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夜半の階梯 ―宵のハコブネ②―  作者: 朔蔵日ねこ
鬼の系譜

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鬼の系譜②

 ちょうど二か月前、今日と同じ土曜日の昼頃、桃泉堂からの帰り道で橋姫の襲撃に遭ったのだった。その時に比べると、もう気候はだいぶ涼しい。去年は夏が終わって秋を感じる間もなく急に寒くなったが、今年は街路樹も綺麗に紅葉している。帰宅途上の橋に差し掛かると、左手の川の上流に臨む公園の一帯が赤や黄色に美しく色づいているのが見えた。

(櫻子さんのお兄さん、見つかったかな)

 瑞貴は歩きながらふと思い出した。思い込みが激しくあまり要領は良くなさそうだったので、苦労しているかもしれない。一生懸命だがなんとなく空回りしていた櫻子の顔をぼんやりと思い浮かべるが、別に連絡を取ろうとは思わない。橋を半ばまで渡ったところで、瑞貴は急に足を止めた。橋の向こう岸に、こちらを向いて佇んでいる人影を認めたからだ。嫌な予感がした。既視感。人影は男性で、首からカメラをぶら下げている。

 男性は、グレーのスウェットにカーキ色のスリムパンツを穿いており、だいぶ使い込んだ黒の革のライダースジャケットを着ている。服装にはあまり頓着しないのか、ライダース以外はファストファッションの印象で、濃い色のサングラスをかけている。瑞貴は身構えて、伏し目がちに男性を観察しつつも、できれば素通りしたい気持ちで目を合わせないようにして橋を渡り切る。

「おい」

 傍らをそそくさと通り過ぎようとした瑞貴を、男性が呼び止めた。瑞貴は残念そうに眉間にしわを寄せて目を閉じる。

「気付いてるんだろう」

 男性は、乾いた声でそう言った。瑞貴は、桃泉堂で引き取って来たばかりの懐中時計を横目で見る。意外なことに猫目石はほぼ琥珀色のままで、ごくわずかに黄緑色を帯びている程度だ。この男性は、酒呑童子のゆかりの何かではないのか。

「僕に何か?」

 できるだけ関わりたくない素振りを前面に押し出して、瑞貴は俯き加減に尋ねた。すると男性は、無言で瑞貴の目の前に茶封筒を差し出す。瑞貴はチラリと一目、男性を見たが、濃いサングラスは瑞貴の顔を反射するだけで、その瞳の色は窺えない。渋々封筒を受け取り、表裏に返してみるが、何も書かれてはいなかった。封をされていない口を開けて中を覗くと、写真の束が入っていた。その写真を取り出し、一枚目を眺めて瑞貴は小さく声を洩らす。

「あぁ……」

 それは、二ヶ月前、瑞貴がこの橋の上で橋姫と遭遇し、土蜘蛛と闘った時の写真だった。やはりこの男性は、瑞貴が橋姫と闘っていた最中にカメラのシャッターを切り続けていたあの男だ。瑞貴は写真の束を一枚一枚()っていく。流れ星のように尾を引く青い鬼火。土蜘蛛の白く光る糸。瑞貴の赤いオーラ。そして、白装束の鬼女と化した橋姫の後ろ姿。どれも鮮明に写っている。瑞貴が土蜘蛛から青いオーラを吸い取っている姿や異層に闖入ちんにゅうしてきた櫻子、そして最後に夏の百鬼夜行の写真も入っていた。めくるうちに写真の間から、名刺がひらりと抜け出し、地面に落ちる。瑞貴はそれを拾うためにしゃがみ込んだ。名刺には『左右田写真館 写真家 大江ミチヒコ』とある。

(大江ミチヒコ……。そんな名前だったな)

 男性が喋るのを見たのは初めてだったが、橋姫と二人でマンションを訪ねてきた時に、インターホン越しに橋姫が紹介していた。

「良く撮れているだろう」

 立ち上がった瑞貴に、横から大江ミチヒコが言った。

「あなたは何故、妖怪の写真が撮れるんですか」

 瑞貴がようやく真っ直ぐ顔を見たので、ミチヒコはサングラスを外して瑞貴を見返す。ところどころニキビ痕のある荒肌で、目が小さく素朴な顔立ちに威圧的な印象はない。

「さぁな」

 素っ気なくミチヒコは答えたが、少し考えた後に呟くように言う。

「鬼の血が流れているからじゃないか」

「鬼……。やっぱり酒呑童子と関係があるんですか」

「外道丸の意味を知ってるんだな」

 ブログ『洛中あやかし台帳』の中で、おそらくこの男が使っている外道丸というハンドルネームは、酒呑童子の幼名だ。ミチヒコはサングラスを畳んでライダースのポケットにしまいながら、ぼそぼそと聴き取りづらい声で話し始めた。

「酒呑童子は狼藉ろうぜきをはたらいて頼光と四天王に討伐されたが、それまでに多くの姫をかどわかしたと言われている。俺はどうやら酒呑童子とその攫われた姫の子孫のうちの一人らしい」

