刺客①
上条瑞貴は、桃泉堂の重い木の扉を押し開けた。扉の上に付けられた鈴がチリンと鳴り、店の中にいた数人が振り返る。といっても、店内に所狭しと置かれた商品に遮られ、その顔まではよく見えない。桃泉堂はリユースショップを名乗ってはいるが、滅多に客の訪れない骨董品屋といった風情の店だった。
「雄然さん、大丈夫ですか⁉」
この桃泉堂の店主である高村雄然が何者かに襲われて怪我をしたという連絡を受けて、瑞貴は急いでやって来たのだ。当の雄然は、店の奥にあるカウンターのさらに奥で、いつもの座椅子に腰掛けている。真夏でも常に羽織袴の雄然が、今日は羽織を着ていない。
「おお、宝珠か」
雄然は瑞貴のことを宝珠と呼ぶ。宝珠とは、瑞貴の父の実家である寒月峰神社の巫覡の家系に百五十年に一度現れる能力者で、妖魔神仏を含むあらゆる存在に活力を与える力を持った存在である。つい半年ほど前に瑞貴は突然この力に目覚め、人生がガラリと大きく変わったのだ。
「なに、大した傷じゃない」
「店の鍵を開けてた時に、後ろから刃物を突き付けられて、揉み合いになったんだって。それで左腕を切りつけられて、結果、あれ」
瑞貴に電話をかけてきた島崎六花が、店の右奥にあるテーブルを指差した先には、番傘と左の袖の千切れかけた羽織が置かれている。骨が折れてひしゃげた赤い番傘は、かつて天狗の遣いの鴉に襲われた瑞貴を助けてくれた時にも雄然が武器にしていたものだ。一方の、流水文様の上等な生地の羽織は、裂け目が血に染まっている。
「着替えたおかげで色合わせが台無しだ。その羽織も仕立てで作った一点ものだったんだが……」
雄然の不満はそこなのか。古風な口調も相俟って年齢不詳だが、和服をモダンに着こなすかなりの洒落者である。
「いやいや、それより、けっこう出血してますけど……病院には行ったんですか?」
「医者ならそこにおるだろう」
面倒くさそうに雄然が顎をしゃくった先には、テーブルを前に腕組みして座っている陣野蒼の姿があった。蒼は瑞貴と目が合うと、呆れたように口を開く。
「縫合した方がいいが、しなくても治ることは治るだろう」
おそらく蒼も病院を勧めたが、雄然が拒否したのだろう。外科医である蒼がそう言うなら大丈夫なのだろうが、問題は雄然を襲った相手とその目的だった。
「揉み合ったなら、顔は見てないんですか?」
「一瞬のことだったからな。黒い布で顔を覆っていて、灰色のツナギのようなものを着ていた」
座椅子に身を沈め、細い目をさらに細めて雄然は思案顔をする。
「……そして、橘の匂いがしたな」
それを聞いた蒼が、眼鏡を押し上げながら、ふん、と鼻で笑う。
「昔の想い人か」
「ふむ。古今和歌集だな。残念ながら、賊は男だったぞ」
六花と瑞貴はポカンとしているが、橘の香りといえば、古今和歌集に由来する昔の恋人を思い出す香りの比喩だ。
「この店を狙うとはな、よほどの物好きか付喪神絡みのその手の輩か」
蒼の言葉に反応して、雄然は片方の眉をピクリと動かす。桃泉堂は日本の骨董品を扱う古物商だが、時を経て妖怪化した付喪神を商品として流通させている店である。瑞貴の宝珠の力が顕現した時にも、雄然は自らの式神である古銭の承和昌寳を瑞貴の元に送り込み、この店に誘導した。
「何か心当たりはあるの?」
六花の質問に、雄然はにやりとする。いつものチェシャ猫のような笑顔だ。
「そりゃあな。好事家垂涎の一流品を取り揃えておるからの」
自信満々に雄然は言うが、それもあながち誇張ではないことを瑞貴は知っている。この店の付喪神は高値で取り引きされ、旧い楽器などはこの世のものとは思えないような音色を出すのだ。
「百鬼夜行からこちら、仕入れも上々で商品もよく売れる。付喪神の質が上がっているからな。そうなれば、悪事を働く不届き者が出てくるのも無理はない」
怪我を負わされた割に、雄然はずいぶん吞気だ。
「警察に被害届とか……」
と言いかけた瑞貴の言葉が終わらないうちに、雄然はかぶりを振る。
「あまり詮索されるのは好かんのだ。別に後ろ暗いわけではないが、なにかと面倒なのでな」
雄然は話題を打ち切るようにそう言うと、やにわに立ち上がり、カウンターに歩み寄って戸棚を開ける。
「それより、民保協の方はどうなのだ。珈琲を淹れるから、宝珠もまぁ、座れ」
勧められて、無残な姿の番傘と羽織の載ったテーブルを挟んで座っている六花と蒼の傍らに、普段通り瑞貴は腰を下ろした。
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