家族②
それから数日間、瑞貴は悶々としていた。あの時、自分はどう行動すべきだったのか。小夜は本当にキスを待っていたのだろうか。期待に応えられなくてがっかりされたかもしれないと思っては、小夜にそんな意図はなかっただろうと考え直した。その後も小夜は何事もなかったようにメッセージを送ってきていて、あの時のことが話題になることはもちろんなかった。
そしてもう一つ、瑞貴には疑問が湧いていた。
(僕は本当に小夜ちゃんのことが好きなのかな……)
小夜は超がつくほどの美少女で、だからと言ってそれを鼻にかけるわけでもなく、わがままを言わず気遣いもできる、周囲から羨ましがられるほど完璧な彼女だ。だからこそ、瑞貴はなぜ自分が選ばれたのかも分からず、常に自分には勿体ないという意識がある。
「人を好きになるって、どういうことなんでしょう」
浮かない顔で宙を見つめて呟く瑞貴を見て、雄然がやれやれと肩を竦める。
「そりゃあ、お前。愛おしいとか、逢瀬を重ねたいとか、ときめくとか、そういうことだろう」
さして感情のこもらない声音で言う雄然を、瑞貴は恨めしそうに見た。
「まぁあとは、安心感というのもあるな。私の場合、滝夜叉は前者、清舟は後者だ」
呆れながらも、雄然は瑞貴の疑問に真面目に答えてくれている。瑞貴は小夜に対して、会いたいとか大切にしたいとかいう気持ちはあるし、一緒にいると安心感もある。ただ、雄然の言う愛おしさやときめきが、小夜が美人だからなのか、小夜個人に対して特別な感情があるのかはよく分からない。そもそも、小夜の方から告白されて、勢いに押されて付き合い始めた感も否めない。
「せっかく、この世の春を謳歌しているのではないのか。もう少し肩の力を抜いたらどうだ」
瑞貴の悩みが理解できないといった風に、目を細めて渋い顔をしている雄然の前で、瑞貴は大きな溜め息をついた。
「遅くなってごめん、差し入れ持ってきたよ」
冷たい北風とともに桃泉堂に入って来たのは、六花と蒼だった。六花は手に、タンジェリーナのオレンジ色の紙袋を提げている。
「雄然から店に来いなんて言ってくるの、珍しいじゃない」
「私じゃない。櫻子だ」
早速、紙袋から白い箱を出してテーブルの上で開き始めた六花に、雄然が億劫そうに答えた。午後の時間に合わせて、差し入れはケーキのようだ。今日は、民保協の二人と一緒に来てほしいと櫻子から頼まれて、携帯電話を持っていない雄然の代わりに瑞貴がメッセージを送ったのだ。
「それで、いったい何があるの?」
「この店を狙う賊をおびき寄せるらしいぞ」
いかにも面倒臭そうに雄然は言い、座椅子から立ち上がってカウンターに向かう。タンジェリーナのお洒落なケーキを食べるのに、コーヒーを淹れるつもりのようだ。
雄然を襲い怪我を負わせた男。店を偵察に来た足の悪い男性。その直後の空き巣と、犯人は術士だという付喪神たちの証言。そして、滝夜叉姫の蟇蛙の言った『蠱術を使う陰陽師』。瑞貴がずっと口止めされていた空き巣被害のことを話しても良いと言われたのは、民保協が調査している志布井社長の呪殺の件と『術士』という点でつながりがあるかもしれないと、雄然が認めたからだ。瑞貴は事前に、六花たちに空き巣のことと鬼のされこうべのことを伝えていた。
「蠱術を使う陰陽師ねぇ……。志布井社長は術士の蠱毒に殺されたって、山姥も言ってたね」
「蠱毒は本来、昆虫や爬虫類を使うものだが、今回の蠱には鼠が使われていた」
蒼の言う通り、古代中国から伝わる呪術である蠱術は、容器に百の虫や爬虫類を容れて互いに喰い殺させ、最後に生き残った一匹を呪いに用いる。敵は古の呪法を応用して術を完成させられる熟練の術士ということだ。
櫻子が桃泉堂の用心棒になってから二ヶ月が経つが、賊は今のところ現れていない。盗むのを諦めたならば良いが、いつまたそれを狙って襲ってこないとも限らない。業を煮やした櫻子が、それなら鬼のされこうべを餌に、賊を誘い出そうと一計を案じたのだ。賊の術士と志布井社長を呪殺した術士が同一人物かどうかは定かではないが、いずれにせよ野放しにしておくわけにはいかない。
