地下鉄の狂骨③
乗り換えを一回挟んで、二人は西船橋行きの東西線に乗り込んだ。
「こっち側の窓から見えるんだと思う。瑞貴もよく見てて」
壱流は進行方向に向かって右側の扉の方へと歩み寄る。平日の昼過ぎの電車は空いていて、立っている乗客は他にいない。何もない地下鉄のトンネル内の暗がりをじっと見つめる男子高校生二人はだいぶ不審だが、それを見咎める人もいなかった。
瑞貴が鞄に付けた懐中時計の猫目石は、やや青みがかった緑色をしている。この路線には、やはり妖怪がいるのだろう。この懐中時計は、瑞貴がお見合いに立ち会った稲荷の狐から、縁談の御礼として贈られたものだ。贈り主である黒瀧稲荷社の京弥は西洋かぶれのアンティーク好きだ。この懐中時計も、曰く付きの商品を扱う懇意のアンティークショップで購入した物らしい。詳しい説明はなかったが、京弥の話では妖魔の気配を感じると、蓋に嵌められた猫目石の色が変わるという。瑞貴の感覚では、普段は琥珀色をしている猫目石は、妖魔の存在を感知すると緑色に変わり、妖魔の攻撃性が高いほど、青みが強くなる印象だった。現在の猫目石の色が青みがかった緑ということは、この地下鉄にいる妖魔はそれなりに攻撃性が高いということだろう。
「竹橋を過ぎたから、そろそろかなぁ」
壱流と瑞貴は一番後ろの車両の扉の両側に陣取っていた。壱流は先ほどの髪の毛の入った包みを手に持って、窓に額をくっつけるようにして外を見ている。瑞貴はそっと右手の宝珠に力を籠めて、緑色の小さなオーラの球を作り出し、壱流の持っている和紙の包みに送った。
「うわ、なんか、あったかくなった」
壱流は驚いて、危うく包みを取り落としそうになる。宝珠の活力を与えて、髪に宿る依頼人の気配を増幅したのだ。これで幽霊も妖魔かもしれない何かも彼らを見つけやすくなるだろう。
電車は大手町を過ぎ、日本橋に着いた。あと一駅で茅場町だ。日本橋から茅場町までは一分足らずだった。幽霊は出現しないのか。不安になりながら、息を詰め、目を凝らして窓の外を見ていた二人は、電車が茅場町の駅に着く直前、同時にあっと声を上げた。少し奥行きが出て反対側の線路が広く見渡せる空間に、それらは待ち構えるように佇んでいた。青白く光る人型の幽霊と、その傍らに立つもつれた長い髪をした骸骨のような大きな白い影。幽霊の方は、壱流たちの姿を認めると弾かれたように飛び立ち、走る電車の窓にぶつかるほどの勢いで近付いてきて、舐めるように並走する。瑞貴の視線は、その向こうで佇んだままの大きな骸骨に捉われていた。
(地下鉄……井戸……なるほど、そうか)
瑞貴が考えていると、その大きな骸骨の白い影の足元を何か光るものがさっと横切り、火花が散るのが見えた。青白い幽霊は電車がホームに滑り込むぎりぎりまで追走し、ホームの縁で見えなくなる。怪異を視認してから、その間数十秒。電車は茅場町の駅に停車した。
「行こう、瑞貴」
壱流は瑞貴の顔も見ずに開いた扉から降りると、ホームの最後尾に向かって走り出した。瑞貴もそれに続く。
島式ホームの両側には、ホームドアに続いてホームの端まで十メートルほど柵が立っている。階段の横をすり抜けた向こう側、両側の柵が内側にややすぼまった先にエレベーターがあり、ホームはそこで終わっている。階段下の天井の低い空間と相対して袋小路のようになったホームの端に、男が一人、立っていた。壱流と瑞貴は一旦、階段脇で立ち止まった。紺色の鯉口シャツに黒の乗馬ズボンを身に着けた、角刈りの職人風の男は背を向けて立っていたが、瑞貴たちをちらりと振り向いた。エレベーターを待っていたのかと思われた男は、しかし、階段の方へと歩いてくる。瑞貴たちとすれ違う時、男が手に持っていた箱が跳ねるように落ちた。煉瓦ほどの大きさの黒い箱。その箱は、床に落ちた後も中に生き物が入っているかのようにがたがたと動き、見ていた瑞貴と壱流はぎょっとした。男は何食わぬ顔で箱を拾い、二人を見向きもせず無言で通り過ぎ、そのまま瑞貴たちがやって来た方へと歩き去った。
