陰陽師①
人面鳥を従えた作務衣の男と若武者に護衛される櫻子は向かい合い、互いに一歩も退かなかった。灰色の荒野に風が吹き抜ける。
「夏陽兄さん。陰摩羅鬼を式神にするなんて」
櫻子は、らしからぬ硬い声音で言った。陰摩羅鬼は、まだ新しい屍の気が変じて生じるといわれ、かつては屍の持ち込まれていた寺によく現れた妖怪である。
「こいつは数々の屍から気を吸い取ってきた陰摩羅鬼だ。一番新しい屍が誰のものか、教えてやろうか」
「聞きたくもないわ」
吐き捨てるように櫻子は言った。黒い靄に身を隠した瑞貴は、男の言葉の意味を察して、背筋が凍るのを感じた。
「……そうね。陰摩羅鬼は経文を読むのを怠った僧侶の前に現れるとも言われるものね」
「ふん。習わぬ経を読むお前らしい言い草だな。お前が式神を作り出す正統な手順を踏襲しているとは驚きだ」
「私は、蘆屋の末裔の名に恥じない陰陽師でいたいだけよ」
「女陰陽師とは笑わせる。では俺も、昔を思い出して式を作ってみせよう」
作務衣の男――夏陽は、懐から折り畳まれた人型の紙の束を出すと、梵語を唱え、櫻子がしたのと同じようにふっと息を吹きかけた。瑞貴はその梵語の呪文の中に、摩利支天という言葉を聞いたような気がした。人型の紙は、風に舞う花びらのように散り、周囲の闇に溶ける。闇はひときわ深くなり、灰色の地面に赤い五芒星が浮かび上がった。相対する夏陽と櫻子を囲み、身を潜めている瑞貴と大澤がいるところにまで届く大きな五芒星だ。そしてその星の五つの頂点から、それぞれ式神が立ち上がる。五体の式神の出現に、櫻子と若武者が身構えた。
「攻・守」
夏陽が顔の横で持鈴を振り、朗々とした声を張り上げる。五体のうち一体の老練な武士の姿をした式神が、櫻子の式神の若武者に斬りかかった。一方、僧侶の姿をした式神は、不敵な笑みを湛える夏陽の傍らに護るように座し、鋭い眼光で辺りを見渡しながら経文を唱え始める。櫻子も負けてはおらず、二体目の、これも見目麗しい若武者を召喚し、一体目の式神に加勢した。激しく刀を交える音がして、青い火花が散る。
「逸」
持鈴の澄んだ音とともに夏陽の声が冴え、白拍子姿の式神が歌いながら舞う。白拍子は妖艶に舞いながら、花吹雪を撒いて櫻子の視界を撹乱した。櫻子は扇子を取り出し、花吹雪をかいくぐって応戦している。
鬼のされこうべの入った桐箱を必死に抱きしめて息を詰めている大澤と黒いオーラで気配を消す瑞貴のそばに、音もなく影が忍び寄る。なおも涼しい顔で、夏陽は持鈴を振った。
「露」
夏陽が唱えると、影は童子の形を成し、瑞貴の作る黒い靄を吸収し始めた。
(まさか……)
霧が晴れていくように、瑞貴の作り出した黒いオーラはかき消され、瑞貴と大澤の姿が露わになる。夏陽はにやりとほくそ笑んだ。
「鬼のされこうべはそこにあったか」
瑞貴は宝珠にオーラを溜めて応戦しようとしたが、再度、夏陽が持鈴をチリンと鳴らす方が早かった。
「縛」
五芒星から生じた五体目の貴人の姿をした式神が足を踏み鳴らすと、瑞貴の身体は右掌を上に向けた恰好で、金縛りに遭ったように動かなくなった。隣では大澤も同様に、桐箱の包みを抱えたまま、彫像のように固まっている。
「上条くん!」
動きを封じられた瑞貴に気付いた櫻子が叫ぶ。しかし、瑞貴はそれに答えることすらできない。
機を逃さず、陰摩羅鬼が羽ばたいて夏陽の元を離れ、滑空した。怪鳥はまっすぐに大澤の持つ包みを目がけて飛び、紫の布の結び目を鉤爪でしかと掴むと口から青い火花を吐き、動けない大澤の腕の中から掠め取った。それを見た瑞貴は、既視感を覚える。地下鉄で初めて狂骨を目撃した時に、狂骨の足元を横切って飛んだ何か。暗闇の中で光を発して滑空するモノ。そして、茅場町の駅のホームですれ違った、鯉口シャツを着た職人風の角刈りの男がフラッシュバックする。
(あの時の……?)