 源頼光と四天王が活躍したのは平安時代中期のことであり、それがミチヒコのルーツのようだった。

「子どもの頃、曾祖母から事あるごとにそう言われて育ったんだ。昔から他人には見えないものが視える体質だったが、霊感のある人間なんてそれほど珍しくない。その程度のものだと思っていた」

 ミチヒコは抑揚のない声で淡々と語った。その声が小さいので、瑞貴はミチヒコの方に近付き、歩道の端に寄った。

「写真に興味を持ったのは高校の時だった。写真部で色々な写真を撮る中で、俺は戯れに、他人には見えない存在にカメラを向けてみた。写真には写らないはずの奴らは、俺の写真にだけ鮮明に写ったんだ。その時、俺は初めて自分にしかない能力に気が付いた。鬼の血が流れているということはそういうことなんだと、理解したんだ」

「じゃ、『洛中あやかし台帳』の写真は、あなたが撮った()()ということですか」

 首からかけた大きな一眼レフカメラを両手で撫でながら、ミチヒコは頷いた。

「ああ。あれはすべて本物だ。だが最初、俺は自分が撮った妖怪の写真を誰にも見せなかった。専門学校を出て、俺は町の小さな写真館で普通のカメラマンとして働き始めた。妖怪の写真が撮れることは、誰にも言わなかった。だが、皮肉なことに、俺の撮る写真の中で、妖怪の写真が一番出来栄えが良かった。生き生きとして、躍動感があって、美しかった」

 いつの間にか、橋のたもとに立ったまま、瑞貴はミチヒコの話に聞き入っていた。確かに、ミチヒコの撮った妖怪の写真はどれも鮮やかで、妖怪たちの姿を見事に捉えている。

「俺は、自分の写真を誰かに見てもらいたくて、ブログを作った。写真家・大江ミチヒコとしてじゃなく、匿名で。手の込んだ冗談だと思われてもよかった。作品を眠らせておきたくなかっただけで、細々とアップして、興味を持ってブログに立ち寄ってくれるごく一部の人がいればそれで満足だった」

「それが『洛中あやかし台帳』ですか?」

「いや。それは俺が最初に作った『大江スタジオ』ってブログだ。そして、そこのコメント欄にアクセスしてきたのが、橋姫だ」

 瑞貴は鴇色ときいろの着物を着た、旅館の女将のような橋姫の風貌を思い出す。社交性も行動力もありそうな橋姫が、スマホやパソコンでブログにアクセスする姿は想像に難くない。

「橋姫は俺の写真をいたく気に入って、仲間にならないかと言ってきた」

「仲間?」

「ああ。自分たち妖怪の活動の記録を残したい。そのために、この鮮明な妖怪の写真を撮る才能が欲しいと。それで作ったのが『洛中あやかし台帳』だ」

 妖怪の活動の記録――。現代で妖怪がどのように生きているかを記録するということだろうか。それなら民保協のデータベース登録と大差ない。しかし本当にそれだけであれば、宝珠である瑞貴を襲う理由もないだろう。

「橋姫の目的は、何ですか?」

 写真の束を握りしめて、瑞貴は訊いた。ミチヒコは表情を変えることなく、くぐもった声で続ける。

「詳しいことは知らない。たとえ知っていても話せないだろう。俺は橋姫に雇われている身だからな」

 ミチヒコは一瞬、橋の向こうの川の流れに目を遣り、そしてポツリと言った。

「ただ、橋姫には気をつけた方がいい」

 独り言のように呟くミチヒコを、瑞貴は訝るように見る。

「どういうことですか?」

 問われて、ミチヒコは再び瑞貴の顔に視線を戻した。

「俺は混妖だが、鬼の血は薄い。所詮、人間として生きていく運命だ」

「なぜ、僕にそんなことを?」

 ミチヒコの意図を測りかねて、瑞貴は質問を重ねる。

「橋姫を止められるとしたら、宝珠の力を持つあんたくらいだろう。今は、安倍晴明のような稀代の陰陽師がいるような時代でもないしな」

 相変わらず、謎かけのような会話が続いた。ミチヒコも、その真意を伝える気はなさそうだった。

「止めるって、何をですか」

 もはや答えを得られるわけではないと分かっていながら、なおも瑞貴は畳みかける。案の定、ミチヒコは質問を拒絶するようにライダースのポケットから取り出したサングラスをかけると、瑞貴に背を向けて駅の方へと歩き出した。

「それなら、どうしてあなたは、橋姫の仲間でいるんですか?」

 瑞貴は最後に、ミチヒコの背中に大声で尋ねた。ミチヒコは立ち止まり、半身だけ振り返る。

「自分の作品が評価されるのは、思いのほか嬉しいものだからな」

 そう答えたミチヒコの横顔は、初めて微笑を湛えているように見えた。

※カクヨムでも同じ作品を掲載しています。カクヨムでは章ごと、なろうではパラグラフごとの掲載です。

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