初恋②
光の中に、和装の女性がぼんやりと現れた。紫色の唐衣に朱色の長袴の十二単姿だ。髪型は現代で言う姫カットで前櫛を挿し、地面につきそうなほど長い後ろ髪は綺麗に束ねられている。顔を隠した扇子をゆっくりとずらして両目を覗かせて、女性は二人の方を見た。
『おや、貂ではないか。久しいな』
「滝夜叉、息災にしておったか」
案の定、雄然は滝夜叉姫を召喚してしまった。しかし、二人が旧知の仲のように挨拶したので瑞貴は驚いた。
『息災も何も、妾は怨霊だ。人間に成ったお主とは違ってな』
滝夜叉姫は、相手が雄然だと分かるとパチンと扇子を閉じ、小さく溜め息をついた。顎の細い小さな顔が露わになる。上品で少し上向きの鼻、大きくてややつり上がった猫のような眼をしており、少し幼さを感じさせるが気の強そうな美人だ。滝夜叉姫は瑞貴を値踏みするように、高飛車に睥睨する。
『何やら強い力を感じてつい降臨してしまったが、宝珠を連れておるのだな』
「手間をかけずにお前を召喚したかったのでな」
ふん、と滝夜叉姫は鼻を鳴らした。父の仇を討つために妖術使いになっただけあって、なかなか豪胆な姫のようだ。
『宝珠の再来のことは父上より聞いていた。夏の百鬼夜行は盛況であったが、よくもまぁ、三大怨霊といわれる父上を担ぎ出したものだな』
呆れたように言い放つ滝夜叉姫は、にこりとも笑わない。瑞貴は恐縮して、なぜか小さく「すみません」と呟いた。
『時に、貂よ。お主、まさか妾と茶を呑みに来たわけでもあるまい』
雄然のことを名前では呼ばないが、微笑まずとも物憂げに問いかける様子にはどこか色香が漂う。
「ああ、早速だが、滝夜叉。今、私の手元に鬼のされこうべがあるのだがな」
雄然の言葉に、滝夜叉姫はつんと澄ましたまま目を細めた。
「これを狙う術士がおるのだが、何ぞか知らんか」
『今時、外法とは、なかなか時代を外れておるがの。よもやお主、妾を疑ってのことではあるまいな』
「ふふ。外法に明るい滝夜叉のことであるから、何か耳に入ってはおらぬかと思うてな」
終始にこやかな雄然に対して滝夜叉姫は仏頂面ではあるが、嫌がっている風ではなく、この二人はどういう関係なのだろうと、瑞貴は不思議に思った。
『妾はもう外法なぞに興味はない。……だが、蟇なら何か知っておるかもしれんな』
そう言うと、滝夜叉姫は着物の袂を翻して印を結び、呪文を唱え始めた。低く艶めいた声音の呪文に呼応して、昔の忍法よろしくドロンと煙が上がる。それととともに、人が一人乗れるほどの大きな蟇蛙が現れた。蛙は無理やり眠りから目覚めさせられたようで、ゆっくりと目を開けると、居並ぶ面々を気怠げに睨めつけた。妖魔も冬眠するのだろうか。
『おい、蟇。最近、現世で外法を行う術士がおるようだが、なんぞ聞いておるか』
問いかけた滝夜叉姫を上目遣いに見上げ、自らを召喚した者を主と認めた蟇蛙は、渋々口を開く。
『蠱術を使う陰陽師』
ふてぶてしい蟇蛙から発せられたのは、喉を潰したような濁声だった。
『外法を操る陰陽師か。なるほど、面白い』
伏し目がちな蟇蛙の返答を聞いて、滝夜叉姫が初めて笑った。不敵な策士のような笑みだ。一方の雄然は、抜け目ない表情で蛙に尋ねる。
「そやつの正体は何者だ」
『只の雇われ陰陽師だ。呪いに傾倒した孤独な男に仕えている』
蟇蛙は大きなあくびをし、その口から緑色の煙を吐き出した。生臭いような匂いが辺りに立ち込める。
