鬼の系譜①
その週の土曜日、瑞貴は一人で桃泉堂に向かっていた。あの日、家に帰ってから、鞄に付けていた懐中時計がなくなっていることに気が付いた。学校を出る時にはあったはずなので、おそらく桃泉堂で落としたのだろうと思い至ったのだ。あの懐中時計は時計として役に立ったことはないが、京弥からの貰い物でもあるし、妖魔を感知する猫目石にはけっこう世話になっていた。管狐の竹筒は学校の鞄にはぶら下げないが、懐中時計は通学鞄と普段のリュックサックに付け替えることも多いので、緩んでいたのかもしれない。なくすと不便ではあるので、早めに回収したいと瑞貴は思っていた。
桃泉堂の開店時間は午前十一時で、その少し前には雄然が来て、開店準備をしているはずだ。そのくらいの時間を狙って、瑞貴は桃泉堂に到着した。
雄然が元妖怪だと知った時は驚いたが、雪絵の時と同様、なんて人間らしいんだろう、というのが率直な感想だった。妖怪と人間の違いは何なんだろう、と瑞貴は不思議に思う。刻一は、妖怪のままでは人間の感情が分からないと言っていた。やはり、人間には妖怪には理解できない複雑さがあるのだろうか。
「雄然さん、こんにちは」
思い切りよく桃泉堂の扉を押し開けて、瑞貴は挨拶した。と。店の中にいつもと異なる雰囲気を察して立ち尽くす。
店内は、荒らされていた。商品の古い箪笥や棚の引き出しは開け放たれ、和服などの衣類も床に散乱している。貨幣や刀の鍔のような細かいものも辺り一面にばら撒かれ、茶碗や壺などの陶器が割れたり、塗り物の杯や膳台が転がったりしている。中央の通路には、陳列台の下に布を被せられて隠されていた金庫が露わになり、扉がこじ開けられているのが見えた。
「あれ……雄然さん?」
どう見ても強盗に遭った店内を目にして、瑞貴は不安に襲われた。雄然は無事だろうか。やはり、前回の時に警察に届けていれば良かった。
「雄然さん!」
二回目に呼ぶ声に力が籠る。返事がないことに焦り、荒らされた店内に意を決して踏み入れようとした時だった。
「ああ、宝珠か」
「雄然さん……」
カウンターの奥からのっそりと出てきた雄然は、羽織を脱いでたすき掛けしており、手には箒と塵取りと紙袋を持っている。
「どうしたんですか⁉これ」
「見ての通り。空き巣だな」
「空き巣⁉」
前回雄然を襲った時に思いのほか抵抗が強かったので、今回はいない隙を狙ったのか。雄然は面倒くさそうに溜め息をつくと、割れた陶器を拾いはじめた。欠片を集め、種類ごとに紙袋に収めていく。瑞貴は床に散乱した商品を慎重に跨いで、雄然の元へと駆け寄った。
「雄然さん。今度こそ、警察に届けましょう」
強い口調で言う瑞貴の顔を見て、雄然は少し呆れた表情をする。そして、細い目をさらに細めて言う。
「お前も懲りん奴だな。知っての通り、私は官憲に色々追及されると面倒な身の上なのだ」
「でも……」
食い下がる瑞貴の目の前で、雄然は陶器を集めた袋の口を閉める。そしてまだまだ散らかった店の中を見回し、再び瑞貴の顔を見た。
「おい、宝珠」
「はい?」
「お前、宝珠の力をこの店の中に撒けるか」
「え……あ、まぁ、できますけど」
店内に向かって、さぁやってくれとばかりに手をひらひらと振る雄然に促されて、瑞貴は半信半疑のまま右手を出し、緑色のオーラの球を創り出す。その球を、そっと紙風船を打ち上げるようにして天井まで上げて、弾けさせた。店の中にオーラが万遍なく、霧雨のように行き渡っていく。
「おお、良いな」
それを見て、雄然は満足げに言った。店内の付喪神たちが急に活気を取り戻し、ざわめき始めるのが感じられた。雄然は店の中に向かって声を張り上げる。
