憂い①
瑞貴は、やりきれない気持ちを抱えていた。
今邑夏陽は、小夜の養父である風見原陶生に、表向きは庭師として雇われていた。志布井将孝の呪殺、そして雄然に対する傷害や桃泉堂の空き巣のいずれも自らの犯行だと、夏陽は認めた。志布井将孝を襲った蠱である鼠は、夏陽が地下鉄から陰摩羅鬼を使って捕獲してきた鼠だったそうだ。夏陽は地下鉄に狂骨が現れることを聞き及び、強力な蠱を作り出すために狂骨の周辺に棲息している鼠を入手したのだ。瑞貴と壱流が茅場町の駅ですれ違った、動く箱を持っていた男は、夏陽に間違いない。夏陽は風見原の邸の庭の離れで捕獲した鼠を育て、蠱毒を作っていた。つまり、小夜の猫が咥えた特別な鼠というのは、夏陽が育てていた蠱だったのだろう。鼠の眼が妖怪みたいで怖かったと小夜が言っていたのも、あながち間違いではなかったのだ。
夏陽の身柄は国の特殊機関に引き渡され、取り調べを受けている。容疑が呪殺という超常的なものであるため、捜査にあたって民保協が専門家として立ち会いを求められ、副統括の高見沢がそれに応じていた。風見原の邸宅も家宅捜索を受け、庭師の住んでいた離れにあった陰陽道や呪術に関する証拠品はすべて慎重に押収された。家宅捜索には六花と蒼も駆り出されていた。二人の話では、離れの周りは橘の木で囲まれ、小さな橙色の実がわずかに枝に残っていたそうだ。当の風見原陶生は、夏陽を庭師として雇っていただけだと主張しており、志布井将孝呪殺事件や桃泉堂の強盗未遂事件のいずれへの関与も否定していた。
小夜はこのことをどこまで知っているのだろう。同じ敷地内に住んでいた庭師が、人を呪殺した術士だったこと。それが小夜の養父の指示だったかもしれないこと。家宅捜索の時、小夜は邸にいたのだろうか。今が一番幸せかも、と言っていた小夜の顔を思い出して、瑞貴は胸が痛んだ。
心配事はもう一つあった。橋姫に盗まれてしまった鬼のされこうべのことだ。そもそも、あのタイミングでなぜ橋姫が現れたのか。橋姫は山地乳を召喚する時に「とうとうこれを試す時が来た」と言っていた。あれはいったい何だったのか。山地乳は人の精気を吸い取る妖怪であり、妖怪の妖力を吸い取るなんて聞いたことがない。山地乳が吸い取った妖力に瑞貴の赤いオーラがぶつかって、混じり合って生まれた紫色のオーラが、陰摩羅鬼をただの黒鷺に変えたのだろうか。橋姫は、それをまるで予想していたことのように喜んだ。それに、あの時の土蜘蛛も山地乳も、最初に瑞貴が橋姫と出会った時に戦った鬼火や土蜘蛛と同じように、どこかしら違和感を抱かせた。
橋姫のことは気になるが、六花と蒼は京都の案件は管轄外であり、ましてや今は志布井社長の呪殺事件のこともあって多忙を極めている。二人の手を煩わせる気には到底ならなかった。
『それで、いちかのとこに連絡してきたの』
黒とクリーム色のリボンだらけのゴスロリファッションに身を包んだ、金髪巻き毛フルメイクの女性が、パソコンのキーボードを叩きながら言った。
「はい。情報に敏感で顔が広いいちかさんなら、相談に乗ってもらえるんじゃないかと思って」
『そりゃね、当代一の化け狸で大人気インフルエンサーのいちかは頼りになるだろうけど』
人形のような顔をした女性は、長い睫毛を瞬かせることもなくデュアルモニターから目を離さず、瑞貴の言葉を軽く受け流す。いちかは自称の通り、血統書付きの化け狸かつ、ゴスロリサークル、ドリーム・ドール・ハウスの主催者であり、インフルエンサーだ。
『もう少しでこれ編集終わるから、ちょっと待ってて』
いちかは美しく加工した画像にキャプションを付けたり、画像をレイアウトしたりと忙しそうだ。瑞貴は陶器のような肌をしたいちかの横顔を見遣って、ウエッジウッドのティーカップで供された甘い香りのする紅茶に口を付けた。
いちかは文福茶釜の和尚のモデルになった茂林寺の守鶴の息子と淡路の芝右衛門狸の娘を両親に持つ由緒正しい化け狸で、棲家は茂林寺のある群馬の館林だ。ゴスロリサークルのためのサロンを都内に構えており、そこを拠点にインフルエンサーとして活動している。いちかは化け狸であることをプロフィールで公開していているし、ことあるごとにいたって真面目に自己紹介して憚らないが、それはそれなりに設定として受け容れられているようだった。
サロンにはたくさんのゴシックロリータ風のドレスやアクセサリーなどが並び、スタジオセットの他、編集作業用のオフィスのような場所や小さいテラスもある。いつもは華やかなサークルメンバーがたくさんいるサロンに、今日はいちかは一人だった。
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