『蟇は眠りを妨げられて機嫌が悪いようだ。どうだ、貂。あまり役には立てなかったようだな』
雄然がまだ物足りない顔をしているのを見て取って、滝夜叉姫は言った。蟇蛙は自分の役目は終わったとばかりに瞼を閉じる。再び眠りに入るかのように大きな体を饅頭のように丸めたが、何を思ったのか無精に片目だけを開いて雄然を睨んだ。
『……京に警戒せよ』
黄色く光る瞳で雄然と、その傍らにいる瑞貴の方を見据えて、蟇蛙は警告した。
「京……京都のことか……」
『おどろおどろしい思念が流れてきている』
最後に意味深な言葉を残して、蟇蛙は目を閉じた。滝夜叉姫も不審な顔で蝦蟇を見て、首を傾げる。
(また京都か)
瑞貴も内心呟いた。最近、その地名をよく耳にする。
最後の言葉の真意を明かすことなく、大きな蟇蛙は再び、ドロンと煙とともに消えていった。滝夜叉姫は軽く溜め息をついて雄然の方に向き直る。
『やれやれ。蟇には外法遣いよりも気になることがあるようだな』
「まぁ良い。いずれにせよ、あの鬼のされこうべは今のところ人に譲る気はないのでな」
『それがいい。あのような外法頭が術士の手に渡れば、碌なことにはならんからな』
「伝説の妖術師といわれるお前が言えることではなかろう」
『ふん。相変わらず、厭な爺だ』
雄然を爺呼ばわりする滝夜叉姫を、瑞貴は驚いて仰ぎ見る。滝夜叉姫も生まれは平安時代のはずだが、そんなに年齢が違うのだろうか。
「滝夜叉も、こんな田舎にくすぶっておらず、たまには我が店に訪ねて来ると良い。名所でも案内するぞ」
『……気が向いたらな』
老獪な術士のようにも可憐な少女のようにも見える滝夜叉姫と、雄然は親密そうにさらに二言三言、言葉を交わした。
『貂。外法頭にこの櫛の歯を入れておくと良い』
別れ際に、滝夜叉姫は自分の髪に挿していた柘植の前櫛を取り、雄然に手渡した。雄然がそれを受け取って鼻に近付け、すんと匂いを嗅いだので、滝夜叉姫は嫌な顔をした。二人が互いに別れの挨拶をした刹那、辺りを包んでいた光は消え、瑞貴と雄然は南天の木が枝を広げる塚の前に立っていた。線香皿に置かれた白檀の香りのする線香の束は、燃え尽きて灰になっている。
「滝夜叉姫と仲がいいんですね」
もらった柘植の櫛を手にして嬉しそうにしている雄然に、瑞貴は言った。
「滝夜叉とは、私が貂だった頃からの縁だからの」
「お付き合いしてたんですか」
唐突な瑞貴の質問に、雄然は急に真顔になって瑞貴の顔を見る。そして破顔一笑した。
「宝珠もそういったことが気になるのだな」
冷やかすように言われて、なぜか瑞貴の方がばつの悪い思いをする。
「あれはまぁ、初恋の君、というやつだ。若かりし頃の美しき思い出だ。あれがまだ妖術師になりたての頃、私はよく人間に化けては、ちょっかいをかけに行ったものだ」
滝夜叉姫がまだ復讐に燃えた小娘だった頃、貂だった雄然はすでに百余年を生きた妖だったということか。爺と呼ばれていたことに瑞貴が妙に納得していると、雄然は目を細めて笑った。
「宝珠も早いところ、そういう相手を見つけるといい」
不意の思わぬ切り返しに、瑞貴は言葉に詰まる。初恋もまだだということが、どうしてばれたのだろうか。
「さて、帰るとするか」
滝夜叉姫の櫛を大切に懐に入れて、雄然はニヤニヤしながらそう言った。
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