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夜半の階梯 ―宵のハコブネ②―  作者: 朔蔵日ねこ
徒花

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徒花③

 桃泉堂は、大通りから一本入った路地の、オフィスビルや店舗が入り混じった区画の中にある。三人が店に到着して、その古ぼけた扉を押し開けると、中から話し声が聞こえてきた。

「あれ。珍しい。雄然、接客中かな」

 桃泉堂は、骨董品屋らしいといえばらしいのだが、瑞貴も客が来ているのを数えるほどしか見たことがない。いつも閑古鳥が鳴いているが、雄然曰く、それでも店の経営は黒字なのだそうだ。

 商品が立て込んだ店の中を三人が奥まで進んでいくと、カウンターの中にいた女性が振り向いた。

「あら、お客さんがいらしたみたい」

 女性は江戸紫の吹き寄せ柄の着物を着て、髪を夜会巻きに結っている。その色の白い凛とした横顔に、瑞貴は見覚えがあった。

「あの人……」

 言いかけた瑞貴より先に低い声で囁いたのは、蒼だった。

「雄然をクリニックに連れて来たのは、あの女性だ」

「えっ」

 女性は美人ではあるが年の頃は五十過ぎで、年齢不詳ながらせいぜい四十前後の雄然の妻だとすると、だいぶ姐さん女房ということになりそうだ。

「では、雄然さん、くれぐれもご自愛くださいね」

 女性がカウンターの中の座椅子に座っている雄然に向かってそう言うと、雄然は面倒くさそうに何度か頷いた。その様子は、夫婦というにはよそよそしいが、まったくの他人とも思えない。女性は三人に会釈し、肩にショールを羽織って店を出て行った。

 右目の下の泣きぼくろ。髪に挿した簪の先に揺れる小さな海月のチャーム。その女性は、和楽器の演奏家である三井みつい清舟さやふねだった。

「僕、あの人に会ったことあります。この店でも、あと、学校でも」

「学校?」

「はい。一学期の伝統音楽の特別授業に来た演奏家です。琴の音が……すごく、いい音だったんです」

 瑞貴の答えを聞いて、六花は口の中で「演奏家ねぇ」と呟いた。二人の納得しきらない表情を見て、蒼は唇の端にほんの少し微笑を浮かべて言う。

「あれが、本当の雄然の()()()()だろう」

 意外な蒼の言葉に六花と瑞貴は驚いて、同時に蒼の顔を顧みる。

「蒼、余計なことを言わんでいい」

 座椅子から不機嫌そうに雄然が声を掛けた。雄然は半眼で蒼のことを見ている。

 橘の香りとは、昔の想い人の暗喩だと言っていた。つまり、あの女性は雄然のかつての恋人ということだろうか。

「瑞貴。今日は人魔相殺のことについて知りたかったんだろう。なら、ちょうどいい」

 蒼はさらに言葉を継いだが、瑞貴には何を言っているのかさっぱり分からない。蒼は勿体ぶるように奥のテーブルまで行き、定位置の椅子に腰を下ろす。

「当事者に話を聞いてみたらどうだ」

「えっ。蒼、それって、まさか……」

 六花が慌てて蒼を追いかけ、テーブルに手をついて詰め寄る。答える代わりに蒼は、無言で雄然に目を遣った。自然と、六花と瑞貴の視線も雄然の上に集まる。

 雄然は憮然とした表情をしていた。栗色の市松の袴に消し炭色の羽織を着た雄然は座椅子から動かず、口をへの字にして三人の視線を受け止めた。茶色いその瞳の奥は、静謐な山の深奥の泉のように底知れない。

「なるほど。気付いておったのだな、蒼」

 雄然が唸るように答えると、六花は身を起こし、呆然と雄然の顔を見つめた。

「じゃ、雄然は……元妖怪ってこと?」

「元々は何だった?雄然。狐か?」

 蒼の問いに雄然は開き直ったのか、座椅子の上でふんぞり返っていつものチェシャ猫の笑みを浮かべる。

「私はてんだよ。人魔相殺してもう長いがな。狐七化け狸は八化け、貂は九化けやれ恐ろしや、と言うだろう。化けることにかけては貂の右に出るものはおらんのだ」

「貂……」

 瑞貴は絶句した。まさか、雄然が元妖怪だったとは。瀬尾稲荷の雪絵と同様、人魔相殺していたのか。

「それだけじゃないな、雄然」

 蒼はテーブルに軽く頬杖をつき、斜に構えながらさらに追及する。

「俺たちが初めて会ってから十年近く経つが、雄然はまったく変わらない。あの頃からずっと、四十そこそこのその見た目だ。人魔相殺しても寿命は妖怪の時から少し短くなる程度だとは聞くが、人間よりゆっくりだとしても歳は取るはずだろう。少し不自然じゃないか」

