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夜半の階梯 ―宵のハコブネ②―  作者: 朔蔵日ねこ
行き遭い神

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行き遭い神②

 右手には厚く包帯が巻かれていたが、ベッドに寝かされた柊真は額に汗をかいて息遣いは荒く、くぐもった声でずっと何かを呟き続けている。発火事故だけでは説明のつかなさそうな状態だ。それはまるで、見えない何かと闘っているようだった。

「これはやっぱり……何かの憑き物かもしれないな」

 柊真の様子を見て、千歳は深刻な声で言った。佐竹ももう一人の男も、否定はせずに、無言で千歳の顔を見ていた。千歳は少し考え込んでいたが、ふと顔を上げると、蒼と佐竹を見据える。

「池上くんが精神の変調を来したきっかけは、何だったんですか?」

 千歳はこの二人が何かを知っていると考えていた。佐竹が気まずそうな表情をして蒼の方を見遣る。蒼はわずかに眉間に皺を寄せたが、すぐに元の無表情に戻った。作業着の男は、心配そうに佐竹と蒼を見比べている。蒼は一旦、床の上に視線を落とした後、決意したように千歳に視線を戻すと、重い口を開いた。

「俺を庇って、行き遭い神に憑かれたんです」

「行き遭い神……」

 その名前を聞いた途端、千歳が息を呑み、その表情が凍てついた。

「六年近く前です。俺と柊真がまだバディだった頃。俺たちは神奈川県の山中で妖怪の調査をしていました。山鬼やまおにを追っていて、二手に分かれていたところでした」

 蒼は無表情のまま話し始めた。他人に話して聞かせるというよりは、自分自身に語りかけているようだった。その場にいる者は皆、神妙な顔で聞いている。

「俺は行き遭い神に気付かなかったんです。山鬼を追うことに夢中になっていて。柊真が気付いた時には、行き遭い神は俺のすぐ背後まで迫っていました。柊真は真言を唱えて数珠を投げましたが、間に合わなかった」

 数珠。それは、先日六花の家のポストに入れられていた、あの壊れた黒い縞瑪瑙しまめのうの数珠のことだろう。

「柊真は俺に覆いかぶさるようにして、行き遭い神から守ってくれました。俺の代わりに柊真が、行き遭い神の呪いを受けたんです。その日から数日間、柊真は高熱を出しました。あの時も、今みたいにずっとうなされていた。……数日後、熱が下がって目が覚めた時、柊真はもう、元の柊真ではなくなっていたんです」

 話の最後で、蒼はベッドで唸っている柊真の方を顧みた。

「行き遭い神に魅入られて、気が触れたのか」

 沈痛な面持ちで、千歳は独り言のように言った。佐竹もその話は承知しているようで、蒼の隣で項垂れている。少しの間、唇を真一文字に結んでいた千歳は、自身を奮い立たせるように首を振り、力強く頷いた。

「分かった。まずはなんとか池上くんを落ち着かせよう。瑞貴、蒼くんからもらったキク科のハーブを持って来てるだろう。それから香炉と、酒と塩を出してくれないか」

 千歳に言われて瑞貴は頷き、部屋を出てリュックサックの中身を取りに行った。

「私は実験室の方を見てきます。他の研究員は今日は帰らせましょう」

「ええ、つつみ所長。お願いします」

 佐竹の隣にいた作業着の男性はこの研究所の所長らしく、佐竹に言い置いて、足早に部屋を出て行った。

 千歳は、瑞貴の持ってきた材料で盛り塩をし、部屋を浄め、ハーブを調合して香を焚いた。柊真の熱は上がってきたようで、発汗がひどくなる。それに伴って呼吸がさらに荒くなり、しきりに譫言うわごとを言っている。千歳はタオルを濡らす水にハーブの抽出液を加えた。その香りを嗅いで、瑞貴は懐かしさを覚える。これは、宝珠の力が顕現した瑞貴が同じように数日間高熱を出した時に、千歳が使っていたハーブだ。その後もずっと魔除けとして持たされていた匂い袋にも同じ香りが含まれていた。混乱した気持ちをすっきりさせるような、清々しい香りだ。千歳はその水に浸したタオルを柊真の額に当てがった。

 瑞貴が千歳に指示されて動き回っている一方で、蒼と佐竹は部屋の中にじっと立ってそれを眺めていた。六花は部屋を出ており、先ほどと同じく会議室の白いソファに座っている。

