"無職"の少年
八十年前────アメリカに、中国に、イギリスに、インドに、日本に。
世界中に《《大穴》》が空いた。
その穴は地獄まで通じていそうな程深く。何処までも先が見えない暗闇だった。
各国の中で最も先に動いたのは、アメリカ。
アメリカは大幅なリソースを用いて大穴調査に赴き。彼等は《《ソレ》》を見た。
大穴の中に存在した《《別世界》》。見た事もない植物に鉱物。科学を真っ向から否定する超常現象、魔法。どの歴史の物とも噛み合わない人工物。
そして、人類に敵意を持つ未知の生物───怪物と出会った。
そうして八十年後────世界は思ったよりも上手く適応していた。
大穴はダンジョンと呼ばれ、その大穴を突き進む者達を"冒険者"と呼ぶ様になった。
大穴を進む冒険者達は、モンスターと戦う為の力『ジョブ』を身につけて、人外と呼べる程の力を手に入れるようになった。
子供達に聞いた『なりたい職業ランキング』十年連続一位は、冒険者。
そう、世の中はまさにダンジョン中心に動いている。ダンジョンには資源が眠っていて、世界はそれを求めている。
今一番求められているのは冒険者なのだ。
「…と、いうのがダンジョンの発生とジョブの発現だ、次はダンジョンで出てくるモンスターについてだ、しっかり予習しとけよ──」
教壇から降りた一人の教師が、気怠げに、そう言い教室を後にした。
授業終了のチャイムは、既に鳴り終わっていた。
「はぁ──やっと終わった、あーマジだるかった…」
「わかるー眠いよね、酒井の授業」
「いやそれな!!でも寝てたら容赦なく成績下げられんだよね──」
直後、蜂の巣を突いた様に騒がしくなる教室。授業がつまらないだとか、ダンジョン攻略なんて無理だーとか、そういった当たり障りのない会話が展開される。
いつの間にか、さっき酒井と呼ばれた教師の悪口大会が熱を帯び、とうとう一人の男子生徒が教壇を蹴飛ばし始めるところまでになった。
お世辞にも優秀とは言えない様子、今だけ楽しければそれで良いと、未来の事など知ったことかと、そう宣言するかのような投げやりな態度。
しかし、それも仕方がないと言えるだろう。なんせ此処は学校側から見込み無しと判断された者が落とされる底の教室。
────一年D組なのだから。
そう偉そうに言う自分自身も、落ちこぼれ組所属なんだがなと、───遊魔綾人は心の中でそう自虐した。
『ジョブ』、職業という意味のそれは、冒険者にとって最も重要なものだ。クラスは人に力を与えるだけではなく、その人の最も適した戦闘スタイルを確立する指標なのだ。
例えば『剣士』なら剣を扱う近接戦を、『魔術師』なら魔法を使った遠距離戦を展開できる。
しかしながら、綾人に宿ったジョブは、数あるジョブのどれでもない、未知のジョブ。『怪物創造師』であったのだ。
「…ほんと、どう使えば良いんだろ、このジョブ」
剣でも魔法でも弓でもない、何にも適性のないジョブ。
優秀な冒険者を輩出することを目的とするこの学校からしてみれば、そんなジョブ持ちは必要無い。
落ちこぼれと蔑まれるD組に振り分けられるのは至極当然の事だった。
「…あっ…」
「……ん…」
ガララ、と古臭い音の鳴るドアを開け教室を出てみれば、見知った顔と出会った。
長く伸びた銀の髪に、淡い水色の瞳。
一年A組所属にして、僕の幼馴染。この学校の一年生《《最優》》。八剣優花がそこにいた。
「──あ、その、ひ、久しぶり!入学式以来だよね、そっちは最近ど────」
「おい、落ちこぼれの"無職"如きが話かけるな、貴重な時間を奪う気か」
話かけた途端に、優花の側から腕が伸び、遊魔の胸ぐらを掴み上げた。
「!?う、ぐぅ…」
苦しそうな遊魔とは裏腹に、掴み上げているその男は口を歪めて笑った。見ればその男だけでなく、周囲の生徒たちすらクスクスと笑い、スマホで撮影をする者さえいる。
「お前と我々では住んでいる世界が違うのだ、落ちこぼれの、それも"無職"に許されるのはただ遠くから羨望の眼差しを向けるだけだ、──いや、それすらも烏滸がましいか」
「そーそー、底辺は底辺らしく這いつくばってれば良いのにさぁ」
無職──どんな武器や武術にも適性が無い僕を、他の生徒はそう呼んでいる。
掴み上げているA組の男子生徒も、チャラチャラした雰囲気のD組トップの生徒も、そう呼んでいる。
「…は、そ、そんなにおかしい?D組がA組に話しかけるのは、さ……」
「ああ、可笑しいさ、幼馴染だからと言っていつまで立場を弁えないのはさぁ!!────」
「うあっ!!あ────」
直後、男の腕にあり得ない程の力が込めらる、学生とはいえ、将来一流の冒険者となる事を期待されているA組の生徒だ。その力は生徒どころか、現役の上級冒険者と比較しても引けを取らない。
男はそのまま、遊魔を投げ飛ばそうとして。
「──やめて、海羅」
周囲の嘲笑、撮影、男──海羅の行動すらやめさせる一声が、辺りに響いた。
「なぁ…!?し、しかしこいつは…」
「やめてって、そう言ってるの、私は話したくないとも、虐げて欲しいとも言ってない…分かったなら、遊魔から手を離して」
「………分かりました…」
あれだけ饒舌に話していた海羅が、もの言わぬ人形の様に黙って、同時に遊魔の胸ぐらを乱暴に離した。
そして、全ての邪魔が無くなって、優花は膝を曲げて話かける、目の前でへたりこんでいる少年──遊魔に。
「…ごめんね、早く助けてあげらなかった。A組の人達には後でキツく言っておくから…」
「あ…ありがとう……」
「──それと、さっきは凄かった」
「え……」
「力も速さも、負けてるはずなのに、遊魔は海羅に反論して見せた…だから、凄い」
「ッッ!!」
「今度からは、こんな事ないようにするから安心して」
ふんすと音が鳴りそうなほど張り切る優花。
そんな優花を前に、遊魔は立ち上がって────《《その場から全力で逃げ出した》》。
「……ん?」
突然の事に唖然とし、追いかける事すら忘れただ見つめるだけの優花。
遊魔は振り返る事も無く、ただただこの場から逃げ去っていった。
「悔しい!!悔しい悔しい────!!」
夜。
学生寮の一室にて、遊魔は叫ぶ。
「うあぁ……ああぁ…」
その叫びの行き先は、自分。
言うならば自分への不甲斐なさ、弱さだった。
何もできなかった、海羅に胸ぐらを掴まれ、投げられそうになった時既に泣きそうになっていた。
そんな自分が────凄い?
そんなわけが無い。
僕は何もやってない、何も凄くなんてない。
強くなることもできず、幼馴染の背に何一つ追いつけていない。そんな自分が────ただただ恥ずかしく、情けない。
「強く……もっと強くならなきゃ…」
少年────遊魔綾人が『怪物創造師』の真価に気づくのは、そう遠くない。