「起きよ、皆の者。おのが在所に復せ」
雄然の命令に、店中の付喪神が跳び上がる。特に貨幣のような小さいモノたちはピョンピョンと飛び跳ねて元々収まっていた箱の中へと戻っていく。倒れた花瓶や毛槍、転がった角盥は起き上がり手足を生やして、床に落ちた着物や草履などを拾って元に戻しながら、それぞれの場所へと帰った。楽器のエリアでは、尺八と篳篥が慌てて陳列台に登ろうとして、琵琶の弦に躓いて、ビン、と音を鳴らす。付喪神たちが自ら片付けをしていく様子は、圧巻だった。
「すごいですね」
付喪神たちは一斉にそれぞれの場所に還り、付喪神ではない商品がいくつか床に残されただけだった。それらを拾い集めながら、雄然は再び声を張る。
「承和昌寳!」
『はいぃ!』
雄然に呼ばれ、承和昌寳がカウンターの内側から飛び出してきた。
「承和。私はお主らにこの店の警備を申し付けてあったな。これはどういうことか、説明せい」
承和昌寳のいつもの威勢の良さは鳴りをひそめ、カウンターの上でその小さな体をさらに縮こまらせている。
『雄然。誠に面目ない。……儂らは皆、眠らされておったのだ』
「ほう。相手は何者だ」
穏やかな声でゆっくりと、雄然は尋ねる。その空恐ろしい迫力に、無関係な瑞貴ですらぞくりとする。
『お、男の術士だ。黒い装束の、忍者のような男であった』
承和昌寳が焦って答える。
『男が侵入してきた時、槍毛長や禅釜尚、虎隠良を先頭に、儂らは応戦しようとしたのだ。しかし奴はそれをひらりと躱し、香を焚いて呪文を唱えたのだ。皆、それに抗えずその場に斃れ、気が付いたら……宝珠殿の御力の雨が降り注いでおった……』
ふん、と雄然は鼻を鳴らした。その顔に一瞬、不敵な微笑が浮かぶ。
「術士か……。なるほど、さもありなんだな」
合点がいったように独り言を呟くと、真顔に戻って三度声を張る。
「お主らは平和惚けしておる。身を引き締めよ」
店全体の空気にピリッと緊張が走り、承和昌寳が代表で頭を垂れた。平安時代からの仲だと言いつつも、人間と器物の妖怪では序列が明確らしい。
侵入者は、警備をしていた付喪神たちを眠らせて店の中を荒らしたのか。箪笥や棚の引き出しまで開けられているのを見ると、何か目的の物を探していたのかもしれない。
「雄然さん、それで、何を盗まれたんですか?あの金庫の中には、何が入ってたんですか?」
中央の通路で無残にこじ開けられた金庫を指差して瑞貴が訊くと、雄然はゆっくりと首を振った。
「何も」
「えっ、何もって……」
「あの金庫の中は空だったのだ。なぁ、宝珠。いいものを見せてやろう」
そう言って、雄然はカウンターに戻っていく。いつもコーヒーを淹れるための道具をしまっている戸棚を開けると、中から紫色の布に包まれた箱を取り出した。布の結び目を解いて、雄然は瑞貴に向かって手招きをする。中から出てきたのは桐の箱だった。蓋を開けた雄然に誘われ、瑞貴は桐箱の中を覗き込む。しかし、それを目にした途端、飛びすさった。
「あの、これ……頭蓋骨ですか?まさか、本物?」
少し離れたところから遠巻きに眺めるようにして、瑞貴は言った。だいぶ年月を経ているのか黄土色っぽく変色して、角々が蝋のように溶けて朽ちかけている大きな頭蓋骨だ。
「いかにも。これは古い人間の髑髏であるが、頭の天辺をよく見ろ」
言われて瑞貴がおそるおそる顔を近づけてみると、頭の上方の滑らかな曲面に二本の小さな突起がある。
「角……ですか?」