 蒼は雄然を揶揄うように瞳に笑みを滲ませる。対する雄然も、不敵な笑顔でそれに応えた。

「そこまで見抜いておったとはな。さすが、蒼は勘が良い。左様。私は不老不死なのだよ」

「不老不死……⁉」

 六花と瑞貴は唖然としていた。話についていくだけでも精一杯だ。一方の蒼は、ようやく腑に落ちたというような顔をして頷いている。

 しばらくの沈黙があった。やがて、六花が口を開く。

「なんだ……言ってくれれば良かったのに」

 ポツリと言った六花の横顔は少し淋しそうだ。俯いて不満そうに、水臭いんだから、と付け足す。それを見た雄然は、少しきまり悪そうな表情をして、頭を掻いた。

「まぁ、聞かれなかったから特段言わなかっただけで、別に隠していたわけではないぞ」

 言い訳がましい雄然の様子を、蒼は楽しそうに眺めている。蒼はだいぶ前からそのことに気が付いていたのかもしれない。いつ確かめるか、機会を窺っていたのだろう。

「……雄然さんはいつの時代から生きてるんですか」

 瑞貴が尋ねると、急にカウンターの内側から、雄然の式神である貨幣の付喪神、承和昌寳が躍り出た。

『儂と雄然は同じ年の生まれでな、平安よりともに生き抜いた盟友なのだ』

「これ、承和。お前は出て来んでも良い」

『何を言うか、雄然。儂とお主の仲を、とうとう公言する日が来たのではないか』

 承和昌寳はピョンピョンとカウンターの上を飛び跳ねて、甲高い声でけたたましく捲し立てる。承和昌寳という貨幣が造幣されたのは西暦八百三十五年のことであり、実に約千二百年の付き合いだ、と承和昌寳は感慨深げに言った。出会ったのはもちろん互いに生まれた当初ではないが、同じ年生まれのよしみで承和昌寳は雄然の式神になったのだそうだ。

「千二百年……。平安時代からずっと生きてるんですね……」

 瑞貴は、信じられないと言った風に首を振った。

「じゃ、さっきの女性も元妖怪なの?」

「清舟は人間だ。……まぁ、確かに一緒に暮らしていたこともあったがな。今でもああして時々、世話を焼きに来る」

 照れ臭いのか、雄然は奥歯に物が挟まったような物言いだ。清舟が雄然の店の顧客であることは確かだが、以前、瑞貴が訊いた時には、買い手のことは詮索しないので知らないと言っていた。やはり、どちらかと言うと色々隠していたのだろう。雄然はやにわに立ち上がるとカウンターに行き、置いてあった風呂敷包みをカウンターの下にしまって、承和昌寳を退がらせる。

「それより、宝珠。人魔相殺について聞きたいのか」

 雄然は、誤魔化すように話題を逸らした。しかし、瑞貴にとってはそちらの方がよほど重要な話題だった。

 六花が蒼の隣に座ったので、瑞貴もテーブルまで行き、椅子に座った。それから雄然に、カブソの泉刻一との出会いと、刻一から人魔相殺の契約をしたいと持ち掛けられたことを話した。

「人魔相殺なんて……僕にもできるようになるんでしょうか?」

 話し終えて、最後に自信なさげに言う瑞貴を、雄然はカウンターの向こうからまじまじと見つめる。

「そりゃあ、まぁ。お前は宝珠であるから、できんことはないだろうよ」

「でも、やり方も全然見当がつかないし……。なんかの儀式みたいなことをするんでしょうか。雄然さんが人魔相殺の契約をした時のことを教えてくれませんか」

 瑞貴に問われて、雄然は眉根を寄せる。

「そうは言ってもな。もう八百年も昔のことだからな。私に訊くより、寒月峰神社に何か資料は残っておらんのか」

「美弦さんに電話して、十一月の連休にまた秩父に行くことにはなってます」

「美弦さんって、従兄の神主さんね」

 美弦は、千歳の姉である(ふみ)の息子で、大学卒業後、一度就職を経て寒月峰神社に戻り、神職の勉強をしている。そもそも、千歳が瑞貴を連れて家を出たがゆえに、吏が巫女として神社を守るために呼び戻された。そこへ遅れて美弦も戻ったのだ。

