刺客③
思いのほか早く用が済んだので、瑞貴はまっすぐ家路についた。最寄り駅を降り、駅前のロータリーから家に向かう途中で、瑞貴はふと今朝の来客のことを思い出す。宝珠に会うために京都から来たという男女二人組が自宅マンションを訪ねてきたのだ。インターホン越しに見た相手に心当たりはなかったが、会話に出てきた「大江スタジオ」という言葉にピンときた。大江スタジオは、瑞貴の同級生が教えてくれた『洛中あやかし台帳』という気味の悪いブログの主で、おそらく妖怪だ。出掛ける直前だったのと、関わり合いになりたくないのとで、千歳に誤魔化してもらって家を出てきた。瑞貴は道すがら、スマホで再びそのブログにアクセスする。『洛中あやかし台帳』は、本物としか思えない鮮明な妖怪の写真と日記のような文章で構成された妖怪訪問記で、人を喰っただの攫っただのという話も載っていて、あまりのリアリティに瑞貴もぞっとしたのだ。すべてのページに『写真:外道丸』『文:かなわ』と記されているが、外道丸が酒呑童子の幼名であることを瑞貴に教えてくれたのはゲーム好きの友人だった。
「えっ……」
七月以来開いていなかったそのブログに、盆に起こした百鬼夜行の写真が載っていて、瑞貴は唖然とした。あの百鬼夜行の翌日、瑞貴はSNSをさらって目撃情報を確認した。幸いなことに百鬼夜行は通常写真には写らず、証拠がないため大きな話題にはなっていなかった。それなのに、ブログには百鬼夜行を大写しにした写真が載っている。
あまり人通りがないのをいいことに瑞貴は歩きスマホをしていた。自宅までの道の途上、小さな川に架かった橋に差し掛かり、一歩踏み出した瞬間だった。ドン、と軽い衝撃があり、空気が震えた。リュックサックに付けている懐中時計の猫目石が青色に変わる。妖怪の存在を察知したのだ。周囲の日常のざわめきが突然遮断され、耳がつんとする。
(異層か……?)
異層とは狐狸などの妖怪が得意とする妖術だ。山で道に迷い、人家に招かれもてなされたが、夜が明けて目覚めると何もない野原だった、というような逸話も、狐狸の異層に引き込まれたことによる。今回は辺りの景色は変わらないが、まるで橋の上の空間だけが切り取られ、現世と遮断されたような感覚。瑞貴は以前、新宿御苑の狸がこれと同様の異層を作り出していたのを思い出した。
『宝珠さん、居留守なんか使うて、人が悪いわぁ』
頭上から、女の声が降ってくる。今朝、インターホン越しに聞いた関西訛りの柔らかい声。瑞貴が見上げると、ふわふわと空中に浮かぶ鴇色の着物を着た女性の姿があった。切れ長の一重の眼に色白の肌。美人と言えなくはないが、したたかさを感じる不敵な笑みを浮かべている。
「橋姫……」
最初にブログを見た時にネットで調べて、橋姫をモデルにした『鉄輪』という能の演目に行きついた。酒呑童子、橋姫、洛中あやかし台帳というタイトルから、瑞貴は彼らが京都の妖怪だと踏んでいた。対戦型ゲームの画面さながらに上下に揺蕩う橋姫が、おや、という顔をする。
『察しがええんどすなぁ。橋はうちの領域やさかいな』
「僕に何の用だ」
『また、そないに怖い顔しはって……』
強い口調で尋ねた瑞貴を、橋姫は愛想の良い笑顔ではぐらかす。
『取って喰うたりはせぇへんよ。うちはな』
上機嫌にそう言うと、橋姫は空中でくるりと一回りする。
『でも、こやつらはどうだか分からしまへんなぁ』
一周して正面を向いた橋姫は、鬼女に豹変した。足元に子熊ほどの大きさの土蜘蛛を従え、周囲には青く尾を引く鬼火が二つ、飛び交っている。瑞貴は無意識に右の掌を上に向け、力を籠めた。掌の真ん中に刻まれた整った桃の形の宝珠の痕から、白い光がうっすら立ち昇る。
『嬉しいわぁ。応戦してくれはるんやな』
声を弾ませる橋姫は白装束で、結い上げていた長い黒髪もほどけている。頭には五徳のような鉄輪を被り、三本の蝋燭を灯した丑の刻参りのスタイルだ。
『まずはお手並み拝見させてもらいますえ。さぁ、お前たち、お行き』
髪を振り乱した橋姫が、片方の袖を大きく振ると、二つの流れ星のような青い鬼火が、瑞貴めがけて飛んできた。縦横無尽に動く鬼火を、瑞貴は巧みに避ける。青い光が頬を掠めたが、意外と熱くはない。それに気を取られているうちに、地面に降り立った土蜘蛛が逆立ちするような恰好で尻を高く持ち上げる。そして、火山が噴火するように、先端から一気に銀色の糸を噴射した。
