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わたしはミアン、13歳。
もう長いこと、お腹いっぱい食べたという記憶がない。
毎朝起きるたびに、重くなってはいないか、また背が高くなってはいないかとすごく心配する。
それはわたしがブラワ曲芸団の一員で、カナカ姉さんと組んで曲芸を披露しているから。姉さんの足裏の上に立って、わたしは踊る。身体が重くては姉さんが困るし、わたしも高く跳べない。
だから、わたしは食べないようにしている。
でも、姉さんのほうはわたしを支えなくてはならないから、食べなくてはならない。
姉さんは、わたしが食べたいのを我慢しているのを悲しい眼で見ているのをわたしは知っている。だから、姉さんは横を向いて、申し訳なさそうに、もくもくと食べる。
わたし達はふたりとも戦争孤児で、同じ日に、別の場所でブラワ親方に拾われた。
その時、姉さんは8歳で、わたしは3歳だった。
わたしは父さんと母さんと弟、それにおばあちゃんまで戦争でなくして、まだ煙の臭いがする瓦礫の中で泣いていた。もう3日も食べていなかったし、寒かった。
「来い。食べ物をやる」
と男が言った。その人がブラワ親方だった。
食べものはほしかったけれど、その髭のいかつい顔を見て、わたしはこわすぎて泣き出した。でも、ほかには行く所がない。
その時、カナカ姉さんがわたしを抱き上げ、よいしょとおぶって、「だいじょうぶだよ。私がついている」とゆすってくれたから、泣き止んだ。
「わー、おっきい。きもちいい」
とわたしが言った。姉さんの背中はあったかくて、ふかふかしていた。
「変な子」
「せなか、大きい。海みたいに大きい」
「変な子」
その時、姉さんの体格はすでに大きく、わたしは小さかったから、親方の考えで、ふたりで組んで芸をすることになったのだ。
*
最初はうまくいかず叱られてばかりだったけれど、曲芸はだんだんとうまくなっていった。
わたしは姉さんの足裏の上で演技をするのが好きになった。くるりと回ったり、高く跳んだり、逆立ちをしたり。足がどんなにぐらついたって、姉さんが下でがっしりと受け止めてくれることを知っているから、安心して、思い切り演技ができる。
テントの舞台では、姉さんが金色の服、わたしが赤い服を着て芸をする。
わたしが8歳の頃には人気が出て、村や町に行くたびに、お客さまがたくさん来てこう叫ぶのだ。
「跳べ、赤いミアン」と。
わたしが思いっきり高く跳んでも、姉さんの足裏が、ちゃんと受けとめてくれる。
出来がよいと、たくさんのおひねりが飛んできた。おひねりの中のお金は、ほとんど、親方が取っていった。
でも、食べるもの、着るもの、寝る場所の心配はしなくてよかったし、わずかでもお小遣いがもらえた。他の団員のように、おやつに使うことがなかったから、少しずつたまっていった。それは、将来のために、ちゃんと貯金してある。
学校へも行かず、ただ曲芸をしている毎日なので、将来といっても、どんな将来が待っているのかはわからなかったけれど。
でも、どんな不安な時でも、どんなひどいことを言われた時でも、わたしは姉さんと一緒の寝台に寝て、その腕に包まれていたから、幸せだった。
わたしはこのままずっと姉さんの足裏の上で踊っていたかった。だから、背が伸びないように、重くならないようにと、毎晩、願った。