情念③
秩父から帰った週の土曜日、瑞貴は資料を携えて桃泉堂を訪れていた。
「んー。私も古文って得意じゃないけど、パソコンでデータ管理することは簡単だよ。今時、古文書を翻訳できるアプリとかもあるんじゃないかな」
雄然の淹れたコーヒーを飲みながら、まだ短いストレートヘアが見慣れない六花が言う。
「雄然に読んでもらえばいい。平安以降なら、どの時代の文書でも読めるだろう」
「新しいことを覚えるためには、古いことはどんどん忘れねばならんからな。果たして今でも読めるかどうか」
蒼と雄然は、それぞれの定位置に座っていて、軽口を叩き合う。
「これだけの資料の中から人魔相殺の具体的なやり方を探すのは、至難の業だね。だいぶ時間がかかりそう」
「まぁ、刻一さんは数年は待ってくれそうな様子だったんで……」
半眼になりながら、瑞貴は溜め息をつく。ただ、こうやって相談しても嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれるこの三人には本当に感謝していた。
「祀の手記に人魔相殺のことは書かれておらんのか」
「祀様の手記も、まだ全部は訳されてないので……」
「どれ、見せてみろ」
瑞貴はテーブルを立ち、数冊にわたる祀の手記を、カウンターの奥の座椅子に座っている雄然のところまで持って行った。雄然は身を起こして前屈みになり、手記を順にパラパラとめくっていく。テーブルでは、六花や蒼も他の資料を開いて見ていた。
「この『力也』って人が祀様の前の代の宝珠なの?」
「三百年前……まだ江戸時代だな」
「宝珠の家系は代々、男女の区別のつかない名前をつけるんだと思ってたけど、この時代は違うんだね」
資料に目を落としながら六花が言うと、和綴じされた祀の手記を読んでいた雄然が視線を上げずに応える。
「それは、くずし字で書いて『かや』と読ませるのだ。これまでの宝珠には男名と女名の両方を持つ者もいたが、力也は読みの違う二つの名を使い分けておったな」
「へぇ、工夫してるんだね」
感心する六花の横で、瑞貴は不思議そうな表情で雄然のことを見ていた。雄然は本当に平安時代から長い時間を生きているのだ。ということは、祀にもその前の宝珠にも、実際に会ったことがあるのだろうか。
「うむ。人魔相殺を行ったという記載はあるが、昔の資料を元にして、やり方を少し改変した、というようなことしか書かれておらんな」
「なるほど。元ネタになっている更に昔の資料がないと、やり方の詳細は分からないってことか」
「どうやらそのようだ」
雄然と蒼の会話を聞いて、瑞貴はげんなりした。これよりもっと古い資料までさかのぼらなければいけないのか。
ひとまず、すでに美弦が訳した祀の手記については六花が預かってデータ化を試みることになった。まだ現代語訳のない部分は、雄然が読み進めてみると言う。
「すみません。ありがとうございます」
瑞貴は恐縮した。やはり、色々な人の協力を得なければ宝珠としての役割を全うできないというのは、あながち嘘ではない。
瑞貴から預かった資料をしまおうとして、六花は白い革のボディバッグを開けた手を止めた。
「あ、そうだ。今朝、うちのポストに気味の悪いものが入ってたんだ。これなんだけど……」
そう言って六花がテーブルの上に出したのは、灰色の封筒だった。封筒は上質な厚手の紙でできており、表にも裏にも何も書かれていない。
「宛名が書かれてないってことは、誰かがこれをうちまで持ってきたってことよね」
六花は自ら封筒の口を開けると、中に入っていたものを割れ物を扱うようにそっと取り出した。糸の切れた黒い縞瑪瑙の数珠。数個の珠が毀れて離れてしまっており、いくつかの珠はすでに失われているようだ。テーブルの上に置かれた無残な姿の数珠を見て、血相を変えたのは蒼だった。
「これは……」
息を呑んで数珠を見つめていた蒼は、全員の視線を感じて、浮かせかけた腰を戻して椅子に座り直した。
「この数珠は、柊真のものだ」
強張った表情で蒼は言った。蒼が民保協に入った当初、最初にバディを組んでいた池上柊真のことだ。
「以前、柊真がまだ調査員だった頃に使っていたものだ」
蒼が吐き出すように言うと、雄然は手にしていた祀の手記を脇に置く。
「あの男は、また始めたのか」
そう言った雄然の顔つきは、半ば呆れ、半ば心配しているようだ。
「蒼の近くにいる女性がどうしても気に入らんと見えるな。以前も蒼の婚約者にさんざん嫌がらせをしておった」
「えっ⁉」
六花と瑞貴が同時に蒼の顔を見る。蒼に婚約者がいたとは初耳だ。
「それが元で、蒼の婚約は破談になったのだ」
「雄然」
目を細めて笑う雄然を、蒼は憮然とした表情で咎める。
「先に橘の香を持ち出したのは蒼の方だろう」
雄然はやり返したとばかりに却って面白がる。子供が悪戯をした時のような顔だ。
「そんなことまでされて、黙ってるの、蒼」
勢い込んで六花は言いかけたが、ただならぬ雰囲気の蒼を見て口をつぐむ。蒼は数珠に手を伸ばし、バラバラになりそうな瑪瑙の珠を丁寧にかき集めた。
「これは俺が預かる」
集めた数珠を灰色の封筒に戻して、蒼はそれを自分の鞄に入れる。六花はそれ以上何も言わなかった。雄然は茶化しているようだが、蒼の表情は硬い。何かと干渉してくる柊真に蒼が強く出られないことには、何か深い理由があるようだった。
用件が済んで三人が桃泉堂から帰ろうとした時に、瑞貴は雄然から呼び止められた。
「宝珠、来週の日曜は暇か?」
「えっ、あ……まぁ、特に予定はないですけど」
瑞貴が答えると、雄然は彼の手を取って、紙を握らせた。瑞貴が紙を開いてみると、待ち合わせの時間と場所が達筆な字で書かれていた。
「まぁ、騙されたと思ってついて来い」
雄然の笑顔は、悪だくみをしているチェシャ猫のようだった。
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