「溶けかけているとはいえ、こんな小さなものが実際、角であったかどうかは分からんが、これは鬼のされこうべだとも言われておる。いにしえに討伐された蝦夷の族長のものだとか、角大師といわれた良源のものだとかいう話もあるが、いずれにせよ、外法を行う術士にとっては喉から手が出るほどの代物だ」
「じゃ、狙われたのはこれですか?」
「おそらくな」
雄然はしたり顔で言って、急にほくそ笑んだ。
「一昨日、足の悪い男が来ていただろう」
「はい」
瑞貴が、転んだ時に手を貸したあの身なりの良い男性のことだ。
「あの男は転倒したふりをして、そこに金庫があることを確かめたのだろう。嫌な予感がして、私はあの夜、髑髏を金庫からその戸棚に移したのだ」
「えっ、じゃ、あの男が犯人⁉」
「いや。あの男の足が悪いのは本当だろう。実行犯は別だ。だが、あの男が絡んでいることは間違いあるまい」
「あの人が誰なのか、分かるんですか?」
「それがな……」
雄然は桐箱の蓋を閉め、元通りに布に包みながら、残念そうにかぶりを振る。
「あの男は八百万円ほど買い物をしていったのだが、付喪神ではない商品だけを選び、支払いは即金だった。帰りも、車で来ているからと買った物をすべて自ら運び出したので、足のつくようなものは何も残さなかった」
初めて立ち寄った店で八百万円を現金で支払う財力もすごいが、痕跡を残さずに偵察に来ていたのだとしたら狡猾だ。
「これだけ執拗に狙ってくるということは、これを使ってよほど呪詛したい相手がいるのだろうな」
「じゃ、また来るんじゃないですか」
不安そうに言う瑞貴の顔を見て、雄然は箱をしまう手を止め、慈しむような穏やかな表情をした。それは、今までに見たことのないような微笑だった。
「お前は心配性だな、宝珠。なに、相手が術士だと分かっただけでも成果だ。私も伊達に千二百年生きておらんから、案ずるな」
それまでの面倒くさそうな拒絶する態度ではなく、諭すように言う雄然を見て、瑞貴は黙り込んだ。確かにこれは雄然と彼の店の問題であり、高校生の瑞貴がいくら騒いだところで何の役にも立たない。
「このことは、六花や蒼にも黙っておれよ」
雄然はまた例のチェシャ猫のような笑みを浮かべて、瑞貴に釘を刺した。雄然の瞳の奥の鈍い光に射抜かれて、瑞貴はただ無言で頷いた。
「ところで宝珠、今日は何用だ」
雄然に問われて、瑞貴ははっと我に返る。
「あの、この前、僕、懐中時計を落としていきませんでしたか?」
店の変わり果てた姿に驚いてすっかり忘れていた本題を思い出し、瑞貴は切り出す。すると、雄然はポンと手を打った。
「おお。あの京弥の懐中時計か」
そしてカウンターの下の引き出しから件の懐中時計を出してきた。
「テーブルの下にあったぞ。壊れてはいないと思うが」
「ありがとうございます」
懐中時計の猫目石は、桃泉堂の付喪神たちに反応して、ほんのり緑色に輝いている。雄然から懐中時計を受け取り、瑞貴はその表面をひと撫でした。
「雄然さん、今日はお店はどうするんですか」
「店は開けるぞ。客も多くはないし、もともとそれほど片付いた店ではないのでな。問題あるまい」
のんびりと言って、雄然はまた残りの片付けに取り掛かる。瑞貴は手伝いを申し出たが、丁重に断られた。扱いの分からない物も多いだろうと言われれば、確かにその通りだ。
「まぁ、ぼちぼちやるさ」
たすき掛けした袖から覗く雄然の腕は、存外逞しい。片付けをしながら鼻唄も混じり始めた雄然に別れを告げて、瑞貴は家路についた。
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