 作業が一通り終わると、千歳は全員に一旦部屋を出るように促した。時刻は七時を過ぎている。小太りの男性――研究所の所長の堤がデリバリーを頼んでおり、会議室のテーブルの上には届いたピザが広げられていた。遅い時間まで対応している彼らを労うためのものだったが、皆、あまり食欲はないようで、まだ手を付けられてはいなかった。

「行き遭い神のせいだったんだね」

 ソファの隣に腰を下ろした蒼に向けて、下を向いたまま六花がポツリと言った。柊真のあの地の底を這うような陰湿な声や狡猾で険のある笑みを思い出すと複雑な気持ちではあるが、身を挺して蒼を守った結果だったとなれば、蒼の柊真に対する態度も理解できる。

「柊真は優秀な調査員で、俺の尊敬する先輩だった」

 目を閉じて、溜め息とともに吐き出すように、蒼は言った。

「今も優秀な研究員だよ」

「ええ。民保協で使用している装置の大半は、工学部出身の池上君が実用化したものですからね」

 肩を落とした所長の堤の言葉に千歳も同調する。意外にも、柊真は今でも民保協に認められ、必要とされる人材のようだった。

 その後も時折、千歳が柊真の様子を見に行っていたが、小一時間ほど経ったところで、仮眠室のドアを開けた千歳が、中から蒼を手招きした。

「だいぶ落ち着いたようだ。蒼くんのことを呼んでるんだが……」

 会議室の中に座っていた面々に緊張が走る。一番心配そうな顔をしたのは、六花だった。硬い表情をしている蒼の顔を横から覗き込む。蒼は、六花の方は見ずに、無言で立ち上がった。

「蒼、大丈夫?」

「ああ」

 声を掛けた六花に言葉少なに応えて、蒼は仮眠室に向かった。六花も立ち上がって後を追ったので、瑞貴も続いて部屋に入る。柊真はベッドに横になったままだった。呼吸は整っており、譫言もなくなっている。

「柊真」

 ベッドサイドに立って、蒼は声を掛けた。無機質な声だった。柊真は物憂げに目を開く。その瞳は熱でぼんやりとしているが、瑞貴たちが以前、桃泉堂で見たような冷たさや厭らしさは感じられなかった。柊真の目は宙を泳いだ後、傍らに立つ蒼の姿を捉えた。

「蒼……」

 それは、か細いが、思いのほか澄んでいて優しい声だった。瞬間、蒼の能面のようだった表情が一変する。

「柊真……?」

 上ずった声で、蒼は再び名前を呼んだ。

「蒼、すまない……」

「柊真」

 疑いと驚きと期待が入り混じったような、瑞貴たちがこれまで見たことのないような表情を、蒼は浮かべていた。蒼は身を乗り出して、柊真の次の言葉を待つ。

「俺が……正気でいられる時間は……長くない」

 掠れた声で柊真は囁く。何かと闘いながら必死に自我を保っているかのように、その表情は時々苦悶に歪んだ。蒼は屈んで顔を近づけて、切れ切れなその言葉を余さず掬い取ろうとする。

「お前への気持ちは……一生、伝えないつもりだったのにな……無様だな」

 柊真は天井を虚ろに見つめて独白する。蒼は汗にまみれて肌に張り付いた柊真の長い髪の毛を、そっと手で撫でつけた。

「蒼、あの時、お前が無事で……本当に良かった」

「柊真……」

 蒼は、柊真の枕元の白いシーツに、自分の額をこすりつける。そして顔を上げずに、絞り出すように呟いた。

「……ありがとう」

 柊真の方へと深く屈み込んだ蒼の表情は、もはや瑞貴たちからは見えなかったが、声は少し震えていた。柊真は弱々しく微笑むと、ゆっくりと目を閉じる。

「蒼……。頼みがある」

「なんだ、柊真」

「手を、握っていてくれないか」

 そう言って柊真は、目線を上げた蒼の方へと、包帯の巻かれていない方の手を伸ばした。蒼は、柊真の彷徨うようなその左手を、自分の両手でそっと包み込む。蒼の手の温もりを感じた柊真は満足そうな表情を浮かべ、指先に力をこめて蒼の手を握り返した。そして安心して、墜ちるように眠りについた。

※カクヨムでも同じ作品を掲載しています。カクヨムでは章ごと、なろうではパラグラフごとの掲載です。

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