「でも、美弦さんには、人魔相殺に関する資料が見つかるかどうかは分からないって言われていて……」

「ほう」

 雄然は、眼光鋭く相槌を打つ。そこには何か含みがあるようにも感じられたが、雄然は頷いただけで何も言わなかった。

「人魔相殺を施される妖怪は、契約の証として体の一部を奉納するのだ」

「体の一部?」

「狐狸をはじめとする獣妖怪は、化け術の要である尾を差し出すことになる」

「尻尾ね。それで、妖怪に化け戻れないようにするんだ」

「まぁ、それもあるのだろうな」

 六花も興味深そうに話を聞いている。しかし、雄然はそこまで喋ると、急に肩を竦めた。

「だが、今思い出せるのはそのくらいだ。人魔相殺をした時の詳細となると、もう記憶の彼方だな」

「そうですか……。秩父に行ったら、雪絵さんにも聞いてみます」

「あの稲荷の狐は、まつりと人魔相殺をしたのだろう。つい百五十年前のことだ。まだ記憶に新しかろう」

 黒瀧稲荷社の京弥と雪絵の娘である瀬尾稲荷の結はこの店で見合いをしており、その時に雄然と雪絵は会っている。雄然より雪絵の方が年上に見えたが、人魔相殺や不老不死が絡むと年齢などまったく分からない。結局のところ、やはり妖怪だ。

「私も、何か思い出したことがあれば教えてやるがな」

 瑞貴が肩を落としていると、店の入り口の扉が開いて、チリンと鈴の鳴る音が聞こえた。高い靴音とともに、一人の身なりの整った男性が店に入って来る。ダークスーツに臙脂色のネクタイを締め、白いトレンチコート。かっちりとしたスクエア眼鏡をかけ、白髪の混じった髪を整髪料でオールバックに纏めて、革靴は輝くほどに磨かれている。

「いらっしゃい」

 雄然が、カウンターの奥から声を掛ける。雑然とした骨董品屋には似つかわしくない、立派で品のある男性は、入って来るなり顔を綻ばせた。

「こんにちは。これは、素晴らしい品揃えですな」

「ほう。価値がお分かりになりますか」

 還暦近いと思われる男は両手を広げてにこやかに言う。

「ええ。もちろんです」

 ゆっくりと店内を進んでくる男は、足が悪いのか、片足を引き摺るようにしており、歩き方はぎこちない。

「雄然の商売の邪魔だね。今日は撤収しますか」

「そうだな。貴重な客人だろうからな」

 六花と蒼がそう言って立ち上がったので、瑞貴も慌てて床に置いていた通学鞄を持ち上げる。

 狭い通路ですれ違おうとして、背の高い男性の肩が大きく揺れてよろめく。誰とも体はぶつかっていないはずだが、男性は体重を支えきれず、床に膝をついた。

「大丈夫ですか?」

 ちょうどすぐ横にいた瑞貴が、一旦鞄を床に置き、助け起こす。

「失敬。右足が利かないものでね」

 男性は瑞貴の手を借りて立ち上がり、穏やかな微笑で礼を述べた。その大きな手は少し乾燥していたが、辺りにふわりと高級なフレグランスの香りが漂う。

「狭い店内でご不便をおかけしますな」

「いえいえ。この趣もまた味があります。まるで宝の山ではありませんか」

 倒れた時に触れてしまった商品が無傷であることを確かめるように軽く撫で、整えてから、男性は再び右足を引き摺りつつカウンターへと向かった。

「家の茶室の茶道具を一新したいと思っていましてね。ご提案をいただけないかと」

 この短時間でも、男性が相当な好事家であることが窺える。ただ古物が好きなのか付喪神が目当てなのかは分からないが、雄然にとっては絶好の商機となりそうだった。

「じゃ、雄然、私たちはこれで」

「ああ。またな」

 桃泉堂の扉から三人は今一度振り返って、すっかり商売人の顔になって気もそぞろな雄然に別れを告げた。

次回の更新は1月1日21時の予定です。


※カクヨムでも同じ作品を掲載しています。カクヨムでは章ごと、なろうではパラグラフごとの掲載です。

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