壱流と瑞貴は顔を見合わせる。男のことは気にはなったが、まずは幽霊が先決だ。二人は誰もいなくなったホームの端まで歩を進めた。斜めにすぼまった部分の柵の内側から透かして線路を覗き見る。暗いトンネルの壁には、間隔を空けて明かりが配され、線路がカーブしている様子がうっすらと窺える。今しがた、瑞貴たちの乗った電車が通ってきた線路上に、ぼんやりとあの骸骨のような人影が佇んでいるのが見えた。
「あいつ……」
と瑞貴が呟く声に、壱流がかぶせてくる。
「オレにも分かったよ、瑞貴。あれ、狂骨だね」
「うん。多分な」
狂骨。井戸に身を投げたか落とされて殺された者の白骨が妖怪化したもので、激しい恨みを持つといわれる。鳥山石燕の絵によると、長く絡まった髪を靡かせており、四肢は先へ行くほど不明瞭。全体的に透けており、その佇まいは日本人が想像する古典的な幽霊の様相だった。井戸がほとんど使われなくなった現代で、地中深く暗くじめじめした地下鉄は確かに井戸の環境に少し似ている。それでここを棲み処にしたのかもしれない。人身事故で亡くなった自殺者たちの怨念を集めて、狂骨は力を得ているのだろう。幽霊を依頼者にけしかけた存在の正体は、きっとあいつだ。
「瑞貴、来るよ」
壱流が見つめるホームの端の柵の下に、青白い手が二つ見えていた。ホームをよじ登ろうとする幽霊の手。コンクリートに爪を立て、どす黒い爪が剥がれかかっている。続いて、ゆっくりと頭が見えてくる。
「お前が欲しいのはこれだろう」
壱流が甘やかな声で言い、和紙に包まれた依頼者の髪の毛を掲げる。顔まで這い上がってきた幽霊は、黒目のない眼でそれを捉えた。しかし、やはり線路からは上がって来られないらしく、その場で歯噛みしているようだった。壱流は制服のブレザーのポケットから赤い水引を取り出すと、髪の包みを手早く十文字に結ぶ。
「瑞貴、今日は付き合ってくれてありがとう」
唐突に瑞貴を振り向くと、壱流は人懐っこい笑顔でそう言った。
「オレ、あいつをこの体に憑依させてそのまま帰るから。憑依させたら、話しかけても応えなくなるからね。瑞貴はあの狂骨を、民保協に通報しといて」
「えっ⁉」
言い終えると、壱流は恨めしそうにホームの端にしがみついている幽霊に大声で呼びかける。
「さぁ、来いよ。お前の話を聞いてやる」
壱流は右手を幽霊に差し伸べるように前に出し、何かの呪文を唱え始める。よく聞き取れないが、日本語ではなさそうだ。集中した壱流の目がだんだんと据わってくる。呪文を唱え続けるうちに、壱流の意識は朦朧としていくようだった。目を閉じて、まるで立ったまま寝言を言っている風になり、呪文を唱える声も徐々に不明瞭になっていく。
「壱流……?」
よろめいて頽れそうになった壱流の体を瑞貴が支えようとした時、線路の下の幽霊が跳ね上がり、壱流の体をめがけて飛んできた。一瞬の出来事で、瑞貴は何もできなかった。幽霊が、壱流の体と同化する。壱流の体は倒れずに持ち直し、開眼したが、その目は虚ろだった。
「壱流……」
もう一度、瑞貴は壱流の名を呼んだが、反応はなかった。憑依されたのだ。壱流の体はゆらりと動き出し、瑞貴に背を向けた。駅のホームの元来た方へ、ゆっくりと歩き出す。
瑞貴は呆然としていた。もちろん、平将門を召喚した壱流の霊媒師としての実力を疑っていたわけではない。しかし、こんなことができるとは。壱流はあの幽霊に自分の体を貸したまま、家まで連れて帰るのだろうか。
(すごいな、あいつ……)
瑞貴は唇を噛んだ。羨望なのか、憧れなのか、悔しさなのか、複雑な気持ちだった。
瑞貴は再び、線路に続くトンネルの奥を振り返った。狂骨はじっと動かず、まだそこにいた。眼窩の奥に光る眼は、仲間を連れ去ったことを非難しているかのようだった。何もしてくる気配はなく、ただ佇んでこちらを見つめている狂骨を残して、瑞貴は身を翻した。瑞貴にできるのは、その存在を民保協に報せるべく、六花にメッセージを送ることだけだった。
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