(蜘蛛の糸……⁉)
咄嗟に瑞貴は掌の上に赤い靄のようなオーラを生み、小さな球状にすると、投網のように降ってくる銀糸に向かって放った。赤い玉が弾け、糸はしゅるっと音を立てて縮みながら溶ける。
『赤玉ひとーつ』
橋姫が歌うように数える。銀色の糸は次から次へと土蜘蛛の尻から紡ぎ出されて瑞貴の腕や体に絡みつき、青い鬼火は脈絡なく飛び回って瑞貴の視界を撹乱する。
その時、どこかからカメラのシャッターを切る音が聞こえた。だが、音の出所を確認する暇はない。瑞貴は掌の上にひときわ大きな赤い球を作り、空高く投げた。蜘蛛の糸は灼かれ、鬼火も飛びすさって、視界が開けた。その隙に、瑞貴は弾かれたように走り出し、土蜘蛛との間合いを詰める。
『赤玉ふたーつ』
数える橋姫の向こう側、橋のたもとに、カメラを構えた男の姿を瑞貴は捉えた。異層の内側にいるが、普通の人間の姿だ。今朝、インターホン越しに見た橋姫の連れの男だろうか。男は瑞貴にカメラを向け、しきりにシャッターを切る。
瑞貴は降り注ぐ蜘蛛の糸をかいくぐり、蜘蛛本体に近付くと、逆立ちしているその体に向かって右手をかざした。土蜘蛛の体から青い光が出て、瑞貴の右手の宝珠に吸い込まれていく。宝珠が相手の妖力を吸い取っているのだ。蜘蛛の尻から出る糸の勢いが衰える。やがて糸は途切れ途切れになり、とうとう噴出が止まると、蜘蛛は逆立ちの姿勢から、仰向けにパタリと倒れた。
『青玉ひとーつ』
またもや橋姫が数える。蜘蛛は斃れたまま動かず、青い鬼火は逃げるように橋姫の背後に戻って行った。瑞貴は何か、違和感を覚えた。
『宝珠さん、今日はこのくらいにしときまひょね』
鬼女の姿の橋姫は不気味に笑った。
『今回はご尊顔を拝しに来ただけやさかいな』
そう言って、橋姫が再び身を翻しかけた、その時。
「おのれ物の怪、覚悟なさい!」
橋姫の作り出した異層に、突然割って入った人物がいた。
「って、えっ……あれ……?」
珠の大きな数珠を握った手を勢い込んで高く突き上げたポニーテールの小柄な女性が、斃れた土蜘蛛を見て呆気にとられている。
『ずいぶんと熱心な陰陽師さんが来はったんやね』
橋姫が迷惑そうな顔をして呟く。大きな衿のブラウスにプリーツスカートという学生風の見た目だが、異層に切り込んできたところをみると、何らかの術士らしい。
「私は嵯峨野の陰陽師、今邑櫻子だっ。お前はっ…宇治の橋姫かっ」
戦闘がすでにあらかた終わっていることにどぎまぎしながら、女性は名乗りを上げた。
『はぁ。めんどくさ……』
問いには答えず、橋姫は空中でくるりと一回りする。白装束は鴇色の着物に変わり、頭も結い上げ髪に戻っている。斃れて動かなかった土蜘蛛も、後ろに控えていた鬼火も一瞬にして消え去った。
『あんたはんに用はありまへん』
橋姫は後れ毛を気にしながら、目も合わせずに陰陽師に言い捨てた。そして、瑞貴に向かってしなを作り、流し目をする。
『宝珠さんのお力、しかと見せていただきました。またお会いしまひょね』
言うが早いか、橋姫は着物の袂を振り、橋の向こう側にいたカメラ男もろとも、そそくさと消えていった。瑞貴は再び軽い衝撃を感じ、一瞬後には現世の橋の上に立っていた。街のざわめきが蘇り、橋の上を車が行き交う。今邑櫻子と名乗った女陰陽師も、身構えた様子のまま橋の上に立っていた。
「貴方……大丈夫?」
数珠を握りしめ、肩をいからせている櫻子が瑞貴に尋ねた。
「お姉さんこそ、大丈夫ですか」
緊張でやや顔を引きつらせている櫻子に、逆に瑞貴が訊く。橋を渡る通行人に不思議そうな顔で見られて、櫻子は力を抜いて姿勢を正す。
「わ……私はこんなの、朝飯前よ。貴方、何者なの?」
しどろもどろになりつつも胸を張る櫻子の目の前に、瑞貴は分かるだろうとばかりに何気なく右手を開いて見せる。
「僕は、宝珠です」
「宝珠!……って、何だっけ……聞いたことはある気がするけど……埼玉のお寺?いや、神社か……」
微妙に知識はあるようで、櫻子は下を向いてぶつぶつ呟いていたが、突然顔を上げる。
「でも、とにかく、あの土蜘蛛は貴方が倒したのよね。ちょっと話を聞かせてくれない?」
身長百五十センチくらいの小さな体ながら、すごい剣幕で詰め寄る櫻子に圧倒された瑞貴は、困った愛想笑いを浮かべつつ頷くしかなかった。
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