身体が痺れて動かない中で、瑞貴は記憶を辿った。あの男が夏陽だったかどうかまでは思い出せないが、男は気味悪くがたがたと動く黒い箱を持っていた。あの箱の中には、何が入っていたのだろう。
桐箱を掴んだ陰摩羅鬼が夏陽の元に舞い戻り、鬼のされこうべは夏陽の手に渡ってしまった。櫻子は怒りに燃えた表情で扇子を白拍子に投げつけると、錫杖を手に取り横に一閃し、シャンと鳴らした。扇子は白い狗に変わり、白拍子の首元に噛みついた。白拍子は斃れ、薄っぺらい人型の紙に戻る。
「我が式神を斃すとはなかなかだが、秘宝はすでに我が手中だ」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる夏陽を、下から櫻子が睨み上げる。いつもの騒々しく要領の悪い櫻子からは想像もつかない気迫に溢れた姿に、瑞貴は驚いていた。
「兄さん。箱の中身を見てみるといいわ」
冷徹な眼差しで妹を見下す夏陽に向かって、櫻子は凄んだ。夏陽が片方の眉をピクリと動かし、顔を曇らせる。そして乱暴に紫の布を剥ぎ取ると、桐箱の蓋を開けた。箱の中から、小さな灰色の鼠がぞろぞろとたくさん這い出してきて、闇に消えていく。夏陽の気が乱れ、式神の動きが滞る。
「忘れたの。蘆屋道満は、長持ちの中身を言い当てる術比べで、中身を大柑子から鼠に変えた安倍晴明に敗北した。蘆屋の末裔はそれを肝に銘じ、自らも箱の中身を変える術を身に着けるよう教えられたのよ」
櫻子が右手の錫杖を振ると、左手に鬼のされこうべが現れた。
「兄さんが探しているのはこれでしょう。この外法頭を使って、何をしようとしていたの」
悲しげに言った櫻子に対し、夏陽は鬼のような形相で歯ぎしりをした。
「おのれ、小癪な手を使いおって」
怒りに震える夏陽が胸の前で印を結ぶと、童子の姿をしていた露の式神がみるみるうちに大きくなり、三メートルほどもあろうかという鬼に変貌した。鬼はその棍棒のような腕を大きく振るい、櫻子の式神を薙ぎ倒そうとする。辛くも逃れた若武者たちは、しかしその風圧に踏みとどまるので精一杯だ。若武者が怯んだ隙をついて、夏陽の老武士が斬り込む。若武者は応戦したが、鬼も加わって苦戦を強いられる。追い打ちをかけるように、夏陽の脇に控えた僧侶が念仏を唱えると、宝珠の出すオーラに似た白い光の球が生まれた。僧侶が数珠を掛けた右手を手刀にして突き出し、喝を入れると、光は櫻子に向かって飛んで行った。櫻子は錫杖を掲げ、片手でそれを受け止める。櫻子が光に圧されて持ちこたえながら改良衣の袖の中で印を結ぶと、美しい若武者の一人が瑞貴たちの傍まで飛びすさり、見えない力で瑞貴と大澤を縛している貴人を斬りつけた。斬られた式神がただの紙切れになって風に舞う。ようやく、瑞貴と大澤の身体が動くようになった。
「上条くん、これを!」
白い光の球に圧し切られそうになった櫻子が、バスケットボールのロングパスよろしく、鬼のされこうべを瑞貴に向かって投げた。両手で錫杖を持ち直した櫻子は、白い光を逆に圧し返し、撃破する。しばし金縛り状態だった瑞貴が、よろめきながらも鬼のされこうべを受け止めようとしたその時。
異層の空にぽっかりと大きな穴が開き、投網のようなものが投げられて、髑髏が空中で搦め取られた。
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