徒花①
帰りの電車の中で、瑞貴は空腹を感じていた。時刻はもう午後二時近い。家まで帰れば冷蔵庫に弁当があるが、ここからだとまだ一時間弱はかかる。瑞貴は乗り換えついでに一旦学校の最寄り駅で降り、軽く何か食べて帰ることにした。
十月も半ばを過ぎたがまだ気温は高く、半袖の人もちらほら見かける。瑞貴の学校は下校中の寄り道を禁止してはいないので、外食や買い食いも問題になることはない。瑞貴は駅から住宅街を抜けたところにある吉野家に入り、牛丼を食べた。高校生の食欲では牛丼の並盛では物足りないが、財布とも相談してこれが落としどころだった。とりあえず小腹を満たし、帰ってから千歳の作った弁当を食べようと瑞貴は思っていた。
吉野家を出て、瑞貴は再び駅に向かった。中間テストが終わり、結果はどうあれ、ひとまず気が楽になった。先ほど送ったメッセージに、六花から返信があった。狂骨は危険妖怪に指定される可能性はあるが、まずは調査してみるということだった。
住宅街の路地は入り組んでおり、何度も角を曲がって駅まで近道をする。何度目かの角を曲がったところで、道の先を場違いな黒塗りの高級車がゆっくりと進んでいるのが目に留まった。狭い道幅ほぼいっぱいの車の後部座席のウインドウは濃いスモークガラスになっていて、磨かれた車体はいかつい印象だ。道に迷っているのかと瑞貴は思ったが、車はハザードランプも焚かずに路上で停車した。瑞貴が邪魔に思いながら後方から眺めていると、どうやら助手席から降りた男と歩行者が揉めているようだった。
(事故か……?)
瑞貴は訝しんだが、車の右後ろからではよく見えないため、道を渡って左側に寄った。黒いスーツ姿にサングラスの男と女性が揉み合っている。後部座席のドアが開いており、男が女性を中に押し込もうとしていた。
(誘拐⁉)
咄嗟に体が動いた。瑞貴は走り出し、大声を出す。
「おい!何してるんだ!」
口を押さえられながら必死に抵抗していたらしい女性が、怯んだ男の手を振りほどき、叫ぶ。
「助けて!」
男の手が離れた瞬間、女性は反動でよろめいて地面にへたり込んだ。黒服の男が慌てて助手席に乗り込むと、車は勢いよく発進する。狭い道をすり抜けて走り去っていく車にスマホを向け、瑞貴はそのナンバーを動画に収めた。そして、女性の元まで駆け寄る。
「大丈夫ですか⁉」
屈んで女性の顔を覗き込んで、瑞貴は驚いた。
「あれ、君……」
腰が抜けたように地面に座り込んでいたのは、文化祭で出会った美少女だった。少女の方は最初、きょとんとしていたが、急に思い出したように大きな目を見開く。
「あっ、もしかして、綾山高校の……ゾンビさん?」
名前を知らないので仕方ないが、そう呼ばれて瑞貴は微妙な表情をした。しかし、事態はそれどころではない。
「あいつら、何?警察に通報する?」
瑞貴はスマホを持ち直し、一一〇番しようとした。
「待って」
その手を、思いのほか強い力で少女が掴んで止めた。びっくりするほど冷たい手だ。
「先に……お父様に報告しなきゃ」
「お父様……?」
父親のことをごく自然にお父様と呼ぶ人が実在することに、瑞貴は驚いた。とりあえず、少女に手を貸して立ち上がらせる。
「助けてくれて、ありがとう」
誘拐されそうになっていた割に、少女は気丈だった。大きな瞳は興奮のためか潤んでいたが、眼差しは強く凛としている。どんな場面でも美人は美人なんだな、と瑞貴は妙に納得した。乱れた髪を撫でつけ、制服の埃を払いながら少女は礼を言う。
「本当にいいの?警察」
「うん。今は呼ばないで」
「分かった」
何か事情がありそうだが、瑞貴は聞かないことにした。
「じゃ、これ、あの車のナンバー。これだけ控えといた方がいいんじゃない」
瑞貴がスマホで撮った動画を差し出すと、少女はそれを自分のスマホのカメラで撮影する。
「機転が利くのね」
少女の吸い込まれそうに大きな瞳に感心したように見られて、瑞貴はどぎまぎした。慌てて、瑞貴は少女に申し出る。
「家、近いの?まだあの車がうろついてるかもしれないし、送って行こうか」
言ってしまってから、瑞貴は下心を疑われたらどうしようと焦る。いや、でも、警察に通報しないならなおさら、あんなことがあったばかりで一人で帰らせるのも危ない。自分と別れた後に事件が起こっても後味が悪いと瑞貴は考え、少女の答えを待った。少女は瑞貴の逡巡を知ってか知らずか少し思案していたが、にっこりと微笑む。
「ありがとう。じゃ、家の近くまでお願いしてもいい?」
少女と瑞貴は並んで歩き始めた。少女の名前は風見原小夜。愛倫女子学院高校の一年生で、瑞貴と同学年だった。愛倫女子は有名ないわゆるお嬢様学校で、生徒同士が「ごきげんよう」と挨拶するような深窓の令嬢が集うミッションスクールだ。二人はお互いの学校のことなど、他愛もない話をしながら歩いた。小夜の家はそこから徒歩で十分ほどだったが、家の付近は住宅というよりは邸宅が立ち並ぶ閑静なエリアだった。都心のこの辺りでこれだけの屋敷に住めるのは、どんな資産家なんだろうと瑞貴は感心した。
「あの角を曲がったら家だから、もうこの辺で大丈夫。上条くん、どうもありがとう」
小夜は立ち止まり、瑞貴に向き合うと、ぺこりと頭を下げた。
「うん。分かった。気をつけて」
瑞貴がそう言うと、小夜は手を振って駆け出した。去り際も、美しく完璧な笑顔だった。普通の男子はこういう時、連絡先を訊いたりするのだろうか、と瑞貴の頭の中を考えがよぎる。しかし、小夜は圧倒的な美少女過ぎて気後れする。ましてや、こんな豪邸ばかりのエリアに自宅があるとなれば、住む世界が違うことは明白だ。瑞貴はただ微笑んで手を振っただけで、小夜が角を曲がるのを見届けた。
それにしても、お腹が空いていた。さっき食べた牛丼の効果はすっかり切れてしまった。瑞貴は今度こそ、急いで家に帰ることにした。
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