「具体的には、どうやっておびき寄せるつもり?」
「櫻子がすべて計画しているからな。そろそろ来るだろう」
また雄然が言い終わるか終わらないかのうちに、店の扉が勢いよく開け放たれ、振り回された鈴が一つ外れて、床に転がった。
「遅くなりました!皆さん、お揃いですか⁉」
相変わらず騒々しく、既視感のある登場だ。
「……櫻子、店の扉が壊れるのでな。もう少し静かに開けてもらえんか」
落ちた鈴を拾って、櫻子はぺろりと舌を出し、誤魔化し笑いをした。ベージュのニットワンピースの上に僧侶が着る改良衣を羽織った出で立ちの櫻子は店の奥まで進み、カウンターの上に拾った鈴を置く。そして瑞貴たちのいるテーブルを振り返り、目を瞠った。
「うわぁ、すごい」
テーブルの上に開かれたタンジェリーナのケーキの箱を見て、櫻子は歓声を上げる。
「差し入れ。櫻子ちゃんの分もあるけど、食べる?」
「いいんですか⁉」
六花の誘いに食い気味に答える櫻子の目には、ハートが浮かんでいるようだ。煩悩に満ちた寺の娘である。
「今、珈琲を淹れているところだから、もう少し待ちなさい」
「はい。お砂糖とミルクもお願いします!」
櫻子はマイペースに元気良く答える。砂糖とミルクがなければコーヒーが飲めない櫻子のために、それを常備するようになったのは雄然の優しさだ。櫻子が座って、四人掛けのテーブルセットは満席になる。コーヒーとケーキを前にして、一番嬉々としているのは櫻子だった。
「で、櫻子ちゃんの計画っていうのは?」
櫻子がピスタチオと苺のケーキを堪能しながら食べ終えるのを待って、六花が尋ねた。櫻子は口の周りに付いた緑色のクリームを綺麗に舐めて、にやりと笑う。
「今日は闇取引を装って、敵の正体を暴こうと思います」
「闇取引……」
胸を張って意気揚々と説明する櫻子を、全員が訝るように見た。
「仕込みはちゃんとしてあります。雄然さんは、闇取引の相手役に鬼のされこうべを引き渡してもらうだけでオッケーです。骨董マニアのSNSにも、今日、桃泉堂で曰く付きの商品の裏取引があるらしいっていう匂わせ情報を流してあるんで、敵はきっと、取引相手の帰り道を狙って現れるでしょう」
「そんな危険な役回りを引き受ける奇特な人間がいるのか」
櫻子のことを一番信用していなさそうな蒼が冷ややかに尋ねる。対して櫻子は、待ってましたとばかりに鼻を鳴らした。
「もちろんそちらも手配してあります。アンティークショップ・アリステアの御主人です」
「あの刺青店主か……」
答えを聞いた蒼はさらに眉を顰めた。アリステアも付喪神を流通させている桃泉堂と同様、曰く付きの舶来品を扱っているアンティークショップである。蒼は以前、京弥の紹介で、縊れ鬼を捕獲するための妖力を帯びた箱型のオルゴールをその店で購入したので、店主のことは知っていた。
「京弥さんだと狐であることがばれてしまうので、京弥さんに仲介してもらってアリステアの御主人に協力してもらえることになったんです」
櫻子はすっかり京弥に懐柔されたようだ。稲荷の狐である京弥は化け姿も女性と見紛うほど美しく人当たりも良いので、素直な櫻子を手玉にとることなど、お茶の子さいさいだろう。
蒼によると、アリステアの店主は両腕に紋章のようなタトゥーをびっしりと彫っているいかにも胡散臭い男だそうだ。アリステアという店の名前も、二十世紀のイギリスの大魔術師、アレイスター・クロウリーのファーストネームの別読みらしい。
「取引は十八時からの予定です」
得意気に言いながら、瑞貴の食べているチーズケーキを物欲しそうな目で櫻子が見ているので、瑞貴は半分食べたケーキの皿を櫻子の方に押しやった。
「櫻子さん、食べます?」
「えっ、いいの⁉」
ほくほく顔でケーキを食べる櫻子は、だいぶ緊張感に欠ける。雄然もゆったりと座椅子で寛ぎながら、他人事のようにコーヒーを飲んでいる。瑞貴と六花と蒼の三人は半信半疑のまま、櫻子の言った十八時になるのを待っていた。
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