦の中の女性の影に手を伸ばした千歳の背中に吏が狼の牙を投げつけ、同時に小さな甲虫から目も眩むほどの白い光がほとばしる。鮮烈な光に包まれた行き遭い神と女性の影と千歳の姿がもろともに消え去った時、瑞貴の意識はこと切れた。

※カクヨムでも同じ作品を掲載しています。カクヨムでは章ごと、なろうではパラグラフごとの掲載です。

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